魂が震えた結婚式 50人の体験談

目次

33歳男 結婚式での友人代表スピーチを頼まれて

33歳の男性会社員で、独身です。

この歳になると、周りは結婚をしている人間が多くなります。

そのため、今までに10回ほど結婚式には参列しています。

その中でも思い出に残っているのが、小学校からの親友の結婚式です。

私は、友人代表のスピーチを任せられたのです。

昔からの友人なので、頼まれて少し嬉しかったです。

当日は緊張するだろうけど、良い言葉で祝おうと思ったのです。

しかし、スピーチの内容はあまり考えずに本番に挑むことになりました。

実はその頃、仕事など私生活が忙しくて精神的に余裕がありませんでした。

それと、親友への言葉は手紙などに書かずに思いついた言葉で言いたいという気持ちもありました。

本番は、勢いでスピーチしようと思ったのです。

ある程度言うことは決めていたのですが、その場でアドリブを交えて伝えようと思っていました。

そして、結婚式の当日になりました。

友人は堅い仕事をしているからか、参列者も真面目そうな感じの人が多いなと思いました。

ひょうきんそうな人もいましたが、あまりふざけたスピーチはできないなと思いました。

結婚式が進んで、いよいよ私の出番に。

私の前にスピーチした新婦の友人は手紙を書いていたようでした。

やっぱ準備はするものかなと思いましたが、覚悟を決めてスピーチをすることに。

とりあえず無難に、新郎新婦へのお祝いの言葉。

そして、新郎との思い出などを語りました。

無難に話せてましたが、少し欲が出ました。

大阪人なのに、こんなオチのない話をしていていいのだろうか?
そのため、少しネタを入れることに。

新郎との話をしていると見せかけて、次第に話がずれていくネタをしました。

しかし、緊張していたからか話がグダグダになって、本当にわけの分からない話をしてしまいました。

言い終わった後に何の反応もなく、やってしまったと思いました。

混乱してまた変なことを話してしまったのですが、その時に開場前に見かけたひょうきんそうな人の声が。

「おちついていきや~」と芸人のゆりやんレトリィバァさんのネタで応援してくれたのです。

開場は笑いに包まれました。

私が笑わせたわけではないのですが、その人に救われました。

結果オーライってやつです。

最終的に何とかなったので良かったですが、今度からスピーチはちゃんと準備しようと思いました。

29歳女 子供と一緒の結婚式

29歳女です。

26歳の時に6年付き合っていた彼と結婚しました。

その時すでに妊娠していたので、せっかくなら子供と一緒に結婚式を挙げたいと思い、出産後の子供が2歳になる頃に結婚式をすることにしました。

結婚前は人前にでるのがあまり得意ではなかったので、本当は式は挙げなくてもいいかなと思っていましたが、やはり両親が花嫁姿を見たいとの希望があり、身内と友人のみの少人数の式にしました。

行動したのは式を挙げる半年前くらいです。

絶対ここで結婚式をしたいというこだわりもなかったので、参列する方達のアクセスのしやすい式場で決めました。

時期は暑くもなく寒くもない頃がよかったので、春先の縁起のいい日にちを選びました。

私たちは希望の日にちで予約することができましたが、人気の式場や春秋の気候のいい時期は予約が埋まりやすいとのことだったので、あらかじめ挙げたい日が決まっている場合は早めに予約したほうがよさそうでした。

結婚式の準備自体は思っていたより楽しかったです。

ドレスも普段着ることのないものなので、見ているだけでワクワクしました。

ただ、1回で決められるものではなく何度もドレスサロンに足を運び決めるので、子供を連れながらの試着は少し大変でした。

自由に動ける方なら大丈夫だと思いますが、仕事をしていたり子供がいて制限のある方はやはり早めから見に行くことをお勧めします。

結婚式当日はいざ始まってしまうと本当にあっという間に終わってしまった印象です。

感想としては、意外でしたが楽しかったです。

人前が好きではないのでどうかなと思ってましたが、親族と親しい友人しかいないということもあり、比較的リラックスして過ごせました。

あとは子供も一緒の結婚式だったので、新郎新婦以外に目を向けてもらえて気が楽でした。

子供もみんなに可愛がってもらえて、出産してからの式にしてよかったなと思いました。

後悔があるとすれば、当日お願いしたい指示などは事前に伝えておけばよかったということです。

当日式場に行くとすぐにヘアメイクや着付けが始まり、誰かと話をすることなく挙式になってしまいました。

席次表などは夫婦で一枚で用意していたので人数分数を用意していなかったのですが、伝達がうまくいっておらず手元に渡らない方も出てしまっていたようです。

当日は思っているよりも時間がないので、その日にお願いしようと思ってもできない場合があります。

事前に担当の方にも伝え、メモも用意し、受付の子にも事前に連絡しておくなど、やり過ぎなくらいが失敗がなくいいのかなと思いました。

準備も含めると大変なこともありましたが、結果結婚式をしてよかったなと思っています。

もう一度結婚式を挙げたいという人たちの気持ちが少しわかりました。

一生に一度と考えたらいい思い出です。

人前が苦手で悩んでいる方には、子供連れの結婚式をおすすめします。

とてもお金のかかるイベントではあるので、後悔のないよう当日を迎え、素敵な一日を過ごしてほしいと思います。

50代女 泥酔状態の結婚式

50代の主婦です。

娘が一人います。

旦那と出会ったのはとあるBar。

当時20代の私は、そこでバーテンダーをしていました。

グレーのスーツに赤いサテン地の蝶ネクタイ。

格好こそ様になっていましたが、女性3人のスタッフだけのとても小さなBar
でした。

そこに馴染みの客が連れてきたのが旦那でした。

2人ともお酒が好きで共通の話題も多いことから、初めは友人関係
だったけど、いつの間にか交際するようになり早12年。

いい加減グダグダの腐れ縁のような付き合いにも嫌になってきて
どうしようかと悩んでいたときに転機が訪れて、結婚することになりました。

2人ともお金の余裕がなかったので、レストランウェディングスタイルで、私はお色直しをしない代わりにウェディングドレスを購入し、一日中着るつもりで用意しました。

さて式前夜の事になります。

旦那は独身最後の夜だと言うことで
友人達とお酒を飲みに出ることになりました。

私も自分だけずるいと友人を誘い馴染みのBarへ直行。

お互い別々の店ではしご酒。

私は午前3時頃実家へ帰宅。

旦那は朝まで飲んでいたらしく、お互い朝式場で顔を合わせたら
2人ともお酒くさいわ、顔色悪いわ、最悪の状態でした。

身支度をしていざ結婚式へ・・・
式場は、レストランの屋上庭園。

真夏の暑い盛りの中で神父の前に立つ2人。

若干曇りでも連日33度の真夏日。

汗を流しつつ、指輪の交換に至るときに、ふと旦那の顔を見たら
もう二日酔いの顔で土気色してる。

旦那に指輪をはめるときに
彼は倒れそうになった。

「いかん、ここで倒れたら超恥ずかしい」
しかもガラス越しに何故かたくさんのギャラリーがいる。

隣が美術館のせいか、一般客まで私たちの結婚式を見ている。

完全に見せ物と化した結婚式ここで旦那が倒れたら、一生何を言われるか。

しっかりと旦那の手を握り後ろに倒れそうになる旦那を阻止しました。

その後、披露宴と突入。

当然2人迎え酒と称して、酒を飲む
一日中飲む。

3次会は招待客にBarの経営者がいたので無理矢理店を開けさせまた飲む。

へろへろになりながら深夜12時頃お開き。

新居に着き
2人でくたばっていたら、午前2時頃警察から電話。

どうも招待客がその後どっかの店で暴れて店の看板をぶち壊したらしい。

電話で事情を聞き、旦那は「その後は知らん。

こっちは
今日結婚式をやっただけだ。

そんな日に深夜に電話を掛けてきて邪魔するな」と激怒。

警察の「あっ!それはおめでとうございます」という言葉が修羅場でした。

28歳男 誓いのキス、違うキス

私は20代男性です。

普段は福祉施設の職員として働いています。

これは、友人A(男)の結婚式に参加した時の話です。

友人Aとは大学時代からの友人で、一緒のサークルに入っていました。

友人Aはサークル内で彼女を作り、大学卒業後もその人と付き合いを続け、ゴールインしました。

その友人Aが結婚式を挙げるとのことだったので、参加しました。

結婚式は横浜のみなとみらいにて行われました。

2人にとっては思い出の地ということもあり、その場所にしたとのことです。

自分はチャペルの席に座り、2人が登場するまで、楽しみに待っていました。

まず、友人Aが緊張した面持ちで入ってきました。

次にお嫁さんであるサークルの後輩が綺麗なドレス姿で入ってきました。

2人は壇上にあがり、神父の方が、誓いのキスをするように促しました。

そして、友人Aが誓いのキスをするときに事件が起こりました。

それは、友人が後頭部を列席者に向けてキスをしようとしたため、2人が口づけをしようとしているところが見えませんでした。

それに気づいた友人が咄嗟に、顔の向きを逆にするという動きがありました。

元々、その友人Aはおっちょこちょいなところがありましたが、この大事な場面でやらかしたな~とは思いました。

その一部始終を見ていた、自分含め、列席者が顔を下に向け、笑いを堪えていました。

式が終わった後に、なぜ、あんなことになったのか聞いたところ、リハーサルしていたけど、緊張して、間違えてしまったと言っていました。

緊張してしまい、間違えてしまうことは、人間だから仕方ないとは思います。

しかし、誓いのキスであのような行動をしてしまうと、新婦や、互いの両親に恥ずかしい思いをさせてしまうだろうなあ~とは思いました。

自分やサークルのメンバーでは笑い話になっていますが…
そのため、自分が将来、結婚式を挙げることになり、誓いのキスをするときは、顔を向きを間違えずに行いたいと、友人Aの結婚式に参加して思いました。

30代、女性、結婚式では親に感謝の気持ちを伝えられた

40代の子育て中の専業主婦です。

結婚したのは、30代前半でした。

初めはいろいろと決めることが楽しかったし、嬉しいことでした。

しかし、結婚式がこんなに決める事が多いとは思いもしませんでした。

席次表や、披露宴の食事、曲決め、ドレスに、引き出物などなどまだまだたくさん決めることにかなりグッタリしてしまいました。

友だちからも大変だよなんて聞いていましたが、こんなに大変だとは思いませんでした。

そして、私が一番印象に残っているのが最後に読む親への感謝の手紙です。

母親だけで育ててもらったので、伝えたいことは卓さんありました。

しかし、生活の中でそんな話をしたことはありませんでした。

こんな機会でもなければ恥ずかしくて言えなかったかも知れません。

すごく苦労もかけたと思います。

なので、感謝の気持ちをちゃんと伝えたいと思っていました。

バタバタと結婚式の用意の中で、必死で考えました。

あまり文章を書くのが得意ではありませんでした。

本当に書いては消しの繰り返しで、必死で考えてもうまく書けなくて、でも日にちは過ぎて行きました。

あまりに書けなくて、友だちなどにも相談しました。

自分が思っていることを書けばいいだけだと言われました。

うまく書けなくても、気持ちは伝わるでしょ。

そう言われてあ、そうだなと本当に感じました。

どうしてもうまく書かなくてはと言うのが頭にあって焦っていたと思います。

相談して、吹っ切れたと言うか、感謝の気持ちを素直に伝えればいいんだなと思って書きました。

結婚式では、緊張してうまく言えていたか、自分はでは分かりませんでしたが、友だちたちからは良かったよと言ってもらえたし、母親も喜んでもらえたので良かったと思っています。

結婚式では、なかなか普段親に言えなかったことも言えたし、良かったなと思います。

結婚式では、ほとんど緊張しっぱなしたったし、大変だったと感じていますが、感謝の気持ちも伝えられたし、とても印象に残ったことでした。

世界結婚式事情:赤い靴はやめましょう

初めまして。

東京都内在住、国際結婚をしているオトナ女子です。

今回は、アメリカで印象に残った結婚式で、驚いたり、感じたりしたエピソードを中心にいくつか書かせていただきます。

これまでも、海外でのキリスト教の挙式の出席の経験はあったのです。

ただ、ほとんど家族と友人だけのこじんまりしたもので、特に再婚のカップルが多かったせいもあるのでしょうが、プロテスタント系の教会でのお式のあとはご家族と友人だけの暖かなお食事会があり、それも2時間ほどでお開きでした。

その後、新郎新婦は新婚旅行に出かけて行ったのですが、「なんだ、今はやりのレストランウエディングよりシンプルだなぁ・・」と感じたものです。

また一方、日本では見ないような豪勢な結婚式に驚かされたこともあります。

一件は、イスラム教の結婚式でした。

当時宿泊していたホテルの2フロアーを借り切って、一族のみなさんやお友達も一緒に1週間だか2週間だか滞在をして、ずっと宴会を続けるのが習わしだとおっしゃっていました。

私は招待客ではなかったのですが、たまたま同時期にそのホテルに滞在していたため、ご招待を受けて毎晩のように宴会つづき。

宗教的な決まりがあるのか花嫁さんには会えませんでしたが、女性の方は皆さん美しく装飾品もゴージャス。

それに比べて男性は、白の上下の民族衣装で砂漠の中から現れたようないでたちでした。

この話を日本にもどって女子友にしたところ、「昔はうちだって同じだよ。

何十人もお客さんを招いて、何日も何日も宴会を続けたんだから」と九州の出身者が言っていましたが、ちょっとそれとはニュアンスが違う気が・・。

そう言ったら今度は、タイ人の友人が、ウチの田舎の結婚式も300人くらい来るんだよ~と、去年出席したいとこの結婚式の話をしてくれました。

会場は野外。

食事も野外。

食後はバンドが入り、夜中を過ぎてもダンスパーティは延々続くそうです。

その話を聞いていて思い出したのが、数年前に主席をさせて頂いた、ユダヤ教のカップルの結婚式です。

これはもうほんとにカルチャーショックでした。

場所はゴージャスなゴルフ場を借り切って。

それよりなにより、言葉も含め式の流れが、次に何が起こるのか、全く分からないのです。

大きな会場に丸テーブルが数十個並べられ、その真ん中がステージ、その後ろにバンドが控えていました。

最初はステージ上にガゼボのようなセッティングがあり、女性ラーバイ(司祭様)が結婚の式をユダヤ語で進行されるのですが、もちろん全く分かりません。

この時は、ネット検索でもして大きな流れだけでも予習をしておけばよかった・・とつくづく思いました。

いきなりグラスが割られたり、立ったり座ったりなんだかんだの謎の儀式の跡、たっぷりの量のお食事に続いて、陽気なダンスタイムに入りました。

これが、長いのです。

すごく、長かったのです。

でも、踊るのです。

踊らなければなりませんでした。

日本で結婚式に参列する際、綺麗なドレスや足が綺麗に見える靴を履くことはあっても、おなか一杯たべられるドレスや、踊っても足が楽な靴と言う視点で身に着けるものを選ぶことは少ないと思います。

でも、もしまた海外で大きな、長時間続くような結婚式に招かれたとしたら、もうあの底の赤いピンヒールの靴だけは、二度と履くのはやめようと思いました。

44歳女性、10年ほど前の親友の結婚式で思ったこと

友達Aさんの結婚式に招待されました。

その友達とは小学生時代からのつきあいで、同じくらいからのつきあいがある他の友達Bさんと一緒に出席しました。

そこで初めてAさんのご家族の姿を拝見しました。

Aさんはお父さん似だねとか、お姉さんきれいなどとBさんと話をしながら式が始まるのを待っていました。

ご家族以外の親戚の方たちもいるので、そういう方たちを眺めながら、親友の血縁の方たちを一度に拝見する機会は、こういう式くらいかもしれないと思いました。

新郎新婦の2人が神父さんに愛を誓っているとき、私の隣りの席ではBさんが感動して泣いていました。

Bさんはすでに結婚して子供がいるので、自分が結婚したときのことや、自分の子供のことを思っていたのかもしれません。

私は全然泣けなかったですが・・。

私自身がまだ結婚する予定が全然なかったからだと思います。

事前にBさんから式のBGMのリクエストを頼まれていたので、私は『セロリ』を指名しました。

音楽がかかるたびに「この曲は新婦のご友人の〇〇さんからのリクエストで・・」と、新郎新婦との関係とリクエストした人の名前が発表されるのが、ちょっと恥ずかしかったです。

こういうふうに自分の名前が発表されるとは思ってなかったので、受け狙いでおかしな曲をリクエストしなくてよかったと思いました(苦笑)ウェディングにふさわしいこの曲以外に、子供のころの思い出がある曲(ネガティブな内容の歌詞)をリクエストしようかとも思っていたのですが、こういうフォーマルな場は無難な曲を選んだほうがいいと考えて決めました。

式が終わってから、私とBさんがAさんに呼ばれました。

ご家族やその他のごく親しい人達と撮る集合写真に誘ってくれたのです。

Aさんがそういうふうに私のことを思ってくれてたのかと思うと、とても感激しました。

そのとき子供のころからのいろんなことが走馬灯のように頭の中に浮かびました。

これからもこの縁は大事にしたいと思いました。

33歳、女性、家族だけの小規模結婚式で大満足

33歳女、29歳の時に今の旦那と結婚しました。

旦那は結婚式は家族だけで行いたい、そしてわたし自身も大きくはしたくないと思っていたので、家族だけを呼ぶアットホームな結婚式を行いました。

両親、わたしたちの兄弟とその家族だけという、総人数20人ほどの小規模な結婚式でした。

目指したのは、わたし達らしい、唯一無二の結婚式です。

子供たちに結婚指輪を持ってきてもらったりすることはもちろんですが、わたしの兄が近いうちに結婚をするということも分かっていたので、結婚式で使うブーケの飾りも自分たち流にアレンジして、プレゼントできるようにしました。

せっかく贈るので、この幸せが続くようにサムシングフォーを取り入れ、「なにか新しいもの」「なにか借りたもの」「なにか古いもの」「なにか青いもの」をブーケにつけるようにしました。

本当は花嫁が身に着けたりしないといけませんが、それはわたしたち流でということで。

使うものも、旦那がドラゴンクエストに出てくるスライム(目がハートになっているもの)を乗せたりしていたので、貰われた側も、わたし達らしいと笑っていました。

披露宴ではカラオケをつけるというところもありますが、わたし達の家族は人前で歌うのは恥ずかしいという人たちが多いので、ここも「自分たちのことをどれだけ知っているか4択クイズ」をしました。

旦那のプロポーズのセリフはどれかというものもクイズにしたり、この結婚式に使われていたウェルカムボード(自作です)に描かれていたハートは何個かという子供たちにとっても楽しめるようにしていたので、クイズがとても盛り上がり、時間オーバーして進行係が困ってしまったほどです。

ちなみにウェルカムボードなど会場をクイズにしたものは、子供たちが走って答えを探しに走って行って、子供たちが本当に楽しそうで、これは少人数だからこそできたものだと思いました。

結婚式らしくなく、厳かな感じもなく、それでもみんなが楽しめる結婚式です。

親への手紙や、入場の時にドリンクやお酒を注いだりと、スタンダードなものも行っています。

親が涙を流したり、ブーケを手渡したときに兄の婚約者が泣いてしまったりと、感動もありましたが、最初から最後まで、本当に楽しい、そしてわたしたちらしい結婚式ができたと思います。

51歳男性 中国の結婚式はざっくばらんでビックリ

中国北京で6年暮らしていたので、2回結婚式に呼ばれました。

いずれも新郎は外国人(日本人とフランス人)、新婦が中国人でした。

1回目のときはビックリしました。

何しろみんな普段着です。

中国では白いネクタイはよくないとは聞いていたのですが、やっぱり日本人なのでスーツ、ネクタイで出掛けたところ、そんな恰好をしていたのは私以外は新郎(日本人)、日本から駆け付けた新郎の父(日本人)、新郎の勤めている中国の会社の社長さん(中国人)だけでした。

あとは60名以上の出席者のうち、一人もフォーマルな格好をしている人はいないのです。

驚きました。

お祝いを包んで持っていくのは同じですが、むこうでは赤い紙の袋に入れていきます。

8が縁起がいい数とされているので、888元などと数をそろえて袋にいれることが多いです。

新郎新婦が腕を組んで、グラスのワインを飲み干す、とかそういうセレモニーがあるのは日本も中国も同じです。

違うところは日本だと結婚式と言えば、いろいろな方々の挨拶が付きもの。

それが退屈で困ることもよくありますが、私が出た結婚式では当人たちの挨拶、双方の親の挨拶、それに新郎が日本人だった時は新郎の上司(社長さん)の挨拶、それだけでした。

一般的に中国人の方が日本人よりも形式ばらないところがありますが、結婚式がここまでざっくばらんだというのも驚きでした。

儀式が終わったら宴会です。

これは日本でも同じですね。

あと結婚式当日ではないのですが、結婚式の準備で驚くのは、とても凝った結婚記念写真アルバムを用意すること。

公園などで歩いていても、見ているこちらが恥ずかしくなるような、決め決めポーズでカメラマンに写真を撮らせている結婚間近のカップルによく出くわします。

もちろん新婦はウェディング・ドレス、新郎はタキシードだったりします。

出来上がったアルバムを見せてもらってこともありますが、「お前たちは芸能人カップルかよ!」と突っ込みを入れたくなるようなものに仕上がっています。

「 結婚式の二次会の終わりに三重違反を」 46歳 男性、

今は40歳代の男性でサラリーマンです。

 既に20数年前になりますが、結婚式の時に披露宴の後に大失態を起こしてしまった時のお話になります。

 結婚式は会社関連の結婚式場で、銀座京橋の○○会館という結婚式場で挙式、そして披露宴をすることになったのです。

結婚式には身内、親戚は勿論、田舎の同僚、知合いの大学当時の悪友仲間が岡山から遙々と、これらの友人など両家あわせて100人ぐらいの出席者で、式次第、披露宴も盛大のうちに執り行われ、幸いというか無事に終了したのです。

披露宴のあとは、親戚や職場関係のかたはお帰りになったが、田舎の旧友や学友たちとはすぐ隣りにある和風のレストランを一部屋借りきって二次会を行ったのです。

 田舎の懐かしい話や学生時代の悪ふざけした時の思い出の話、それに学生時代の校歌や応援歌で奇声をあげながら歌も唄い、何とか無事に終わり散開することになったのです。

 この時、新幹線を利用する関西の友人たちを東京駅までマイカーで送り届けたときのことでした。

東京駅の八重洲口中央口にて、交番担当の若いお巡りさんに呼び止められたのです。

『 もしもし、お客サン、ここは進入禁止ですよ、ほら、マークが立っているでしょう。

 取り敢えず免許証を見せてください。

 あれ、お酒臭いですね、お酒が入ってますね、 』と、立て続けに詰問されたのです。

そうなんです小生、お酒を飲んでいる内に気持ちも大きくなって酒酔い運転をしてしまったのです。

 其れに夢中になっているせいか進入禁止には全く気が付いていませんでした。

 無論、披露宴の後ですのでタラフクお酒が入ってますので実はホロヨイ加減でした。

 更に、免許証の入っているバックは会場に置きっぱなし、当然、免許不携帯です。

そうなんです、 何なんと、なんと、お祝いの席で三重違反をしてしまったのです。

それでも若いお巡りさんがいうには、私が紋付きの羽織袴姿を観ながら、『 結婚式の当人ですか 』と仕方なさそうに言うのです。

 そして暫くして『 お祝いの席だし今回は見逃してあげます。

 以降は気おつけてくださいよ 』と言って、見逃してくれたんです。

 
実は、20年以上も前の、記憶に残る結婚式でした。

28歳女性 結婚式のBGMのことについて

結婚式を28歳で経験しましたが、旦那がクラシック音楽の専門家なので、旦那の知り合いや友達関係は、ほとんどそのような職の方々ばかりであるということと、私も趣味でクラシック音楽が好き、ということから、クラシック音楽をベースにする結婚式にしようということになりました。

BGMを全てクラシック音楽にし、何か舞踏会でも始まりそうな、シャンデリアの美しい会場がある、結婚式場を選びました。

たくさんの会場を、旦那と見て回り、最終的に、自分たちの意向にすごく合った会場があったので、そこを選びました。

ブライダルプランナーの方々も、すごく親切で、とても丁寧な対応をしていただき、結婚式までの間の、打ち合わせや準備なども、とても的確なアドバイスを頂きました。

特に私たちが、BGMに、力を入れたかったので、その意思を伝え、実際にがんばりました。

旦那は仕事が忙しい人だったので、打ち合わせはほとんど私が出席して、BGMの選曲も私がしました。

旦那には伝えてなかったのですが、そのBGM曲目を、旦那が、ウエディングプランナーから聞き出し、それらの音楽を、CDなどの音響ではなく、実際に旦那の知人の方々が、生で演奏してくれることになっていました。

私はそのことを旦那から、一切聞かされておらず、結婚式開始後、自分たちが入場するときに、それらを目の当たりにして、本当に、心の底から感動しました。

すごいサプライズでした。

出席者や、家族、ウエディングプランナーの方々からも、かなり大好評で、こんな盛大で、素敵な結婚式は初めてだったと、たくさんの方に褒めてもらえたし、感動もしていただけました。

私たちの結婚式のことが、たくさんの方々に響いたみたいで、会うたびに、この結婚式の話をしてくださる方は、本当にたくさんいらっしゃいます。

準備は大変でしたが、本当に素敵な思い出ができた結婚式は、わたしにとって、人生の宝物になったことは、間違いのない事実です。

36歳女 結婚式でのハプニング

私は子育て中アラサー主婦です。

10年前になりますが、今でも忘れない自身の結婚披露宴での話です。

打ち合わせを度々重ねる中、プランナーさんの方からケーキ入刀と同時に吹き上がる花火を演出するのはいかがか?と言われ、私も花火なんて素敵!と思い、当日お願いすることに…。

そして、当日バタバタと結婚式から披露宴と移り、ケーキ入刀の時。

お色直しやら忙しい時を過ごしていても、ケーキ入刀の瞬間の花火は私も頭にあり、皆さんにはサプライズになる!と内心ウキウキしていました。

しかし、いざ入刀の瞬間、片方しか吹き上がっていない!あ、あれぇ…。

と私たちも苦笑い。

出席されている方々にはこれも演出と思っていただけたか、特に変な印象ももたれずその時はひとまず安心していました。

その後コソッとプランナーさんが高砂まできて、花火の片方申し訳ありません!この後最後の時にでも上げますか?と言われ、考える余裕もなかった私たちはただはい。

と言ってしまいました。

今考えると、もう花火はお断りしていればとも思います…。

披露宴の後半は思い出のスライドショーや新婦から両親への手紙としんみりムード。

最後と言われただけで、どのタイミングで花火が吹き上がるのか聞いていなかった私たち。

もちろん新郎父母や新婦父母も花火が吹き上がることすら知りません。

そして本当に最後、新郎&新郎の父が出席された方々に挨拶をしお辞儀をした瞬間、新郎父の横で花火が吹き上がりました。

私も今!?と思いましたが、誰よりも驚いたのは自分の横で吹き上がるとも知らない新郎父!会場の係の方に少し離れるよう移動させられ、急に吹き上がる花火…ただただ驚き、その驚き方に出席された方々から笑いが…。

最後こんな形で終わるとは想像もしていなかった私達…。

きっと花火が吹き上がる前までは会場全体が感動に包まれていたはず…。

今や、あの時の話は笑い話になって、家族で時より思い出しています。

もちろん、笑いあり涙ありのいい結婚式になったよね!とみんなで納得しています。

結婚式や披露宴は誰しも初めてのことで、本人にしかわからない小さいハプニングも少なからずあると思います。

決められた時間内で、とっさの判断や決断をしなきゃいけない時もありますが、主役の2人には少しの冷静な判断ができるような気持ちを残しておくことが大切だなと感じました。

34歳女 先輩の結婚式でホロリ

30代主婦です。

数年前に勤めていた職場で、先輩の結婚式に参列したときのことです。

先輩はとても気の強い女性で、筋の通ったことを言っているとはいえ、そのきつい物言いで反感を買ってしまうことも多い人でした。

私は幸い歳も近く、馬があったのか可愛がってもらっていました。

プライベートで遊ぶこともあるほどの仲になっていたので、結婚の報告を聞いたときはとても嬉しく、結婚式も楽しみにしていました。

結婚式には職場の皆で招待され、待ち合わせをして参列となりました。

ぞろぞろと式場に向かう道中、上司などは「生意気なあいつもとうとう結婚かあ」「旦那さん尻に敷かれてんだろうなあ」「結婚したらもっとお淑やかにしないとダメだよな」などと軽口を叩いていて、これからおめでたい席だっていうのにこの人たちは…なんて辟易したりもありましたが、とにかく私は先輩の花嫁姿が楽しみでした。

受付を済ませ、しばしの待機後チャペルへ。

新郎の入場後、改めて扉が開き、新婦の入場。

その時私は驚きました。

バージンロードで先輩の手を引いていたのは、お母様だったんです。

チャペル内をこっそり見渡しても、お父様らしき男性が見当たらない。

もしかしてご両親は離婚されているのかな…?と思いましたが、真相はその後の披露宴でわかったんです。

恙無く進行した披露宴の終わり、新婦からの手紙のコーナーで。

新婦である先輩から、さきほど一緒にバージンロードを歩いたお母様へ宛てたて手紙。

その中で、幼い頃お父様を亡くしていること、そのあと女手ひとつで育ててくれたお母様への感謝が淡々と、けれど涙とともに語られました。

私は、先輩ととても仲良くしてもらっていると思っていましたが、お父様を亡くしているとは知らなかったので、びっくりしました。

そしてその時、彼女の、他人にもそして自分にも厳しく、しっかり筋の通ったその強さの、理由がわかったような気がしました。

同じテーブルの上司たちを見ると、必死に涙をこらえて、目頭を押さえていました。

彼等はもちろん彼女の家庭の事情は知っていて、そういった中頑張っている彼女のことを誰よりもわかっていたから、だからこそこうやって泣かされるのが嫌でいつも通りの軽口で明るく振舞っていたようでした。

思わず笑ってしまいましたが、私も涙が出てしまいました。

とても、愛情にあふれた、素敵な結婚式でした。

34歳 女 当時の結婚式を振り返って恥ずかしい主人の出し物について

私の結婚式につきましては、人前式による挙式を平安神宮で挙げる形になったのですが、その平安神宮におきまして、挙式を挙げる形になったのですが、主人が公安職系の仕事柄でありましたために、自衛官の儀礼服と呼ばれる服を着る形での儀礼服は壮大な形で主人としましては、非常に誇らしく思えました。

しかし、その反面で、ネタを用意してきた方々につきまして、ネタを振舞うような形でここぞとばかりに、分隊教練でありましたりですとか、自衛隊ドリルと言うような形で、式場を練習場と化すような形で、非常に素晴らしく思ったと同時に、ネタ要素としましては、私物の迷彩服で突如として主人が呼んだ隊員が、匍匐前進をしたり、掩体構築訓練!と言う形でスコップで上半身裸になって穴を掘る恰好をしたりした時については、非常に会場全体がドン引きレベルでありました。

また主人も歌を熱唱するような形で、凄く恥ずかしい歌を大熱唱するような形で、途中までは自衛官として最高の演出であったのですが、途中からは、ネタだらけの自衛隊の宴みたいな形になってしまいまして、恥ずかしいこの上なかったです。

でも良かったのは、友達達が「ご主人の写真撮らせてもらって良いですか?」と声を掛けてくれた際に私を持ち上げてくれたのが凄く嬉しかったです。

軽々とお姫様抱っこしてくれる腕力や筋力があるのは非常に誇らしいことでありました。

また、友達の結婚式では、ご主人が、消防士であったことから、普通に笑えるような感じの演出をしてくれたらしいのですが、その内容としましては、「会場が溢れんばかりの熱気で蒸し返しているぞ!誰か出動だ!!」と言う形で、「愛の炎はどこだ!!ここか!?」と言う形で消防士さながらの一致団結であった愛の消化活動については全員が笑える形であったのですが、自衛官の場合は、素の飲み会での宴会ネタと言う形で途中から笑えない形でありました。

33歳女性、同僚の結婚式で冷や汗をかく

私は33歳の会社員なのですが、職場の同僚の結婚式に呼ばれたときのことです。

同僚は私と同い年なのですが、社内恋愛で5歳年下の男性社員と結婚することになりました。

付き合いはじめから二人のことは知っており、結婚が部署全体に周知された際には大体の人が、二人の大まかな馴れ初めを把握していました。

そして、結婚式当日。

二人の上司である部長が代表者スピーチを始めました。

最初はよくあるスピーチだと思って、その場にいた全員が何となく聞いていたのですが、二人の馴れ初めを話はじめてから一変。

その場にいた職場の人間達がイヤイヤ待て待てといった様子になり始めました。

というのも、恐らく二人のことがよく分からないから、職場の誰かから聞き齧ったのでしょう。

ところどころ話がおかしいのです。

いや、なんかそれ違うぞと心の中でツッコミを入れていたところ、隣のテーブルにいた先輩が「ねぇ、この話。

去年離婚した島田さんの話、混ざってない?」と言い始め、よく聞いてみると、違うと思った部分は全て、昨年離婚した島田さんの馴れ初め話でした。

この島田さんというのも、職場恋愛で結婚し、旦那さんが2歳年下という姉さん女房でした。

島田さんは30歳という節目を越えて結婚するのだけは嫌だと、当時付き合っていたご主人と半ば駆け込むように結婚したのですが、勢いで結婚したせいで毎日のように小競り合いや喧嘩をしており、それが仕事にも影響を及ぼしていました。

そんな島田さんは昨年離婚。

ご主人は職場に居たくないとして、転職をされました。

部長は、そんな島田さんの結婚式でもスピーチをしていたため、話がごちゃ混ぜになったようでした。

しかも、あろうことか「奥さんが結婚したくて押した」という主旨の発言をしてしまいました。

同僚の場合はご主人の方がアタックを続け、同僚が彼の熱意に落ちたという形での結婚だったため、深い事情を知らない友人や親族は、あら?そうだったの?といった様子で、イヤイヤ違う違う!と職場の面子はハラハラ。

高砂を看れば、当然険しい顔の二人。

その場にいた全員が、早く終わってー!!と、ひたすらに願い、ようやく終わってから、直ぐに二人に駆け寄り「出来るだけご家族や友人には話訂正しとくから!」と談笑時間は、全員で火消しに回りました。

31歳女性 ブーケトスの願い

私は、大学時代から付き合っていた彼と結婚をしました。

大学を卒業後、彼は夢であった学校の先生となり、私はというと、リーマンショック直後の就職難の末、地元の会社に就職しました。

遠距離恋愛となってしまいましたが、私はずっと彼と結婚することを夢見ていました。

地元での生活は、高校の友達はみな都会へ出ているし、中学の友達とは疎遠になってしまっていたため、趣味で始めたサークル活動で知り合ったほんの数人がが友達でした。

大人になってからの友達ですが、気が合って、いろんな話ができる親友となりました。

もちろん、お互いの彼氏の話もしました。

そんな中、決まった私の結婚。

友人はびっくりした後、すごく祝福してくれました。

友人はというと、メンタルが弱く自殺未遂を繰り返す彼と別れたばかりの時で、良い人いないかな?女子力上げるにはどうしたらいいかな?などとお茶をするたび話をしていました。

私とって、この友人は、本当に特別な存在でした。

話が合う、趣味が合う、だけではなく尊敬して、憧れでもありました。

自分より、人のために行動する、そんな人です。

職業も、障がいをもった子供たちの介護をしており、一度私がしんんどくないの?と聞いたとき、「好きなの。

みんないい子たちばかりだから、お世話したいの」と言い、その顔はとてもにこにこしていました。

なので、絶対良い人を見つけて幸せになってほしいと願っていました。

結婚式への招待も、とても喜んでくれました。

だから約束したんです。

ブーケは○○ちゃんがとってね!と。

当日は、いつものホッとする笑顔を向けてくれていました。

結婚式でのブーケトスは、結婚に憧れていた私にとって、最大級のイベントでもありました。

主人となる彼にも、○○ちゃんに取ってもらいたい!と話していました。

いよいよその時、私は目で合図をして、後ろを向きました。

えいっ!
振り向くと、私の全く知らない人が笑顔で花束を持っていました。

○○ちゃんでもなく、参列してくれている私の友人でもなく。

だれ?
彼を見ると、「あー、彼女は僕の同期の先生。

来月結婚するんだよ。


今なんて言った?頭の中で整理がうまく行きませんでした。

とりあえず、母と約束していたので、笑顔を作りました。

○○ちゃんを見ると、「ごめん、取れなかった。

」と口を動かしていました。

で、もう一度よく考えました。

まず、私は、彼の友人として呼んだ方に、女性が多いことを良く思っていませんでした。

そして、私の友人ではなく、彼の友人がブーケを取りました。

最大の怒りは、彼女は来月結婚をするということです。

この怒りは、彼に後程伝えても、よく理解してもらえませんでした。

しかし、しばらくの間、私は結婚式の写真、特にブーケトスあたりのものを見ると腹が立っていました。

今もです。

思い出すと、なぜだ、という気持ちになります。

どうかこれから結婚式を挙げる方、自分の主張は、式前にしっかりと彼と確認しておくべきです。

私の友人〇○ちゃんは、まだ結婚しておらず、相手もいません。

38才女 結婚式で挙動不審な夫にイライラ

こんにちは 私は40代の主婦です。

私は30代後半で結婚をしました。

結婚式をするなら、神社で挙げると決めていました。

今は、結婚式場で挙げるかたが多く、当然ウェディングドレスを着るもの、と思っているかたが多いかと思います。

何故か分かりませんが、私はウェディングドレスに興味がなく、どうしても白無垢が着たいなと思っていました。

神社の候補は二つあり、二つ共見学に行って来ました。

一つは地元の小さな神社、もう一つは隣町の大きな神社だったのですが、結局夫の希望で、隣町の大きな神社に決めました。

この選択はとてもよかったかと思います。

式を挙げる場所が、通常は入れないところで、巫女さんが舞ってくれて大変貴重な体験が出来ました。

とても厳かな雰囲気でした。

通常の結婚式場だと作られたチャペルという印象です。

しかし神社は常日頃から神様が鎮座しておられる場所で、心から神様にお祈りをささげるという形での式になります。

大変心のこもった形の式になります。

一つ当日の式の中で失敗したなと思った所がありました。

結婚の誓いの文を夫が読み上げるのですが、その書いてある巻物を読み終わった後も夫はどうしてよいか分からず、挙動不審になって固まってしまいました。

神社の式は特に予行演習などはなかったのです。

大体の流れは担当さんが教えてくれましたが、実際に現場で動いてみてこのようにします、との説明ではなく、言葉での説明だったので、いまいち想像が難しかった面がありました。

結局夫は少したってから巻物を懐にしまいましたが、私は内心、「読み終わったんだから早く巻物を懐にしまってよ」とイライラしてしまいました。

そのとき夫の方を見て、イラっとした顔の写真をカメラマンが撮っていたのです。

後で式場のかたがアルバムを作ってプレゼントしてくれたのですが、そのイラっとした顔の写真がしっかり掲載されてしまっていました。

とても鋭い目つきで夫の方を見ていて、「あぁしまったなぁ」と思いました。

夫は本番に弱い方なので、もし緊張するタイプのカップルのかたは式の実際の予行演習をしてもらうと良いかと思います。

後でここはスムーズにいかなくて失敗したなと思っても、一生残ってしまいますのでご注意してください。

そんなこともありましたが、神社の式は大変厳かで、良い思い出です。

もっと多くのかたが利用されるとよいなと思っています。

30歳女 リングボーイに大号泣

私は現在30歳で、今年離婚したばかりのシングルマザーです。

もうすぐ5歳になる娘が一人います。

娘がまだ1歳ぐらいの時、娘を連れて、幼馴染みの結婚式に出席しました。

彼女は二度目の結婚。

離婚は前の旦那さんの浮気が原因でした。

結婚式をした時、幼馴染みには6歳と0歳の男の子がいて、上の子は前の旦那さんとの子供でした。

私は上の子は生後3ヶ月ぐらいの時から知っているので、
私の娘に優しく話しかけてくれたり、気を利かせてくれる姿を見て彼の成長に驚きました。

そして、いよいよ式が始まり、リング交換。

そこで結婚指輪を持って登場したのは、先ほどの上の子でした。

幼さが消えて、たくましく成長した彼が、
一歩一歩、新しいパパとママの所へ歩いて行く姿に私は涙が止まりませんでした。

他にも温かい涙を流しているゲストがたくさんいました。

中でも彼女のご両親の涙を見ると、涙腺はさらに崩壊・・・。

娘が心配するくらい泣いてしまいました。

幼馴染みが抱えてきた子育ての悩み、前の旦那さんの浮気でとても傷ついたこと等、
彼女から話では色々聞いていました。

けれど、私が知らないところで、
まだ若かった彼女はどれだけたくさんのことを一人で乗り越えて来たんだろう、
そう思うと胸が一杯になりました。

その日の彼女とその家族の笑顔を私は一生忘れません。

自信に満ちあふれ、幸せに包まれて、本当に温かい空気でいっぱいでした。

きっとこれから大変なことはたくさんあるのかもしれないけれど、
こんな素敵な結婚式を経て、愛情一杯の旦那さんと可愛い子供達がいるから彼女はもう大丈夫、
そう確信しました。

この結婚式に出てから、子供と一緒に挙げる式もとても素敵だな、と思いました。

当たり前ですが夫婦の数だけ、式があって、ストーリーがあります。

「結婚式ってやっぱりいいな。

」彼女の式を思い出す度、そう思います。

幼馴染みにこれからも幸せに温かい家庭を築けますように、と心から願っています。

36歳 男 とんだ結婚式

昔の結婚式は、親族だけでひっそりとやったもの。

すると結婚式の会場やブライダル施設ができ、花嫁たちはこの日を待ちわびたかのように、夫婦と友達、親族をかき集めて盛大にやる。

ところが、最近は、また親族だけでひっそりと祝儀をあげる人達も増えてきている。

なぜなのかと思いながらもう当時姉が結婚式を挙げた時の私の恥ずかしいエピソードです。

私がまだ、19歳の頃、姉が婿にに行き、その頃はまだ式場でやるのが9割だったので、父親と私は入念にこの日の為に、衣装や挨拶の言葉を考えて、いざ式場に足を運びました。

結婚式に行く経験が当時の私にはない為、場内の華々しさに圧倒されましたが、なぜか黒の礼服に身を包んだ、高齢者や中年のおじさんやおばさんをみていると、まだこの式場には馴染んでなく、どちらかというと親族でひっそりやる結婚式よりの雰囲気だろ!と違和感を感じながらも、順調に式が進んでいく。

中盤に入り、堅苦しい挨拶からブレイクタイムのようにカラオケ合戦が始まった。

残り1人になった所でなぜか私が嫌々ながら、マイクの前まで連れていかれながら、(何歌う?)と聞かれたので、仕方なく、(じゃーこの曲で!)と言いマイクの前に立つ前にもうイントロが始まった。

しかし、どうも様子がおかしい。

まだ、スタッフさんが曲を入れてないのに、なんだこの今日は?しかもどっかで聞いたことの曲で、絶対嫌な予感しかしない曲だと思い、スタッフさんにバツマークのジェスチャーを送ったら、親族が(後、一曲だから、早く終わりにしろ!今流れている歌を歌えばいいんだ!)と言われ、仕方なく アニメ、ツヨシしっかりしなさいのオープニングテーマの歌を歌う事になりました。

なんとも恥ずかしい曲で親父は、苦笑いで終わった結婚式でした。

後から聞いた話、旦那な兄貴が入れた曲見たいで、旦那の名前がツヨシだったので、この曲を入れたとの事。

その時はタバコを吸っていたらしく、カラオケの事はすっかり忘れていたみたいでした。

27歳 女 友人の結婚式でまさかの突然スピーチすることに…

それは私が27歳の時、友人の結婚式での体験です。

実はこの友人の結婚式の日がちょうど私の誕生日でした。

その日の夜彼氏との約束があったため、事前に友人にはそれを伝え、夜の二次会は欠席すると伝えていました。

友人の式はオシャレなレストランウェディング。

互いの親族は呼ばず、友人達だけで和やかなムードで進んでいきました。

そして式が中盤に差し掛かった時、突然新婦から名前を呼ばれました。

まさかの名指しに驚きつつ前に出ると、お誕生日おめでとうの声とともにプレゼントが。

そして周りの招待客の方々からも拍手が。

たまたま日付が被っただけなのに、友人新婦の演出がとても嬉しかったです。

が、そこで終わりではありませんでした。

司会者さんからそれでは一言ご挨拶いただきましょう、とまさかの言葉。

もちろんスピーチなんて考えて来ていませんし、サプライズ演出のおかげで心臓もバクバク動揺しまくりです。

それでも新婦の顔に泥を塗るわけには行かないのでなんとかマイクを受け取り、招待客の前に立ちます。

拍手も収まり私の言葉を待つ観衆達。

真っ白になりつつある頭でとにかく何か言わなければと、今までの数少ないの結婚式での経験を必死に思い出し、新郎新婦へのお祝いを述べました。

しかしその先にまた何を言って良いやら分かりません。

とにかく新婦が大事な友達である事と幸せな家庭を築いて欲しいという気持ちを伝えなくてはと思い、私の口から出た言葉はまさかの「新郎さん、新婦を泣かせたら許しませんから!」でした。

新郎さんとはこの日初対面な上に年上です。

言った瞬間に一体私は何様なんだ、と自問自答しました。

が、新郎さんはとても優しい方で、私のまさかの発言に対し「はい、泣かせないし新婦をずっと大切にします」と、笑顔で答えてくださいました。

そこで会場も和やかな拍手に包まれ、なんとか私もスピーチ(?)を終えることが出来ました。

心の広い新郎さんには本当に感謝です。

その結婚式以降、友人の結婚式に出席する時はスピーチを頼まれていなくても、万が一振られた時にはどんなスピーチをするかある程度考えてから行く事にしています。

みなさんも突然のスピーチ振りにはお気をつけください。

特に誕生日に結婚式に出る時はご注意を…。

29歳男 結婚式の余興で痛み分け

こんにちは。

台湾在住の20代後半男性です。

私は沖縄出身で、沖縄の結婚式のスタイルは日本本土のものと比べるとかなり変わったものだと思います。

参加人数の規模も違えば、お祝儀の金額も異なります。

沖縄の結婚式のイメージと言えば、結婚式の中身より、久々に集う仲間たちとお酒を飲むことに楽しみが置かれているような気がします。

(笑)
そんな中、沖縄県民が一生懸命頑張るのは友人余興でしょう。

他の都道府県に比べると、そこに命を懸ける人が多いとも思えます。

私もかれこれ4~5回ほど余興に参加させてもいました。

定期的に集まる高校時代の仲間の結婚式となると、そのメンバーで余興を行うのが定番となっておりました。

印象に残った結婚式でもその仲間内で余興をしました。

実はそれ以前に参加した余興があまりにもグダグダで、どんずべりしてしまったことから今回に至っては練習を重ねて、必ず笑いを取れるように仕上げてきました。

内容も他の余興チームとは絶対被らないようなお笑いのパロディーを選びました。

一般的に余興の内容は、その時期に世間を騒がしているような歌やダンス、芸人のネタなどが使われる場合が多いので、他の余興とかぶらないために事前にどんな内容のものをするかを新郎新婦側に確認を取ります。

しかし、その時に至ってはあまりにもマイナーな内容であったためその確認を取ることなく練習に励みました。

そして、結婚式当日・・・。

披露宴の前の最後の余興練習の時間に悲劇が起きました。

会場へ前入りをして実際の舞台を使って10分ほどリハーサルができるのですが、バックヤードを見ると見慣れた余興の小道具が・・・。

しかも私たちのものではありません。

そしてリハーサルで余興の音楽が流れ始めると、待機していたあと一つの余興部隊がざわつき始めました。

そうです。

他の余興部隊もので、内容が重なっていたのです。

小道具も衣装も音楽も驚くほどかぶってしまいました。

まさか土壇場で内容を変えるわけにもいかないので、そのまま本番を迎えました。

しかし、ここは臨機応変。

共同作戦でみんなで同じ余興を2回しました。

(笑)
印象に残っている結婚式は痛み分けをした結婚式でした。

38歳女、見事な太鼓に圧倒されました

高校生だったときに、親戚の結婚式に参列をすることになりました。

今のようにシンプルな結婚式よりも派手なほうがいいという時代でしたし、結婚式は地元では由緒ある大きなホテルで行われたので参列することを楽しみにしていました。

親戚のお姉さんの結婚式で、ホテル内に作られているチャペルで行われました。

ステンドグラスが張り巡らせられたチェペルでとても厳かでしたし、神父さんが外国人の男性だったので興味津々で見ていました。

パイプオルガンが流され、綺麗な新婦さんを見ることができ、結婚式は本当にロマンチックなものだと感じました。

その後、引き続いて披露宴が行われましたが、かなり広い広間で行われました。

進行役がいて、参列者の中から出し物をするような人もいます。

歌を歌ったり、一発芸のような余興をするのですが、その中で印象的だったのが太鼓でした。

新郎が地元の青年団に所属していて、消防活動も行っているようですが、そこでは伝統的に太鼓をたたくパフォーマンスを行っているようです。

大きな太鼓がいくつか広間の中に運ばれて、新郎を含めて他の青年団のスタッフも上半身裸でバチを振り回しています。

太鼓の音が驚くほど大きく響くので、披露宴で好き放題に話をしたりざわめいていた雰囲気が一瞬でおさまりました。

思わず参列者全員が太鼓に見入ってしまい、終わったときは大きな拍手が巻き起こりました。

結婚式が行われたホテルのスタッフも、披露宴ではいろんな余興が行われるけれど太鼓というのは初めてで素晴らしかったですと話していたそうです。

自分もロマンチックだった結婚式が、全て太鼓にもっていかれたような記憶がいまだに残っています。

思い出というものは印象が強いものが色濃く残るので当然なのかもしれませんが、太鼓というのは祝いの席にもピッタリだと今でも感じます。

ただ自分が結婚式を挙げたときは、太鼓をたたく人がいなかったのでそういう余興は行えなかったのが少し惜しいです。

40代 女性 主人に合図を送りました

10年以上も、前のことです。

結婚式はわけあって、今の旦那と二人で式をあげることになったのです。

結婚式を挙げるにおいて、式前にいろろきめたり式場をみたりしました。

しかし結婚式の流れというか、神父様の前まで二人で歩いたり、どのタイミングで指輪をつけたりするかということは、本当に式の直前だったのです。

一度練習して、その流れですぐ本番といった形でした。

だから、今思うとかなり頭が真っ白になっていた状態でした。

それでも教わったことを思いながら、やっていたのです。

最初に歩くところから、自分もですが主人もぎこちないように感じました。

それとも私の歩き方が、遅いのか?といったことが頭の中をグルグルしていたと思います。

それでもできるだけ冷静になり、順番に式の内容がすぎていきました。

そして最後に退場するときです。

最後の最後に式場に向かって一礼するのですが、旦那は立ったままでした。

表情を見ても、一礼することを忘れているように感じたのです。

ここでもしかしたら、私の考えすぎかな?とも思ったのですが、もし本当に忘れていたらよくないと思い、肘で旦那をつつき合図しました。

案の定、忘れていたそうです。

先ほど忘れていたらよくないといいましたが、なぜかというと式での様子がビデオに録画してもらっていたのです。

結婚式のサービスプランの中に、そいったものがあるんですよ。

それで片方だけ間違っていたら、後で親族などがみたときいろいろマズイと思ったからです。

なぜかというと、旦那の身内なら多分笑って過ごすと思います。

しかし和足の身内特に父方の方は、何かと欠点を見つけるとここぞとばかりにせめたてるのです。

このビデオで旦那がミスしたら、思いっきりせめられるのが目に見えてたからです。

そして次に私の方に「なんで教えなかったんだ」と私もせめたてられることでしょう。

そういうことにならないよう、今思うときづいてよかったと思いました。

それにしても事前練習が、式本番前とは知りませんでした。

そこのところを、前もってきいておけばよかったと思いました。

50歳女 結婚式で叔母さんと会話がなくて困ったこと

自営業をしています。

父の妹、私の叔母の結婚式に呼ばれたのは、今から30年以上前の前の話になります。

あのころ私は高校生、今はデジカメやスマホのカメラで簡単に写真が撮れる時代となりましたが、あのころは形ばかりでかいカメラで撮影をしていました。

何と、結婚式は叔母のだんなさんの実家そばで行われたため、私たち家族は車で千葉県の房総まで乗っていき、結婚式後は一泊して帰ってきました。

結婚式場が海のそばだったこともあり、ウミドリがたくさんいたことを覚えています。

私は、母や兄たちに「あまり、叔母さんのこと知らないし、何て話したらいいのかな」と戸惑い気味で、結婚式に参加することになりました。

高校生の頃でしたので制服姿に白ソックスを履いて参加をした姿を写真に撮ってもらいました。

今あの時の写真を見る時がありますが、初々しい姿に恥ずかしくもなりました。

こんな時代が私にもあったんだなあって。

そして結婚式、白無垢姿の叔母とだんなさんが親戚や近所中の招待客を呼び、盛大に盛り上がっていました。

お色直しは白のウェディングドレス姿で、きれいな花嫁さんでした。

しかし、あまりなじみのなかった私は高校生だったこともあり、花嫁さんと目が合っても言葉が出ず状態でした。

『何で私、呼ばれたんだろう…」ぐらいにしか感じませんでした。

料理は千葉の房総ということもあり、海の幸の料理がふんだんにふるまわれ、正直なところその料理は豪華でおいしかったです。

ですがその叔母とはほとんど話をすることがなく、叔母は病気で亡くなってしまいました。

小さな子供を残して、旅立ってしまったために少しだけ後悔をしました。

もう少し話ができたらよかったのにね。

今では父も亡くなり、今頃は父と叔母さんは兄妹で天国で再会しているだろうねと母と話をしました。

皆さんにお伝えしたいことは、後でどんなに話をしたくても生きているときでないと話はできなくなってしまいます。

後悔のないようにしてくださいね。

33歳男 忘れられない結婚式

私は今年で33歳になる会社員です。

このくらいの年齢になると、友人たちのおおよそ半分くらいは結婚しており、結婚式の出席もこれまでの人生の中で、それなりに経験してまいりました。

今回は、その中で特に私の印象に残った結婚式のエピソードをご紹介いたします。

確か私が25歳くらいのとき、中学校~高校まで同じクラスだったクラスメイトの男性(以後Aくん)が、結婚式を開催いたしました。

妻は同い年で、職場で知り合ったといいます。

Aくんは成績優秀でスポーツも万能。

いわゆる優等生タイプでかなりクールな性格の友人でした。

そんな彼の結婚式の進行は順調に進み、最後はおなじみの新婦から両親に向けてのお手紙。

それを新婦が読み終えるとAくんは「私からも手紙があります。

両親へ向けてです。

」と切り出しました。

数ある結婚式の中でも、新郎から両親へ宛てる手紙というのは珍しいのではないでしょうか。

その手紙を読んでいく中でAくんは「生んでくれてありがとう、これから新婦のことを必ず一生幸せにしてみせる、本当に両親のことを誰よりも尊敬しており、愛している。

」と時折声を詰まらせて涙ぐみ、なかば絶叫のような形で熱弁しておりました。

私が知っているクールでかっこいいAくんの姿はそこにはありませんでした。

オーディエンスもみんなその意外な姿に圧倒され、スピーチの内容もたいへん素晴らしいものだったため、涙ぐんでおりました。

結婚式とは、新婦だけではなく新郎にとっても一生に一度の大きな晴れ舞台。

私も実は今年の冬に地元の新潟で結婚式を行うのですが、その際には彼のように両親に向けた手紙を必ず読み上げたいと思います。

泣いてしまいそうですが。

こんなときくらいにしか両親へのメッセージというのは照れくさくて言えませんものね。

これを見てくださっているみなさんも、結婚式だけにはとどまらず、大切な人が生きているうちに、一度感謝の言葉を述べてみてはいかがでしょうか。

28歳男、旧知の友人に結婚式で撮影を頼まれ激しく後悔

どうも自分は、28歳の男性ライターです。

結婚式といえばハレの場、新郎新婦や参加した人にも特別なイベントだと言えますね。

しかし、自分はその中でも少し変わった結婚式の経験を持っています。

それは、結婚式に呼ばれた側なのに、結婚式映像の撮影係をしていた事です。

経緯は2019年夏の結婚式数カ月前に遡ります。

自分は過去に大学で自主映画サークルに入っており、毎日映画撮影に明け暮れていました。

その趣味は大学卒業後も続いており、本格的なカメラを社会人となった後に購入し、休日には短編映像を取っていたりもする程です。

そんな折、母親から幼稚園時代から友人の結婚式に招待されたという知らせが入ったのです。

そして、さらに付け加えられたのが、なんと、その結婚式の様子を撮影して欲しいとの事でした。

理由は旧知の仲である自分が映画を撮影している事を新郎が聞いていた為に、ぜひ自分に結婚式の様子を撮って欲しいと頼んでいた為です。

当時の自分はその話を聞いて、意気揚々と「良し!やろう」と返事をしました。

しかし、実際に結婚式で撮影をすると、その大変さがわかってきたのです。

まずは、常に新郎新婦の様子をカメラに映す為に、広い結婚式場内を走り回る必要がありました。

新郎新婦は重たいドレスや着慣れていないタキシードで様々な場所を行き来します。

そして、撮影者である自分も重いカメラを持ちながら移動し、その様子を撮影する必要があったのです。

少し休憩しようと自分の席に戻って、食事を取ろうとすると、すぐにまた撮影すべき新郎新婦の見せ場がやってきます。

式場内はクーラーで冷えていましたが、自分は汗だくになりながら会場内を走り回って撮影を続けました。

そして、自分は参加者にも関わらず、他の人からはまるで、式場のスタッフかの様に思われている節があったのです。

新郎に親しげに声をかけながら撮影をしていると、「何だこいつ」とでも言う様な目線が他の参加者から向けられもしました。

結婚式が終わり、実家に帰ると、自分は疲れ切っていたのか、スーツのまま寝てしまっていました。

それ以後は、いくら旧知の仲の友人に頼まれても結婚式の撮影はしないで、普通に式に参加する事を心に決める様になったのは、言うまでもありません。

37歳・女・復讐を遂げた友人の結婚式

千葉県在住の37歳の女性です。

これは、私が友人の結婚式に参列した時の話です。

彼女は、幼い頃、親に虐待を受けて育ったそうです。

祖父母の家や、親戚の家、施設に入った期間もあると聞いたことがありましたが、彼氏(現在の夫)もすごく優しい人で、そんな家庭で育ったので、結婚願望もなかったようですし、子供を持つことへの不安などもあり、彼氏がいても全く結婚は意識していなかったそうですが、彼氏にプロポーズされ、自分の境遇を話して、それでも結婚をしていくと決めて結婚をすることに。

彼氏の実家が古くからある農家らしく、結婚式は絶対やるということで、友人も渋々了承し、することに。

親も勿論呼ばないといけない。

大人になってからほとんど連絡を取っていなかったのですが、連絡を取り、式に参列してもらうことに。

親御さんは、子供を虐待するような人達には見えない、外面がいい感じの方で、私にも丁寧に挨拶してくれました。

虐待していたことを知っている人は、預けられた祖父母と親戚だけだったようです。

結婚式も終盤、娘から親への手紙の時に、事件は起こりました。

結婚式で一番感動するのは、この娘から親への手紙の場面ですが、友人の結婚式では、そこは修羅場になってしまったのです。

育ててくれた祖父母や親戚への感謝を述べている当たりで、私もこの流れは?という気持ちだったのですが、その後、自分がどう育ったのか、親から虐待されてきたのかなどを、涙ながらにして読み上げたのです。

隣に並んだ友人の両親は、どんどん下を向くばかり。

それでも彼女はやめず、読み終えました。

参列者も、終わった後、拍手をしていいものか、どうなのか、分からず、沈黙。

両親は、手紙を読み終えるとすぐに、席に戻りましたが、勿論、参列者からの目はただならぬものでした。

よくこの手紙を新郎が許したなと思ったのですが、最後に新郎の父からの挨拶で「自分の娘のように大事にしていきたい。

これまでの過去を忘れるくらい愛情を注いでいける家族になります」と言ったときに、全て話て、新郎側も納得したのだなと思い、そこで拍手喝采になりました。

虐待されてきた復讐を自分が主役の結婚式でやった友人。

その後、彼女に会うと、私達に謝罪してきましたけど、全然謝罪するような事ではないなと思いました。

結婚式って、新婦が主役。

そこで、何が起きても、彼女が後悔しない選択なら、参列する人はそれを受け入れるのだなと思いました。

それから、親は彼女へ連絡することもなく、親戚からも責められ続けたと聞きました。

幸せになるために、彼女にとってはそれが区切りだったんだなと思いましたけど、結婚式での修羅場は初めての経験でびっくりしました。

41歳男、両親からのサプライズダンス!

私は40代前半、男性会社員なのですが、昨年ようやく結婚することが出来ました。

その際に結婚式を私達も挙げたのですが、印象に残ったエピソードと言えば、やはり両親のダンスでした。

結婚式の時に友人からのメッセージや手紙などのコーナーがあったのですが、その際に一人の友人が歌を歌い始めると何と会場中の人達が一斉に踊り出したのでした。

良くテレビや動画では見たことがあったのですが、まさか私が目の前でフラッシュモブを見るとは夢にも思いませんでした。

そして、良く見ると何と両親も小さくですが踊っていたのでした。

私はそれを見て、彼女と思わず笑ってしまいました。

まさか、友人からのこんな粋なサプライズをしてくれるとは本当に想像もしていなかったので本当に驚きました。

更には、まさかのこんな歳になるまで見たことが無かった両親のダンスでした。

ちょっと年齢的にも体力的に心配した部分もあったのですが、それよりも物凄く恥ずかしい反面、そんな両親を見れて本当に感動しました。

思わず涙まで出してしまいました。

そして、ダンスの最後には私達に向かっておめでとうっと言ってくれたのでした。

私達もまたありがとうっと言って、頭を下げたのです。

それからは他にもたくさんと楽しいことはありましたが、私の頭の中には
その両親の事だけが何度も思い返されて、幸せな気持ちになりました。

そして、無事に素晴らしい結婚式を挙げ終えることが出来たのでした。

勿論、もう2度と結婚式を挙げることは無いと思いますが、もしまた挙げるようなことがあるのならば、また両親のあんなダンスを見てみたいものと思ったこともありました。

結婚式後、両親とその事について少しですが話をしたこともありました。

両親が言うには、私の友人がどうしてもダンスして欲しいと言ってきたみたいだったのです。

それで渋々だったみたいですが、両親も決意して、私達の為にわざわざ練習までして、踊ってくれたのでした。

46歳女 高校時代の一友人の私が新婦に勝手に標的にされた

40代の子どもを持つ主婦です。

高校時代の友達の結婚式があるという事で、実家を出ていた私は、友人と連れ立って、結婚式が行われる地元に帰った。

新郎と友人だった私たちは3人で、一つのテーブルを埋める事が出来ずに、新郎のご親戚と一緒のテーブルに座りました。

私の友人達は、ノリが良かったので、ご親戚の方達とも、新郎との昔話でテーブルの空気は良かったのですが、新郎である彼は高校卒業後、遠く離れた大学に行き、そこで知り合った女性と結婚をしたので、私たちは高校までの彼しか状況を知りませんでした。

彼は、次男で、新婦さんは長女で婿養子に入られるので、結婚式が終わり、ハネムーンが終わったら、彼が大学生活を送った九州で生活を始めるとご親族から聞きました。

なので、関西と九州の2度のお披露目をすると聞きましたが、新婦さん側の席もしっかりとあったので、派手婚だなぁくらいにしか思っていませんでした。

しかし、ろうそくの火を灯に来てくれた新郎新婦の方から、チッ、と聞こえたのでびっくりしました。

彼らが他の席にろうそくを灯に行ったので、友人に聞くと、やはり舌打ちをがっつりしていたという話になり、ひそひそと話していましたが、ご親族の方が、彼らに近かったので、新婦さんが舌打ちをしていたのが分かったのか、あれは尻に敷かれるな、と会話に入ってきたので、私たちは知っていいものかどうか顔を見合わせてしまいましたが、それから、新婦さんの行動をやたら見てしまいました。

せっかくのお色直しやらケーキカットやら、当時の独身の私は学ぶべき点がたくさんあったはずなのに、新郎が新婦から目をそらせたり、聞いていないふりをしているように見えて仕方がありませんでした。

なんだか、一触即発状態にこちらまで緊張して、新郎新婦の一挙一動が気になって気になって仕方がありませんでした。

式が終わった後、3人で新郎と話ができたら、と彼の方に行こうとしましたが、彼が目でやんわり拒否しているようで、私たちは諦めました。

後で分かった話なのですが、新婦さんがかなりのヤキモチやさんのようで、友人として招待された女性は私以外にいなかったのが問題だったようです。

それを聞いて、後で聞いてよかったとつくづく思いました。

ただの高校時代の友人が、そんな風に映る事があるんだと、少し怖いと感じた結婚式でした。

63歳男 病身のお年寄りにはさりげない対応をお願いします

アラカンの男性です。

私には持病があり厳しい食事制限があります。

ですので飲み会や会食などは一切お断りしております。

しかし冠婚葬祭となりますとなかなか断りにくいことも多く苦労しています。

先年古い友人の娘が結婚するので結婚式に出席してほしいと連絡を受けました。

しかしこの体調ですからとお断りしようかと迷ったのですが、是非にということでして出席を決めました。

式場は東京青山のなかなかオシャレな今風の会場です。

娘さんとお婿さんが中心となって結構式のプランを進めているということで総じてが若者ウケする印象です。

友人が気を使ってくれたのかその式場のサービスなのか定かではありませんが、案内状に食事の制約のある方は事前に申告してくださいとありました。

それに対応する食事を提供いたしますとあるのです。

ヘェ~時代も進んだなぁと思いながら、カロリーやその他の制限を記入して返信しました。

私は食事療法の成果で体重が18キロも落ちていましたので、昔の礼服が3着全てが合いません。

ズボンはチャックを上げてボタンを閉めた状態で手を離すと、ストンと落ちてしまうほどでした。

今後も必要であろうし、この機会に新調することにしました。

当日久しぶりの青山です。

以前は仕事でしばしば訪れていた街ですが、引退した今この街に来ることはなくなっていました。

地図を見ただけでは分かり難い場所でしたので、ナビに従ってなんとか無事に到着。

会場はとても大きく、既に多くの来賓でいっぱいでした。

会場にはロック系の音楽が流れていて隣の人との会話もままにならないほどの音量です。

大きなディスプレイが並び新郎新婦の映像が流れています。

何じゃこりゃ!というのが正直なところでした。

そして司会者だ登場し挨拶があり新郎新婦の入場です。

そして配膳が始まりました。

メニューは洋食でスープから始まりましたが、私は特別食というだからでしょう、20台ほどの女性スタッフが私のところに来て料理の説明をしてくれました。

塩分はどうのこうの、カロリーはなになにを使っているのでここまで抑えていますなどと長々と説明します。

そして「ご安心してお召し上がりください」というのです。

しかしフルコースで一品ごとにこれをやられるのです。

床に膝間ついて!。

テーブルは5人席。

他の人の目も気になります。

4品目ぐらいにはいい加減にしてくれ!という気分になっていました。

そんなの最初に一度言えばいいではないか!と。

スタッフは総じて若くその企画されたホスピタリティが身についていない感じが辛かったですね。

私のような制限を持った人間には「さりげなく」っていうことが、最も優しいのですよ。

でも食事は制限食であったのにとても美味しかったですよ。

33歳 女 認知症のおばさんのスピーチに感動

私は現在働きながら、1人の子どもを育てる30代女です。

数年前に自身の結婚式をとあるホテルで行いました。

余興のひとつに、招待している方々にランダムにマイクをまわし、コメントをいただくというイベントを行いました。

一人ひとりと、じんわりするコメントを話してくれ、場があたたまり、参加型の結婚式、のような雰囲気になっていきました。

最後にマイクがまわったのは、親戚のおばさんでした。

すでに高齢で認知症がすすんでおり、介助がなければその場にいることも難しかった方です。

マイクがまわった時に、周りの親戚「あっ、やっちゃった…」という雰囲気に。

親戚以外はおばさんの状況を知りません。

私自身も少し焦りがでてきました。

ところが、マイクがわたったおばさんは、すっと立ち上がり、「あら、スピーチ頼まれていたかしら?最近忘れっぽくてごめんなさいね」と言いながら、すらすらと話し始めました。

その様子に周りは驚きます。

なにせ、認知症がすすんだ普段のおばさんの様子では有り得ないことです。

私も驚きながらおばさんの様子をみていました。

そういえばおばさんは、もともと病院で看護師(当時は看護婦)を長く続けてきた方です。

すでに70歳は超えていますが、現役時代は看護師長も務めた方です。

きっとおばさんは、たくさんの同僚、部下に心のこもった祝辞を送ってきたのでしょう。

私のことで覚えていることは少なくても、結婚式の感想をまじえながら、とても素敵なスピーチにまとめてくれました。

スピーチを終えると、会場からは拍手が起こりました。

おばさんの状況を知っている人も、知らない人も、みんながそのスピーチに感動をおぼえていました。

認知症がすすむと、できることが少くなってしまうと思います。

できない姿に周りも慣れて、できることを発揮してもらうことを忘れてしまうのかもしれません。

ただ、人はみな積み上げてきた人生があるのでしょう。

おばさんのスピーチは、おばさんの人生を感じさせてくれる、とても格好よいものでした。

そんなおばさんにスピーチをもらい、私も励みをもらいました。

あんな風に生きたい、そう思えたのです。

そんな思い出深い結婚式となりました。

30歳男 披露宴だけでは飲み足らず、熊本まで飲みに行った結婚式

私は福岡市在住の40歳会社員です。

10年前に会社の先輩の結婚式に出席した時の話をします。

入社以来ずっとお世話になっていた先輩だったので、少しでも協力をしたいと思っていたので、私は披露宴の受付を引き受けました。

当日、式には出席しませんでしたが、受付ということもあり、私は同僚と早めに式場入りしました。

先輩は熊本県の山間部出身で、その地域の習わしで、地元の人も披露宴に招待していました。

先輩からは、マイクロバスで地元の人たちが早めに到着すると聞いていたので、花嫁側の受付の人がまだ到着していない中、受付の準備をしました。

すると熊本ナンバーのマイクロバスが到着しました。

ドアが開き、中からおじさんたちが、ワイワイガヤガヤ話ながら降りてきました。

驚くことにみんな顔が真っ赤で、猛烈なお酒の匂いがしていました。

どうも熊本を出発した時から、飲み始めて、いい気分で式場に到着したようです。

受付もどうにか終わらせたおじさんたちは、早速ウェルカムドリンクをガバガバ飲み始めました。

度肝を抜かれた私たちは、気を取り直して受付を再開しました。

ようやく受付を終わらせ席に着くと、式場の一角がとても賑わっていました。

もちろんあのおじさんたちです。

披露宴が始まり、さすがに最初は静かにしていましたが、乾杯が終わるとすぐに調子を取り戻し、大いに盛り上がっていました。

トイレに行った私が席に戻ろうと、おじさんたちの側を通ると、一人のおじさんから、
「受付のにいちゃん、一緒に飲むばい」
と声をかけられました。

あまりに楽しそうだったので、私は誘いに乗っておじさんたちと飲むことにしました。

おじさんたちは、楽しいお酒をの飲める人ばかりで、私は初めて会ったとは思えないくらい打ち解けることができました。

気付けば私は結婚式そっちのけで、おじさんたちとの酒盛りを楽しんでいました。

披露宴は私たちを取り残し、感動の内にお開きとなりましたが、私はまだまだおじさんたちと飲みたくて仕方ありませんでした。

先輩に二次会を辞退する旨を伝え、おじさんたちとマイクロバスに乗り込み、熊本県まで飲みに行くことにしました。

マイクロバス飲みに中でも飲み、おじさんの中の一人のウチにお邪魔して泊まりがけで飲み続けました。

次の日の夕方、私はほとんどお酒が抜けきれないまま電車で福岡まで帰りました。

これまでいくつもの結婚式に参加しましたし、たくさんお酒を飲みましたが、熊本まで飲みに行ったのは、この時だけです。

先輩夫婦にとっても私にとっても忘れられない披露宴となりました。

24女 結婚式で戸惑う

こんにちは、さやかです。

19歳で結婚して今年で5年目、その間に3回出産を経験し4歳2歳0歳の三姉妹のママをしています。

今は育児休暇を取得していて毎日娘たちと賑やかな毎日をおくっています。

はじめに19歳で結婚をしたと言った通り、10代での結婚式でした。

私に姉が2人いますがこの時はまだ結婚をしておらず、同級生も結婚をした人はいなくて結婚式初心者でした。

全くと言っていいほど無知でした。

子供の頃に行ったことがあるらしいというレベルでした。

なのでイメージがお金がかかるしする必要がないと、旦那と私は結婚式をすることを拒否しました。

が、旦那側の親族側が「式を挙げないと社会人としてなっとらん」と強制的にすることに、式の内容や時間配分など何日もかけて決めてきていざ本番になり、順調に何もなく進行が進みラストスパートの退場の時、なかなか扉が開かない「なんで?」と思ったらいきなり旦那の親族側からのサプライズ演奏、ピアノの演奏が終わったと思ったら参加者に紙を配りだしみんなで合唱が始まりました。

最後の最後に退場の扉の前でみんなの方を向きライトアップされ続ける羽目に、喜ばないといけないんだろうけど私は呆然とするだけ、きっと顔は笑っていなかったと思います。

ピアノの演奏も合唱も一番だけとかではなくフルで演奏し歌うというこっちからしたら過酷な状況になっていました。

合唱が終わり退場の曲も選んだ曲ではなく親族のピアノ演奏でした。

ここまでの量のサプライズに終わりが見えず時間がおし、感動なんて薄れる一方で結婚式で戸惑うことがあるだなと最後にハッピーで終われなかったことに衝撃を受けた結婚式でした。

嫌々結婚式をしなければよかったと後悔もしました。

そしたらおした時間の延長料金も払わなくて済んだことですし、退場だけで何十分もかからなかったと思いました。

結婚式は、自分たちが主役なので周りに少し意見を言われたからと言ってやりたいこと、やりたくないことハッキリ自分たちの意思で決めたほうがいいと思いました。

後は、サプライズがあるかもしれないと頭の片隅に入れておくといいです。

結婚式はみんなが笑顔で楽しくないといけませんからね。

40歳 女性 一生理解できない結婚式

10年前ぐらいに結婚しました。

自分の結婚式だったんですが、親友に代表の言葉と二次会の管理をお願いしていました。

旦那の実家が遠方でそちらで結婚式をあげなければならなくて自分の友達は交通費を出して招待する形になりました。

ですが、その親友は結婚していたのですが結婚式会場まで不倫していた人と一緒に車で来たというのです。

こちらは自分の支度で忙しいのでいざ結婚式が始まると進行とかで色々きになり細かいことまで目が回らなくなります。

無事結婚式を終え、二次会に行こうかということになったときに相手側に二次会幹事さんから電話があり、自分側の幹事が居なくなったという連絡をもらいました。

ほかの友達に聞いてみると結婚式中だいぶお酒を飲んでいたようです。

こちらから電話しましたが、発作がでたとかで再度電話しましたが連絡つかず。

結局2次会には顔を出さずどこにいったか分からずでした。

おかけで二次会は全く落ち着かず、私もみんなとゆっくり話せずに終わりました。

後日連絡も一切なく、その後お詫びも全くありません。

親友と思っていたのにいざっていうときにこれでは本当の友達とは言えないと結婚後友達とはなにかというのをよく考えさせられました。

親友だからと許される限度もあると思います。

せっかくの結婚式も苦い思い出で一度も写真、DVDも見ていません。

いざご自分が結婚される時、その前の友達付き合いが一番関係しているかと思いますが結婚式で一度一生付き合える友達はだれか考えさせらる良い機会だと思いました。

私の苦い思い出はいまも引きずっていますし、本来なら結婚式は良い思い出となるべきです。

あとあと結婚式の時の~なんて話せるような感じであるべきだと思います。

その後友達はどう思っているかわかりませんが、私自身その友達の行動は一生理解できませんし許すことが出来ないではないかと思っています。

結婚式の招待者などよくよく考えて、やはり近隣の方でやられるのが一番かと思います。

26歳女性 結婚式当日までの段取りに後悔

26歳、現在主婦です。

2018年9月半ばに横浜市の新しい式場で結婚式を挙げました。

当時はまだ現役で仕事をしていました。

式場の予約は1年前にしていました。

新しくできたばかりの結婚式場でしたが、なんとか希望の日程と披露宴会場を抑えることができ、安心していました。

当日まで時間があるので準備にも余裕があり、ゆっくりじっくりと進めていけると思っていたのですが、打ち合わせは2ヶ月に1回あるかないか。

次回の打ち合わせまでに決めておく事も大まかな課題しか言い渡されず、最初は”こんなものなのか”と思っていましたが、次第に不安が募っていきました。

式当日まで4か月になった頃(5月ごろ)ようやく招待状のついての説明を受け、式場に依頼するか外部に受注するかという話がでました。

発送日も伝えられ6/20と言われました。

発送までに2ヶ月もない状態で選択しなければいけない状況に正直驚きました。

プランナーさんがとても親切な方だった為、外部の方が安いこと、おすすめのサイト、手順などを詳しく教えてくださいました。

しかし外部の場合、印字はお願いできても、組み立てや封をするのは自分たちでやらなければいけないため、時間が掛かります。

(式場に頼んだ場合はすべて行ってもらえます。

)式場に頼むか、外部に受注するかとても悩みました。

あまりお金も掛けられなかった為、時間や手間が掛かることを覚悟で外部に受注することにしました。

(だいたい5万円ほど安くできました。


招待状の件でばたばたしているうちに、あっという間に6月に入り、残り3ヶ月。

ここにきて一気に打ち合わせを詰められました。

音楽や料理、司会の人やフラワーアレンジメントの人との打ち合わせ、余興などの有無など。

1年余裕があったはずなのにこの忙しさは何?と思うほどぎゅうぎゅうに詰められ、体調も少し崩してしまうほどでした。

また、バルーンを飛ばすのが私の夢だったのですが、オプションについての説明は1年前の最初の打ち合わせの時のみ。

特に触れられてこなかった為、見積もりを出す打ち合わせの際にこちらから、声を掛け付け加えることができました。

1年の余裕があると思い、予約した結婚式。

結婚式自体はとても満足のいく式となり、参加してもらったお友達にも絶賛してもらえました。

しかしそれまでも準備がつらく、とても印象深いです。

日程の近い式の人達の準備が優先なのは重々承知しています。

しかし、余裕があったにも関わらず、ぎりぎりに詰められてしまい、結果慌ただしい準備となってしまった事がとても残念でした。

初めての事ですので段取りもわからず、言われるがままになっていましたが、少しずつでも準備を進めていきたい事をプランナーさんに伝えていられればよかったなと後悔しております。

ご覧いただいている方々でもし、ギリギリで慌てたくないという方がいましたら、ぜひその胸をプランナーさんにお伝えください。

どこまで融通が利くのかは分かりませんが、言わずに後悔するよりは良いと思います。

34歳 男 結婚式の知人の披露宴で成功した失敗した内容について

私が結婚式で印象に残ったエピソードとしましては、公安職の知り合いの結婚式で私も招待される形になったのですが、その中で私は、知人の結婚式の出し物におきまして、非常に衝撃を受ける形になりました。

その同じ職場での同僚の方々が、全員AKBに女装する形で、恋するフォーチュンクッキーを踊ったことについて非常に衝撃を受ける形になりました。

恋するフォーチュンクッキーはAKBの後半にリリースされたシングルで非常に印象を残すような緩やかなダンスで一躍有名になったのですが、そのダンスを再現するような形で、全員イカツイ筋肉質の男性が揃って女装する形で、ダンスをしたことにある意味ドン引きでありましたが、非常に面白い形となりました。

またとある知人の結婚式では、招待こそされませんでしたが、後日談として聞く形になったのですが、マジックを披露する場面で凄く虚しいマジックの数々、受けが悪いマジックの数々で、宴の出し物の場がしらけてしまったと言う内容もありまして、私としましては、やはり、宴会では、マジックをするなれば壮大なマジックをする必要があるなと思いました。

やはり誰にでもできるマジックをするようであれば、知れているので、やはり、限界に挑戦する形で、折角遠路遥々足を運んでくださる方も居られますので、そう言った意味におきましても、マジックは壮大にするべきであるなと、実感する形になりました。

やはり宴の質で、結婚式の盛り上がりと言うのは異なる形になってきます。

私自身の結婚式の場合におきましては、下手な歌でも新郎本人が大熱唱することによりまして、拍手喝采と言う形になりまして、自分自身の持てる力の全てを発揮することで、やはり周囲から認められるなと言う風に実感できますので、素晴らしい演出も当然ではありますが、全力を出し切ることが重要であると思いました。

また、もし、結婚式の披露宴で呼ばれるようなことがありましたら、やはり私としましては、周囲を圧巻できるような企画を考えたいと思っております。

31歳女性 妹の結婚式で大反省&大号泣

私が人生において最も印象に残っているのは、妹の結婚式。

三姉妹の長女として育った私ですが、31歳を迎えた今でも独身。

4年前に、真ん中の妹が子供を授かると同時に結婚を決めました。

正直に言いましょう。

そのときの私の心情は、最悪でした。

姉妹の中で最初にウエディングドレスを着て、最初に両親を安心させ、最初に孫をみせ、最初に親孝行をするのは長女である私のはずだと子供の頃から信じ切っていたから。

今になってわかるのは、全ては「それをさせてくれなかった」という妹に対する恨みや嫉妬心のようなものばかりで心は埋め尽くされていたんです。

当然妹もそれを感じていたでしょう。

何なら家族も感じていたかもしれません。

ですが、それは妹の行動によって見事に払拭されました。

それこそが、結婚式と聞いてまず何より私が思い出すシーンです。

披露宴恒例、両親への手紙の前に、妹は「お姉ちゃんへ」と手紙を読み始めました。

私にスポットライトがあたり、驚きで不審な表情の私。

そこで妹は、泣きながら私への感謝を伝えてきました。

「自分の妊娠が分かったのは、東京に住む姉の家に居候していたときでした。

当時は喜びより不安のほうが大きくうつむいていた私を、子供の命が一番大切なんだからと走って妊娠検査薬を買いに行ってくれたのはお姉ちゃんでした。

自分の仕事を返上してまで、一緒に病院についてきてくれました。

本当はいろいろ思うこともあるはずなのに、黙って晩ご飯をつくってくれました。

この恩は一生忘れません。

」という内容でした。

本当はというと、嫌味の一つ二つ、いや三つ四つと妹にたたみかけるように言い続けた私。

「できちゃった結婚なんて恥ずかしいと思わないの?」と言い放った私。

それを全て隠し、号泣しながら私への感謝を伝える妹をみて、「母になる女は、もう私より大人なんだ」と実感した記憶があります。

そのとき、負けたな、と思ったし、姉だから妹だからという勝ち負けや競争じゃないんだと心の底からきちんと理解できました。

今ではもちろん大の仲良し。

いつも帰省の際は甥っ子と楽しく遊んでいます。

43歳女性 無口な義父にスピーチを頼んだら、残念なことに

結婚して早15年ほどが過ぎました。

夫は2人兄弟の末っ子。

私たちが結婚した翌年に夫の義兄が結婚し、私はお嫁さんとして初めて夫側の親族の結婚式に出席することになったのですが。

その時のとても印象的な出来事が記憶に強く残っています。

夫の父親はとても寡黙な人でした。

とはいっても、頑固一徹という感じではなく元気の良すぎるほどアクティブでおしゃべり好きな義母の横にただ静かに座っているという感じの人。

ほとんどしゃべっている様子を見ることはありませんでした。

隅の方でいつの間にやらたくさんお酒を飲み、お酒がかなりまわってきた頃にやっと話し出すのですが、酔っぱらっていることもあり意味が分からない、つじつまの合わないことを一人で話していることはよくありました。

そんな父親の性格を熟知している夫は、私たちの結婚披露宴では義父にスピーチは絶対にさせないようにしたいといい、式の後半部分でも花束贈呈のあとでも、義父のスピーチはなく特に滞りなく執り行われました。

そんな私たちの結婚式から1年後。

夫の兄が結婚式と披露宴を行うことになりました。

義兄の結婚披露宴も滞りなく進行し、終盤戦に入るころには義父は緊張もあいまってか、お酒が進みすぎたようで、顔も真っ赤。

完全に出来上がっている様子でした。

その状態で、披露宴も後半に司会進行の方から「新郎のお父様からお言葉をいただきたいと思います」と突然のフリが!
よろよろと前に進み出た義父が話し始めたのが良いのですが、酔っぱらっているので何を言っているのかよくわからず、初めて新婦に会った時の印象の話をしだしたときには、「初めて見た時は、別にかわいい子がきたとは全然思わんかったけど。

」と言い放ったのでした。

瞬間、夫と私は凍り付き、他の親戚から「そんなことないよ!かわいいよ!」とフォローのヤジも飛び出す始末。

笑って流すという雰囲気でもなく微妙な空気を醸し出したままスピーチは終了したのでした。

当の本人は、お酒が進みすぎてスピーチの記憶もほとんどなく悪びれた様子もなし。

正直、自分の結婚式でなくて本当に良かったと思う瞬間でした。

日頃、話下手な人にスピーチをお願いする際は、くれぐれも事前によく打ち合わせをしておくことをおすすめしたいと思います。

そして、後半にスピーチをする予定があるかたにはお酒の飲み方にも気を付けてもらいたいものです。

26歳女結婚式でお決まりのアレをやらない

私は現在30代二児の母です。

学生の頃の友人の結婚式で印象的だったエピソードがあります。

その友人は普段からてきぱきとして、だれもから好かれる美人さんでした。

就職して何年か経ち、交際期間も3年ほどの理想的な結婚式でした。

夫婦それぞれに友人知人を招いてのごく普通の式でしたが、印象的だったのは、よくある両親への手紙の朗読が無かったことです。

それまでの結婚式には必ずといっていい程最後の方に花嫁さんが両親への思いをしたためた手紙を読み、涙を流し、感動するという場面がありました。

でもその友人の式にはそれはありませんでした。

文章が日が手というわけではないはずです。

今でもくれる年賀状にはびっしりと近況報告の文章が書かれていますから。

その代わり、小さいころから習っていたというピアノの演奏がありました。

彼女から両親へ向けてのピアノは、とても感慨深かったです。

真っ赤なドレスにピアノが映える!私にもあんな特技があったらよかったなぁとおもった瞬間でした。

実際私は自分の結婚式でやはり両親への手紙を書きました。

でも、どうしても感情を伝える事は苦手で、面白くもなんともない文章を読み上げ、涙するわけでもありませんでした。

本当は手紙を書くのにも、それをみんなの前で披露する事にも抵抗大あり。

でもプランナーさんは絶対必要の一点張り。

なんでこんなことしなくちゃいけないのと思いながら無理やり文章を書いた記憶があります。

ですから、彼女の結婚式はうらやましくもあり、心に残っています。

きっと彼女も人前で両親への手紙を読むことへの抵抗感があったんじゃないかなと思います。

実際私は手紙の出来栄えにあんまり満足できませんでした。

これから結婚式を挙げる人も、自分なりの感謝の気持ちの示し方ってあると思うので、苦手だとか、やりたくないとかいうものは無理にやらなくていいと思います。

その方が自分の思い描く理想の結婚式を挙げられて、思い出に残るものになるんじゃないかと思います。

25歳女性、友人の結婚式でのサプライズ

私の幼馴染の友人が挙げた結婚式が印象に残っています。

私は25歳で、友人も同じ25歳です。

地元が一緒で小さいころから家族ぐるみで仲良くしている友人でした。

私の友人は美容師で旦那様も美容師の夫婦でした。

美容師さんらしくとてもオシャレな結婚式で、式はガーデンウェディングでカラーコードは青で指定がありました。

招待状も2人で考えたイラストとデザインが非常に可愛く、素敵だなと感じました。

参列者は各々青のドレスや小物に青を入れたりしており、今まで行った結婚式でもカラーコードがある式は初めてなのでとてもわくわくしました。

広々とした庭で堅苦しくなく、みんなフレンドリーに会話をしながら式をたのしんでいたのですがお色直しの際にちょっとしたサプライズがありました。

そのサプライズはお色直しにいった花嫁がドレスを着替えてでてきたのですが、椅子に座り旦那さんがバッサリとロングヘアーだった彼女の髪の毛を切っていったのです。

まるでヘアショーのように音楽に合わせて切っていく姿はみんな釘付けでした。

その後メイク、ヘアメイクさんと旦那さんの3人で花嫁のお色直しをし、出来上がった彼女は青色のドレスによく似合うショートカットの花嫁になっていました。

いままでいった結婚式はどれも正直似たような式がおおかったのですが、こんな経験は初めてでとても感動しました。

また、美容師さん同士の結婚だからできることなんだなと関心しました。

カラーというコンセプトが統一され、ガーデンウェディングで、お色直しも斬新で本当に見ている人もみんな大満足の式でした。

いつか私も結婚式をあげるならお色直しに髪型を大幅に変えたいと考えているので、この新郎新婦にはいつか私が結婚するときはお願いね!!と伝えてあります。

こういった自分のやりたいことが叶うような式場探しやプランナー探しは大変だとは思いますが、一生に一度の結婚式は彼女たちのように後悔しないような式が出来たらなと思います。

28才女性結婚式に着物でゲスト参加し目立ってしまった

今から5年ほど友達の結婚式のラッシュがあり、1年に1回は結婚式に参加していました。

結婚式に参加する時の服装をどのように用意したらいいのかわからず、毎回着物を着て参加していました。

その当時は友達の多くはパーティードレスを着ていることが多かったです。

そんな中で着物を着て参加するのは、ある意味他の人とは違っていることをしているようで気持ちが良かったです。

またメイクやヘアメイクもセルフでしたが自分なりにしっかりこだわって参加していました。

そうするのが礼儀なのかなと思ったからです。

しかしある結婚式に参加した時に、花嫁さんのお母さんからうちの娘よりキレイに仕上がっていると言われてしまいました。

実際にはお化粧も素人ですし、ヘアもおろしてあまり目立たないように自分では意識していました。

しかしそう言われてしまったのには、やっぱり派手にしてしまていたのかなぁとちょっと申し訳ない気持ちになりました。

結婚式で1番目立たなきゃいけないのは花嫁さんと花婿さんですよね。

着物を着て参加すると、一見オリジナリティがあるようですが、ある意味ひと目を引いてしまうこともあるようです。

私が着ていたのは薄いピンク色の着物でしたが、それでもドレスを着ている人の中では目立ってしまっていたんですね。

花嫁さんを目立たせるためには、みんなと同じドレスを着ることも、ある意味で友達思いな行動なのかもしれないなと思いました。

別のお母さんからは、着物を着てくれてありがとうと言われましたが、実際にはそう受け取ってくれる人は少ないのが私の経験からわかったことです。

ちなみにドレスを選ぶ時も、締め色カラーの紺やダークレッドなどをチョイスすると、白いウエディングドレスを引き立たせる色になります。

そんなカラーのパーティードレスを着ていけば、招待してくれた友人の開く結婚式に溶け込みやすい身だしなみになるのかなと思いました。

どんな格好をして結婚式に行ったらいいかわからないという人は良かったら参考にしてみてください。

35歳女性 妹の結婚式での父のスピーチ

 私は、現在、地元を離れ主人の地元で結婚し、中学生と小学生の子供を育てている、35歳の主婦です。

これは、妹の結婚式での印象に残ったエピソードになります。

私は、三姉妹の真ん中で妹は、私よりも5つ下になります。

あげ妹は今から、三年前の11月に結婚式をあげました。

妹は、旦那さんの地元で結婚したので、みんなで旅行をかねて結婚式のある県に向かいました。

うちは、母が八年前にうつ病の末自殺をしてしまいました。

そこから、父や姉妹で助け合って支えあい生きてきました。

妹が結婚するとなったとき、父は泣いてよろこびました。

それと同時に、結婚式に母が居ないというのもとっても残念でした。

結婚式前日、みんなで同じホテルでとまりました。

大部屋を予約し、姉夫婦と子供達、私たち夫婦と子供達、父、親せき二人の大人数でとまりました。

そして、みんなでお酒を飲みながら、昔話をしました。

親せきが、お母さんが生きていたらどんなに喜んだだろうね。

と言ってくれ、そこで久しぶりにみんなで泣きながら母の思い出をかたりました。

結婚式当日、父は姉が作ったスピーチの紙を何度もなんども読み返し、とても緊張していました。

結婚式場につき、控室でみんなでおしゃべりをしていると、いきなり父が泣き出してしまいました。

きっと、母の事を思って泣いたのでしょう。

結婚式の席に、母の写真も持って行っていたので、それを見てきっとつらくなったのですよね。

結婚式前なのに、人目を気にせずなく父をみるのはとってもつらかったです。

母を救えなかった自分を、いつまでも攻めていた父なのでその思いもあったのかなと思います。

いざ結婚式がはじまると、父は緊張しながらも、ちゃんと妹とバージンロードを歩いていました。

額にはびっしょり汗をかき緊張していましたが、妹のきれいな花嫁姿をみて姉も私も号泣でした。

結婚式は終わりに近づき、父のスピーチが回ってきました。

父は、なんと姉が準備した紙をみることなくしゃべり始めました。

父の名前は、かつおというのですが、冒頭から自己紹介をし、『新婦の父であります、〇〇〇でございます。

マグロじゃなくてカツオです!!』といきなり笑いをいれてきました。

それを聞いて、妹も姉ももちろんわたしも、涙から笑顔になりました。

父は、妹の事母の事などたくさん自分の言葉で伝えてくれました。

最終的には涙で終わったのですが、父のおもいがたくさんつまったやさしいスピーチでした。

31歳女性 衣装選びで妥協してちょっぴり後悔した

31歳の時、結婚式を挙げました。

式に招待したのは、親兄弟と僅かな親戚、友人だけで、レストランに併設された小さな式場でこじんまりと行いました。

挙式と披露宴の衣装は、夫がダークグレーのタキシード1着、私はどうしようか迷いましたが、予算もかかることから、純白のウエディングドレス1着にして、ベールや小物でお色直しすることにしました。

友人達のきらびやかな披露宴を何度も目の当たりにしているので、お色直しに華やかなカラーのドレスを着てみたい気持ちもありましたが、カジュアルなお式だし、僅か2時間のために十数万円追加で払うのに抵抗があって、1着のみの着用で済ますことにしました。

式当日、シンプルなデザインのウエディングドレスはとても好評で、友人達からも褒めてもらえましたが、いざ途中で退席して、もう一度出てくると、明らかにちょっとがっかりしたような雰囲気を感じてしまいました。

誰も言葉にはしませんでしたが、目線が「何だ、着替えてないのね」と言っているのが伝わり、やっぱり奮発してもう一着レンタルしておくべきだったと、軽く後悔しました。

しかも、私と夫は身長差が3cmなことから、式場のスタッフの方の心配りで、夫には5cm背が高くなる、シークレットシューズが用意されていました。

最初、靴を見た夫は普通のものに変えて欲しい、とスタッフにお願いしていましたが、見栄え的にはやはり身長差があった方が良いとのことで、渋々シークレットシューズを履くことになりました。

結果、いつもよりも背が高いことに気が付いた夫の友人達に、
「お前、今日は大きくない?」とか「履いてきたな」と言われて、夫はちょっと恥ずかしそうでした。

確かに後日、写真を見ると身長差がくっきりあり、見栄えが良いのは納得でした。

しかし等身大の飾らない結婚式をしようと決めていたので、いつもの身長差でも良かったのかな、とちょっと思いました。

結婚式の衣装選びは、あれこれ目移りもするし、予算もかかることから、なかなか決めるのが難しいものです。

しかし一生の思い出になる日だからこそ、自分が納得した衣装で挙式することが一番だと思います。

完全に希望は叶えられなくても、ここは妥協できないとか、これはやってみたいと思ったことは、出来る範囲で頑張って実現してみることをお勧めします。

30歳女 友人の結婚を素直に喜べない人のスピーチ

私が30歳の時の話です。

私には同じ年の友人がいます。

30歳になり、その友人が結婚をすることになりました。

相手はAさんです。

Aさんと私たちは同業種ということもあり、職場通しでもつながりがあり、よく飲み会等していました。

Aさんと同じ職場にはBさんという男性がいました。

Aさんはほんわか優しいタイプ、Bさんはよく気が付く神経質タイプな感じです。

私は、Aさんが友人に恋をしているのと同時に、Bさんという男性も、友人に恋をしていることを知っていました。

友人本人も、Bさんから誕生日プレゼントをもらったり食事に誘われていたので、好意を持たれていることは知っていたと思います。

ですが、結婚を決めたのはBさんではなくAさん。

職場が同じため、当然のように結婚式には呼ばれます。

そして、AさんとBさんは仲が良かったのか、友人代表のスピーチを頼んでいたようです。

結婚式当日、友人代表のスピーチということで、Bさんが前に出てきました。

司会の人が「友人代表のスピーチ〇〇さん(Bさん)、お願いします」と促します。

ところが、「・・・・・・・・・・・・・・。


Bさんはずーっと黙ったままなのです。

こちらが不安になるほどの長い沈黙の後、「すみません、胸がいっぱいで」と小さな声で言いました。

司会の人も、さすがに無言で終わらせるわけにいかないと思ったのか、「では、お友達とのエピソード等・・・。

」と別な話を引き出そうとしたのですが、やはり「・・・・・・・・。

」無言でした。

結局、司会の人の「友人の結婚を心から喜んでいて胸がいっぱいなのですね」という無難な締めの言葉によって、友人代表の挨拶は終了しました。

私は、恋をしているのを知っていたので、スピーチできないというか、したくない胸の内がなんとなくわかるような気もしました。

ですが、これは恋していることを知っていたからのことです。

もしそれを知らなければ、「友人なのになんで話さないの?」 とか、「準備してないのかな」なんて不審に思ったことでしょう。

結婚式のスピーチ、Bさんはもう大人ですから、心から喜べなくとも、なにか話して欲しかったな、と思ったエピソードでした。

32歳 女 両親と料理が印象深い結婚式

32歳、女性です。

一番印象に残っているのは、やはり自分の結婚式!

26歳の時に挙式したのですが、だれの結婚式に参加してもやはり自分の結婚式を思い出します。

まず印象深かったのは、うちの両親がずっと挨拶回りをしてくれていたこと。

親戚・友人・勤め先の方で総勢60名ほどが参列してくれていたのですが、披露宴の間中ずっと各テーブルを回っては雑談し、お酒を注ぎ、たくさん交流をしてくれていました。

もちろんこちら側だけでなく、旦那側のテーブルも全てくまなく回って挨拶をしてくれていて、こちらとしてはもっとゆっくり過ごしてくれていいんだよといいたくなりました。

そして、式の最後に私の父にも挨拶をもらったのですが、その際に話した内容にびっくり。

「まず今日この料理を出していただいた方は出てきていただけますか?」

もちろん料理人の方たちは忙しいので出てこれないのですが、少し間をおいて父が続けました。

「出てこれないと思います。

私も調理師をしているのですが、これだけの料理を作るのは本当に大変だ。

今日のこのハレの日に、こんな素晴らしい料理を提供していただいたことに感謝します。

ありがとうございます。

まさかの列席いただいた方への挨拶ではなく、料理人の方への感謝から始まったのです。

あまりに父らしいスピーチに私は思わず吹き出しそうになりました。

会場の皆さんも披露宴中に父と話していて、人となりを少なからず理解していただいていたのか、式の後にも「良いお父さんだね」といってもらうことが何回もありました。

あと実際に出された料理は本当においしかった!!

元々、式場見学で出せれた料理がおいしくてこの式場に決めたのですが、やはりその判断は正しかった。

特にメイン料理のフォアグラの牛のソテーは絶品!

これまた友人や父からも事あるごとに「結婚式で食べたフォアグラは今までで一番おいしかった!」と褒められます。

これには私も同感でこれまで何回も結婚式に参列していますが、これを超える料理には出会ったことがありません。

そんな両親と料理のエピソードが印象深い結婚式でした。

「結婚式の招待状は東京銀座のド真ん中で二次会」38歳 男性

現在、四国の徳島の山奥の祖谷地方の近くのみよし町という山奥の片田舎の地方にすんでおります。

 今から10数年前の其の時分、偶々大学時代は徳島市に数年住んでおりましたが、勿論、東京などという大都会のようなところはテレビなどで見る以外は全く知りませんでした。

其の徳島の大学時代に自転車で四国一周の旅をしていた時に、足摺岬を見物した後に土佐清水のゲストハウスという宿に宿泊しましたが、其の時にドライブ旅行で東京から見えていたAさんという方と同室になり、彼と朝近くまで一緒に飲んだのです。

すっかり意気投合した彼が、実は間も無く東京で結婚するというのです。

 其の時私は、「へえーー、いいですね、でも東京ですか、東京は一度でいいから行って見たいなとも思っていたところです」といったところ、彼が「それじゃ、ボクの結婚式に招待しようか」というのです。

その後、半年ほど過ぎて忘れかけていたころ、東京の彼から約束した結婚招待状に関した手紙が届いたのです。

 其の時の主な内容は、結婚式の招待状の前に、式の日取りや会場、それに気を使って宿泊の伺いや二次会への招待状の件、それに交通費の一部負担のことまで書いてありました。

 つまり、招待状とは別に、当方への気遣いの文面が記されていたのです。

当方は、手紙などで書くのは面倒くさいから、其の夜、早速電メールで「おめでとう」といいながら、二次会の出席はOKなどの返事、其れにチョットした最近の世間話しなどを話しました。

 そして、数日たったらご丁寧にも結婚式の披露宴の招待状、更には、二次会の招待状まで正式に届いたのです。

当日は早速、神戸まで出て新幹線で東京へ向かい東京駅の近くの式場へ向かいました。

 式場は東京駅の八重洲側で歩いて直ぐのところでした。

 そして、式も終わり華やかな披露宴も無事終わって、イザ、二次会へむかいました。

二次会は、これまた式場から歩いても行けるすぐ近くの「銀座・らん月」という洋風料理の老舗のレストランでした。

 二次会では若者ばかりでコレ又華やかな雰囲気で行われ、特に、独身者が多く奥方の友人たちも勿論独身者ばかりで、まるで集団のお見合いか婚活パーティのようでした。

 だが、何よりも驚いたのが此処は東京のド真ん中でしかも銀座の中心地(銀座4丁目の直ぐ近く)でもあったところなのです。

 夜の銀座はとっても華やかで綺麗だったし、一生の思い出になりましたね。

36歳主婦、式場に導かれて

36歳大阪在住の主婦、二児の母です。

今の夫とは出会って半年で結婚を決めました。

付き合って3ヶ月頃のときに(まだ結婚は意識していませんでした。

)、デートで和歌山マリーナシティに花火を見に行きました。

その帰り、駐車場が遠かったこともあり、ゆっくりぶらぶら歩きながら車へ向かっていたところ、とても綺麗な建物があり、門構えもとても素敵でした。

門の入り口にスタッフさんが立っていたので「綺麗な建物ですね~」と話しかけると、「良かったら中をご覧になりますか?冷たい飲み物も飲んで行ってください。

」と言ってくださいました。

駐車場ままだまだ込んでいて喉も渇いていたので、「いいんですか?」と図々しくも中に入れてもらいました。

そこが、なんと結婚式場だったのです。

変な勧誘は特になく、アイスコーヒーを頂、建物の中を案内してもらいました。

とても綺麗でホテルなどの式場と違い、建物が孤立しているので、大きなホームウェディングのような感じでした。

結婚なんて全然意識していなかった私たちは、初めて見学する式場に、はしゃいでいました。

その時のスタッフさんに、「万が一結婚することになった時はここで挙げますね~」と冗談を言いながら、喉も潤い、駐車場へ向かいました。

その半年後、婚約し、あの時ふらっと寄った結婚式場に打合せに行きました。

もちろん担当して下さったのは、案内してくれたスタッフさんです。

とても縁を感じました。

結婚式自体あまり興味が無かった私ですが、ふらっと立ち寄った式場が頭から離れず、ここなら!と思いました。

打合せや、準備には時間がかかり、こちらのわがままにも付き合っていただきいい結婚式をすることが出来ました。

とても大変でしたが、今思えば、導かれるように式場の見学をし、そこからトントン拍子で結婚が決まり、不思議な時間でした。

今でも毎年夏になると、子供たちと和歌山マリーナシティの花火を見に行きます。

その帰り駐車場を通るときには、「ここでパパとママは結婚式したんだよ~~」と話をしています。

54男 思い出と結びつく結婚式

もう50代なので最近10年くらい結構式には参加していませんが、友人や会社関係、従弟の結構式など30回くらいは出席しました。

自分の結婚式も含めて出席した結婚式の多くはホテルや結婚式場で行われたもので、どれも素晴らしくとても良い結婚式だったと思います。

ただ出席してから10年20年経ってもあれは断トツで良い結婚式だったなと思うのは、高原のホテルで泊りがけで参加した友人の結婚式でした。

結婚式自体はごく一般的なものでチャペルでの式、その後のパーティ会場での披露宴というもので、それ自体は他の結婚式と甲乙つけがたいものでした。

決定的に違ったのは参加者の多くが泊りがけで結婚式場のホテルに泊まった事でした。

参加者には私の友人も5~6人参加していて、ちょっとした同窓会気分で夜通し話しをしました。

友人である新郎も部屋に何度も訪れでは長居して話に加わりました。

一般的な結婚式だと結婚式に参加して披露宴に参加、そしてその後の二次会三次会に参加というようなものでしょう。

それはそれで楽しいですが、大勢の参加者の中のひとり、そして新郎・新婦は時たまテーブルにやってきては少し喋っておしまい。

そんな感じでしょうか。

やっぱりこれだと何かせわしい感じでしっとりとた話しにはなりませんでした。

対してホテルで泊りがけの場合は、友人とも新郎ともゆったりと話せましたし、帰りの時間を気にせず話せました。

加えて高原の良い風景も印象的でした。

出席して良い結婚式だったと感じるのは、食事やホテルの豪華さや良さではなく自分がどの程度新郎新婦と交流を持てたか、又は他の参加者と交流を持てたかによるのではないかと思います。

せっかく3時間の披露宴に参加しても新郎新婦と話せる時間って、キャンドルサービスの1~2分ですよね。

あとはビール次に行った時に1~2分と。

これでは大勢の中のひとり、もしくは出席人数を稼ぐための人数合わせ感を勝手に感じてしまいます。

豪華でなくてもいいので出席者がそれぞれの思い出と結びつくようにできると、いつまでも良い結婚式として記憶に残るのではと思います。

私の場合は新郎も含めた古い友人たちと夜通しゆっくり話せた事とその結婚式が結びついたので、25年近く経ったいまでも良い結婚式だったと思えています。

32歳女 多いやりにあふれた結婚式

はじめまして、私は現在30代で主婦をしています。

これまで自分の結婚式も含めて友人、親類などの結婚式にいくつか参列させていただきましたが、中でも記憶に残っている結婚式は友人の式です。

友人は実家のある県のお隣の県の方と結婚をしたので、式はご主人の出身県で行われました。

遠方での結婚式となったので、新婦側の出席者は割と少な目で、その数に合わせるように新郎側もやや少なめの出席者でした。

なので、比較的こじんまりとした雰囲気があったのですが、それが良かったなとすごく思えた式でした。

友人席には全然知らない方もいたのですが、式中にあった催しのおかげで気まずさは解消されました。

特に新郎新婦がお色直しをしている間、各テーブルに何も乗っていないシンプルなホールケーキが用意されました。

ここにチョコペンやフルーツを使って絵を描いたり、デコレーションするというものでした。

それぞれのテーブルで和気あいあいと協力しながら作り、それを新郎新婦が最後に採点し、気に入ったケーキを作れたら、プレゼントがもらえるという催しでした。

初めてあった人と協力して作りましたが、その時に「何か新婦との思い出に残るものなどを書こう」と言ってくれた人がいて、それぞれに出し合い作りました。

新郎新婦のお気に入りには選ばれませんでしたが、参列者同士で交流する機会となってなかなか楽しかったなという記憶が強く残っています。

また新婦側の出席者は送迎バスで往復3時間以上かけて行きました。

新郎新婦はこのことが気にかかっていたようで、行きも飲み物や食べ物を用意していてくれたのですが、帰りにはその県のお土産をたくさん用意していてくれました。

やはり遠方から来て、観光もできずに帰るということが気になっていたようですが、お土産をたくさんいただいたので、その県の魅力はかなり伝わりました。

新婦である友人が慣れない環境で上手く過ごして行けるのかなと思っていた友人たち一同も、なんとなく安心できたように思います。

新郎新婦の思いやりや優しさが伝わり、本当にいい式だったなと思えました。

28歳女 イヤリングのつけ忘れ

現在28歳で、結婚式は27歳のときに行いました。

憧れの結婚式や花嫁姿を実現するため結婚式準備に力を入れていましたが、当日とっても後悔してしまったことがありました。

私の経験がどなたかのためになればと思い、その経験を紹介させていただきます。

結論から言いますと私の後悔してしまったことは、当日イヤリングをつけ忘れてしまったことです。

そのイヤリングは義母からいただいたもので、デザインもかわいらしく、また義母自身も結婚式のときにつけたものでした。

そんな思い入れのあるイヤリングを私も好きになり、当日つけることを楽しみにしていました。

いったいなぜつけ忘れてしまったかというと、ヘアメイクのスタッフさんのミス、そして気づかなかった私のミスです。

事前にヘアメイクリハーサルを行ったのですが、その時に実際に使うアクセサリーを持参し、当日と同じようにヘアメイクをし、アクセサリーをつけ、スタッフさんが写真を撮り、当日用に指示書も作ってくださいました。

そして結婚式当日の朝、アクセサリーを持参し今日使うものとして机に置いていたのですが、当日のバタバタでただただ忘れてしまったのです。

私はお色直しでそのイヤリングをつける予定でしたが、花嫁の支度部屋がコロコロと変わり、大きなホテルの会場だったため他にも何名かの花嫁さんがいてスタッフさんもバタバタしていました。

支度部屋が変わっているうちに机に置いてあったイヤリングケースもいつのまにか荷物の中に仕舞われ、お色直し後に「これで大丈夫ですか?」と聞かれた際に私も気が付かなかったのです。

スタッフさんもヘアメイクの指示書を持っていたのに、おそらく忙しくて当日は見ていませんでした。

私は結婚式が終わったあと、写真で見返してイヤリングをつけてなかったことに気が付きました。

事前にスタッフさんにはイヤリングのことは話しておいたのに…と思いましたが、今さら苦情を伝えてももう結婚式は終わっています。

そしてやはり自分自身も気づけなかったのは事実なので、イヤリングのことは悲しいですがしょうがないと思うようにしました。

大きなホテルでの結婚式は料理やサービス、宿泊などとてもよかったのですが、一日に何組も結婚式があるのでヘアメイクはかなりバタバタします。

ヘアメイクは式場で頼まずに、外注で依頼するという方法もあります。

その場合はホテルの客室でヘアメイクを行うかんじになり移動時間は多少かかりますが、自分一人だけのヘアメイクさんになるのでとても良いと思います。

これから結婚式を控えた方々が、後悔の無い楽しい結婚式になることを願っています。

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