出産でビックリ!!こんなことってあるの?50人のセキララ体験談

目次

47歳女 産休に入った翌日に出産

47歳の主婦です。

長女を出産したときのエピソードをお話したいと思います。

長女出産当時、私は29歳で中学校の教員をしていました。

教員の仕事は身体を張る仕事も多く、妊婦になってからの仕事はかなり大変だったのですが、周囲にサポートしてもらいながら産休に入るところまで仕事を続けられました。

ただ産休の時期を仕事の引継ぎの関係で、通常より1週間遅くから入らなければなりませんでした。

なんとかプラス1週間を終えて、職場の方や生徒たちにも「元気な赤ちゃんを産んできます!」とあいさつして送り出してもらい、その日は帰りに主人に職場まで車で迎えに来てもらいました。

産休に入ったことで、少しほっとしその日の夕食はそのまま外食して行こうということになり、駅ビルのレストランに入りました。

そのとき、なぜか無性にカレーが食べたくなってしまい、しかもつぼ焼きカレーというわりとスパイシーなカレーを食べました。

とてもおいしくいただいたのですが、帰るときに脚の付け根がいつもと違う違和感を覚えました。

「ん?」となんとなく不安を覚えたので、その後すぐ車で安静にして帰りました。

寝るときも多少違和感はあったのですが、明日から休みなのでゆっくり横になることにしました。

ところが明け方になったら、なんだか様子がおかしい。

破水していたのです。

これはマズイと思い病院に連絡したらすぐ来るように、とのこと。

慌てて病院に行き、逆子だったということもあり、即帝王切開で手術。

予定日より1か月半早く長女が生まれました。

幸いなことに長女は、しばらく保育器に入って入院しましたが、五体満足で元気に生まれてきてくれました。

まさか、産休に入った翌日に生まれると思わなかったので、自分も周りもびっくり。

職場へは主人に連絡してもらったのですが、「え?もう?」と驚かれたそうです。

後悔していることは、出産や産後に必要なものも、産休に入ってから準備しようと思っていたので、何も準備できていなくて、マタニティ用のパジャマやショーツ、ナプキンなど男性が買いにくいものも主人に買ってきてもらはなくてはならず、もっと早くから準備しておけばよかったなと思っています。

カレーが原因だったかどうかはわかりませんが、我が家では長女の出産のことを「スパイシー出産」と呼んでいます。

是非これから出産される方には出産の準備は早めに。

スパイシー料理は控え目にとお伝えしたいです。

41歳、女、スパルタ病院での出産

朝方破水し、即入院しました。

夕食を食べた後くらいからだんだん陣痛が始まって、陣痛アプリで間隔を計っていました。

陣痛アプリとは陣痛が始まった時や治った時を記録して、間隔が短くなったら病院へ行く目安にするためのアプリです。

だんだん痛みの間隔が狭まってきて、目安とされる5分になってきたのでナースコールして診察室へ移動。

この時すでに激痛で、ストレッチャーで運んでくれるものと思っていたのにまさかの「じゃあ歩いて来てください」。

え、嘘、こんなに痛いのに?息をするのもやっとなのに?
夫に支えられて、痛みが来たらその場に立ち止まって、すぐ近くの診察室までの移動にとても時間がかかりました。

やっと診察室にたどり着いて「あぁ、いよいよだ!」と思ったのもつかの間、「まだですね。

全然開いていないのでまだまだです。

いったん部屋に戻ってください。

え、嘘。

めっちゃ痛いのに?って言うかここまでやっとのことで歩いてきたのに?また戻れと?
絶望と痛みでクラクラしました。

痛みに耐えながらまた病室へ戻ってベッドに横になったものの、もう痛くて痛くてじっとしていられませんでした。

なんとか陣痛アプリに記録は続けましたが、やはり5分間隔、時には3分ほどのこともありました。

まだまだ我慢すべきか、いやでもありえないくらい痛いし、これ以上痛くなったらもう自力で歩けない、いやでもせっかく行ってまた帰されたら嫌だし……
と、脂汗を流しながら悩みました。

体感的には数時間に感じましたが後から考えると多分2~30分ほどだと思います。

悩みに悩んだ末、再びナースコールを押し、再び診察室へ。

はい、また帰されました。

なんとこれを6回繰り返しました。

7度目に診察してもらった時にやっと分娩室へ移動になりました。

またもや「歩いていきましょう」
え、嘘。

分娩室に?歩いて?
嘘ではありませんでした。

とんでもないスパルタ病院を選んでしまったと後悔しました。

が、後から聞くとどうもその日はお産が重なっていて分娩室の余裕が無かったようです。

なのでどうやら確実になるまではねられていたようです。

今となっては真実は分かりませんが。

辛い辛い出産でした。

34歳 女 過去の出産で両親の献身的なサポートに感謝

私の出産の体験談としまして、私は、帝王切開をすることもなく、長男、二男ともに無事に生まれてくるような形で、良かったのですが、やはり、つわりが大変酷い形でありましたので、長男を身籠った時につきましては、とにかく酸っぱいもので気を紛らわせるような状態でありました。

やはりどの妊婦の方もそうであると思うのですが、つわりが酷い方が大勢いらっしゃると思います。

そのような中で、私の妊娠時におけるつわりの特徴としましては、とにかく周期的に襲ってくると言う形でありました。

周期的に襲ってくるような形で、その時に強烈なつわりを伴いますので、その際に、気を紛らわせるために、酸っぱい梅昆布のものや、飴を舐めることを日課としておりました。

急にそのつわりのサイクルに襲われても良いように、飴を舐めることを意識していたと思います。

またそれ以外で出産で印象に残ったエピソードとしましては、やはり、家族の協力であったと思います。

主人は、毎日残業で来ることもできない形であったのですが、私の母と父が一週間に一度は、妊娠後期になりますと、泊まり込みで家に来てくれるような形で、妊娠後期と言う一番辛い状況におきましても献身的にサポートしてくれる形で父親と母親のお陰で出産まで体制を万全にして望むことができたと思いました。

これにつきましては、今思いましても父親と母親のお陰であると感謝しております。

また、臨月にさしかかりました時は、自分で判断して病院に電話して来て頂いたのですが、その時もメールだけで両親が飛んで駆けつけてくれる形となりまして、両親の献身的なサポート体制があったからこそ無事に出産できる形になったと思いました。

もし出産におきまして、両親の献身的なサポートが無ければどのようになっていたか分からないと言う感じで、やはり親族は絶大的に信頼できるものであると実感した瞬間でもありました。

年子である二男におきましても、すぐに出産できる形になりましたのも両親が積極的に来てくれたお陰であると痛感しております。

61歳女 出産よりも出産でできた血腫が痛かった

私は61歳女性で、30歳と35歳の時に出産を経験しています。

私は一人目の出産の際には何事もなく出産することができたのですが、二人目の出産の際にとんでもない経験をしました。

二人目を身ごもって臨月の時に、まず血圧がとても高くなっていました。

上の血圧が160ぐらいになっていて、普段は110前後の私にとっては以上でした。

また、定期健診でタンパク尿が出ていて、妊娠中毒症と言われていました。

それだけでとても不安に思っていたのですが、それ以上に大変なことが出産の時に起こってしまったのです。

出産自体は案外すんなりと時間がかからずに終わりました。

ただ、出産後に下腹部がものすごく痛みが出たのです。

出産なのでこんなこともあるのかなという感じに思っていたのですが、4時間ほど経過しても痛みが治まらず、むしろ悪化していったので我慢の限界に達して、看護師さんにそのことを伝えました。

そこで痛み止めの飲み薬をもらって様子をみたのですが、長くても1時間もすれば効果が出てくると言われたにもかかわらず、1時間半経過しても効果が全くないのでもう一度看護師さんに相談しました。

すると、先生を呼んできますと言われて、先生が診察して下さりました。

すると、出産の際に子宮の中に傷が入ったのか血腫が出来ていると言われました。

そこで緊急で手術をすることになりました。

手術後はなんとか痛みは和らいで、やはりその血腫が痛みの原因だったのだなと確信しました。

先生にはよくこの痛みに我慢できたね、と言われましたが、決して我慢できるレベルだったわけではなく、とんでもなく痛くて看護師さんに声をかけたのに、と言いたいところでしたが、そんな元気すらありませんでした。

結局、出産の時の痛みよりもその血腫の痛みの方が痛くて印象に残っています。

今のところ人生で最も痛かったのはその血腫の痛みだと思います。

出産なんて人生でそう何度もするわけではないので痛みがあってもこんなものかと我慢してしまいがちですが、私のようなこともあるので、痛みがある場合には早めに看護師さんや先生に相談した方がいいと思います。

36歳男 第1子出産に立ち会って感じたこと

石川県在住の36歳男性、既婚です。

医療関係の仕事をしています。

私は昨年末に第1子の男の子が生まれました。

私達は共に30代半ばということもあり、なかなか子宝に恵まれず、2回目の体外受精で授かった赤ちゃんでした。

特出すべきエピソードとしては、出産2カ月前に奥さんが切迫早産になる可能性があるとして入院したことです。

お腹が痛いとかかりつけ医の産婦人科に行ったら、診断の結果、切迫早産の可能性があるとのこと。

絶対安静の生活を安定期を迎えるまでする必要があり、奥さんの一日中点滴を受ける生活が始まりました。

クロスワードパズルや小説を持ち込んで、退屈をしのぐ日々。

私は洗濯物の取り替えなどで毎日行きました。

また、産婦人科の院内食は夕飯にたくさんごはんが出ることから、私も協力してごはんを食べました。

それから安定期に差し掛かり無事に退院しました。

退屈した直後に食べたい物はある?と聞くと焼肉が食べたいとのことでしたので、その週の週末ランチで焼肉へ行きました。

その後、数日経ち陣痛が始まり、出産に向けて準備が始まりました。

予定日より2週間近く早まり私も焦りました。

当初奥さんのお母さんと私が分娩室に入る予定でしたが、風邪をひいていたお母さんは分娩室には入れず、私だけ立会人となりました。

陣痛で苦しむ奥さんのそばで、横にはいるもののうちわで扇ぐことしかできず、自分の無力さを痛感しました。

陣痛に苦しむ奥さんは「帝王切開して下さい」と助産師さんに懇願していました。

昨年生まれたお姉さんが陣痛が始まって24時間後に帝王切開をしたということで、自分も帝王切開することになる。

だから、一刻も早く切開して下さいというのです。

助産師さんは母子共に元気だから、ここで帝王切開はもったいないと拒みました。

分娩室に運ばれてから約6時間後、室内に動きがあり、健康体の赤ちゃんが生まれました。

タオルケットがかけられた奥さんの股から赤ちゃんが顔を覗かせた瞬間は今でも鮮明に覚えています。

元気な産声を聞かせてくれて、胸を撫で下ろしました。

これから出産を迎える方にお伝えしたいのは、どの選択肢を選ぶ際も赤ちゃんファーストで考えて下さいということです。

我が家も切迫早産で入院することになった時も資金はどうする?と入院をためらった時もありました。

ただ調べれば、地方自治体の助成金で資金は返ってくることがあることがわかったので安易な考えで選択してほしくないと思います。

赤ちゃんが一生生きていくことを考えて、最善を尽くして頂きたいです。

長々と文章を読んで頂きありがとうございました。

30歳女 大きなトングで激痛の中出産

私は現在30歳、1児をもつ主婦です。

出産したのは私が25歳の時でした。

ちょうど予定日に検診がありました。

「そろそろかな、この検診からこのまま入院になるかな。


とワクワクしながら病院へ向かいました。

しかし、医師から
「子宮口はまだ全く開いていないですねぇ。

会えるのはもうちょっと先かなぁ。


と言われ、ガッカリ・・・。

さらに、
「次、また3日後に検診に来て下さい。

もし、それまでに生まれなければ、
陣痛促進剤を使うかもしれません。

羊水もだいぶ少なくなってきているので・・・。


という言葉を聞いて、不安になりました。

本やネット、知人から「促進剤は辛い」と見たり聞いたりしていたからです。

私の不安が赤ちゃんに伝わったのか、その日の夜中に陣痛が始まり、
朝8時頃、病院へ。

NSTで赤ちゃんの様子を確認すると、「赤ちゃんが危ない。

」とのこと。

「緊急帝王切開になる可能性も高いので、ご家族に連絡して下さい。

」と
緊迫した表情で医師から説明を受けた時は、怖くて泣きそうになりました。

そして、そのまま入院することに。

NSTの機械をつけ、心拍を小まめに確認しながら、陣痛室で過ごしました。

不安な気持ちで数時間が過ぎた頃、様子を見に来た医師に、
「赤ちゃん頑張ってるね。

自然分娩でいけそうだよ。

」と言われました。

やはりお腹を切るのは怖かったので、とてもホッとしました。

と、同時に、
「赤ちゃんがこんなに頑張っているんだから、私も頑張らなくちゃ。

」と気合いが入りました。

それから陣痛は容赦なく強くなっていきます。

まだいきんじゃいけない時に、痛みが来て、いきみを逃すのが本当に辛かったです。

夫や助産師さんに腰をさすってもらいながら一回、一回の陣痛を何とか乗り切りました。

「あと、どれぐらいですかー!?」と辛すぎて助産師さんに思わず聞きましたが、
返事は「まだまだ始まったばかりだよ。

これから、これから!」と言われ、気が遠くなりました。

そして、時間は確実に過ぎ、痛みも強くなりました。

ただ、陣痛の間隔が全然変わりません。

大きな陣痛の波が来るわりに、次の陣痛までの時間が長いので、
いきんでもいきんでもなかなか進みません・・・。

「赤ちゃんもお母さんも辛そうだから、分娩室行こうか。

」という医師の指示で、移動。

分娩台でも頑張っていきむものの、陣痛の間隔は縮まらず・・・。

「ちょっと手伝うよー。

」と言って医師がバリバリとビニールの袋から取り出したのは、何やら金属の大きな器具・・・。

サラダ用トングの大きいバージョンのようなものでした。

「え、もしかして、それを使うの・・・」と思ったその時、
そのトングで中の赤ちゃんを引っ張り出したのです。

「痛ーい!!!!」
思わず声に出してしまうほど。

2~3回トングで引っ張られ、「次で赤ちゃん出てくるよー!」という医師の声で
思いっ切りいきむと、「ずるん!」。

しわしわの赤ちゃんが顔を出しました。

会えて嬉しいのと、陣痛が終わってホッとしたのとで、涙がボロボロ・・・。

・・・という感動の時間もつかの間。

トングのような器具で、避けてしまった所を縫う処置が、これまたものすごく痛いのです。

「痛い、痛い!」うなりながら、終わるのを何とか耐えました。

後で知ったのですが、このトングを使ったお産を「鉗子分娩」というらしいです。

このトングのせいで、産道の中の方も切れてしまい、
翌日~1ヶ月以上、円座なしでは座れないくらい痛かったです。

入院中は、手すりを持って這いつくばらなくては移動できないほど。

それでも、我が子は可愛いもので、一日何度も痛みと闘いながら、顔を見に行きました。

あのトングのような器具が出てきた時は衝撃的でしたが、
あれが無ければきっと母子ともに危なかったのだと思います。

あの時、私と子供の様子を見て判断し、適切な処置をして下さった医師には感謝しています。

とにかく痛かったけれど、今では良い思い出です。

33歳痛みに弱い私 無痛分娩で笑顔で出産!

今年の初めに第1子を出産した33歳です。

昔から痛みに弱く、結婚をする前から出産なんて絶対無理だと思っていました。

そんな私も30で結婚し子供の事を真剣に考えるように。

幸運にも授かる事が出来喜びでいっぱいでしたが出産への不安もたくさん。

すぐに「無痛分娩」をしている産院を探しました。

マタニティライフも順調に進み臨月になったある日、のんびりテレビを見ていたらなんだか少し濡れた感覚が。

確認するも少量で分からずおりものシートを替えて様子を見る事に。

少ししてから確認。

やっぱり濡れていました。

ちょっとだから高位破水?それともおりもの?区別がつかず検索魔に。

色々見ていると勘違いだったと言う方がちらほらおり病院に行くか悩みました。

でもやっぱり気になって病院に連絡してみると一応来てくださいとの事で自分で運転して病院へ。

陣痛ゼロだからどうかなーと思っていたら「破水だね。

子宮口3cm。

このまま入院して様子見よう」という事に。

夜中少しずつ痛みが出てきて眠れないけど感覚はバラバラ。

まだ余裕があったから10ヶ月の色々な事を思い返して1人で泣いていました。

朝になりLDRルームへ移動。

陣痛促進剤開始。

8時に朝ご飯。

陣痛の合間に食べるも完食出来ず。

まだ携帯を触る余裕はあるけど少しずつ強くなっていく。

痛くなる感覚が狭くなってきてゆっくり深呼吸を繰り返す。

先生が麻酔の管を入れにきてくれる。

背中を丸めた体勢にならないといけなくて陣痛がきたら辛かったです。

そこから容赦なく助産師さんが促進剤を入れていき3時間くらい陣痛と戦う。

そしてやっと子宮口が5センチに!
叫ぶくらい痛いか聞かれ「叫んではないけどもう無理です」と言ったら笑われ、先生がきてやっと麻酔を入れてもらう!
麻酔を入れたら全ての痛みから開放されて「無痛にしてよかった」と心から思いました。

そこから子宮口が全開になるのを待って先生登場!3回くらいいきんだら助産師さんに「こっち見て!頭出てきたよー」と言われて出てくる瞬間をゆっくりと確認!次の瞬間胸元に乗せられた我が子!!
その後色々処置されるも感覚はあるけど終始痛みはありませんでした。

賛否両論ある無痛分娩ですが、我が子が出てくる瞬間を穏やかに笑顔で迎える事が出来て無痛分娩にして本当に良かったと思いました。

無痛分娩、おすすめです。

二十九歳女、妊娠中自分に制限かけすぎてた

わたしは現在専業主婦で未就学児二人の子供の母親をやってます。

一人目の出産の時、いろんな不安や悩みたくさんありました。

やはり初めては何もかも怖いです。

少しの体調の悪さも気にしたり、運動してはいけない、人混みには行かない、長距離の運転とか旅行はダメだとか制限をかけていました。

あと一人目、わたしの体格が大きいせいかお腹が大きく見えず、妊婦に見られなかったし、そのせいか自分も出産はまだまだだと思っていましたが出産予定日の5日前、早朝に出血があったので病院に駆け込んだらまだまだですね、と言われて車で送ってくれた義父に早すぎるとか言われたのですが夜に陣痛が酷くなり……好きなドラマを見ようと思っていたのでこんな時に?!と驚いていたのを覚えています。

陣痛の合間にお風呂に入って病院へ。

まだ5日前だから生まれるわけないと旦那や義親に揶揄されながらも陣痛はひどく、病院に行って五時間もせずにスルッと生まれました。

意識朦朧だし、深夜で眠いードラマがきになると頭の中はごちゃごちゃ。

初産だから陣痛に長く苦しむかと思ったら意外とあっさりすぎて拍子抜けでした。

でも安産ということでよかった、ということですね。

後悔していることは、もうすこし妊娠中にいろんなことをする、いろんなところに行く、いろんなものを食べることをすればよかったかな?本や親世代の迷信に振り回されてモヤモヤストレスもあり、自分に制限をかけてしまったり、そのせいで苦しんでしまったかなぁと思います。

もう少し自由に楽に構えていたら楽しい妊娠生活を、過ごせてたかなと思いました。

あと赤ちゃん産まれてからはしばらく動けないから本当に好きなことをするのは妊娠してる時まで、でも、不安に感じたり異変を感じたらストップしなきゃダメなんですけどね。

その辺はかかりつけのお医者さんに聞くことが大事、変な迷信に振り回されない心も大事です。

ただでさえ妊娠中不安定になりやすいので。

30歳女性 超スーパー安産でした

30歳の時に第一子男児出産を経験しました。

妊娠中は、少し予定より太りすぎてしまったことを除けば、ありがたいことに、何の問題もなく、きちんと生産期で、出産できました。

予定日を1日過ぎた日から、なんだか陣痛のようなものが始まり、始まったと思えば終わり、そろそろ出産も近いと構えていました。

それは前駆陣痛というものだったのだと、あとで知らされたのですが、十分に痛いし、起きることもできず、ただただベッドの中にうずくまっているだけで、この時間、旦那も仕事に行っていて、家に誰もいなかったので、いつ陣痛タクシーを呼べばいいのか、そればかりを考えていました。

そうしているうちに、気づいたら痛みが消えていたりして、1日が、本当にそれだけで終わりました。

そうして食事やお風呂を済ませ、いつもの時間になる態勢を取り、眠りに入ったかと思えば、なんだか先ほどとは違う感覚の陣痛の波が押し寄せてきたのです。

陣痛タイマーで時間を測ってみると、感覚も十分ごとだし、痛みのピークの時の痛さが、本当に息もできないほど痛いのです。

そして少ししてから、病院に連絡を取り、入院をすることにしました。

ありがたいことに、夜中だったので、旦那に連れて行ってもらえました。

病院に着いてから、体重を測ったり、色々な問診をされ、陣痛に耐え忍びましたが、5分後、死ぬかと思わされるくらいの激痛が走りました。

痛すぎて、一瞬の間、本当に気絶していました。

気づいたら、分娩台に移動させられ、分娩準備が始まっていました。

この時病院到着後、10分以内です。

そして、あれよあれよと分娩が始まり、5分以内に産まれました。

第一子だし、陣痛の間隔も遅いし、痛みも少ない方で、ゆっくりと病院に着いたのですが、病院に着いてからは、合わせて15分以内で、出産をし終えたので、本当に安産だったというより、あと少しでも遅かったら、大変なことになっていたかもしれない、車内で経験をしていたかもしれないと聞かされて、妙に恐怖心を感じました。

35歳女性 陣痛の苦しみの中の、旦那の珍話

私は妊娠、出産を一度経験しました。

妊娠中は、生まれてくる子供は、どんな感じか、どのような子育てをしようかと、とても沢山のことを考えて、病院に通い、とても穏やかで、ゆっくりとした素敵な時間を過ごしました。

つわりは結構ひどい方で、毎日布団の中で過ごすだけの日々でしたが、妊娠六ヶ月を過ぎた頃から、少しずつ立ち上がることが出来るようになり、その頃からはだいぶ楽にはなりました。

生産期になり、いよいよ陣痛が始まり、その日はたまたま、休日で、家に旦那もいたので、陣痛の波を上手に乗り越えながら、旦那に、全身をさすってもらい、病院に行く準備や移動をしました。

そして、病院に行く時に家を出ながら、ハンドタオルを持ってきてて!と言い、旦那が準備をしてくれていました。

病院に行ったら、陣痛室で、陣痛を感じながら、思いっきり頑張りました。

汗が吹き出ているのをみて、旦那がタオルで拭いてくれていたのですが、水をかけて!と言うと、旦那が、私の顔に水をかけて!と言ったのだと勘違いしたようで、ペットボトルの水をどばっと!と私の顔にかけてきました。

陣痛痛くてで死にそうなのに、違う!と怒り、また陣痛が少し弱くなったタイミングで、タオルで拭いて!水タオルで!というと、やっと理解できたようで、その指示通りに動いてくれました。

そこで、そのタオルの感じが、なんだかゴワゴワしていたので、見てみると、なんと、それは雑巾だったのです。

もう、起こる力もなく、それ雑巾、とだけ告げました。

ずっと付き添ってくれている助産師さんも、私と旦那のやり取りに、先程からクスクスと笑っていて、その場の雰囲気が、とても朗らかになってはいました。

旦那は、家を出る時に、あまりにもパニックで、わからなくなってしまっていた、と、後ほどになって聞かされました。

また、水を顔にかけるのも、おかしいとは思ったけど、私があまりにもきつそうで、汗もかいているので、そんなこともあるかと思ったとのことでした。

そんな面白いエピソードの中、私は安産しました。

27歳女 陣痛が強くならず入院後一時退院する

 私が27歳の時です。

 初めての妊娠、出産でドキドキしながら過ごしていました。

初めてであり、妊娠や出産の本についてたくさん読み行動していました。

 予定日1か月前から義母から毎週のようにメールが来るようになっていました。

調子はどうですか?産まれそうですか?等等。

予定日になっても生まれる気配がありません。

緊張と不安とストレスからか夜眠れない事も増えていました。

 予定日から5日たった時です。

夜軽い陣痛のような張りが定期的に来ている事に気がつきました。

夫に依頼して、病院へ連れて行ってもらう事にしました。

張りといってもそこまで痛くなくスタスタ歩ける程度でした。

でも、不安と緊張が続いており、夫に病院に送ってもらい受診をしました。

 受診したら、医師から弱いですが陣痛が来ているといわれました。

子宮口は3㎝開いていました。

医師から入院するか、帰宅するか聞かれましたが夫はすでに仕事に行っており自宅に帰っても一人なため、入院させてもらうようにお願いしました。

 入院しても、やはり緊張は続きます。

そして強くなっているような、なっていないような陣痛。

結局入院してもほどんど寝れずに過ごしました。

入院した夜は子宮口が5㎝まで開いていましたが、翌日の診察でまた3㎝になっていました。

医師から帰宅して寝てきたらと言われ、入院した翌日の昼帰宅しました。

そして痛みでもうろうとしながら自宅で睡眠をとり数時間後、強い痛みが襲ってきました。

絶対これは来た。

このまま生まれるはずと思いながら、夫が仕事から帰ってくるのを待ちました。

そして夫が帰ってきてまた病院へ。

自宅で寝れたせいか結構強い痛みが定期的にきました。

夜7時くらいに病院へつき、結局生まれたのは翌日の深夜2時でした。

 とにかく痛くて、痛くて仕方がなかったです。

でも、1日入院して帰宅してそしていつ生まれるかわからず眠れない日々から脱出したい。

そんな気持ちで痛みに耐えました。

最後医師が来ていきんでいいですよ。

と言われた時は痛いよりうれしい気持ちが強かったです。

いきんでいいと言われてからは思いっきり腹筋に力をいれました。

それまでの時間がうそのようにいきむとスルスルって生まれました。

 出産は痛みとストレスの連続です。

できるだけ自分を大事にすること。

寝れる時休める時は周りに遠慮せずに休む事。

そしてあまり心配しすぎない事が大事と感じました。

40代女 15年前の出産秘話

こんにちは!。

40代女性です。

私の出産経験はもう15年以上も前になりますが、未だに強烈な体験として心に残っています。

初めての出産だったのでわからないことだらけでしたが、出産専門雑誌などを読んで先輩の体験を色々得ながら準備をしていました。

生まれてくるまで性別が分からなかったので、赤ちゃんの服やお布団などは黄色で統一。

肌着やおむつなど、きちんと用意してその日を楽しみに待っていました。

ですが、精神的な準備はやはり当日その時にならないとなかなか難しく、イメージトレーニングはしていても出産の痛みや体勢など、想像がつかず不安でした。

いよいよ出産が近くなってきたら、数日前からすこし陣痛のような痛みが起こり始めました。

本番がいつ来るのかとだんだんドキドキし始めてきました。

そして出産の前日から眠れないくらいの陣痛がやってくるようになりました。

これはいよいよだなと、自分でもわかるような痛みでした。

その痛みのまま、あまり眠れずに当日のあさを迎えました。

そしてこれは絶対に今日生まれる!と思い、主人に頼んですぐに産婦人科に連れて行ってもらいました。

すると先生が「そんな笑顔で来るようじゃ、まだまだ生まれないよ。

また明日もこれくらい痛かったらおいで。

」と家に帰されてしまいました。

私はもう今日は絶対入院、出産だと意気込んでいたので拍子抜けしましたが、素直に家に帰りました。

それから午前中は少しでも陣痛が進むように庭を散歩したりして過ごしていました。

そしてお昼ご飯を食べていた時です。

なんだか急に陣痛が激しくなってきました。

5分おきに苦しい痛みに襲われるようになり、昼ご飯は食べられなくなってしまいました。

でも今朝先生が「明日おいで。

」と言われていたので我慢しなきゃ、となぜか考えてしまいすぐ病院に行くという選択肢がありませんでした。

でも、あまりにも我慢できない痛みだったので先生に電話。

5分おきに陣痛が来ることを伝えると先生が「すぐおいで!。

」と。

結局病院について1時間もかからないうちに出産。

先生が「まさか今日になるとは。

家で何してたの?。

」とびっくりされていました。

特別なことはしていないのですが。

なぜか慌てて出てきた娘なのでした。

46歳女 陣痛室で我慢した結果、分娩室まで子どもの頭を押さえられた

40代の主婦です。

私は30歳で初めての出産を経験しました。

主人は、ちょうど仕事が忙しく、立会いなどは毛頭考えていませんでした。

双方の両親が駆けつけてくれると言っていましたが、どちらも他県でしたので、泊まるためのお布団の用意などを考えたりするのが億劫で、病院で出産なのだから、一人で大丈夫だといい続け、陣痛が来た時も、きちんと時間を計り、病院に行ってもいいだろうという時間に病院に向かい、先生の診察を受けてから、夕方に主人に連絡をしました。

でも、まだ、時間がかかるとの事だったので、夜まで来なくても大丈夫だし、産まれてからでも大丈夫、と伝えました。

自分でも恐ろしく冷静だと思いながらも、誰か来るとこの冷静さを保てない気がしていました。

陣痛は、予想外にきつくて、モニターを見ながら、波が来ると恐怖にいっぱいでしたが、遠くでとても騒がしい声と看護師さんのバタバタと走る音が聞こえました。

大変なお産があるのだろうか、無事に出産できるといいな、などと、辛くてもそんな状態にない自分はまだ楽な方だと思いながら、誰の出産かも分からないのに変に心配をしていました。

それでもだんだんとこちらの痛みも増していく中、一人の看護師さんが走る中、私をのぞきに来てくれました。

その看護師さんは、騒がしくてごめんね。

もう一人もうすぐ出産される方がいて、どちらの方が早いかな?と言いながら、彼女は私をチェックしながら、慌てだしました。

すぐにストレッチャーが運び込まれましたが、もうすでに、私は自力で移動できない状態で、シーツごとストレッチャーに移されました。

よくここまで一人で我慢できたね、と言われましたが、放ったらかされていた感もありました。

分娩室に着くまで、看護師が子どもの頭を押さえていたような気がします。

着いたと同時の出産でした。

分娩室で出産しても良かったのではないかと今でも思っています。

深夜の出産で、病院に、立会いに間に合うように連絡するから、と自宅待機を促された主人は、子どもの声を聞けなかった事を恨んでいましたが、無事に出産できた事やもう一人の方のようにしんどい思いをせずに済んだ事だけでもよかったと思いましたが、もう一人の方もとても安産だったと聞いてびっくりしました。

痛みは人それぞれなんだと思いました。

40歳女性 2人目を出産するときの上の子との関係性

40歳の専業主婦です。

今では3人の子宝に恵まれて育児に奔走する毎日ですが、2人目を妊娠、出産したときのことがとても印象に残っています。

2人目を妊娠しているとき、上の子は3歳でした。

妊娠がわかってからつわりがなくなるまでのほぼ6ヶ月、ほとんど外出できずに上の子にはかわいそうな思いをさせました。

遊びたい盛りなのに家遊びばかり、外出といえば隣のスーパーに買い物に行くくらい、食事も手抜きで、よくガマンしてくれたなぁと思うくらいです。

それもあって、つわりが終わってからは罪滅ぼしのようにたくさん出かけました。

お友達と公園に行ったり、児童館のイベントに参加したり、本当に楽しかったです。

でもムリをしすぎたのか、妊娠8カ月の頃、夜中に出血したのです。

慌てて病院に電話しタクシーで夜間診療にかかりました。

近所でも厳しいとうわさの怖い女医さんです。

何を言われるかと怯えていたら、案の定叱られました。

上の子を指差して、「この子がお腹にいたときもそんなにムリして動いたの?違うでしょ?もっと大事に大事にお腹の中で育てたでしょ?今お腹にいる赤ちゃんも同じようにしてあげなさい。

あなたがお腹にいたときもこうやって、大事にしたのよ~って見せてあげなさい。

」と。

2人目を妊娠したときは上の子のフォローを一番に考えてあげましょうと、よく育児書で目にします。

でもその先生曰く、それは間違いだそうです。

1人目だから、とか、2人目だから、とか関係なく、どの命も大事にする。

妊娠中に上の子がまだ小さくてわからなくても、いつかわかるときがくる。

だから上の子がかわいそうだからとムリして動くのはやめなさいと言われました。

その後は里帰り出産を予定していたのですが、心配だからと予定より早く里帰りするように言われ、実家近くの病院で無事に出産することができました。

妊娠中の体重増加にも厳しく、泣いている妊婦さんもいるくらいです。

でも、その厳しさは命を大事にしているからだと気づきました。

去年3人目を出産しました。

引っ越したため違う病院にかかりましたが、先生の言う通りムリして赤ちゃんに負担をかけることなく、無事に出産できました。

上の2人も妊娠中から協力してくるて、今も弟のことをとても可愛がってくれています。

いい母でいなければ、とムリをしがちですが、子供はちゃんとわかっています。

自分も同じように愛情を受けて生まれてきたことを。

36歳、息を合わせる

36歳大阪府在住、二児の母です。

2014年10月に第一児の出産を経験しました。

何といっても前駆陣痛に3日間かかったというのが忘れられません。

初産ということもあり、私自身どこか力が入っていたのでしょう、待てど暮らせどなかなか子宮口が開かなくて、前駆陣痛3日のウチ5回は病院に駆け込んだのですが、帰され。

の繰り返しでした。

そんな気の遠くなるような時間の中で、「いきみ逃し」というのがとても大事だ。

ということをベテランの看護師さんに教えて頂きました。

もっと早く教えて欲しかったですがw(聞いていたのでしょうが、痛みに全て忘れていたようです・・・w)私はどこかで、陣痛は便秘と一緒なんじゃないかと思っていて、痛みに耐え続ければ自ずと子供は出てくるのではないかと勝手に思っていました。

色んな本を読んだり、出産経験のある友達に話を聞いてみても、想像すら出来なくて実感が全く沸きませんでした。

やはり、自分で体験してみる事しかないですよねwお腹の中の子供と息を合わせて、ぐっと力を入れて我慢するのではなく、痛いときこそ力を抜く。

(深い呼吸をする。

)子供が降りようとしている時に、お腹に力を入れてしまっては降りられないということでした。

それで、3日間も母子共にへとへとになり、最終的には寝不足もたたり、体力不足で陣痛がどんどん遠のいてしまい、促進剤で出産をしました。

終わってみると、前駆陣痛なんて、本陣痛とは比べ物にならないほど楽な時間でしたが、3日間はとても痛く感じ、このまま産まれるのでは?と思うほどでした。

今思うと5回も病院に駆け込んだりして、恥ずかしいの一言です。

3日間ずっと付き添ってくれた家族、夫に本当に感謝しました。

なにより、共に頑張って、無事に産まれて来てくれたわが子に感謝の気持ちでいっぱいでした。

出産は便秘とは違い、生き物だという事を実感しました。

母子共に息を合わせての意味がやっとわかりました。

おかげで二人目の出産の時は、びっくりするほど落ち着いていました。

37歳女性 帝王切開の恐怖で震えが止まらない

私が初めて出産したのは33歳の時でした。

元々ビビりで痛みに弱い方だったので妊娠が分かった瞬間は喜びよりも陣痛の痛みに耐えられるのか怖くて泣いてしまいました。

出産が近づくにつれて出産方法を本で調べていたのですが、なんと私は前置胎盤が治らず帝王切開になりそうだと言われました。

その日から帝王切開をネットで調べる日々が続き、手術の為におなかを切る事への恐怖が日に日に増して夜になると怖くて旦那の前で泣いたりしていました。

出産の前日に入院が決まり、あと少しで出産だとドキドキしていた一週間前になんと大出血を起こし、そのまま病院に行く事になりました。

私はあまりの大出血を見て逆に冷静になり診察台でも落ち着いていました。

けれど先生が今すぐお腹を切って出産と言ってきた瞬間から体がこわばり冷静さを失いました。

怖くて震えが止まらないのです。

震えた手で携帯を持ち、旦那に連絡するのですが、声が震えてなかなか今すぐ来てが言えない程でした。

やっとの思いで着替えを済ませ、点滴を打ち、車いすに乗って手術室に運ばれました。

震えは今まで自分で感じた事が無いほどの大きな震えでまさにまな板の鯉という感じでした。

自分が跳ね上がっていると思える程で止められないものでした。

背中に麻酔を打つ時も震えが止まらないので助産師さんに押さえられ、麻酔が効いた頃やっと下半身の震えが止まりました。

上半身の震えは引き続き続いていて点滴がある手は動かさないでと言われ、とにかく歯を食いしばりお腹を切る恐怖と震えが止まらない焦りで出産どころではありませんでした。

子供はおなかを切ってすぐに無事元気に産まれてくれました。

顔を見た瞬間無事で良かったと思ったのですが、それ以上に震えがずっと続いていて子供どころではありませんでした。

もっと想像では子供が産まれた瞬間涙が自然と出て喜びにあふれる感じを想像していたのですが、震えに気をとられていて私の場合はそれどころでは全くありませんでした。

しかも子宮筋腫があると言われ、そのまま取り除く手術をする事になり震えているのに動けない時間がより続くことになりました。

しかもどんどん下半身の感覚が蘇っている事に気づいて助産師さんに麻酔が切れそうだと訴えると、もう縫っているからあと少しで終わりと言われました。

私の感覚では終わりと言われた瞬間より少し前に麻酔が切れていたと思います。

ベットを移動される前に助産師さんに痛み止めをくださいと言ったのを覚えています。

結局痛み止めも効果がなく、震えの後遺症で全身筋肉痛でがちがちの体になりすべての痛みを残したまま育児突入になってしまいました。

私は震えすぎて出産の喜びが薄かったのが今でも心残りです。

56歳女超短時間の初産で皆が驚きました

56歳 女 専業主婦です。

 20代の独身の娘が二人います。

夫と合わせて4人家族です。

初めて出産を経験したのは、29年前の春です。

月ごとの検診は、婚家に近い産婦人科で受けていましたが、里帰り出産を予定していたため、30kmほど離れた実家に近い中規模の産科病院に紹介状を書いてもらいました。

互いの院長先生は顔見知りで親しいようでしたので、わざわざ電話連絡まで取ってくださり、安心でした。

予定日を2日過ぎたころ、夜中の2時に下腹部に痛みが走ります。

生理痛にも似た症状です。

お腹が冷えたのかなと思いトイレに駆け込んでみますが、1時間も経つとまた痛みがまた襲います。

窓に日が差して明るくなってきました。

時計をみると午前8時になろうかというときです。

骨盤がもうれつに痛くなってきました。

下腹痛は感じなくなり、腰骨の後ろが痛くなってきました。

思わず、四つん這いになって、うめいてしまいます。

実母は自身が初産の時は陣痛が始まって丸1日以上経たないと、分娩できなかった経験をふまえ、まだまだと暢気に構え、今からろうかの雑巾がけをしなさいと、私に言う始末でした。

体を動かした方が安産になるということです。

10分おきに来る陣痛をこらえながら、雑巾を持っていろいろなところを掃除します。

大きなお腹で掃除機までかけます。

だんだん、陣痛の間隔が短くなり、午後4時ころには5分間隔になってきました。

母の顔色が変わってきました。

あわてて父を仕事先から帰宅させ、病院に向かいます。

車の中でも陣痛は襲います。

検診台にやっとの思いであがります。

子宮口は3cmほど開いているとのことです。

まだ、分娩は先になるということで、別室に移されました。

他に一人妊婦さんがやはり、陣痛で苦しんでいます。

かなり、辛い光景です。

私の陣痛はさらに、短くなり3分間隔2分間隔で襲ってくるようになりました。

ナースコールを押すと看護師さんが、「初産なんだから、そんなに早く分娩開始にならないと思うよ」と言いながら嫌々な様子で、ゆっくりと部屋に入ってきました。

それでも、先生を呼んでくれ、診てもらうと、分娩室に速攻で通され、胎児の心拍数を図る機器にスイッチが入れられ、なぜか口元にはマスクがかけられました。

笑気麻酔です。

気が遠くなっていきますが、痛みは感じます。

何度も「いきんで、いきんで!」の声も聞こえてきます。

しばらくして、子供の泣き声が聞こえてきました。

初産にして1時間半という超短時間の分娩だったようです。

皆、驚いていました。

35歳・女性・銀世界からの新しい人生のスタート

子供を出産した日は記録的な大雪でした。

私の地方ではめったに雪が降らないんです。

午後から雪が降りだして、翌日には20cmを超えました。

これは、実に58年ぶりの大雪でした。

午前中から少しずつ陣痛が強くなり、雪がどんどん降る中、産院になんとか到着。

診察の結果は、まだまだ、これから。

今日は産まれないので帰っていいですよと言われました。

でも、雪がどんどん降ってくるので、翌日、来れるかわからない。

そのまま、産院にいさせてもらうことにしました。

それから、どんどんと陣痛が強くなって数時間後には破水。

夜には無事産まれました。

帰らなくて良かったんです。

雪のおかげですね。

小さな産院で、いつもは同じ日に重なることが少なく、部屋もあっさりと個室が予約できていました。

でも、この大雪の日、私みたいなパターンが他にもたくさんいたんです。

なんと8人連続で産まれました。

雪も記録でしたが、その産院でも記録となりました。

夫が付き添いで病室に泊まる予定でしたが、陣痛室で泊まることに。

次の人はキッズルームに寝かされていました。

とにかく、産院が大騒ぎ。

医師や助産師さん達もすごく疲れていました。

陣痛室で泊まるのは、ベッドが狭くて窓からの冷気は寒く、辛かったですね。

授乳室もいつも満員。

何もかも足りなくて、順番待ちのような感じでした。

結局、予約していた病室に泊まれたのは、最後の一日だけでした。

とても広くて快適でした。

その分、とても安くしてもらえましたが、やっぱり残念でした。

ただ、良いこともあって、この時の8人中5人がママ友となり、その後も定期的に集まっていました。

同じ日に誕生日で1歳の誕生会も一緒にしました。

一緒に成長を楽しみ、相談しあえる仲間ができて心強かったです。

そして、翌日目覚めた時の、朝の景色が忘れられません。

病室から見た景色が真っ白の銀世界。

とても、キラキラとしていました。

これから新しいスタートをきるには、ピッタリだと思いました。

子供の誕生日が来ると、大雪の日に産まれたんだよ、といつも話しています。

雪が積もった日には、出産の時の気持ちを思い出します。

子育て、いろいろと大変なことは多いけど、初心に戻り、あの時の幸せを思い出すと頑張れました。

48歳、女性、不妊症と流産を繰り返し安産で子どもを授かりました

1児の母です。

不妊治療や流産数回の経験がありましたが、出産だけはとてもスムーズで楽、まさに安産で驚きました。

出産予定日の1週間前に分娩しました。

2日前の検診では「赤ちゃんは少し降りてきているけど、子宮口が開いていないから、お産はまだだろう。

」と診断されていたので、まさかその2日後に急に産気づくとは思いませんでした。

その頃の体調は、胎動が減り少し赤ちゃんが落ち着いたというくらいで、食欲もあり、良好だったと思います。

むしろ、妊娠9か月目は大きくなった子宮が胃をつき上げ、妊娠初期のつわりよりも嘔吐が激しく、つらい思いをしていたので、10か月目は吐き気もなくなり、ご飯が美味しくて快適でした。

ところが、検診の2日後の朝、トイレに行くと生理のような出血があり、おしるしだと気づきました。

しかし、それほど痛くないのでまだ病院に行くほどではありません。

結局、準備をしつつ冷静に過ごし、夜になると規則的な痛みが始まったので、荷物を持って病院へ行くと、すぐ分娩室に入ることになりました。

結局、まだ先だと思っていた分娩は4時間で終わり、早朝に初めての出産を無事に終えました。

陣痛は確かに痛かったのですが、不妊治療の長さや流産の大変さに比べると、さほどでもなかったと感じました。

そのときは「これならすぐ第二子も産みたいな」と思うほど楽でした。

夜勤にあたった助産師さんがベテランの方だったこともラッキーだったのかもしれません。

流産を繰り返しており妊娠が初めてでなかったこと、その病院がソフロロジーを導入しており、真面目に呼吸法を訓練していたことから、妙に冷静に分娩を迎えることができた気もします。

結局、2人目も不妊で流産を繰り返し、検査をしてもはっきりした原因は見つからなかったので、残念ながら一人っ子になってしまいましたが、その子供も大学生になり、健康に成長してくれたので我が家はそれでよかったのだと思っています。

妊娠、出産はどのようなドラマが待ち受けているのか、全く予想できませんし、自分で操作することもできないと感じます。

人それぞれ感動のドラマが待っているはずなので、お子さんを持つ予定の方には、大変なことも含め、良い経験をしていただきたいと思っています。

30歳女 人生で一番苦しかった時間

29歳二児の母です。

私は二人の子を帝王切開で産んだのですが、特に一人目の出産が印象に残っているのでその体験を紹介いたします。

私の初めてのお産は26歳のときでした。

つわりも入院する程の酷さだったのですが、出産も相当な難産でした。

予定日ちょうど、夜中に出血があり、寝ている旦那をおこして車で病院に連れて行ってもらいました。

車のなかではまだ生理痛ほどの痛さで、大したこともなかったです。

そして病院で検査を受ける頃には結構な痛さで、先生から「今日産まれると思うわー、頑張ろうな」と言われたのを覚えています。

そして個室に移され、そこでどんどん迫ってくる痛さに耐えました。

夜中の3時頃に病院について、それからどれだけの時間がたったでしょう。

ただただ痛みに耐え、朝食を持ってこられました。

でももうそのころには朝食どころではなく、1分ごとの陣痛で半泣きでした。

とりあえず飲み物だけ飲んで、あとはまた痛みに耐える時間です。

途中で旦那が部屋を抜けて、一人になってるときは恐怖と痛さで本当に辛かったです。

それから9時ごろになると実家の母がきてくれました。

母を見たとたん、なぜだか泣いてました。

それから母と旦那はずっと苦しむ私をそばで応援しててくれました。

なかなか分娩台にいかせてくれず、なかなかいきませてくれず、難産なんだな。

と次に何がおこるか分からない恐怖が押し寄せてきました。

途中何度か分娩室にいっても、みてはまた部屋に戻されていました。

時刻はとうとう昼を過ぎました。

まだ1分ごとの激しい陣痛が続きます。

体力もそろそろやばいです。

そして夕方になってようやく分娩室でいきませてもらえました。

ですが18時を回っても頭少ししかでてこず、とうとう「帝王切開しようか!」と先生に言われました。

もっと早くいってよ。

とか思いながら私は麻酔の駐車を受け、その瞬間天国です。

痛みが一瞬にしてなくなりました。

そこからは、私は爆睡していたようです。

ほとんど気を失ってたようでなにも覚えてないんです。

そして生まれてきたのは頭の大きな男の子。

今その子はとても元気で活発に育っています。

60代女性 娘2人の出産の違い 昔の思い出

娘二人を年子で出産しましたが、二人それぞれの出産の仕方と言いますか違うのですね。

上の子の場合は予定日より2週間早く出産しました。

寒い日で朝から少し陣痛の兆候があり痛みが少しずつ出てきました。

初産ですので痛みの具合が分からず病院へ慌てて連絡入れました。

病院からすぐ来院するように言われ慌てて入院の用意をしました。

それこそまだ予定日まで日がありましたので悠長に構えていてまだ用意が途中だったのです。

その時都合よく母が前日から泊りで遊びに来ていましたので私1人じゃなかったのがせめてもの救いでした。

主人はと言うと数日前から仕事で遠方へ出張に行っておりいませんでした。

母と一緒に病院へ行き診察されたらもう少し時間がかかるだろうと言われ病室へ入れられました。

痛みは少しずつ強くなりだし間隔も短くなってきました。

あの痛みはなんとも言い難いものがありますね。

ベッドの上でのたうち回っていました。

何しろ初産でしたから。

それから数時間後に無時に女の子が生まれました。

やっと痛みから解放されたと思っていた矢先、医師から赤ちゃんが低体重(2.150g)で未熟児だと告げられゆっくり娘の顔を見る事なく保育器に入れられ連れていかれました。

私はと言うと出産は軽い方で産後も順調でした。

ただ未熟児の為母乳を直接飲ませる事が出来なくて毎日毎日絞るのみです。

あれも辛かったですね。

私は1週間で退院しましたが娘はそれから二週間ほどまだ病院にいました。

そんな出産でしたがそれから1年4カ月後に2人目を出産しました。

また女の子でしたがこの子が今度は予定日が来ても中々生まれてこず予定日を1週間を過ぎて入院する事になりましたが、そこの病院が自然分娩を推奨している所だったのでそれからまた1週間自然に陣痛が来るまで待ちました。

これも辛かったですね。

入院して2週間後やっと陣痛が来て出産しました。

予定日2週間過ぎていたがそれでもこの子の体重は3.400gでした。

普通より少し大きめかなと言うくらいですね。

なにはともあれ二人共無事に育ちあがりよかったです。

出産は1人1人違うものです。

つくづく思い知った昔の出来事でした。

27歳 女 マタニティーヨガでハッピーに

27歳の専業主婦です。

私は26歳の時に男の子を出産しました。

妊娠を機に仕事をやめたので、妊娠中は安定期に入った頃から週に1回、産院で受けられるマタニティヨガに通っていました。

始めは気分転換にと思い、レッスンを受けてみたのですが、お産の時に姿勢や呼吸方法などが学べるプログラムになっていて、何よりお友だちができたのが楽しかったです。

同じ週数くらいの妊婦さんが多いので、不安や悩みはもちろん、どんな道を散歩しているのかなどといった世間話をできたのがすごく気晴らしになって、マタニティーブルー気味だった私にはとてもありがたい環境でした。

結婚して両親とも離れて過ごしていて、両親とも共働きで電話で話せることも少なかった上、主人も仕事が忙しくあまり家にいられない時期だったので、外で楽しくお話ができる相手ができたのが新鮮で嬉しかったです。

初めて受講した時に、ヨガについての簡単な説明が書かれた紙ももらっているので、それを見ながら自宅でもヨガをしていました。

レッスンは予定日1週間前まで受けていました。

出産当日、朝から陣痛が来たのですが、まだまだ間隔があいていたので、時間を計りながら、陣痛の合間にヨガをして過ごしました。

それが良かったのか、お産がとても順調に進んで、入院してから4時間での出産となりました。

いきむときも、ヨガで習った姿勢を取りながらしていたら、助産師さんにも「上手ですね!」と言われました。

産院で受けられるマタニティーヨガは受講料も安いし、気分転換もできてお産の練習にもなり、いいことづくめでした。

他に予定が無ければ、レッスンは欠かさず受けていたし、家でもたくさん取り組んだし、後悔していることは全くないです。

妊娠中は不安なことも多くて、制限されることも多いからストレスが溜まってしまうこともあると思います。

最初は緊張すると思いますが、マタニティーヨガに限らず、産院でもレッスンを思い切って受けてみると、いい気分転換になります!

40代 6人出産 陣痛は痛くなることはない

40代 6人出産しました。

一番印象的なのはやはり初めての出産です。

やはり陣痛の痛み、どのような感じで赤ちゃんが産まれてくるのか想像がつきません。

よくたとえで鼻からスイカを出すような感じとか色々なたとえ話は聞いたことはありますが、どれも想像つかないものばかりした。

実際に陣痛が来た時も最初はいつもの腹痛よりちょっと痛い感じから始まります。

そのお腹が痛くなった感覚を産婦人科に電話した時に聞かれますので、メモしておくことが大事です。

実際にすごく痛くなってるとそれどころではなくなりますが。

はじめ陣痛が痛くなった時には力みたいのに我慢しなくてはならないその時間がどれだけ続くのかも全く想像つきません。

その時に助産師さんに大体このぐらいの時間に生まれるのでは?
言われました。

ですが、実際初産のためそんなにスムーズには出てこず時間が過ぎていきました。

自分はそこまで頑張ればいいやっと思っていたので、時間が過ぎて自分の頑張る気持ちも緩んでしまい気が朦朧としてしまいました。

このままいつ終わるのだろうかとその後2時間ほどはあまり記憶がありません。

ですが、その後なんとか出産することが出来産まれた赤ちゃんの可愛さは半端なく可愛かったです。

お腹で無事育ったこと、そして陣痛の痛みを乗り越え元気に赤ちゃんが産まれてきてくれたことにひとまず達成感でした。

そしてとっても小さくて弱々しい赤ちゃんは母性本能が芽生えるのでしょうか。

本当にこの子の為に生きていこうと思える瞬間でした。

6回出産しましたが、陣痛の痛みの感じ方はそれぞれだと思います。

私は毎回痛いと声にだして乗り越えるタイプです。

それぞれの陣痛乗り越え方でよいと思っています。

どうやったってそれをのりこえてこそ可愛い赤ちゃんが産まれてくるんですから。

そんな痛かった陣痛も後になってみればすごく痛かったけどぐらいで思い出話になります。

陣痛の想い出は各々の子供で今でも覚えています。

きっといい記憶になると思います。

30歳女 子宮内を手で掻き回され絶叫

30歳現在3児の母です。

3人とも全員所要時間3時間ほどのいわゆる安産での出産でしたが私にとっては3人目の次女を出産した時は大変でした。

上2人の時はどちらも38週と予定日よりも早めの出産だったため、3人目は妊娠32週の時から切迫早産で37週まで入院していたこともありすぐに生まれると思っていましたが結局予定日を過ぎても音沙汰もなく、40週を3日過ぎた日のお昼、子供たちとお昼寝をしていたところお中からのパチンという音とともに起きました。

その後チョロチョロとお小水のような感覚があり、もしや破水?と思い病院へ連絡、破水を確認し入院と相成りました。

破水からどんどんと強くなる陣痛、病院につくころにはすでに5分間隔で陣痛室へは行かずすぐに分娩室へ。

NSTを装着してみたところまだまだ張りは弱かったためお昼ご飯を食べました。

痛みはあるものの間間に食べすすめ食べ終えた頃には大分痛みも強くなり声がもれる程でした。

そのころには3分間隔、子宮口8センチ。

分娩室に入って2時間ほどでお産の準備にとりかかりました。

先生が入ってきて処置の準備を終えいよいよ出産、2度3度いきんだところで頭が出てきました。

上の2人のときは頭が出てくればあとは自然と体がずるりと抜けてきたのでこれで安心だと思ったのですが、頭をもって動かない助産師さんと焦っている様子…どうも肩がはまって出てこれないようなのです。

そこでまた何度かいきみましたが出てこず、次は助産師さんが少し引きながらいきみました。

そして股間のビリッ!!と裂けた感覚と「痛い!!」の私の絶叫と共に次女が誕生しました。

その後、後産の胎盤が出てきたのですが胎盤の一部が子宮内に残っているということでお医者さんが手を入れて掻き回したりおなかをぎゅうぎゅう押したりと出産よりも痛い目にあいました。

出産後のハイテンションもそのころには覚め切ってとても痛くて出産時には一度しか出なかった「痛い!」もひたすら言っていた気がします。

結果的には出てきてくれて子宮も戻りがよかったのですが覚め切った状態で縫われることになった会陰部はかなり傷が深く、お尻付近まで縫われてしまい本当に苦痛でした…。

そして4000g近くあったとても大きい娘をみて納得。

そりゃ裂けるわ。

3人目にして、もう出産はこりごり、を味わいました。

38才女 先生に怒られた妊婦

こんにちは わたしは40代の一児の母です。

私が数年前に出産したときのエピソードを書きたいと思います。

子どもを妊娠したかなと思ったとき、まず妊娠検査をドラッグストアで買ってきて試しました。

確かに印が付いたので、うちの近くの産婦人科へ行きました。

そこの産婦人科はネットの口コミでは大変評判が良くて、出産するならここにしようかなと思っていました。

どういったところが評判が良いかというと、施設がとてもきれいだとか、出産後の毎日のお料理がまるでホテルで出されるようなお料理が出てくるとか夢のような感じでした。

まず一回目受診したところ、確かに妊娠していますよ、と先生に言われました。

自分としては初めての経験で不安とドキドキが入り混じった感じでした。

ではこの後出産までどのように過ごせばよいのだろうか?気を付けることとかあるのかなと色々不安に思いましたが、先生からは何も言葉は無く、次はいついつ来てください。

というものでした。

そこで少しそっけないなと感じました。

何度か健診に行き、安定期に入りました。

出産前に旅行にいきたいなと思い、「安定期に入ったので、ちょっと旅行に行こうかと思うのですが大丈夫でしょうか」と先生に質問しました。

すると先生は「大丈夫だなんて誰が言えるんですか?!」と強い口調で言いました。

万が一のことがあったら旅先でどうするんですか?ということです。

 確かに旅先でもしお腹が痛くなったり不具合がでたら困りますが、多くの妊婦さんが出産前の安定期に旅行に行っています。

出産後は子どもの世話で忙しくなるので、今のうちに、と思う方が多いようです。

もはや定番ともいえるものなので、まさか先生に強い口調で怒られるとは思わず、ショックを受けてしまいました。

そんなことがあり、大変気持ちが沈んでしまい、私は医院をかえることにしました。

実の所、町の産婦人科や病院でなく、助産院での出産に元々興味があったのです。

すぐに市内の助産院に電話して、予約をとりました。

先生と話してみたら、とても先生は優しく、気持ちがほっとしたのを覚えています。

そして、旅行にも問題なく行けて気持ちが安定してきました。

助産院の先生ははとても親身になってくれて私にぴったりな感じで結局こちらで出産出来てとても良かったです。

これから主産を控えているかたにアドバイスをするなら、自分に合った先生のいるところを選ぶことです。

少しでも嫌なところや不安があったら、変えてしまいましょう。

大事な出産を後で後悔することのないよう、先生選びには注意をしましょう。

40代、女性、帝王切開後の激痛を振り返る

現在、子育て真っ只中の専業主婦です。

出産で印象に残っているのは、痛かったということ。

その一つで、かなり痛かったと思ったのが、帝王切開後のことです。

初めて帝王切開したときに、目が覚めた時のことを思い出すと、子どもが生まれてホッとしたことと、痛かったということしか思い出せません。

術後は痛かったと、知り合いにも聞いていましたが、本当に痛かった。

普通分娩も経験しましたが、出産後こんなに痛かったのかなと思いました。

とにかく、痛くてでも授乳があったり、面会できたひとへの対応があったりで、動くたびに激痛でした。

まっすぐ立つことが出来ず、すごく腰を曲げた状態出ないと、立てませんでした。

なにかに掴まりながら、移動したり、特に苦しかったのが笑えないこと。

今まで気にもしていなかったのですが、笑うとこんなにお腹に響いていたのかと思いました。

とにかく、笑わないようにするように心がけていました。

動くのも、笑うのもかなり厳しいことに本当に驚きました。

聞いていた以上だと本当に思いました。

出産が大変だし、痛いことはわかっていましたし、経験もありました。

しかし、術後の痛みがこれほどとは思っていませんでした。

本当に想像以上です。

赤ちゃんはかわいいし、もちろん幸せだなと感じているのですが、なかなか思うように動けないことに、苛立ったりしていたのも事実です。

出産後は、ほんとうに大変だったし振り返っても痛かったと言うのがどうしても頭に残っています。

自分が帝王切開で出産する前に、知り合いのお見舞いにいったことがありました。

その人も帝王切開でした。

まっすぐ立つことが出来ないと言って、腰を曲げた状態で歩いていたのをすごく思い出します。

周りには歩くようにずっと言われるとすごく言っていました。

私はそこまで周りには言われなかったのですが、その人奢るのもわかるなと。

出産後の痛みを必死で耐えているときに、動くように言われたらきついなと、その時思いました。

28女 前駆陣痛かと思ったら本陣痛だった

現在、29歳の1児の母です。

28歳の時に娘を出産しました。

予定日の3週間くらい前の出来事です。

予定日よりも3週間前でしたので、まだ生まれるとは全く想像していませんでした。

朝、出血があり少しだとあまり気にしなかったと思うのですが、生理の時くらいの量の出血があり、急遽病院に向かいました。

検査の結果、検査入院となりました。

まだ陣痛のような痛みはなく、出血だけでした。

検査の結果、用水などにも問題なく、様子見となりました。

次の日の朝、問題なければ退院と言われ特に問題がなかったので一度帰宅しも良いと言われました。

その時に昨夜にはなかったお腹の痛みが少しありましたが、前駆陣痛かもしれないと言われ、それは何日続くか医者にも分からないので、様子を見て下さいと言われました。

初めての出産ですし、出血もしているし、お腹は痛いしで不安しかありませんでしたが、先生がまだ大丈夫だと思うから、一回帰って下さいと言われたので、帰るしかありませんでした。

少し痛むお腹を抱えながら、1人でのんびり電車で帰宅しました。

昼前に帰宅しましたが、その後も段々とお腹が痛くなり、陣痛かなと思いましたが、先生が大丈夫と言っていたのでその言葉を信じて痛いのを我慢していました。

自分なりに痛みの感覚を図っており、20分おきから段々感覚が狭くなってきているかなと思っていましたが、そこでも前駆陣痛かもしれないと信じて我慢していました。

夕方になって親が帰ってきたからも痛みが増しており、私の様子を見ていた母がそれは陣痛だとと察してくれて急遽病院に行くことになりました。

その時にはすでに歩けないくらいお腹が痛くて、これが陣痛かとその時初めて知りました。

その後、車の中で破水し、病院に到着後1時間で出産しました。

先生の言葉を信じて、陣痛だと全く疑うことなく前駆陣痛はこれほど痛いものだと思いこんでいました。

また、今日病院から帰ってきたところだから、まだ生まれないだろうと思いこんでいました。

もっと早く前もって病院に行けばよかったと後悔しています。

もう少し、余裕をもった出産をしたかったです。

いつ生まれるかは先生にもはっきり分からないそうです。

きちんと不安に思ったら、病院に電話するか病院に早めに行くようにしたほうが良いと思いました。

36歳、女、破水後歩いて向かう

はじめまして。

現在2児の母です。

1人目の時の失敗談を書かせていただきます。

里帰り出産で、予定日近くまで順調に育っていました。

実家で周りには母と妹、出産の経験者が居て、病院も妹が3人も出産したところだったので
情報も色々聞けてとても参考になりました。

2人と私では違う事、それは私だけ里帰り出産で主人が近くに居ない事です。

主人は陣痛の連絡をしてから来るまでの所要時間は約2時間、病院までは家族かタクシーにお願いするしかありません。

幸い、タクシー会社も近くに数社あったのでどこか頼めるだとうと思っていました。

予定日近く、深夜になって寝ていたら敷布団が少し濡れているのに気づき起きました。

トイレに行き、漏らしてしまったのかもと思い、着替えてから念の為に母へその事を報告してから少しお腹が痛かったですがまた寝ました。

1時間位して、気になった母に起こされた時にまた濡れていました。

破水していました。

この時点で時間はまだ夜中の3時過ぎです。

病院へ連絡して、破水しているので陣痛が無くても入院準備をして来て下さいとの事でした。

ここからが問題のはじまりでした。

まず予定日より早かったので家に居て、運転出来るのは弟のみ、母が言うには弟は飲みに行って帰ってきたのが2時過ぎだそうです。

飲酒運転になってしまうし、起きるはずもないので伝えも出来ずアウトです。

次にタクシー会社へ電話しました。

4社に電話して4社ともコールはするけど誰もでません。

時間も深夜というより朝方なので通りも車はほとんど通っておらず、タクシーを止めるなんて事も不可能です。

この時点で1時間近く経ちました。

病院までは、検診時に運動がてら歩いて行っていたので、歩いて行く事にしました。

歩いて20分かかります。

とても不安だったけど、このままここにいても仕方ないし、早く病院へ行って診てもらいたいので母に荷物を持ってもらい必死で歩きました。

無事に病院へ辿り着きました。

私の場合、この後の分娩時間が28時間もかかったので歩けたのだと思います。

もしもっと短かったら、歩くなんてとても出来ないし何かあったらと思うと今でも反省しています。

タクシー会社への事前確認、家族へのお願い等をもっとしておくべきでした。

2人目はこの事を生かして、スムーズに出産出来ました。

予定日はあくまでも予定日、2人目は2周間も早く3300gで生まれてきました。

入院準備もかなり早めにしていたので何も慌てる事なく、病院へ行けました。

準備、確認はしておいて損はありません。

歩いて行くなんて、私の周りでも聞いた事ないので滅多にない事かもしれませんが参考になれば幸いです。

43歳 女性 睡魔と痛みとの戦い

juliaです。

現在43歳ですが、18年前に出産を経験しました。

初めての出産の為、早朝から陣痛を感じ、その晩までずっと痛みに耐えることになりました。

もうすでに臨月も迎え、出産予定日も過ぎた頃だったので、少しで歩こうと、日中は主人とショッピングにでかけていました。

その晩から何となく違和感があり、興奮気味でなかなか眠りにつく事はできなかったため、寝不足のまま出産にのぞむことになってしまいました。

出産自体は不安がいっぱいあったのですが、ずっとお腹の中で育ってきた子供に会えることがうれしく、楽しみで時間にしてもほとんど寝ていなかったと思います。

陣痛が始まり、私は病院で確認できませんが明るくなると、主人が私の母に連絡を取り、遠方からお手伝いにやってきてくれました。

しかし、苦しんでいる私は、そんなことはどうでもよく、ろくに話すらできませんでした。

そのうち、時間間隔もなくなり、睡魔と痛みとが交互に押し寄せてきて、気を失いかけました。

そのたびに主人に大丈夫か?しっかりしろと、ペシペシとほっぺをたたかれ、我に返っていましたが、母と主人はお腹がすいたのでしょう。

苦しんでいる私の横でのおんびりとお弁当を食べ始めたのです。

私からしてみるとそれどころではなく、よくこんな時に平気で食べれるね!と嫌味の一つでも言いたくなるくらいなのですが、当然言葉にはならず、耐える事しかできませんでした。

これおいしいね。

と話しながら食べる2人の会話を聞きながら、本当にそんなことはどうでもいいと思った事が今では良い思い出でとして残っています。

出産に対しての後悔はもちろんありませんが、睡眠はしっかりとって、いつでも出産にのぞめる体力をつけておいた方が良いと思います。

初産では多くの人が未経験の痛みを感じるので、もちろん痛みに対する覚悟も必要ですよ。

でもどれだけ苦しくても我が子に会える喜びは人一倍です。

出産を控えている人は頑張ってください。

37歳 女性 帝王切開の麻酔で死にそうなくらいの苦しみを味わう

四国在住 40代半ばの会社員です。

出産経験は、3回で、25歳、30歳、37歳の時です。

子どもは、現在、19歳、14歳、8歳です。

最初と2回目は自然分娩、3回めは、帝王切開で出産しました。

それぞれ、全然違った出産になり、どれも印象に残っていますが、今回は、3回めの帝王切開での出産についてをお話しします。

妊娠中から、逆子と言われていて、逆子体操もしましたが、逆子のまま、治らなかったので、帝王切開での出産になりました。

逆子であること以外は、経過も順調でしたが、出産予定日の2週間ほど前に、出勤しようとするときに、家の階段から転げ落ちてしまいました。

翌日の妊婦健診で見てもらったところ、幸いお腹の子どもには問題がなかったのでほっとしました。

帝王切開は、出産日が決まっているので、当時、小学一年生の真ん中の子どもの入学式や参観日などの予定がわかると前もって対処方法を決めておけたので、それに関しては、とてもよかったと思います。

帝王切開の前に、病院で、麻酔科の医師、看護師、担当医から、手術当日の説明があり、とても緊張したのを覚えています。

私は、これまで自分のレントゲン写真や、MRI画像、病気の父の胃瘻の説明などでたびたび過呼吸で倒れたことがあり、説明を聞いたら倒れるのではという不安がありました。

説明を受ける前に、これまでの経緯を話し、できるだけ手短に説明をしてもらいました。

幸い、倒れることはなかったのですが、麻酔をかけたら、血圧が下がる場合があるという説明を受けて、不安になりました。

以前も、歯科口腔外科で、麻酔の後、気分が悪くなり血圧が下がったことがあったので、その旨を麻酔科の医師につたえました。

血圧が下がったときのための薬は用意しておきますというので、とりあえず安心してその日は、帰宅し入院準備の確認をしました。

当日、麻酔は、硬膜外麻酔でした。

麻酔をかけてすぐにとても気分が悪くなり、これまで経験したことのない苦しさを味わいました。

胃瘻の説明を聞いて倒れた時は、血圧が、上が75まで下がって、回復するのに1時間以上かかりましたが、それ以上に苦しくて、薬が効いてくるまでの数分(だと思う)がとても長く感じました。

このまま薬が効かなかったら死ぬと思いました。

薬が効いてからは、普通の帝王切開の手術で、滞りなく、出産することができました。

ただ、手術後の麻酔が切れてからが、とても痛くてつらかったです。

私は、自然分娩の方が楽だと思いました。

年齢もあるとは思いますが、手術後の回復も少し遅かったです。

後日談になりますが、出産前に転んだ時に痛めたお尻は、産後3か月しても痛かったので整形外科を受診したら、尾てい骨にひびが入っていたそうです。

この状態で自然分娩だったらかなり痛かっただろうということでした。

妊娠中は、くれぐれも足元に気をつけてください。

36歳 女 臍の緒を自分で切る!

現在、もうすぐ9歳の長女と6歳の次女の母親です。

次女の出産の時のお話です。

次女は出産予定日が過ぎても全然産まれる気配がなくって、長女をおんぶして
スクワットしたりして陣痛が早くくるよに運動をしていました。

それでも全然陣痛がくる気配がなかったです。

定期健診へ行ったとき、月曜日までに出産しなければ、火曜日から計画入院をして出産する準備をするようになり、入院の手続きをして帰りました。

その後も全然、陣痛らしい痛みもこなかったので、入院を覚悟していました。

入院前の日曜日、私の大好きなサザエを食べに隣の県までドライブへ行くことにしました。

陣痛がもし来てもすぐ帰ってこれるし、出産したらしばらく食べれないので主人や私の母、妹夫婦みんなで行きました。

サザエはとても美味しかったです。

結局その日も陣痛がこなくって、入院前日の月曜日のお昼頃買い物へ行ったときに、お腹に激痛が走り、
おしるしがきたので、すぐ病院へ行きました。

その後、3時間位で次女が無事に誕生しました。

安産でした。

次女の病院ではバースプランを作成していて、長女の病院では出来なかった、
「主人が臍の緒を切る」という事を記入していたのですが、いざ主人が臍の緒を切るっていう
時に、主人に断られて、看護婦さんにどうしますか?っと聞かれたので、自分で切る事にしました。

自分で臍の緒を切るとは思ってもいませんでしたが、切った感触は・・・
ザクザクって感じでなんとも言い様がない手の感触でした。

出産直後でテンションも高めでなんのためらいもありませんでしたが、会社の同僚に話したら
ビックりしていました。

ひとつだけ、その後忘れていたのが、胎盤をみせてもらうの忘れてた!って思いました。

バースプランに書いておけばよかったです。

妊娠中は色々制限はありますが、あまり制限をし過ぎると余計ストレスが貯まるので、私は長女も次女の時も
最低限の制限だけして、後は自分がしたい事を実行してストレスフリーで出産を向かえました。

ストレスが一番体に影響するなぁって思っています。

長女も次女も特に陣痛促進剤を使うわけでもなく、時間外の費用や薬なども使うことがなかったので
とても親思いの子供達でした。

38歳女 初産で子宮脱

現在30代で専業主婦をしています。

24歳の時に初めての出産を経験しました。

24歳と当時年齢的にも、周りに出産を経験している友人や姉妹もいずに不安と期待を抱いての初めての出産でした。

若さと無知もあり、妊娠中は、出産準備とネットなどの情報をもとに、買い物や出産までに出来ることをしておこうとの思いで動き回り、料理教室で貧血で倒れたり、出産予定日が近づいても出産の兆候がないことから、飛んだりしているような今では考えられない行動を取っているような妊婦でした。

待ちに待った出産予定日を迎え、友人を家に招いて夕食を食べようと思っていたときに、陣痛よりも先に多めの出血があり、慌てた友人と私は、急いで病院に向かいました。

助産院であったこともあり、家庭的で助産師の先生も「初産ならまだ時間かかるでしょう。

今からドラマ観ようと思ってたのに」と言われ、帰ろうかと悩んでいる時に、呼び出した実家の家族も勢ぞろいとなり「騒がしい」と怒られ帰らせている時に、陣痛が始まり子宮口も5㎝開いていたので、待機することになり、その間に思いのほか陣痛が進み、主人が到着した時には、子宮口も最大で頭が出始めていました。

助産院なので、医療行為は出来ず、先生が頭が大きいからなかなか出てこないと言っている間に出産。

4時間という初産では短時間での出産となりました。

私が、痛みに強かったらしく陣痛が来ていないと思っていた時にすでに始まっていたらしく、早かったこともあり超安産であったにもかかわらず、出産の時に子宮脱となり、こぶし大の子宮が出てきてしまい、先生が手で押して戻していました。

このまま子宮が戻らなければ、病院に移り手術と言われ、泣いてる赤ちゃんの抱っこもろくに出来ず、不安から寝ることが出来なくなってしまいました。

子宮脱は、4、5人産んでいる経産婦や高齢の人に多いらしく、この年齢の初産でなるなんて「箸より重いものを持ったことないんじゃないの」と嫌味を言われる始末でした。

私は、原因かもと考えられる出産前に飛んでいたことなどとても言えず泣く泣く言われるがままでした。

今では、命に別条が無かったので若気の至りで済む話ですが、出産はやはり軽くみてはいけないと痛感しましたので、若い妊婦さんや初産の方には、妊娠中は無理は禁物!言われたことは守って!健診をちゃんと受けて!と言いたいです。

47歳 女性 帝王切開の実況中継はきつかった

40才で3人目の子供の出産の時のことです。

1番目の出産の時から帝王切開だったので2人目も3人目も出産前から帝王切開って決まっていました。

1人目の時は陣痛途中で急遽帝王切開になったし初めての事で恐怖とドキドキで全く余裕がなかったし、帝王切開後の痛みでもう出産の時の瞬間の気持ちについて記憶も無いくらいです。

2人目は初めての時よりは若干余裕はあったもののイマイチ記憶が無いくらいです。

ですが、3人目は強烈な思い出になっています。

もう、出産して7年も経ったけど、昨日の事のように思い出せます。

病院の方針もあったのかも知れませんが、1人目、2人目の出産の時は帝王切開は夫の立ち会い出産がありませんでした。

3人目は妊婦検診の時から帝王切開でも立ち会いが出来ると聞いていたので主人に立ち会いしたいか聞いてみるとしても良いよって事だったので立ち会いをしてもらうことにしました。

出産予定日の前々日に入院して帝王切開に備えました。

まだ入院した日はバタバタした感じもなく気持ちも特に落ち着いていました。

翌日は出産前の最終検査やらで色々してたら1日があっと言う間に過ぎていました。

そしていよいよ出産当日。

さすがに当日になると3人目でもドキドキしました。

また帝王切開後の痛みの恐怖や無事に健康で産まれてくれるか。

色々な思いが頭のなかを廻っていました。

落ち着かない私をよそに主人はと言うといつもとあまり変わらない様子。

いつも仕事が忙しいので休みの日はほとんど寝てるような感じなのでこれから帝王切開の立ち会いって時でも眠いのか?逆にドキドキの気持ちを隠して普段通りを装っているのかイマイチわからない感じの態度でした。

しかし、いざ帝王切開が始まると、産まれる瞬間のちょっと前位から主人が手術室に入ってくるかと思っていたら麻酔をする前から手術室に通されて。

私が手術室に入る前に会ったときと明らかに表情が変わっていてイキイキニコニコしていました。

子供が産まれる事が嬉しいのもあったろうけどそれ以上に主人の楽しみは帝王切開を見られる事にあったようでした。

帝王切開が始まると野球の試合中継実況放送のように私のお腹の状況を報告してくれました。

私は麻酔が効いているので痛みや感覚はないけど首から上は普段通りなので手術の実況中継は怖いし気持ち悪くて気にはなるけど主人に実況中継は止めて貰いたかったです。

でも、子供の産声を聞いたときは不安な気持ちも、実況中継の嫌な気持ちも一気に吹き飛んで感動の涙でした。

50歳女性、トイレで出産した経験

これは、2人目の出産をした時の経験です。

1人目の子供は、帝王切開による出産のため2人目の出産といっても陣痛が起きて普通分娩という経験はありませんでした。

医師からは、2人目も帝王切開による出産の可能性もあることを言われていたので自分では帝王切開になるんだろうと漠然と思っていました。

しかし、予定日が近づきこのまま普通分娩で行けるかもと曖昧な状態になりました。

そんなある日、お腹に痛みが出て来ました。

最初は、これが陣痛とは分かりませんでしたが、痛みに感覚がありもしかして陣痛なのではと思い主人に行って病院に連れて行ってもらいました。

病院に着くと、確かに陣痛ではあるが痛みが弱いのでおそらく今日は生まれないだろうと言われました。

しかし、念のためにこのまま入院ということになりました。

今日は、生まれないだろうと言われ、主人は取り合えず家に帰って行きました。

しかし、痛みはどんどん酷くなり病院にはいましたが、不安を感じて主人に電話をして病院で付き添ってもらうことになりました。

陣痛が酷くなりましたが、今日はたぶん生まれないと言われていたので私自身もこんなにお腹が痛いのに生まれないのかと思いながら苦しんでいました。

看護師さんが時々、病室に来てもし便が出そうな感じがしたらすぐに言ってと言われましたが、普通分娩の経験がないためその意味さえ分かっていませんでした。

陣痛の感覚が短くなっている気はしましたが、看護師さんも主人が横にいたのでどこか安心して病室に時々見に来る感じでした。

そんな時に、便が出る感じがしましたがその時には、それが便が出るとしてか思わずトイレに行き力んでしまいました。

すると、トイレに座った状態で子供が生まれて来てしまい私は「子供が生まれた」と大声で叫びながら子供を自分で受け止めていました。

その声で慌ててトイレに来た、主人は急いで看護師さんを呼び私は赤ちゃんを受け止めた状態で処置室に運ばれいました。

無事にヘソの緒は切られて、子供は無事でした。

今思えば、子供を産むと切って便が出る感じがするんだということはありますが、あの時は分からずトイレで出産をいうことになってしまいました。

34歳女 母の出産に立ち会った、幼いあの日の思い出

30代主婦です。

9歳の頃、母の出産に立ち会いをしました。

歳の離れた弟が生まれてくることを今か今かと楽しみにしていた私でしたが、こどもの私には「立ち会い出産」という概念がなく、ましてそれを自分が体験することになるとは勿論思っていませんでした。

立ち会いをするしないの選択権もなく、なにがなんなのかもわからず、父と共に分娩室に通され、それは始まりました。

分娩室に入る前、陣痛室でも母の苦しそうな様子に私はすっかり怯えてしまっていて、お母さん大丈夫?痛いの?生まれる?と繰り返すだけになっていましたが、その後分娩室で見た光景はそれ以上で、ある意味トラウマといってもいいほどの衝撃的な体験でした。

あんなに苦しそうな母を見たのは初めてでしたし、こどもを産むということがこんなに時間がかかることだとも知りませんでした。

(今思えば、初産ではありませんのでまだ比較的時間はかからなかった方のようですが、こどもの私には本当に永遠のように長い時間に感じられました)普段朗らかで呑気な父の、思い詰めたような真剣な顔も、もしかしたら初めて見たのはあの日だったかもしれません。

お母さんがんばって、がんばって、と言いながら、それしか言えない自分の情けなさと、苦しそうな母を見る辛さで、私はほとんど泣いていました。

早く弟に会いたくて、「まだ生まれないのー?」「ねえまだー?」「今日生まれるー?」「明日生まれるー?」と毎日母に急かすように言っていましたが、こんなに大変だなんて。

私もこうやって生まれてきたんだ。

それは奇妙な感動だったようにも思います。

けどとにかくその時は目の前の辛そうな母に早く楽になって欲しくて、絶叫にも近い母の声を聞くのも辛くて、早く生まれて、早く早く早く…と願っていました。

そうして数時間かかって生まれてきた弟を見た時のことは一生忘れません。

「ちっちゃ!」「赤い!」「猿みたい!」
びっくりしてそう叫ぶ私に、ぐったりして汗びっしょりの母が力なく微笑んでくれました。

とても綺麗でした。

33歳・女、出産のときの陣痛が痛すぎてビックリ!

42歳の主婦です。

小学3年生の女の子と5歳の男の子がいます。

出産で印象に残っているのは、陣痛の痛さです。

陣痛が痛すぎて本当に辛かったです。

33歳のときと、37歳のときに出産を経験しました。

私の場合は、陣痛が10分間隔になってから、娘のときは、生まれるまでに10時間もかかったし、息子のときも7時間くらいかかりました。

長い間、陣痛に耐えるのが本当に辛かったです。

痛いから早く生みたいけど、なかなか子宮口が最大にならないので、子宮口が最大になるまで耐えるのが大変でした。

本当に地獄だなーと思いました。

無痛分娩が普及してほしいと思いました。

痛すぎて、看護師さんに「早く生みたいです。

」と何度も言ってましたが、「もう少し我慢してね。

」と言われて辛かったです。

いつまでこの痛みに耐えなければいけないんだろうと本当に絶望しました。

そんなときに、頼れるのは夫でした。

夫が心配しながら、腰をさすってくれました。

やっぱり、出産のときは、不安だから夫にいてもらえてよかったです。

子宮口が最大になったときは、やっと産めると思い、嬉しかったです。

とにかくこの陣痛の痛みから開放されたかったです。

生むのは、何回かいきんだら生まれました。

生まれたときは、本当に嬉しかったです。

ずーっと陣痛に耐えていたから本当に体力を消耗しました。

2人目を出産した後は、もうこれで陣痛を経験しなくてもよいと思いホッとしました。

陣痛の痛みは、すごいから本当になんとかならないかなーと思います。

無痛分娩は、よいけど、取り入れている病院が少ないから、困ります。

赤ちゃんに害が起こらない痛み止めを開発してほしいなーと思いました。

これから赤ちゃんを出産する方は、陣痛が辛いと思います。

誰かに付き添ってもらい腰をさすってもらうと痛みが少しやわらぐので、旦那さんやお母さんに付き添ってもらうとよいと思います。

また、軽くウォーキングなどをしていると、すぐに生まれやすいみたいなので、出産前に軽いウォーキングなどをしておくのもおすすめです。

できるだけ陣痛の時間が短縮されるとよいですね。

33歳、女性、陣痛促進剤を使用して即出産した話

現在33歳、2児のママです。

2人目は早く生まれるとよく言われていて、わたしは予定日が近づくたびに、陣痛がもう来るかもしれないと思ってソワソワしていました。

一人目にはなかった前駆陣痛があったからかもしれませんが、一人目よりも落ち着いていなかったと思います。

その日は上の子供を寝かしつけ、いつものように寝ようとした時でした。

お腹に軽い痛みが出始め、また前駆陣痛かなと思いながらも時間を図ると、おおよそ15分おきと規則正しい状態。

これは本物だと旦那に伝えました。

2人目なので、10分間隔になったら病院に電話するように伝えられていましたが、陣痛は12分置きで止まったまま。

けれども痛みは徐々に強くなっていって、そろそろ病院に行かなければ動くことも難しくなりそうでした。

長男が寝ていたのですが、旦那も病院に行くということでわたしの親と一緒に行き、病院へ。

そのまま部屋で様子を見ることになりました。

わたしは1人目を産むときは、最後のギリギリまで10分から7分間隔で、とてもゆっくりした子でした。

なので2人目の時も陣痛の間隔が短くならなくても、時には15分と空いてしまっても、これは産むときが近いと確信していました。

深夜でしたが、痛みを耐える状態のママに、子供がよしよしとお腹を撫でてくれたことはとても嬉しかったです。

その時旦那は寝ていたので、逆じゃないかと心の中で突っ込みを入れました。

朝を迎えても、友達とメールを打てるくらいには余裕があり、旦那は仕事へ、子供も幼稚園へ。

子宮口は7センチと開いていて、母がそばについてくれていたのですが、陣痛の間隔は一向に短くならず。

昼前についに看護師さんから陣痛誘発剤を使うかを聞かれました。

前にも述べましたが、わたしの1人目の時は陣痛の間隔が7分から10分間隔と短くなりませんでした。

そのせいで20時間という長い出産時間が続いていて、今回もそれだけ続いてしまうと、幼稚園から帰っていてもまだママは陣痛中。

それではかわいそうだと思い、陣痛誘発剤を使用することを決めました。

点滴を始めて、母はお昼ごはんを買いに出かけ、その直後からとても強い陣痛が。

分娩室に行くのも辛い状態になり、どうにかこうにか分娩室へ。

分娩台へ上がったときにはすでに赤ちゃんの頭が出ていたようで、看護師さんがとても慌てていたのを覚えています。

その後はとても早く、赤ちゃんを出産。

誘発剤を使ってから30分以内の出来事です。

子供が返ってきたときにはすでにわたしの状態も落ち着き、笑顔で迎えれたので良かったです。

陣痛が弱いわたしにとって、今回陣痛誘発剤を使って、本当に良かったと思いました。

41歳女 予定日を過ぎたら色んなことに気を遣わないと!

結婚8年目にして、今年40で男児を出産しました。

既に41になり、体力的に子育てに日々疲れております。

昨年末が出産予定でした。

が、予定日を過ぎても陣痛が来ないため、美容院へ行ったり料理をしたり、落ち着くことがなく過ごしておりました。

大晦日、何の連絡もなしに友人が家族で訪ねてきました、1歳10ヶ月の子供を連れて。

その時に何も考えずに、その子を抱っこしたのが悪かったようで、破水したようでした。

私の聞いていた破水は、おしっこを漏らしたようになるというものだったので、その時に破水をしたことに全く気付きませんでした。

紅白歌合戦を観て、寝ずに年越しと思っていたのですが、少しづつお腹が痛くなるのが判り、時計を何度も何度も見て、お腹が痛くなる感覚を計り…。

途中、病院へ電話。

でも、結局もう少し様子を見て!
朝になり、再度病院へ電話を入れ、元旦早々に病院へ向かいました。

さあ、いざ出産!と思いきや、子宮口が開いているか確認してもらうと、破水していることが判明。

とりあえず、陣痛室へ。

陣痛の間隔が出産できるまでに狭くなることはなく、元旦が過ぎて行きました。

陣痛が収まる時は、大イビキで眠っていたようですが…。

翌2日。

まだ出産に至らないため、促進剤を打ってもらうことになりました。

促進剤を打ちながらしはらくすると、赤ちゃんの動きが弱くなってきているので、緊急帝王切開に切り替えます!と。

陣痛に28時間耐えて、結局は切開?え?ホント?が私の気持ちでした。

そこからは、バタバタと過ぎていきました。

剃毛されて、手術室へ。

麻酔わ打たれて、背中にカテーテルを通されて…
気付けば、血まみれの小さな生き物が目の前に!感動している間も無く、女医さん2人が私のお腹を閉じていくのが分かりました。

「え?先生は、お休みの日はお母様と?へー。

」「さすが、先生。

」「そんなことないですわ、オホホホ…」何の会話だかよくわかりませんが、女医さん2人の楽しそうなこと。

私は、陣痛は痛かったし、麻酔も痛かったしで、赤ちゃんにはチラリと会っただけでした。

しばらくして病室に戻りながら、話を聞くと、私は羊水がだいぶ減って濁っていたこと、赤ちゃんは臍の緒が首に巻きついていたことを知りました。

ダメと言われていることは、忘れずに守らないといけないなぁと思いました。

そしたら、友達の子供を抱っこすることもなかったはずなので。

32歳女性、出産から産後まで難関ばかり

私は昨年出産したのですが、32歳で初産でした。

妊娠中は経過良好。

一時は逆子になり、計画帝王切開かもとなりましたが、タイムリミットギリギリで正常位に戻ったため、普通分娩で出産を予定していました。

明け方に陣痛が始まり、朝には10分間隔になったため病院に向かい、そのまま入院となりました。

初産なので時間がかかるだろうとは思っていましたが、何時間経っても子宮口が開かず、結局丸1日経っても産まれませんでした。

朝になり、もういい加減に出て来てくれ…とヘバり始めた時、急にお腹につけたモニターからアラートが鳴り出しました。

直ぐに看護師さんに来てもらい、確認してもらいました。

「子供が動いて計測不能になったのだろう。

心配ない。

」とのことでしたが、そのあと1時間もしない内にまたアラートが鳴り響き、気になるから分娩室でモニター取ろうと言われ、不安な気持ちのまま部屋を移動しました。

元々、入院した際に高位破水の疑いがあったので、もしや子供になにかあったのでは?と、とにかく怖くてたまりませんでした。

移動してからもアラートが2度鳴り響き、医師が駆けつけモニターの経過を確認したところ、「陣痛のタイミングで赤ちゃんが酸素不足になり苦しんでいる。

このままだと危ない。

緊急帝王切開にしましょう。

」と告げられました。

その瞬間、やっぱり破水してたんだ。

どうしよう子供が感染症になってたら。

元気に育ってたのに、上手に生んであげられないせいで障害児になったとしたら、私どうすれば…というとてつもない不安や恐怖と共に、35時間近く陣痛に耐えていた身としては助かったという気持ちが織り交ざり、もうとにかく助けてくれ!という色んな感情が一気に私の頭を駆け巡りました。

いざ手術が始まり、やっと助かると安心した気持ちになれたのも束の間。

今度は手術で出血したため、体がどんどん冷えて顔や手足の震えが止まらなくなり「え?私、死ぬ?」という恐怖に襲われました。

そんな中、子供の産声が聞こえ、「あぁ、子供助かった…助かったから、お願い私も助けて!」と次から次へと気持ちはジェットコースター状態。

結局、手術は無事に終わり、やっとほっと安心出来たと思いきや、その後は後陣痛でお腹に激痛が走り、一晩中苦しんでいました。

漫画やドラマのように出産の瞬間だけ激痛に耐え、生まれたら涙しながら幸せな気持ちになるのだとばかり思っていた私は、まさか出産前から産後まで不安と恐怖に襲われ、産んだ後まで痛いなんて思いもしませんでした。

まさか、出産でこんなに恐怖を味わうとは思いませんでした。

39歳、女性、出産中に別の病院に搬送を経験

結婚から3年、29歳の時にやっと子供を授かり出産をすることになりました。

これまで、妊娠しても流産したり、安定期に入っても私の血液型の問題で里帰り出産が出来ない可能性があるなど、初めての出産は順調な妊婦生活とは言えないものでした。

飛行機で移動できるぎりぎりの時期になんとか里帰りをすることができ、落ち着いて陣痛を待つ日々を過ごしていました。

ある日、ついに陣痛がきて入院。

やっとあかちゃんに合えるんだととてもわくわくしていましたが、陣痛がつらいわりにあまり子宮口の開きが良くなく促進剤を打つことになりました。

だんだん陣痛がひどくなるのですが、やはり開きはあまりよくありません。

そして、なんともタイミングが悪いことにその日の担当の先生がお休みで臨時の先生が来ていたのです。

会話をした雰囲気や施術の対応があまりよくなく、そっけない感じで本当に大丈夫なのかと不安になりました。

そして分娩台にのっていよいよ出産となると恐ろしいほどの陣痛が定期的やってきて悶絶でした。

分娩台に上がってからこの状態が数時間続きさせられましたが、頭が見える気配が全くないので強制的に破水させられました。

これで陣痛の地獄から解放されると期待したのですが、状況は変わらず全く変わらず。

さらに時間が過ぎてきたため、今度は子供ほうが危なくなってきていると周りが焦りだしました。

「このままだと赤ちゃんの方が心配です」という助産師さんが先生に話しかける声が聞こえた時、意識が薄れそうな中でしたが「帝王切開に切り替えてください」と自分からお願いしたのを覚えています。

ですが、私がお世話になっていたクリニックでは帝王切開の設備がなく、仕方なく救急車で大きな病院に搬送されることになったのです。

まさかこんな状態で人生初の救急車に乗るとは思わず少し恥ずかしさもありましたが、今は赤ちゃんの無事を祈るだけでした。

大きな病院についてから、すぐに担当の先生か話かけてくれました。

とても明るく元気に声をかけてくれたのでとても気持ちが前向きになったのを覚えています。

診察後、先生から出てきた言葉に耳を疑いました。

「帝王切開してくてもあと1時間であかちゃんを出してあげるからね。

」先生や病院で、こうも違うものかと本当に驚きました。

その後、本当に1時間で生まれてきました。

どうやって生まれたかというと、吸引と押し出しです。

頭が少し伸びて出来ましたが、赤ちゃんは本当に元気で問題もありませんでした。

生まれてきてから分かりましたが、へその緒が巻き付き出るに出てこられない状態だったそうです。

とにかく、無事に生まれてきてくれたことと、お手伝いしてくれたすべての人に感謝の気持ちでいっぱいです。

1人目の出産でここまでの経験をしたので、2人目では陣痛を和らげる呼吸法や体操をきちんと行い、病院から準備に至るまで本当にスムーズでした。

なにより、1人目では20時間かかった出産時間が2人目では1時間半。

1人目の時から妊婦教室で習っていた事をもっと実践していれば、1人目でこんなに苦労する事もなかったのかなと思います。

これから出産を迎える人には、後で後悔しないよう、できる限りのことや準備をしておいて欲しいと思います。

57才 女性 出産前の画像診断と出産後に我が子と対面した時

私は新生児を知りませんでした。

赤ん坊がどういう具合に生きているのか、どう自己主張するのか、どうおっぱいを飲むのか、その他ほとんど知りませんでした。

妊娠中の画像診断では異常は認められませんでしたが、渡された画像では、私にはよくわからない白いものが見えるだけでした。

まだ画像技術が発達していない頃ですので、今なら違うかもしれません。

とにかく私は、赤ちゃんといわれても、ぽかんとしているばかりでした。

月が満ちるうちに子供は大きくなり、画像に人間(のようなもの)が写るようになりました。

それにしても、お医者様が「ほら、ここが頭。

ここが足。

お腹が見えるでしょう?」と言われた時、頭らしいものはそれらしく見えましたが、足やお腹や手やなどわからなかったのです。

わが子の形がわからないなんて、私は母親失格かも…と誰にも言えずにいました。

臨月頃の写真には、赤ちゃんの顔が写っていました。

お医者様は、「ほら、はっきり写ってますよ。

ここが鼻でしょう。

目がこれですよ。

ねっ」と、にこにこされています。

なんと、私には歪んだ人の顔が見えました。

額が前方にとんがって張り出し、目がぎょろりとした、斜め横の顔でした。

これが夫と私の子?あり得ないだろう。

夫に画像を見せた時、夫の反応は覚えていません。

こんな宇宙人か縄文人みたいな子が生まれたらどうしよう。

私は心底、戦々恐々としました。

いよいよ出産の時、体が裂けるかという程の痛みを経て対面したわが子は、人間の子でした!いとけなく、くったりと私に身を任せる赤ちゃん。

宇宙人でなくて良かったと、私は本当に安堵しました。

それからの赤ん坊の、なんと可愛いことでしょう。

毎日毎日可愛くてしかたありませんでした。

ちなみに成人した今でも、寝顔が可愛いです。

あるお母さんの妊娠時の思い出を、聞いたことがあります。

妊娠がわかって病院を受診した時のことです。

画像診断の写真を見せられて、まだ受精卵の赤ちゃんが愛しくて嬉しくて、涙が出てきたそうです。

「この時期にこれだったら、生まれたら私はどんな状態なんだ?」と思ったそうです。

その話を聞いたとき、そういうものなんだと正直落ち込みました。

でも子供が生まれてからの私は、子供を可愛いがっているのだから、それでいいと自分を納得させました。

私と同じように、わが子を可愛いと思えない母親がいるかもしれません。

そういう人には、そうなる理由があったりします。

バランスの取れた母親というのが、私の理想の母親です。

難しい状況もあるでしょうが、周囲のサポートがあれば、母親らしくなれるのではないかと思います。

20代のときの初めての出産後、救急搬送される

私は、現在40代の主婦です。

私の初めての出産は、20代後半のときでしたが、今でも辛くて思い出したくもないくらいの記憶になります。

初めての妊娠で、本当ならうれしくて喜びに満ちているのが普通なのかもしれませんが、私の場合、子供が苦手だったり、産むのが怖くて怖くて、妊娠したとわかったときから憂鬱な気持ちでした。

妊娠中は、体重の増加のしすぎで、お医者さまから注意を受けましたが、特別に問題なく母子ともに健康に過ごすことができました。

臨月が過ぎ、いよいよ予定日の一週間前になったある朝の日、お腹に違和感を感じました。

なんだかチクチクしたような痛みでした。

それは陣痛の始まりでした。

出産するかと思うと不安で仕方ありませんでした。

その後、陣痛の間隔が短くなり病院に連絡して車で向かうことになりました。

破水し、出産室に入ってから、およそ2時間後に、男の子を出産しました。

やはり出産の痛みは耐え難いものでした。

赤ちゃんも健康でほっとしました。

やっと妊娠生活から開放されたかと思うとうれしかったですが、これからの育児を思うとまた憂鬱な気持ちでした。

夜中に出産し、よく朝には母子同室で、育児が始まりました。

しかし、出産直後から、私は体調を崩してしまいました。

初めての出産でしたので、そういったものなのかと思って我慢していました。

発熱しており、氷枕を用意してもらい、横になってはいましたが、新生児がいては休んではいられません。

時々、看護師さんなどが、様子を見にきてお世話をしてくれましたが、授乳やおしりのお世話などやることはたくさんあり、更に体調の悪化を感じました。

体調不良のまま、産婦人科を退院しましたが、自宅に帰ったとたん、高熱で倒れて救急車で、大きな病院に搬送されました。

急性腎盂炎でした。

赤ちゃんは、元々入院していた産婦人科で面倒を見てもらえることになり、助かりました。

高熱で辛すぎて、意識を失いました。

退院後も、服薬しているので授乳もできませんでした。

赤ちゃんのお世話も体が辛くて誰かに助けてほしかったです。

産後そのようなことがあり、産後の肥立ちが悪く、ずっと体調不良の日々が続きました。

昔の人の言った、産後1ヶ月は無理してはいけない、というようなことは、本当にその通りだなと実感しました。

出産する女性は、育児は大変ですが、周りの協力を得て、体を労って大事にしてほしいものです。

41歳女  長引く陣痛で分娩中眠りそうに

40代の主婦です。

子供は2人います。

初めて妊娠がわかった時はすごく嬉しかったです。

でもすぐにつわりが始まりました。

想像以上に辛くて、一日に何度も吐き、たくさん病院で点滴をしてもらいました。

実母に来てもらい家事を助けてもらいました。

体重がすごく減りましたが、安定期に入るとつわりが嘘のようになくなり、快適な妊娠生活を送りました。

出産予定日まで元気に過ごしていましたが、出産予定日を一日過ぎた日に陣痛が始まり、すごく怖くなりました。

お腹がギューっと痛くなった時に、とうとう生まれるんだという嬉しさと出産の怖さで複雑な気持ちになりましたね。

陣痛が始まりすぐに生まれるだろうと軽く考えていたら、全然生まれないんです。

ただお腹が痛くなるだけで、助産師から「子宮口が開いていないから、まだ我慢してね」と言われ続け、いつまで我慢すればよいんだと泣きましたね。

お腹を切ってほしいと思うぐらい辛かったです。

夜中も陣痛の痛みで眠れず、実母と旦那が腰を何度もさすってくれました。

子宮口が開き分娩室へ行った時には、もう痛みと寝不足でクタクタになっていて、何が何だかわからない状態になっていました。

「いきんで」とお医者さんや助産師に言われてもなかなかいきめず、眠りそうになり実母から何度か頬を叩かれました。

あの時は眠りそうだと思ったのですが、意識を失いそうになっていたんだと思います。

実母が何度も強く頬を叩いたことがすごく印象的でした。

痛くて「やめて」って言うと、母が「もうすぐ赤ちゃんに会えるんだから!お母さんになるんだから頑張って」と泣きながら言ったんです。

それで頑張ろうって思えました。

けっきょく、二日間陣痛に苦しみやっと出産しました。

生まれた子はすごく大きくて元気な女の子です。

元気な泣き声を聞いた時に、本当にホっとしました。

我が子を胸に抱いた時は眠気なんて吹き飛びましたね。

あの時意識を失いかけて、実母に叩かれて良かったです。

忘れられません。

29歳女 出産の痛みになめてかかる

29歳専業主婦3歳男児の子育て中です。

一人での出産が不安だったので私は夫も分娩室に入る立ち会い出産をしました。

義実家に里帰りし出産予定日から3日経っておしるしがあり陣痛が始まりました。

出産経験のない私は「このくらいの陣痛なら全然いける!」と思いましたが、これはまだまだ序章にすぎなかったのです…。

この軽い陣痛が始まってから病院に行ったものの、子宮口がまだ少ししか開いておらずすぐ帰宅しました。

帰宅してからは破水もしていなかったので、お風呂に入ったり出産のときの体力のためにご飯を食べたり、「会陰切開こわいな~」とか思いながらゆったりとすごしていました。

そうしている間に段々と痛みも強くなり陣痛の間隔も早くなってきました。

ここまで陣痛が進むと結構な痛みで歩くのも一苦労…。

病院にじんつうにの間隔を伝えると「すぐに病院へ来てください。

」とのことだったので急いで向かいました。

到着するとベッドに横になり子宮口の開き具合を診てもらったのですがまだ半分…内心「こんなに痛いのに嘘だろ…」と思いながらもただひたすら痛みに耐えていました。

ベッドで子宮口が開くのを待っていたのですが、尋常じゃない痛みで夫と義母が近くに居たにもかかわらず大絶叫。

お産は恥じらいとかが無くなるというか考える余裕が無くなります。

ベッドで陣痛のたび大絶叫しながら子宮口開くのを待つ時間はとてつもなく果てしなく地獄でした。

始めの陣痛は初期の初期の初期と思いやられました。

やっと子宮口が全開になり分娩台に上がることができましたが、ここからがまた長い戦いだったのです。

立ち会ってくれた夫は万全の準備で挑んでくれて、タオルに団扇、ストロー付きの飲み物とゼリー飲料を持ち込んでくれていました。

分娩台に上がるとさっきまでは大絶叫だったのがうってかわって急に冷静になり、早く出てきてほしい一心で助産師さんの支持を聞き必死でいきみました。

私がいきむのが終わると、白目むきながらぐったりしている私の汗を拭いてくれたり、口にストローを入れてくれたりとたくさんサポートしてくれました。

それは今でも感謝しています。

そんなこんなで分娩台に上がってから6時間が経ち私が諦めそうになったとき、お腹の赤ちゃんがやっと本気を出し始めてドンドン降りてきてあれよあれよとズルンと出てきたのです。

なかなか出てこなかった理由が出てきてからわかったのですが、へその緒がストールのように首に掛かっていました。

一時は赤ちゃんの心拍が低下したりしたのですが元気に生まれてくれて本当に良かったです。

この出産でもちろん会陰切開もしたのですが、お産が壮絶すぎて会陰切開はなんてことなかったです。

その後の抜糸が結構恐怖なので溶ける糸を使ってくれるところがいいと思います。

34歳女 出産による恥骨へのダメージ

30歳の時、不妊治療の末、待望の第一子を妊娠しました。

ちょうどその頃周りもベビーラッシュであり、家族が増える事にワクワクしていました。

妊婦である期間はそれほどトラブルもなく、順調に妊婦検診もすすみました。

もちろん、妊婦のマイナートラブルである、便秘や腰痛、つわりや、耳が聞こえづらいなどの事は多々ありましたが。

そして、予定日付近になり、破水してることがわかり、陣痛促進剤などを使ったりして、第一子を無事に出産しました。

ところが問題はここからです。

出産後すぐは分娩台に横になり、そこから部屋に戻るのですが、私は股関節がどうかなったのか分娩台からもやっとの事で降り、足を引きずるようにして、看護師さんに支えられて部屋に戻りました。

しかし、自分でもどこが痛いのかもはっきりとわからず、先生もこれといって何が原因なのかもわからずでした。

一晩休めば大丈夫になるのかもしれないと思い、寝返りさえも冷や汗をかきながらおこない、待望の赤ちゃんへの授乳も必死の思いで体制を整えて行う始末でした。

入院中は主人に申し訳ない気持ちで赤ちゃんよりも私の介護をしてもらうレベルでした。

もう、せっかくの赤ちゃんに会えた喜びよりも私このまま歩けなければどうしようとゆう不安に押しつぶされそうでした。

結局、原因は赤ちゃんを産む時に力が入ったのか、はたまた赤ちゃんの頭が私の身体に対して大きかったのか、恥骨部分にヒビが入ってるとゆうことでした。

これは、もう日にち薬しかないということで、そこから、半年くらいは痛みと常に隣り合わせの生活でした。

もし、同じような方がいるならば、途方にくれなくても、いつかは普通に歩けるようになると希望を持ってもらいたいです。

そしてそれから2年後第二子を出産しましたが、恥骨部分にヒビは入ることなく、無事に出産致しました。

1人目がそうなったからといって2人目もそうなるとは限らないのです。

とても安産で、すんなりと出てきてくれました。

出産後のケアは周りに負担をかけてしまうとゆうこともありますが、この事あったからこそ、家族で支えあい、絆がより深まったとおもいます。

30歳 女 草むしりで安産

四ヶ月前に第一子をすごく安産で出産した主婦です。

妊娠初期からお腹の張りがすごくて
仕事中もお腹がかちかちになることがしばしば。

仕事を退職してからさぁ~ゆっくり妊婦生活を楽しもうと思っていた矢先、妊娠35週目で切迫早産と言われてしまいました。

個人のおしゃれな病院から救急搬送でNICU(赤ちゃんの入るICU)がある病院に運ばれました。

即入院で生産期に入っていい時まで入院し、37週で退院しました。

入院中は安静な上にずっと点滴、毎日の赤ちゃんの心音確認、張りの検査。

ありがたいことにご飯がおいしかったので、すごく気にしていた体重が入院の間にどんどん増えていきました。

安静だったので唯一の楽しみがご飯の時間でした。

出産を控えたお母さんたちがいっぱいいてて、お腹を触らせていただいたり、生まれたての赤ちゃんを見たりして生活していました。

ほかの妊婦さんのお腹を触らせてもらい、その柔らかさにびっくりしました。

自分のお腹がいかにかちかちに張っていたか、お腹の赤ちゃんがどれだけ苦しかったんだろうと思ったらすごく悲しくなったのを覚えています。

退院してからはできるだけ安静に過ごし、お腹の中の我が子との対面を心待ちに過ごしていました。

切迫早産で入院したのでてっきり早く産まれてくると思ったんですが、なかなか下がってこずに子宮口も検診に行くたびにロック状態と言われていました。

赤ちゃんの頭の大きさからしてもう、3500g超えてそうなので予定日には促進剤使って出産準備に入ろうかと言われていました。

先生は私のことを思って言ってくれたんですが、最近まで早く出て来ては駄目だと点滴を打たれていたのに、今度は早く出ておいでと点滴を打たれるのは可哀想だなと思いました。

そんな中、早く生まれておいで~点滴打たれちゃうよと話しかけながら、床掃除や庭の草むしりを一生懸命して毎日過ごしていました。

予定日前日の夕方庭の草むしり中に破水しました。

急いで病院に行き、陣痛自然に来たらいいねと言われてそのまま寝ようとしてたら夜中、お腹痛いな~でもまだ我慢できるな~と朝まで我慢して過ごしていたら、まさかの子宮口7センチまで開いていてそのまま分娩台へ、2時間後に産まれてきました。

初産なのにすごく安産でした。

ちなみに私が本陣痛に気づかなかったのは、もっと痛い波が来ると思っていたからです。

出産後先生に草むしり頑張ってたからすごく安産でしたね。

お疲れ様でしたと言われました。

29歳女産後すぐ貧血で倒れる

29歳の時に妊娠出産しました。

出産予定日の1日前、寝ていると前駆陣痛のような痛みが出てきました。

それが朝4時くらい。

もしかしたら陣痛かな?という痛みが続いて9時には病院へ。

ちょうどその日は、旦那が出産に立ち会えるようにとってくれた1週間の休みが始まった日で、もし今日生まれたらタイミング完璧だね!といっていた日だったので驚いた!

ついてすぐNST・診察を受けて子宮口9cm大でまもなく出産といわれ分娩室へ。

まだ余裕があったので「おひるごはん買ってきて!」など言いながら旦那とのんびり過ごしていました。

でも昼の前に事態は一変!

急激な陣痛で声にならない叫びをあげるように・・・

とにかく肛門の上の方が痛くて旦那にテニスボールで押してもらう。

でも痛い!

もっと押して!

もっと強く!!

といっているうちに破水。

それからも旦那にひたすら押してもらって数分。

「もう頭出てくるよ!」の声が聞こえてぐっといきむとデュルンという音とともに胎児が。

弱いけどしっかりした産声が聞こえて一安心。

産む瞬間まではいろんなところが痛かったけど、産んだ瞬間に痛みはすべて消えてびっくり。

その後、分娩台上でカンガルーケアをして初めての母乳あげ。

赤くてしわしわの赤ちゃんとやっと対面できてついに出てきたんだな、もうお腹にはいないんだなと少し寂しいような気持ちになりました。

2時間ほどそのまま休ませてくれたんですが、産後ハイなのか全く眠ることもなく旦那としゃべっていました。

2時間がたち部屋に移動しようと立ち上がった時に床に倒れこむ私・・・

あとから聞くと、出産のときに1リットル以上の出血があったから貧血になったらしい。

看護師さんが大急ぎで車いすをもってきてくれて、病室まで運んでくれました。

その後も絶対安静といわれ、赤ちゃんにあうこともできないまま一晩寝て過ごしました。

翌日には回復し、やっと落ち着いて赤ちゃんと対面。

ちなみに旦那はテニスボールの押しすぎで筋肉痛(笑)

その時に見た、か細くて弱々しいけど、生命力にあふれる姿は一生忘れません。

28歳女産後の気疲れ

28歳2歳の娘を持つ母です。

母になる本能のせいかホルモンの影響さ
産後義理の母が苦手になる女性は多いようです。

それにまつわるエピソードです。

予定日1週間超え、3800グラムで生まれた我が子は、大きすぎてなかなか出ず、最終的には吸引分娩で生まれました。

産後の体は交通事故にあったレベルと言いますが、まさにそのとおりで、裂けて3針縫われた上腫れ上がったお尻が痛すぎて3日間起き上がれませんでした。

その間トイレも行けず、バルーンが繋がってたので周りのお祝いモードが有難い反面、お見舞いのたびおしっこの管が恥ずかしかったのをよく覚えています。

今後悔していることは、里帰り出産にすれば良かったということです。

主人に立ち会ったもらいたいからと思っていたけど、初産で子どもはそんなにすぐには生まれなかったし、主人の地元で産んだから毎日お義母さんが来てくれたことで、今まで感じなかった苦手意識が産まれてしまい、2年たった今でも産後言われたことは忘れていません。

今までの私だったら、絶対に気にしなかった事も産後に変わったホルモンの影響かお義母さんの何気ない一言に悩まされる日々が始まります。

起き上がるのにも激痛で、体力も回復してなかったのに、2時間病室に居座り、世間話で気を使わされる。

入院中毎日来てくれるのですが、実の母ならまだしも、お風呂にも2.3日入れてない、おしっこの管がついてる状態で気を使う義理の母と過ごす2時間が本当に苦痛でした。

その上、欲しいものあったら何でも言ってね!と言ったくれたので100均でコップなどを頼んだら、「私だったそんなに暇じゃないんだからね!」と言われたことは一生忘れないと思います。

それからと言うものお義母さんの行動言葉にいちいち反応している私がいます。

産後義理の親が苦手になったというママは結構いるので、気をつけようがない事かもしれませんが、喜ぶからと旦那さんの実家の近くでは産まず、自分が心も体も休める環境で産んで欲しいと思います。

32歳女いきなり運動しすぎて破水してしまった

初めての出産は、破水から始まりました。

32歳だった私は、予定日4日前の検診で運動不足を指摘されたことから、ショッピングモールの階段を何度も行き来したり、ウインドウショッピングをして何時間も歩いたりしていました。

そんな生活を3日程した予定日前日の夜、夜9時頃テレビを見て笑っていたら、じゅわっと破水してしまいました。

びっくりしましたが、入院の準備はしてあったので、そのまま夫と母と病院へ行き、入院しました。

病院に着くと、看護師さんからそのうち陣痛が始まると言われて怖くなったことから、朝まで一睡もできませんでした。

翌日、朝9時を過ぎても陣痛が起きないことから、陣痛促進剤を飲むことになりました。

陣痛促進剤を決まった時間ごとに何回か飲んで、しばらくすると、少しずつ陣痛が始まりました。

最初は我慢できる痛みでしたが、夕方になる頃にはちょっと耐え難いような痛みになり、先生が子宮口の開きを確認しましたが、全く開いていなかったので、外来が終わり次第、緊急手術で帝王切開をすることになりました。

しかしその日は三連休明けの平日、待っても待っても外来は終わりません。

そのうち陣痛の痛みも強烈になり、声を上げて耐えました。

付き添って心配する夫に、「あと何人で外来が終わるか見てきてほしい」と何度もお願いしました。

夫はその都度見に行きましたが、どうやらたくさんの人が待っていたらしく、何度行っても気を使って、
「あと3人だよ」
と、3人から減ることはありませんでした。

やがて先生の指示で陣痛を抑える薬が注射され、夜9時、やっと手術室へ入ることができました。

既に強烈な陣痛に3時間も耐えた後で、体はフラフラでしたが、赤ちゃんの元気な姿を見るまでは絶対に意識は失わないと思い、頑張りました。

手術台に乗ると、部分麻酔がされ陣痛の疲れで意識がフワフワしているうちに、無事赤ちゃんの産声を聞くことができました。

助産師さんが産湯で綺麗に洗われた赤ちゃんを抱いて、私の頬に、
「おめでとう!」
と言って、キスさせてくれました。

とても柔らかい唇がふわっと頬に当たり、目を瞑ったままの可愛い顔を見たら、涙があふれて止まらなくなりました。

やっと会えた赤ちゃんは、私のかけがえのない存在だと、改めて思いました。

後悔していることが一つあるとすれば、運動不足を指摘されて、いきなり体に負荷をかけすぎたことです。

妊娠中に体に異常がない場合は、無理の無い範囲でこまめに体を動かしておくことをお勧めします。

35歳女 陣痛促進剤での出産で度肝を抜かれる

現在、私は小学3年生の娘と3歳の息子を持つ専業主婦です。

人生で初めてだった娘の出産の時、今思えば笑い話になるような体験をしました。

娘はお腹の中ですくすくと育ち、途中までは順調でしたが、妊娠8ヶ月の時に切迫早産気味と言われ張り止めの薬を服用することになりました。

効果てきめんだったのか、予定日を過ぎてもなかなか陣痛が来る気配はなく、結局予定日を1週間ほど過ぎたところで、陣痛促進剤を使った出産をすることになってしまいました。

当日、指定の時間に陣痛室へ行き、点滴による促進剤の投与が始まりました。

通常の陣痛は徐々に痛みが増し、その間隔が短くなっていきます。

これは、出産前のプレママ教室でも教えてもらいますが、促進剤を使った時の陣痛の事は教えてもらいません。

促進剤を使った陣痛は“徐々に”というものは無く、一気にMAXの痛みに達します。

これには通常の陣痛しかイメージできていなかった私の度肝を抜きました。

点滴を続けたまま分娩室に移動し、いよいよ出産という時。

もう促進剤が無くても大丈夫だろうということで、一度点滴を止めることになりました。

私はもう辛いのと赤ちゃんの顔を早く見たい気持ちでいたので必死に頑張りましたが、なかなか生まれませんでした。

陣痛が弱まってきていたのです。

結局もう一度点滴を開始し、またすぐにきつい陣痛が来ます。

赤ちゃんの頭が見えてきたころ、助産師さんが「髪の毛フサフサですよー、触ってみてください」と言いました。

私は正直「痛くてそれどころじゃないよ!」と叫びたい気持ちでいましたが、そこをこらえて貴重な体験ができるかもしれないと思い直し触ってみました。

しかし、やはり痛みが勝ってしまいよくわかりません。

私はもう貴重な体験はいいから一刻も早く生んでしまいたいと思い必要以上にいきんでしまいました。

そして、陣痛室に入ってから7時間後、ようやく娘が生まれてくれました。

促進剤を使用した出産は安全だと言われています。

実際私も娘も元気で何も問題ありませんでした。

しかし、急激にくる陣痛には少し心しておくといいかもしれません。

私のように度肝を抜かれて貴重な体験を逃してしまわないように。

そして、必要以上にいきむのもよくありませんでした。

出産後、とても腫れてしまい辛かったです。

これから出産を控えている方には、助産師さんの合図をよく聞いて力を合わせて頑張って欲しいです。

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