人生の転機になった出来事って何?前兆はあった?50人に聞いてみた!

目次

40代男性 周囲に惑わされずに自分の信念を貫いて良かった!

初めまして私は都内在住の男性です、私の新しい体験で人生が変わったと思った時のお話しをさせて頂きたいと思います、宜しければ最後までお付き合い下さい。

私は現在40代なのですが10代の学生時代の頃から釣りが趣味で近くにある川に行きよく釣りをしていました、この趣味は20代になっても変わらず周りの同年代の知人友人達は女性の会話やらナンパやらをして遊んでいましたが、私は一人釣りをしていました。

そんな事をしているとアイツは釣りばかりだから遊びに誘っても来ないよ!と思われ徐々に知人友人達からの遊びの誘いは無くなっていきました、もちろん私も20代の男性でしたから異性に興味はありましたし、恋人も欲しいと思った事も多少はありました。

しかし結局私の中では異性より釣りが勝ってしまい更にのめり込んでいきました、しかし私は当時釣りが好き過ぎて就職はせずにバイト生活をしながら各地の釣り場を転々と回っていました、なので親族や知人友人達の目はかなり冷やかなモノでした‥。

それはそうですよね、周りの同年代の皆はちゃんと就職をして正社員として働いているのに私は週に数日バイトをして釣りばかりを自由気ままにしていましたから‥もちろん私は周りの人達から言われなくとも自身で認識はしていました。

そんなこんなで月日は流れて30代に入り、周りの同年代の人達の中には結婚をして自分の家庭を持つ人間も続々と出てきました、しかし私は恋人もおらず相変わらず釣りをしていました、さすがに親も心配して恋人作らないの?結婚の事とか将来の事とか考えてるの?と言われ始めました。

しかし私はこの時も釣りにしか興味が無く‥適当に話を聞いていました、そんな日々を送っているとある日釣り仲間の人から釣りの大会に出場しないか?と話を持ちかけられました、私は時間もあるし大会は面白そうだなぁ‥と思い出場する事にしました。

そして大会当日になり私と釣り仲間の知人は大会に出場して結果は上位ではありませんでしたがなんとも言いようが無い楽しさを感じる事が出来ました、この日から私は一人でも大会にエントリーするようになりました、そして私はこの新しい体験により人生が変わっていきました。

私は大会にエントリーして出場していると徐々に知り合いが増えていき中にはプロアングラー(プロの釣り人)もいました、そんな中で私は色々な人間と会話をして色々な釣りの知識を身に付けていく事が出来て、知らぬ間に私はプロアングラーになりたいという目標が出来ていました。

そして私はプロ資格を取得する為の大会にエントリーをしてチャレンジし始めました、しかし取得といっても試験では無く試合であって勝負に勝たなければなりません、私は数十回と敗れましたが最終的にはプロ資格を取得して日本バスプロ協会認定のプロアングラーになりました。

この時年齢は35歳でした、しかし私の釣りが趣味(遊び)からプロ(仕事)に変わった事で今までお前はバイトして好きな釣りばかりやって遊んでて良いなぁとか将来どうするの?結婚の事とか考えてるの?とか言っていた人達の私に対する態度が変わりました。

この時私は正直‥人間ってここまで態度が変わるモノなのか‥?と多少呆れましたが、プロ選手になっただけでまだ賞金が稼げて無いからこれからだよ!と適当に話をしたりして私はいつも避けるようにしていました。

そして更に月日が流れて現在は私も40代になりましたが現役のプロアングラーとしてバリバリ釣りをしています、少ないですが大会会場では握手やサインを求められる事もありますが、あの時釣り仲間の人に大会に誘われてなかったらこんな華やかな人生では絶対に無かっただろうな‥といつも心に思ってしまいます。

以上で私の新しい体験で人生が変わったという事のお話しをさせて頂きました、最後までお付き合い下さいましてありがとうございました、それでは。

34歳女脱OLで自由な人生

私は34歳女性会社員です。

30歳の時、資格取得に専念する為、長年勤めていた会社を辞めました。

経理職でバリバリ働いていました。

仕事はうまくいっていたものの、満員電車に揺られ会社と自宅の往復をする毎日にどこか寂しさを感じていました。

残業や休日出勤もあり、運動する時間も作れなくなり、だんだんと体力の無くなっていき、よく微熱を出すようになって行きました。

このままでは良くない、何か変えなければと感じていました。

そこで、退職し、英文会計の資格取得に勉強に専念し、夢を見ていた企業へ転職しようと考えました。

ダラダラしないように、また、次の転職にも不利にならないように、仕事をしない期間を1年と決めました。

退職後、始めのうちは生活の変化に慣れず、昼間家にいることに罪悪感を感じるようになりました。

縛られていたル―ルから解放されてうれしかったのは、最初の数日だけ。

その後、自分で自分を管理する難しさを感じていきました。

勉強の休憩をかねて、今までできなかったことをするようになりました。

読書、ネットサーフィン、異業種交流会、朝活、海や山へのレジャーなどです。

中でも、ビジネス系や自己開発系の読書とネットサーフィンを通して、今までの自分の視野の狭さに気づきました。

「会社に依存せず、好きなことだけをして稼いでいる」方がたくさんいることを知りました。

そしてその方々は天才とか特別なスキルを持って生まれたわけではなく、圧倒的な行動力でトライ&エラーを続けただけというところにも驚きました。

1年後無事、資格を取り、あこがれの外資系企業の管理職に就くことができました。

あこがれの企業に就職したものの、会社以外の世界があるということを知ってしまい、1年で退職してしまいました。

いつか10年後くらいに、海外に移住出来たらなぁと夢を見ていましたが、1年で現実になりました。

今はタイのバンコクに移住しています。

東南アジアでは、工夫すれば月5万円くらいで質の良い生活をすることができます。

収入は多くありません。

会社員時代は、ビジネスクラス航空券で出張し、移動はタクシー、ホテルで会食、など贅沢をしていました。

今はLCC、徒歩、地元の人たち(低所得者)に混ざり各駅にとまるバスや3等級の鉄道にも乗ったりします。

食事は自炊や綺麗な屋台で済ませます。

シンプルな生活が合っているようで、高級レストランも良いかもしれませんが、今のライフスタイルが一番幸せを感じます。

今は、自分の好きな時間に好きな生徒だけに日本語教えたり、
「自分で自分の人生を操縦している」という幸福感があります。

好きなイベントを開催して参加費を頂いたり、市場で安い掘り出し物を見つけては、ネットで販売をしたり、携帯で撮った写真をネットで販売したり、FXのトレードをしたりしています。

あの時、会社を辞めていなかったら、今はきっと会社に行けないくらい、心も体も病気になっていたことでしょう。

54歳女 20代の経験で人格形成に転機が訪れた

現在、パート主婦、娘一人、家族3人で生活しています。

これは私が20代前半の頃の話です。

私が10代の頃、自分に自信がなく、人見知りでしかも親とは
あまり関係性がよくなく、何かと言うとすぐ批判され、私自身を認めてくれないような親でした。

でも親の言うことを聞いていればとびきり甘やかしてくれるそんな母親。

だから親の前ではいい子でいて、心中は自分が嫌いで、反骨心もあるのに、人前では社交的にもなれない。

そんな自分が嫌で
性格を変えたいと常々思っていました。

高校を出て就職し、服飾の販売の仕事に就いてから
少しずつ社交性を身につけ何とか人前でも話せるようになったけど、なんだか見せかけだけ。

そんな自分も大嫌い。

親に批判されてばかりいた自分の性格がそうそう変わるわけでもなく、好きになるわけでもなく、かなりネガティブな毎日を送っていました。

そんな20代になった頃、体調を崩し、販売の仕事を辞めて
暫くアルバイトでもしようと選んだのはレストランBar
接客業でもお運びのウエイトレスなら出来るだろうと
軽い気持ちで仕事を始めました。

でもこの店、レストランというよりカウンター主体の完全なるBarで、お客も独りでふらっとお酒を飲みに来るようなお店。

当然カウンターの中で
お客を相手にするには話をしなければならない。

当たり障りのない話からトークスキルを磨いて
いつの間にか人当たりのよい自分に変身した。

過去の自分と正反対だった。

毎日がお酒と共に楽しくてすごく充実していた。

でもそれはお酒の力もあったと思う。

お酒を飲んでいる間は
テンション上げ上げの自分。

飲む前はネガティブな昔の自分。

いつのまにかどれが本当の自分か解らなくなり、そんな自分に恐怖を抱きました。

でも、どれもありのままの自分を受け入れてから自分自身が楽になりました。

この仕事は大変でしたが私にとってとても重要な体験だったと今でも思います。

まあ後悔するとするならば、お酒でずいぶん醜態をさらしたのは未だに黒歴史になっています。

それもまたよい人生経験かな?
それがあるから今の自分があると思っています。

45歳 女 ドラムを始めて人生変わりました!

はじめまして!。

私は自営業の40代女性です。

私の人生が変わった体験は「ドラム」です。

小さい頃からずっとクラシックピアノを習っていて音楽は大好きだったのですが、若い頃はクラシックやアイドルの歌うポップスばかり聞いていました。

それが大人になって、ロックに目覚めたのです。

洋楽・邦楽問わず、色んなロックバンドの曲を聴くようになり、そのうちそのリズムの心地よさに目覚めました。

ドラムの音がとても気に入って、どの曲を聴いていてもドラムの音に耳を奪われるようになりました。

そのうち、ドラムを叩いている映像を観ていて「なんだか自分でも叩いてみたいな。

」と思うようになったのです。

カッコいいドラマーさんの姿に自分を重ねて空想したりして楽しんでいました。

ですが、すぐに自分でドラムをやってみようという発想にはなりませんでした。

周りにドラムをはじめバンドなどをやっている友人・知人などはいませんでしたし、ドラム教室があるということも全く知りませんでした。

あるとき地域の吹奏楽団に入っている大学のクラスメートが、定期演奏会に出演するというのでみんなで観に行きました。

するとクラスメートはパーカッション担当で、マラカスやトライアングル、ティンパニなど色んな楽器を演奏していました。

途中でドラムをたたき始めたのです。

とても小柄な女の子でしたが、その時はパワフルでとてもかっこよく、輝いて見えました。

私は終始そのクラスメートのことしか見ていませんでした。

それをきっかけに「私もドラムやりたい!。

」と強く思うようになりました。

それからすぐにドラム教室を探して、体験レッスンを受け、あっという間に入会してしまいました。

初めてのドラムセットに感動したのを覚えています。

最初は小さな練習用パッドを使って簡単なリズムを叩けるように練習していきます。

ピアノを習っていたので楽譜を読むのには何の問題もなかったので、わりとスムーズに進歩していきました。

そしてドラムセットを使っての練習。

自分がドラムを演奏している!という感動を味わいながら日々練習をしていました。

それから後、ドラム教室での発表会にも何度か出演。

本当にあのとき勇気を出して習って良かったと思っています。

それまで何かやりたいなと思っても、なかなか行動することがなかったのですが、ドラムをやってみて、何かに思い切って挑戦するという行動力がついて人生変わったなと思います。

35歳女性 学生時代の海外活動をきっかけに生き生きした自分へ変身!

私は35歳主婦でもう時期一児の母になります。

現在はすっかり落ち着いた専業主婦の生活をしていますが、大学生の頃から20代の頃は「今したいことをする!」がモットーのように、学業や仕事をしつつも、長期休暇を取っては世界各国を駆け巡ってボランティア活動やバックパッカーを繰り返していました。

アクティブに世界中を飛び回るきっかけとなったのは、大学生2年生の頃に、ピースボートというNGO団体の「地球一周の船旅」のポスターを眺めて、なんとなく問い合わせたことでした。

その頃の私は、大学の授業以外にバイトくらいはしていましたが、もともと入っていたサークルもやめて、なんとなく日々に物足りなさを感じていました。

「何か、今しかできないようなことに新しく挑戦したいな」とぼんやり考えていたところでした。

しかし、地球一周だなんていきなり大き過ぎるチャレンジのようにも感じました。

ですが、問い合わせた際にスタッフの方から「ボランティアセンターの事務所にぜひ気軽に遊びに来てください!」と言ってもらえたので、本当に気軽に立ち寄ってみたのです。

すると、その場所には学生から退職した年代の方々など幅広い世代の個性的なメンバーが集まっていて、特に取り柄のない私を本当にあたたかく歓迎してくれたのです。

その、明るく開けた雰囲気がとても新鮮で楽しく、私は、今後地球一周はできるかわからないけれど、まずはボランティアスタッフとして通い始めました。

それから毎日のようにボランティアスタッフとして通い、すぐに仲間ができ、徐々に海外への関心も増していきました。

思い切って、両親に大学を休学して地球一周の船旅に参加したい旨を相談しました。

初めは猛反対されてしまいましたが、何度も説得を続けて、最終的には快く応援してくれることになりました。

それからは、本腰を入れてボランティア活動を進め、ボランティアスタッフ割引なども利用することができた上で、遂に地球一周の船旅へと参加しました。

約100日間の船旅では、船内でのイベントも、世界各国での現地交流や観光も、どれも本当に刺激的でした。

たくさんの人と出会い、たくさんの初めての国の景色を目の当たりにし、各国の食を堪能し、「なんて世界は楽しいのだ!」「なんて人生は楽しいのだ!」と生き生きとしたものでした。

忘れられない経験をたくさん積んで帰国した私は、その後の残りの大学生活で、旅で学んだことを研究発表したり、バイトをしてまた旅資金を貯め、新たな国へと一人旅に出掛けたりを繰り返すようになりました。

大学は無事に卒業し、社会人として仕事にも就きましたが、どんな仕事をしたいかということや、これからどんな人生を歩みたいかという自分の意志が、その初めての地球一周の船旅で出会った人たちや経験によって、大きく変わったことは確かだと思います。

周りの家族や友人たちには、そんなに好きなことばかり優先して大丈夫なの?という目で心配もされましたが、今振り返っても、その時にやりたいと思ったことを思い切ってやりぬくことができた20代があって本当に良かったと感じています。

心配をかけた両親にはこれから親孝行をしていきたいと思っています。

29歳女性、豪州ワーホリで在住国もキャリアもチェンジ!

29歳女性。

もともと海外在住だったのですが、思い切って仕事を辞めてオーストラリアにワーキングホリデーに行きました。

当時は、東南アジアの途上国にて企業勤めでした。

現地採用でしたが、やりがいのある仕事をいろいろ任せてもらえ、充実した日々を送っていました。

しかし、年齢のせいもあるのでしょうか、気づかぬうちに身体は疲れていたのでしょう。

徐々に病院に通院する機会が増え、元々持っていた呼吸器系の持病が悪化してきたときに、ここで一旦一休みしてもいいのではないかと思いました。

それを日本にいた友人に漏らしたら、「あなたはまだ若いし、年齢制限にも引っかからないのだからこの機会に、その権利を使ってみたらいいのでは」と勧められたのがワーキングホリデーでした。

はじめは、ワーキングホリデーは名前の通り、「ホリデー」だし、すでに社会人として長く勤めていた自分が今更20歳前後の若者たちに混じってまで…という先入観がありました。

しかし、ここで日本に帰っても、当時は冬、寒さが苦手の私はオーストラリアに渡航することを決心しました。

寮住まいなどの体験はhttps://www.bloomfield-real-estate.com/などにいろいろありますが、その当時情報が少なかったので大変でした。

もともと上級の英語力はあったのですが、この機会に、語学で身を立てられるようにと語学学校の最上級コースに通い、英語の資格試験に向けて猛勉強しました。

毎日覚えることがたくさんあって大変でしたが、久しぶりの学生生活をエンジョイしました。

最上級コースともなると、将来現地の大学院やMBAに本気で合格を取りにいくようなモチベーションの高い外国人が多く、国籍やバッググラウンドも多様で、クラスメートたちとの交流は宝物になりました。

無事に英語試験に合格、自信をつけ、フリーランスの仕事を始めることができました。

そして、その時に出会った欧州人のパートナーと、一緒に欧州に戻り、今は欧州で生活しています。

後悔していることは特にありませんが、オーストラリアは物価が非常に高く、特に家賃はシェアルーム(シェアハウス)でさえ高いので、そのあたりの覚悟をもっとしておいたら最初の1ヶ月に散財しなかったかなと思います。

仕事や住む場所、パートナー、全てが以前と変わり、私の人生が大きく変わったと言えます。

25歳女、仕事が楽しいと思えた!~挑戦、継続の末に~

私は20代の女性です。

私の【新しい体験で人生が変わった】体験は、挫折から始まりました。

初めての仕事に就いてすぐ辞め、その次も辞め、私は負け続きで挫折してばかりだと途方に暮れていました。

その時点で仕事をするようになってから2年は経っていたと思います。

そこで、思い切ってやりたい仕事で、すぐに始められる仕事は何だろう?と考えました。

周囲の人から「何かやりたい仕事はある?」と聞かれたのがきっかけで、違う分野の仕事をしてみようと思えたのです。

正直ワクワクしました。

今まで触れたことのない世界でどんなことをやるのだろう?とまずは飛び込んでみる事からだと考えていました。

そこでの仕事は本当に楽しかったです。

仕事が楽しいなんてことあるのかなあって今までは思っていたのです。

でも、そんな場所もあるんだということがわかって、こんな自分にも気さくに声を掛けてくれる人がいるんだなと実感し「よかった」と心から思っています。

あの時に出会えた人達は明るくて、くよくよしていなかったのも大きかったです。

そして優しくて、受け入れてくれる雰囲気があったというのが大きかったですね。

後悔していることはありません。

ただ、もう少しスタッフに自分から話し掛けていくことをしていくべきだったかなあとは思います。

私はコミュニケーションが苦手なので、どこへ行っても慣れるのが遅くて焦ってしまいます。

逆にそこはチャンスだと思って、積極的にやっていきたかった点ですね。

見ている人へのアドバイスとしては、「まず飛び込め」ということに尽きますね。

劇的に人生が変わるということってそんなにないと思うのですが、どんな時もそれは自分の行動次第だと思って下さい。

記入していて感じたのですが、私そんなに失敗続きでもないかもなあなんて思わず笑ってしまいました。

人生はまず自分の行動で変えていきましょう。

飛び込むのは怖いと思いますが、まずはできそうなことや好みのものから挑戦していってみて下さい。

私に言える、大事な点は
「挑戦」「継続」
です。

それができれば必ず、【新しい体験で人生が変わった】と実感できるはずです。

今大変な人も、これから何かをしていきたい人も、共に成長し素敵な人生にしていきましょうね!

44歳、女 転機は小学生の頃の学芸会

44歳の会社員、女性です。

新しい経験をしたのは11歳の時、だいぶ昔の話になりますが、それ以降、今日にいたるまで、この経験によって間違いなく今の自分がある、という人生を送っています。

それは、小学校の学習発表会、いわゆる学芸会でのことです。

その頃の担任の先生が少し変わった、一筋縄ではいかない人で、クラスの多くが「劇をやりたい」と言っていたにも関わらず「ならば、『表現読み』にしよう」と言い出しました。

今ならばそれが「ドラマリーディング」の部類になるものだとわかるのですが、小学生の頃には「表現読み」という新しい分野にワクワクしたことを覚えています。

その時にやったのはこうです。

教科書掲載のある物語を、段落や文章、鍵括弧などで小分けにし、クラス一人一人にパート分けします。

それを暗記し、普段の本読みよりも芝居がかった感じになるように抑揚をつけて、一人一人物語を繋いでいくのです。

そうする事で全員参加となり、また、人前に出る事が苦手な人も、暗記が苦手な人も、負担なく参加できるし、見せ場にも大きな差が生じません。

みんなが主役となるのです。

また、得意な子は苦手な子にコツを教えるなど、クラスが一気にグッとまとまった雰囲気になったことを覚えています。

みんなで協力し合いながら、一つの作品を創り上げ、それを観た人たちが(この場合は学習会を観に来ている親なので当然なのですが)喜んでくれる。

この時の快感が忘れられず、また、どのような抑揚をつけて暗唱すればどのような気持ちとして相手に伝わるかを一生懸命子供ながらに考えながら経験した「表現読み」の面白さが忘れられず、私はその後、大学入学と同時に地元の劇団に入団し、芝居の世界に足を踏み入れる事になりました。

芝居を最優先にした学生生活を送った結果、そして、芝居を最優先に考えた就職活動をした結果、4年制の国立大学卒業後にフリーターとなる、という事にはなってしまったのですが…。

それでも、職を何度か変えながらも、芝居を辞めることもなく、なんとか会社員に収まることも出来、今、非常に充実した生活を送っています。

あの時、「表現読み」という出し物でなければ、芝居の世界を目指すこともなかったでしょう。

そして、芝居を中心に置く生活もしていなかったでしょう。

ただ、それが今の幸せに繋がっているので、あの時の担任の先生には今でも感謝しています。

40歳 30年前の夏休みに価値観が変わった話

お寺での修行の体験 有名なのは福井の曹洞宗永平寺の3泊4日がありますが 私の場合 中学の夏休みに
富山にある臨済宗 国泰寺で前に一か月の修行体験をしたことがあり 私の中で価値観が大きく変化した
出来事だったのでそのお話を少し書いてみたいと思います。

もともとは親に勧められていきました とはいっても家は浄土真宗なので 宗派的なお話などは
横に置いておきます。

結構前の話になるのですが 始めていったときに客間に通されました その時に大学の先生も
来てらっしゃいました その方も 時々来て精神的なものをリセットするのだとゆうことを言
っていました。

そのころの私には今が分からないので「ふーん」っと軽く流したのを覚えています。

修行は 私も右も左もわからないまま お寺の方に 作業などを説明してもらい 最初はお墓のお供え物が
腐ったりしないうちに引きあげたりかたずけをしていました。

修行のほとんどは 座禅 写経の繰り返しでした 食事の作法もしっかり教えてもらい 言われるがまま
工程をこなしていました。

そうこうしているうちに 大学の先生は去り 新しく自分と同じくらいの年代の人間が沢山 次から
次とやってきました。

その時から 客間から大広間での生活になり みんなで作業 座禅などの工程をもくもくとこなしていました。

小学生のような子も来ていましたが 序列的なものはあまりなく 一般社会とは少し違いました。

私に すごくなついた子がいたので 私はなんとなくその子が遅れがちになったりするところをフォロー
しながら工程をこなしていました。

よく修行は辛いとゆう印象があると思うんですが あまり辛くはありませんでした。

言われたことをやること 座禅では足が痛い 食事は質素で作法をまもり ほとんどの私語は禁じられて
いました でも ほとんどは慣れるとなにも辛くは無いんです。

質素な食事も そればかり食べていると美味しく感じられてきます。

なによりテレビなどもなにもなく 外部の情報はなにもないので 日々の生活をしているだけといった感じです。

こういっては何ですが 私には幸福な生活だったみたいです。

それは 修行の日が終わり 私になついた子が最後まで私の後をついて回り その中で お坊さんに挨拶をして
回り 最後に署名をしてお寺を出た時 滝のように涙が出てきたからです。

人生であれほど 理由の分からない涙を経験した記憶がいまだにありません。

あれから あの時に 私が一つだけ 強く感じた価値観は 人の生活に多くは必要がないとゆうのを強く
感じました。

ですから そのために嘘をついたりする必要も見えを張る事も必要がないとゆう事をハッキリと感じ
ました。

ドラマ的な展開はなにもありませんが修行の経験は とても良いと思うので機会があれば 体験されて
みる事をお勧め致します。

29歳で、専門学校へいって勉強したこと

40代の専業主婦です。

子供の頃から、勉強嫌いでした。

嫌いだし全く頭に入らないので、勉強することじたい諦めていた感じでした。

勉強しなければ、やはり出来ることも限られてきます。

高校をでてからはアルバイトなどはしましたが、アルバイトなので金銭的にも厳しくなってきました。

そんなときに、バイト先で知り合ったこが、専門学校にいって勉強して好きな職業に就きたいと話していました。

自分の頭にはない考えでした。

二十歳も越えてからまた、勉強することも、バイトなどをしながら勉強することも
すごいなと素直に思いました。

そんな彼女の話を聞くと、すごく自分のことについて考えてしまいました。

このままでいいのか、今まで人生についてこんなに考えた事がないと言うぐらいこの先どうしたいのかなどを考えました。

自分でも、ビックリするぐらい何をしたいのか、何が出来るのかについて考えました。

その彼女は、看護師になるために専門学校に行ったのです。

私も医療系に興味があったし、やってみたいなと感じたので、そう仕事につくためにも専門知識は勉強したいと思い、勉強して専門学校に通うことになりました。

今までの人生で一番勉強した時期でした。

確かに、今まで必死で勉強していなかったなと猛烈に反省しました。

そしてどうして何も勉強しなかったのかとすごくもったいなかっと思いました。

若い頃は、勉強がいやで嫌で何でしないといけないのかと思っていましたが、いざ自分が社会に出て何の知識もないことに困ることはたくさんありました。

時間はかなり遅くなったし、時間もかかりましたが専門知識を勉強して資格をとることが出来ました。

もっと前からやりたいことがわかればもちろんそれが一番いいのですが、そうでなくてもやりたいことが見つかってからでも、いろんな勉強は出来るし、頑張れば変われるんだなと感じています。

新しくやりたいことが、見つかればやればいいんだなと本当に思いました。

新しく勉強したことで、全く違う人生に変わったので良かったと思います。

31歳女性、神社参拝で鬱屈した人生に光源を見出す

わたしは日本の西側に住む三十代の独身の女性です。

自分探しの旅とは昔からよく聞く言葉で、人生に行き詰りを感じたときに自分も同じように、自分探しの旅にでも出てみようかと考えたことがありました。

ですが病を患った肉親の母親を家にひとり残し、遠方の地に赴くことなどできませんでした。

なにか問題がおこるかもしれない、わるいことがおこるかもしれない。

むかし、なんどか交番のお世話になってしまったことがあり、母から目がはなせない状況におちいったことがあります。

それならいっそ、可能なかぎり交代で母をみようという事になり、旅行のりょの字もない人生になりました。

なので、わたしは近所でなにかないだろうか、と検索するのが趣味になっていきました。

そこまでの田舎ではなかったものの、できたおしゃれなお店はなぜか一年ももたず閉店する土地でした。

一年以上もてば何年も続きますが、常連さんばかりで居づらい場所になります。

そこで神社めぐりをしようと思いました。

人もそこまで多くなく、キレイで広くて落ち着けます。

かわいい雑貨のようなお守りや、神社によっては和風の小物も縁起物として置いてあって、和風の小物が好きな私には楽しい散策になりました。

神社仏閣はだいすきだった祖母も愛していて、たくさん参拝していたようでした。

祖母が行きそうな神社仏閣を「ここも祖母が参拝したのかな…」と思いながら参拝するのも楽しい散策になりました。

季節毎、年末年始だけ引けるかわいい張り子付のおみくじ、祭りのときだけかけられる色鮮やかな布、煩わしい対人関係がなく挨拶だけさせていただく見知った参拝者の方。

春には桜が咲き、赤い鳥居に装飾を施し、雲の影がさし薄暗い神社内にぼんやりと光るようなハナニラの花が蛍のように散らばる様に目を奪われ、神社の方と言葉を交わすうち、自分の中で色々なものが変わっていくのを自覚しました。

参拝するだけで喜んで微笑んでくださる神社の方に、感謝する事の大切さ、献身、愛情、嘘を付くことの悪さ。

様々な事を教えていただきました。

不信心だった私も神社に参拝する、という新しい体験のおかげで人生がより良いほうに代わっていきました。

なにげなく近所に神社をおさんぽコースに変えただけでも人生がすこし変わりました。

そんな気がしただけなのでしょうが、普段とは違う、新年以外にも神社という神聖な場所に参拝するのも自分を変えるきっかけになると思います。

29歳男 浜省のコンサートに参加 甘ったれだった自分に決別

 こんにちは。

僕は29歳の男性です。

職業としては現在、自営業(フリーランス)をしております。

 そんな僕は昔からシンガーソングライターの「浜田省吾」さん(浜省)のファンです。

 しかしながら、コンサートに参加したのは中学生の時であり、それまではコンサートには参加したことはありませんでした。

 コンサートに参加する前の自分は、「甘ったれ」であり、何かあれば人に頼る。

人のせいにする。

人を責める。

そして、自分が具合悪い時等は少しくらいの事で、早退やら学校を休むというクズでした。

 どこからに「少しくらいズル休みしてもいいや!」という気持ちがありました。

 今思うと本当に情けないと思います。

 そんな時に親から「浜省のチケット取れたよ!一緒に行こうよ!」という事で、コンサートに参加しました。

 オープニングは「モノクロームの虹」というロック調の曲でした。

確か浜省さんは、赤いワイシャツをお召しになっており、男ぶりがカッコよかったのを覚えております。

 そして、コンサートは無事終了しました。

このコンサートに参加してみて、浜省さんから力を貰いましたし、なんだか自分が少しくらい辛らかったり、痛い・具合悪いくらいで休んだり、親に頼っていた事が情けなくなりました。

 後日に発売されたDVDを購入しました。

 赤いワイシャツの浜省さんをDVDでも観る事ができて、再会した気分となりました。

 そのDVDの特典映像に収録されていたのが、浜省さんはこの時足を怪我(肉離れ)というアクシデントがあったようです。

 それなのにいつもと変わらないパフォーマンスでした・・・本当にプロ意識とプロ根性を感じましたし、この特典映像にも勇気と力を貰ったのです。

 僕が思ったのは(心情としては)、「僕の方が確実に若いし、体力もある。

なのに何なんだ?この俺の無様なザマは・・・」と、「よし!昨日までの甘ったれの自分におさらばだ!今日から心を入れ替えよう!」という事になり、今日に至っているのです。

 後悔していることは、具合悪い・痛いくらいで学校を休んだり、早退したことに対しては、情けなくなりましたし心配してくれた先生やら友人にもなんだか申し訳ない気持ちとなりました。

 やはり健康体ならば、きちんと学校へ行き授業を受けて、友人たちといっぱい遊ぶべきだと思いました。

 最後になりますが、アドバイスとしては、「自分を変える」ならば新しい事に挑戦したり、やってみたり、見てみる事がとても重要だと思います。

 しかもきっかけは何でもいいと思うのです。

僕はたまたま浜省さんのコンサートというだけだったと思います。

 何か新しい事に挑んだ時に、自分を変える土俵に立っていると思って、新しい事に挑むといいと思います。

 きっと今よりも素敵な自分になれると思うのです。

46歳女 中年でバスケットボールを体験してスポーツが好きに

40代の2人の子どもを持つ主婦です。

私の人生にスポーツというものはどちらかというと無縁でした。

できる、できないではなく興味がありませんでした。

子どもは、昔から外遊びが好きで、幼少の育児から大変でしたが、中学の部活でどっぷりはまり、バスケットボールのクラブチームに入るまでに至りました。

そうなると、保護者の支援も必要になります。

家でのトレーニングや、重なる練習、合宿、試合と全てが初めての体験でした。

自分が身体を動かすという事は考えず、あくまでもサポートと思っていましたが、最近は子どものトレーニングに付き合うだけでは、小学生と違い自分に出来ることが少ないので、一緒にトレーニングをするようになりました。

初めてのバスケットボール練習のしんどさに驚きました。

簡単にではないのでしょうが、それなりにこなしている子どものプレーに感心しました。

身体の衰えもありますが、ランニングも筋トレもボールの付き方も私では、話になりません。

でも、自分で決めた幾つかのプレーはできるようになる、と期間と技の目標を決めて、一緒にトレーニングをしました。

初めは笑っていた子どもも、私ができるように一生懸命アドバイスをしてくれるようになりました。

子どものトレーニングの邪魔になっていないか心配でしたが、子どもは、大丈夫、楽しいよ、と言ってくれます。

出来ない事を、何度も挑戦していると、心が折れそうになります。

それに、大会に出る、という目標もありません。

どんな風に自分のメンタルを保てはいいのか不安になります。

でも、子どもと一緒にしていると、子どももそんな風に考えてトレーニングに取り組んでいるのかな?なんて思う事もあります。

たまたま、バスケをしている子どもの友達のママが、昔、バスケをしていたので、1対1のミニ試合形式を組んでみようと言われ、初めてのバスケットボールの試合みたいなものをしてみました。

二人とも、あまり格好のいいプレーではなかったのだと思いますが、子ども達の声援を背景に、私はとても感動しました。

子どもがのめり込む気持ちも分かった気もします。

試合は10分でしたが、身体は引きつっていましたが、気持ちが良かったです。

子ども達も、その後、もっと頑張る、と言ってくれ、無様な姿を見せたかもしれませんが、良かったな、と思いました。

私の中で、スポーツとは縁遠いものでしたが、それから色んなスポーツに興味が湧き、感動するようになりました。

スポーツをする方にはならないかもしれないですが、スポーツを楽しめる人生になったと思います。

「不健康な生活習慣から登山が趣味の健康生活」59歳 男性

先ず、個人的なことになりますが若い頃より会社のサラリーマンで、職務が完全なる事務系の仕事で会計や経理等の仕事をしておりまして、従って、常に椅子に腰掛けて仕事をする体勢が続く事になります。

 そして、50代も後半になりますと太り気味なり、お腹も出てきて足腰も弱ってきた処でもあり体重も増えて所謂、メタボ(メタボリックシンドローム)になりかけたところでありました。

そんな時期になって、遂に、ギックリ腰というか急性腰痛を患ってしまったのです。

 此れは辛いものですし、通勤時、仕事中、それにトイレに行くのも辛いかんじでした。

 遂に、辛くて医者に行ったところ、痛め止めを注射されて薬を服用しましたが、医者が言うには急性なので次第に良くなるはずです、と言われたのです。

そして、その後は次第に回復はしましたが、何となく痛みではないが疼くような感覚が残ってしまいました。

 そして、腰痛の原因と言うのは、やはり筋肉である腹筋や背筋の劣化や弱っているから起きているとも言われ、所謂、運動不足即からきている筋肉の劣化と言う事でした。

そして、この時期より建物のビル内においては出来るだけエレベーターを使わないで階段を使うようにしましたし、其れに、更に意を決して毎朝の目覚めてから朝食の前に30分ほど軽いウォーキングを実施するようになりました。

更に、30分のウォーキングというのは歩数計で測ったところ3000歩から3500歩程度になり、而も、毎日の通勤時の往復にも4000歩前後ありますので、此処で出来るだけよく「1日に1万歩が理想」と言われるように、筆者も1日に1万歩に近づけるように此れを常に目標にするようにしたのです。

このように身体を動かす事に意識をしていた時期に職場仲間で高尾山の登山に参加したのです。

 今まで家の近所の自然には触れていましたが、山の頂上に登って其の大自然の展望を満喫したのは初めてで大感激をしたのです。

それ以来、仲間と登山用品をそろえて各地の山を巡るようになったのです。

 関東地方では私の近くの丹沢山系や箱根の山、其れに奥秩父や中部地方の八ヶ岳や南アルプスの山、そして遂に、念願の北アルプスの槍ヶ岳や穂高連峰など、すっかり山歩き、登山に夢中になってしまったのです。

 つまり最近流行の中年以降の登山が趣味になってしまったのです。

このような状態になってからは、勿論、体重も減ってきてメタボの心配も吹き飛んでしまい腰痛など健康への心配も吹き飛んでしまい、気が付かないうちに山の魅力に取り付かれ人生が変わってしまったようなのです。

24歳男 何かをやらないといけないという気持ちになった朝焼け

私が24歳の頃の話です。

私は当時フリーターをやっていましたが、定期的に働くのが嫌で、短期のバイトを集中的にやって、しばらく無職でいるという限りなくニートに近い生活を送っていました。

やりたいと思うことなく、人に言えるような趣味もなく、ただただ生きていただけでした。

そんなある日、私のところに幼馴染みが遊びにきました。

そして、始めたばかりの登山の魅力について、熱く語り始めました。

昔から、感化されやすい性格だったので、私は話し半分に聞いていましたが、ある写真に興味を持ちました。

山々の朝焼けを写したものでしたが、ややピンぼけしていて、お世辞にも上手い写真ではありませんでしたが、何故か心引かれるものがありました。

そして幼馴染みに、
「この景色を見たいから、登山に連れていってくれないか」
と言いました。

幼馴染みは驚きました。

私の性格的に登山をしたいというタイプではなく、むしろ私登山している人をバカにするタイプでした。

そして私自身、自分の心境の変化に驚きました。

そのくらい、その写真には心引かれたのです。

その数日後、幼馴染みの車で夜10時に家を出発し、登山口を目指しました。

到着後、2時間ほど仮眠を取った後、山頂を目指して出発しました。

登山口からはヘッドライトを頼りに登って行きました。

夜の山は、ライト以外は真っ暗で、独特の雰囲気があり、少し恐怖を感じながらの登山となりました。

2時間ほどで、山頂の山小屋に到着し、夜明けを待ちました。

空気は澄んでいて、星も信じられないくらいきれいで、夜明けも期待できそうでした。

そして、徐々に空が白み始めました。

その光景は写真とは比べ物にならないくらい圧倒的でした。

明るくなる空や山肌が刻々と色や表情を変えていき、一瞬たりとも同じ景色ではありません。

私はただ呆然と佇み、雄大で壮大な景色を眺めていました。

おそらく人生初、そして、今までの人生の中で一番感動していたと思います。

そして猛烈に何かやらないといけない、何か新しいことを始めないといけないという思いが溢れました。

下山後、すぐに求人情報紙を買い、アルバイトを探しました。

すると、大型スポーツチェーンの求人を見つけ、私はまさに天啓だと思い、応募しました。

無事採用され、配置されたのが、登山コーナーの横のシューズコーナーでした。

暇を見付けて、登山道具の勉強をし、実際、自分で買うなどした結果、半年後に、登山コーナーを任されるようになりました。

今までとは別人のように働き続け、1年半後には、社員として中途採用されることになりました。

私の人生は、それまで無縁だった登山で見た朝焼けのきっかけに大きく変わりました。

もしあの朝焼けを見ていなかったら、私は半ニートから抜け出すことは出来なかったと思います。

まさに人生を変えた光景と言えます。

33歳フリーランサー ワーホリで一生物の経験

京都在住の33歳主婦です。

マッサージ店を退職後、現在はフリーランサーとして生活しています。

私の人生を変えた体験は、ワーキングホリデーです。

ワーキングホリデーとは18歳から30歳までの若者が基本的に一年間海外で旅行・就労・就学できるビザのことで、私も20代の時にニュージーランドとオーストラリアで各一年以上過ごしました。

一番良かったのは、行動する勇気と自立心が身についたことです。

世界各国から来ている同じ境遇の仲間達と過ごし、英語力は勿論ですが、”人に頼らず自分で何とかする”ことを学びました。

また、恐怖心を捨て行動に移すことで何とかやっていけるもんなんだ、と自信にもなりました。

ワーキングホリデーで渡航する以前は、夜の仕事をして貯金をしていました。

ですがストレスでメンタルを崩し、自然が多くて人々もゆったりしているというイメージが強かったニュージーランドに行こうと決断しました。

エージェントを利用しお金を支払って何でも会社に任せて手続きをする人も多かったですが、私は全て自分で手配し、それも達成感と自信に繋がりました。

現地では、日本の文化とは違い仕事最優先ではなく、個人の生活・プライベート・家族優先という方が圧倒的に多く、私も関わりの中で”もっと自分を大切にしていいんだ”と安堵感を覚えました。

旅の途中で知り合った友達数人からオーストラリアの魅力についても聞き、ニュージーランドワーキングホリデー期間終了後、日本に帰国しアルバイトでまた貯金をして、渡豪しました。

英語が上達するごとに、コミュニケーションの幅も広がり生活がより充実し、冒険に溢れるものになっていきました。

後悔は何もありません。

英語能力を身に着けたことがきっかけで今のアメリカ人夫との国際結婚にも繋がり、またウェブサイトオーナーやプロジェクト発起人達から翻訳活動も任せられ積極的に従事しています。

フリーランスで翻訳家になろうと決心したのも、自然の流れであったように感じます。

もし30歳以下の方で海外生活に興味がある、自分を変えたいという方がいたら、尻込みせずに是非ワーキングホリデーに挑戦して頂きたいです。

人生において、一生輝き続けるかけがえのない経験になること間違いなしです。

31歳女性 おひとりさまBARデビューで失恋から立ち直れた!

フリーで働く女性31歳です。

現在は彼氏ナシ。

彼氏いない歴は3年です。

なぜ、はじめに彼氏ナシを強調したかと言うと…
3年前に結婚を考えていた年下彼氏に浮気された挙句、あっさりフラれたことから新しい世界に足を踏み入れた経験を、これからお話しさせて頂こうと思ったからです。

当時の彼氏は5歳以上離れた年下彼氏でした。

約3年半付き合い、結婚を前提に同棲を考え始めた時に、彼の職場の同僚(彼と同い年)と浮気をされ捨てられました。

ちょうど転職したばかりで、仕事も上手くいっていなかった私。

彼にフラれたことで、かなり自暴自棄になっていました。

そんな時、柄にもなくお酒の力に頼りたくなり、騒がしい居酒屋で?むのも惨めだったので、ひとり呑み屋街のカウンターバーにフラっと入りました。

その飲み屋街は、所謂キャバクラやソープランドのようなお店が多数点在する街で、バーにもその関係者が来ていたりと、ちょっと治安は悪い場所だったのです。

が、逆にそれが『失恋して荒れている私』にはちょうど良く、あっとゆう間にバーの常連に。

初めて訪れた時から、常連さんやマスターが話し相手になってくれたので、特別孤独感もありませんでした。

徐々に常連さんの輪も広がっていき、私の容姿のお陰もあって(自意識過剰ですみません…)お金を持たずにお店に行っても、シャンパンやカクテルが飲み放題!の状況になっていきました。

時には常連さんではない男性から奢って頂くこともあり、女としての自信を取り戻していきました。

この文章を読んでいる方の中にも、『失恋したて』の女性がいるかもしれません。

中には特例もありますが、浮気の果てに自分を捨てていった男は二度と戻って来ないと思うのが懸命。

当時の私も、『頑張れば必ず戻ってきてくれる』と信じていました。

「時間が解決してくれるよ」「〇〇ならもっといい人がいるよ!」と月並みな励ましも全く受け入れずに、周りに嘆いてばかりの毎日…。

そんな私を解放してくれたのが『おひとりさまBARデビュー』でした。

きちんとお店の立地や口コミをチェックすれば、危ないお店は回避できますし、バーには本当に色んなひとが訪れ、多様な価値観に出会えます。

外見によっては、ありえないくらいチヤホヤされます(笑)
恋愛だけでなく、仕事や家庭などで病んでしまっている方々に、是非!おひとりさまBARデビューをお勧めします!
抱えている問題を解決しようと気張らずに、バーの雰囲気を楽しんでみて下さいね!

49歳女 好きなことをしてこの変化は最高です

40代主婦です。

私は現在ホットヨガを週5回続けています。

ホットヨガをはじめて5ヶ月目に入りましたがお尻が小さくなってきました。

ホットヨガをする前は常温ヨガが大好きで長く続けていて。

本当にヨガが好きで一生常温ヨガを続ける気満々だったのですが、ホットヨガを新しくはじめたら常温ヨガに目が向かなくなってしまったのです。

気が向いたときや汗をこれ以上出したくないときだけ常温ヨガをする程度。

ホットヨガは汗の量が尋常じゃないからいくつものレッスンを受けることは正直きついです。

現在1日に受けるホットヨガレッスンは多くても2つ。

普通はワンレッスン受ければスカッとします。

これ以上汗を出したくないけどもう少し体を動かしたい!と思うときに常温ヨガをするくらいになってしまったんですが、今はそのバランスも気に入っていますよ。

ホットヨガをはじめた頃は鼻呼吸が苦しくて気づくと口呼吸になりカラダに悪いことをしている意識がありました。

「こんな苦しい思いをして呼吸法もあったもんじゃない・・・」と。

しかし数ヶ月ホットヨガを続けていると人間の体はすごいですね・・・その環境に適応しようとするのですから。

あれだけ高温多湿の環境が苦しく苦手だった私が今は最後まで鼻呼吸でポーズに集中することが出来ます。

ホットヨガのおかげでこれまでどんなことをしても落ちなかったお尻の肉が落ちてきました。

たった数ヶ月間なのに、どうしようもなかったお尻のお肉が柔らかくなりセルライトが減ってきたのです。

お尻が小さく柔らかくなったことで今まではきたくてもはけなかったレギンスをはけるように。

スリムパンツまでスルッとはけるようになったのは太もものセルライトまで減ったからでしょう。

典型的な洋なし体型だったのでこの変化は幻を見ているよう。

これが幻ではなくこれからもっともっとお尻が小さくなってカッコイイスタイルになれたらもう最高です。

ホットヨガは私を変えてくれました。

26歳女 フルマラソンに挑戦で自信と感謝の心をGET

はじめまして。

北海道に在住しております、26歳の主婦です。

私が人生が変わった体験は、フルマラソンへの挑戦です。

社会人1年生の時、自由に使える時間が思っていたよりも多く、何か趣味を持ちたいと考えました。

元々中学の時に陸上部だったこともあり、私はランニングを始めることにしました。

初めのうちは、5キロ走るのがやっとだったのですが、だんだんと走れる距離も伸び、スピードも速くなってきました。

そうすると、自分の走力を試したいと思うようになり、大会に出場するようになりました。

10キロのレースから始めて、次にハーフマラソンと距離を伸ばしていきました。

いつも1人で走っていたので、大会では多くのランナーと一緒に走ることができてとても楽しかったです。

なにより、走った結果が、順位やタイムになることにとても達成感を感じていました。

そして、ついにフルマラソンに挑戦することにしました。

初めて出場したのは横浜マラソンでした。

フルマラソンに挑戦するにあたって、1人でインターバル練習や30キロ走などの練習を積んできました。

しかし、やはり42.195キロは未知の世界で、走り切れるのだろうかという不安が大きかったです。

そしていざスタートすると、まず沿道の応援に驚かされました。

今ままでの大会とは比べ物にならないほどの人が沿道には集まっていました。

そして、「がんばれ!」とたくさんの応援をしてもらいました。

その応援は私にとってとても力になりました。

後半になると、足が棒のようになり、今すぐやめてしまいたい・・・!と思うくらい辛いのですが、沿道の応援を聞くともうひと頑張りできるのです。

本当に不思議です。

そしてなんとか無事にゴールをすると、今まで感じたことのない達成感に包まれました!
私がはフルマラソンに挑戦し、自分にとても自信が持つことができました。

同時に、自分の周りの人への感謝の気持ちに溢れました。

マラソンと人生は同じだと感じたのです。

1人ぼっちじゃきっと42キロなんて距離走り切れません。

沿道の方の応援があったからこそ完走できました。

人生も一緒で、自分の周りの人の応援があるからこそ成り立っているのです。

私はそれを身をもって体験しました!
ランニングは1人で気軽に始められるスポーツだと思うので、ぜひ多くの人にいつかはフルマラソンに挑戦してもらいたいです。

私は大きく人生観が変わりました!!!

62歳男 海外単身旅行で人生観が変わり、ストレスフリーになった話

60歳を過ぎた今、人生をゆっくり振り返る時がある。

過ぎてしまえば長いような短いような・・。

しみじみ走馬灯のように頭に出来事を浮かべてみると、その後の人生を大きく変えた体験がいくつかあった。

その中でも一番大きな転機となった出来事と言えば、26歳の時に一人でイタリアに行った経験だ。

仕事をしていた私は、年始年末の休みを利用して、ツアーではなく思い切って自分一人でチケットを手配して、単身終日フリーの旅行に出発した。

元々海外旅行が好きで、長期の休みがとれるとツアーでアジア数カ国はすでに行っていた。

その国々で良く目にしたのは、大きな荷物を背中に負って気ままに旅行を楽しんでいるひとり旅の若者達だった。

治安が悪かろうが騙されようが、彼らは逞しく自由に旅行を満喫していた。

ツアーで来ている私たちは、ガイドさんから「・・に行っては危ないからやめましょう。

・・という声かけには対応せずに無視してください。

」など、注意だらけで萎縮してしまっていたので、彼らの伸び伸びリラックスしている様子に憧れを感じていた。

そこで、一大奮起して「海外ひとり旅」にチャレンジしたけれど、これが思った以上に過酷な旅だった。

まずは、時間通りに発着しない飛行機にとてもイライラさせられた。

日本では、少しの遅れも許されない交通システムが常識だが、イタリアは遅れない方が非常識だった。

給油で止まった飛行機は、2時間過ぎても出発せず、乗り換えの空港では4時間待ち。

ようやく目的地に着いた時には、夜中の1時だった。

がらんとした薄暗い冬の空港で、朝まで待つ時の寒さと怖さは、今まで人生の中で感じた恐怖を超越していた。

更には、その後やっと人のいる街までたどり着いた時、ウロウロ困っている姿を見ても声をかけてくれる人は誰もおらず、おまけに道を尋ねようとしても、聞く耳も持ってくれず、買い物したスパーではおつりをちょろまかされた。

あまりにもやさしい社会で過ごしてきたので、自分の力で自分を守る事を忘れていたことに気ずき、私は変わった。

この旅の収穫は、どんな時もへこたれず立ち向かっていくパワーと、どんなアクシデントに遭ってもストレスフリーで乗り越える自信だ。

人生のパワーアップには、海外ひとり旅をおすすめする。

30歳女 メガネをやめて積極的に

現在30歳の女性です。

私は小学校低学年から目が悪く、近視の眼鏡をかけていました。

性格はもともと明るく、あまり人と争ったりすることもなくそれなりに友達といて仲良くやっていました。

高学年になると子供同士で身体的特徴などをからかうことも多くなり、とりたてて特徴のなかった私は眼鏡をからかわれることが多くなってきました。

子供ながらに「眼鏡なんかいつでも外せるし」と思っていたためそこまで傷つくことはありませんでしたが、なんとなく流行りに敏感な子との距離を感じることが多くなってきました。

中学に上がり相変わらず眼鏡をかけていたのですが、私の目はかなり悪く、レンズの厚みがかなりありました。

おかげで目が小さく見えたり、体育の時などはとっさに見えにくい角度などがあってだんだんと煩わしくなってきました。

中学にもなると小学生よりは落ち着いてくるのか、眼鏡についてからかわれることもあまりなく、嫌な思いをしたことはなかったように思いますが、自分の中では流行についていくことができない、かわいくなれないという劣等感が強くなっていき、目立たないようにしなければと以前に比べておとなしい性格になっていきました。

母親に相談してみましたが「中学生でコンタクトレンズは早すぎるんじゃない?きちんと管理できるの?」と言われ、少し自信をなくしてしまいました。

高校への進学を控えてついにコンタクトレンズに変えることにしました。

初めてつけた時は目がゴロゴロし違和感を感じました。

日光の下に出ると今まで感じたことのない眩しさに目がチカチカすることもありましたが、つけ始めにはよくあることだそうで、次第に慣れていきました。

コンタクトレンズに変えて高校へ初登校の日、同じ中学校だった子には「かわいくなったね!」と言われとても嬉しかったのを覚えています。

友達もたくさんでき、一学期の終わる頃には男の子2人くらいに告白もされました。

かなり遅いですがそんな経験も生まれて初めてでした。

こうやってコンプレックスを努力無しに簡単に克服してしまったのですが、余計な思い込みがなくなって自分に「好きに振舞っていいんだ、好きなことをしてもいいんだ」という自信がついたため、高校、大学と友人たちとともに好きなことや勉強に一生懸命取り組み、充実した日々を送ることができました。

42歳男 希望に満ちた気持ちになりました

こんにちは。

42歳会社員です。

私が出会った人生が変わった体験というのはアデプトプログラムというプログラムを受けたことです。

これは、エネルギーが使えるような身体になるというものです。

普段の生活の中で健康でも、自分のやりたいことでもなんでもエネルギーで物事を解決することができるようになるというものでした。

それまで、人生の中で自信が無く過ごしていたのですが、このアデプトプログラムを受けてから、自分に自信が付くようになりました。

考え方もネガティブだったものから、ポジティブなものへと変わっていきました。

アデプトプログラムとは何千年もの間口伝により伝えられてきた教えだそうです。

アインシュタインやユング、ダヴィンチなどが受けてきた、天才になることができるプログラムでもあります。

受けたときの心境は、これで人生が変わるなら本当にラッキーだなと思いました。

なんて自分は幸運なものに出会えることができたのだろうと思いました。

何故なら、人生における悩みというものがあったときに、その悩みをいつも解決することができるようになるということだからです。

エネルギーを使うことができることで何でも自分で解決することができるようになったのです。

このアデプトプログラムを受けるとそのプログラムの中でリチュアルというものを習います。

そのリチュアルをすることで、エネルギーを使るようになるのです。

後悔していることと言えば、このアデプトプログラムを受けるまでにかなり多くの無駄なことをしてしまったなということです。

多くのセミナーや本などにお金と時間を費やしてしまいました。

潜在意識や自己啓発のセミナーなどを沢山受けました。

今、思えば、一つも受ける必要のないものだったなと思います。

アデプトプログラムさえ受けてしまえば、後は何も必要なかったなと思うのです。

読んでいる方にアドバイスがあるとすれば、人生を新しく迎えたいという人にはアデプトプログラムは是非、おすすめです。

30歳男 自分の苦手なことに立ち向かって人生が楽しくなった

私は今年30歳の男性です。

仕事は化学系メーカーで製造オペレーターとして働いていたのですが、2年前から主任に役職が昇進しました。

私がメーカーを就職先に選んだのには理由がありました。

その理由とは人とコミュニケーションをとるのに苦手意識があったことです。

メーカーに就職すれば、極力人とコミュニケーションをとらずに済むのではないかと考え、今の会社を選びました。

実際に製造オペレーターをやっている時はほぼ人と話すことはありませんでした。

しかし、主任に昇進して人の上に立つ立場となり状況は一変しました。

部下に仕事の進め方を教育したり、仕事の進捗を確認したり、仕事の中心にコミュニケーションが必要な業務になってしまいました。

コミュニケーションに苦手意識がある私からすると、そのような業務は苦労の毎日でした。

なぜ、私がこのような仕事をしなければいけないのかと悩んでしまう毎日でした。

任された仕事に対して、当時の私はこのような向き合い方をしていたので、やはり部下からの信頼をえることも、正確な報連相を行うことも出来ずにいました。

しかし、このままでは何の変化もないし、自分が変わらなければ部下たちに迷惑をかけてしまうと思い、私はコミュニケーションセミナーを受講することを決意しました。

私はそのセミナーでコミュニケーションをとる上で大切なことをたくさん学びました。

セミナーを受講してから半年が経つ頃には自信が付き、部下とのコミュニケーションも円滑に行うことが出来るようになり、受講以前と比較すると部下からの信頼を得ることが出来たのではないかなと感じています。

今や私はセミナー受講をきっかけに、人とコミュニケーションをとることがむしろ楽しく好きな事に変わりました。

主任という立場を嫌がっていましたが、セミナーを受講し自信がついたことで、部下とコミュニケーションをとり部下が育っていくのがとても楽しみとなり、主任という業務を楽しく感じています。

苦手意識があるものに対して、逃げるのではなく向き合うことで私の人生はガラリと変わりました。

後悔していることといえば、もっと早く自分の弱みと向き合うことが出来ていれば、今よりたくさん友人が出来ていたのではないかなとかんじることです。

これを読んでいる人へ私からアドバイスするならば、苦手意識があるものに対してにげるのではなく、向き合うことで、人生はガラリと変わることがあります。

悩んでいるのならば一歩踏み出してみることがとても大事ではないかなと思います。

33歳男 囲碁を覚え幅広い年代の方と交流を出来るようになりました

 33歳男です。

私は、数年前から囲碁を勉強し始め、だんだんと棋力が上がり、幅広い年代の方と交流を出来るようになりました。

また、私の新しい趣味としての囲碁は、囲碁をすることにより考える力を養わせてくれ、また、強くなってくるとさらにいろいろと囲碁に対して深い興味を持ってくるのでどんどん囲碁について調べたくなり、物事を深く調査する力を養わせてくれ、また、囲碁のもつスリリングなゲーム性がいままでの勝負事に弱かった私に勝負強さんを養わせてくれました。

 私は、数年前、囲碁についての漫画「ヒカルの碁」を読み、囲碁に興味を持ち、囲碁を覚えようと思いました。

囲碁の勉強方法としては、テレビでやっている囲碁対局番組を観たり、テレビでやっている囲碁の解説番組を観たり、囲碁の雑誌を本屋、図書館で立ち読みしたり、プロ棋士の趙治勲さんが様々な囲碁の重要論点についての問題集を書いた本である「ひと目の~」シリーズを買って何回も繰り替えし問題を解いたり、プロ棋士の棋譜を本やネットから見つけてそれを碁盤に並べてプロ棋士の考え方の流れを知ったり、スマートフォンの囲碁アプリの人工知能と対戦したり、スマートフォンの囲碁対局アプリでネット上で人と対局をしたり、私が住んでる実家の近くにある囲碁道場に行って様々な年代の方と囲碁を対局したりしました。

 私が住んでる実家の近くにある囲碁道場に行って様々な年代の方と囲碁を対局すると、ご高齢の方でもとても強いので驚かされました。

また、そのような方は、年の割には若く見え、囲碁にはアンチエイジング効果があるのかもしれないと思いました。

また、様々な年代の方と囲碁を対局すると私の同年代の方と話をしていては得られないような内容の話を聞けるので、私の世界が広がるので良いと思いました。

 私が住んでる実家の近くにある囲碁道場に行って様々な年代の方と囲碁を対局していると、私は時々ムキになってしまい、周りが見えなくなってしまい、相手に絶対に勝とうとして相手が嫌がるような乱暴な一手を打ち、相手を嫌な気持ちにさせてしまったことがあるので、それは後悔していると思いました。

 現実で相手と向きあって囲碁をするときは、相手を嫌な気持ちにさせないように、礼儀正しく打つことが大切だと思います。

35歳女性 私の人生は私のもの

私は過去に一度結婚をしたことがあります。

相手の男性と同じ歳で、23歳の時に結婚をしたのですが、相手の義両親や義姉が、毎日のように私たちの家を訪れてきて、家を占領し、義姉も子供も連れてきて、その子供はうちの中のものまで全て出し、ひっくり返し、それでも義姉は子供に、大丈夫!全部汚して帰ろう!どうせ片付けるのは叔母さんなのだから、という言い方をする人で、私は知らず知らずに、すごくストレスになっていき、そのストレスが溜まりに溜まって爆発してしまいました。

義両親もまた、1日でも私の家を訪れなくなったと思ったら、電話が鳴り、今から家に行きたい、とか、何をしてるのかという、催促と言っても過言ではないくらいの連絡が来ました。

元旦那にそれを言っても、自分の両親や姉が遊びに来てなにが悪いのか、考えすぎだ、と言うような言い分で、最低でした。

気付いた時には、私はノイローゼ気味になっていて、今の生活はやめよう、もう全ておしまいにしよう、という事で、思い切って離婚を決意しました。

離婚をすると言った行為自体に罪悪感を抱いていた私でしたが、全て手放して、新しい世界に踏み込むと、かなり気持ちが楽になりました。

それからは結婚前まで働いていた系列の、クッキンスタジオの講師としてまた働けるようになり、生徒さんたちと和気あいあいと楽しい時間を過ごすこともできましたし、自分で働いたお金を貯めて、好きな旅行にも好きな時間に、好きなだけ行けるようにもなりました。

そして趣味活動で、ヨガも初めて、体も引き締まったり、痩せたりして、なんだか自分が自分ではないような感覚に陥り、毎日自分だけのキラキラした素敵な時間を持つことができるようになりました。

周りの知人や友人たちからも、新しい世界に思い切って踏み込んでみて、本当に良かったとよく言われています。

これからも、自分の人生は、自分のものだし、納得いくまでとことん突き進むような素敵な生き方を目指しています。

18歳女 「変わりたい」声に出し新たな視点をGET

私は今年大学に入学したばかりの女子大生です。

今まで私の趣味といえば読書や漫画、映画鑑賞など受動的でインドアなものばかりでした。

大学に入学して新たな環境に足を踏み入れるということで、新しいことに挑戦してみたくなった私はアウトドアに興味を持ちました。

大学入学したての頃、親しくなった友人全員に「キャンプに行ってみたいんだ」と触れ回っていました。

親しくなったばかりの人からキャンプをしようなんて言われても実行に移してくれるひとはいません。

しかし、入学して1か月程たった頃、キャンプに行きたいと伝えた友人の一人(以下、A子とする)から「一緒にキャンプしないか」と誘われたのです。

私はまさかこんなに早く願望が叶うとは思っていなかったので、とてもうれしかったのを覚えています。

それと同時に「なんでも言ってみるもんだなぁ」と感じました。

ランティアの一環で、子どもたちと数日間自然に囲まれながらキャンプをして子どもたちの主体性を育めるようサポートするというものだった。

私はてっきりA子と二人でのんびりキャンプをすると思っていたのでボランティアと聞いて少し拍子抜けしましたが、「やったことのないキャンプができてしかも謝礼ももらえるなんて最高だ」と思い結局参加することにしました。

キャンプ当日、小学1年生から6年生までたくさんの子どもたちと顔を合わせました。

キャンプ中は子どもたちと大声で歌を歌ったり、お風呂に入ったり、カレーを作ったり、テントを立てたり、様々なことを体験しました。

中には言うことを聞いてくれない子がいたり、目を離したらすぐどこかへ行ってしまう子もいたり、一筋縄ではいかないこともたくさんありましたが、子どもと一人一人、目線を合わせ話をしてみるとみんないい子でした。

悪いことをした子に悪いことをした理由を聞いてみるとちゃんとした理由を話してくれたり、大人にはない感性でものを見ていたり、サポート役として参加したのに逆に学ばされることの方が多かったのです。

数日間のキャンプも終わりに近づきもうすぐで子どもたちとお別れ、というとき、子どもたちから満面の笑みで「楽しかった。

○○(私)ありがとう!」と言われました。

私はこの言葉を聞いてすごくうれしくて涙が出そうになりました。

いや、出ました。

最初、軽い気持ちで言った「キャンプに行きたい」からこんなにも貴重な経験ができるなんて想像もしていませんでした。

普段子どもと触れ合うことなんてないので今回のキャンプで子どもたちと一緒に生活して、子どもならではの視点に気づくことができ、このキャンプを紹介してくれたA子には感謝してもしきれません。

私が目指している職業上、子どもと触れ合うという場面が必ず出てくるので、この経験を活かして次につなげていこうと思います。

 
後悔していることといえば、もっと早く行動に移していれば自分の視野をもっと早くから広げることができたんだろうなと思います。

最後にこれを読んでくださった方へ。

変わりたいと思ったら、何かをやりたいと思ったら、すぐに口に出してみましょう。

思わぬところで実現するかもしれません。

35歳 男 人生を変えてくれたFX

今の日本社会をじっくり観察し始めてきた3年前の私。

どの求人募集を見ても、大体が同じ事を書いていて、又ザックリ出した求人側の給料とボーナスを年収で出しても、こんな金額で今後暮らせる訳がない。

残業をしまくって少しでも年収を上げていくしかない。

何時間も働いて、寝て、また働いて寝て、たまの休日も金の計算をしながら出かけて、それで日曜が終わる。

何を楽しんで生きていけば良いのか?

先日日本政府から65歳~95歳まで年金をもらってもプラス2000万円の生活費が必要になるらしい。

今の日本の企業と物価を見る限り、当然高卒の私からは、普通に働いても2000万以上の貯金なんて無理!どんだけ節約したところで、日本は物価が高いため、なんの効果も期待できない。

むしろ、ストレスが溜まって病気になって死に至るだけ。

又、働き方改革というものまで出てきた。

こんなものまで出てきたら、残業ができなくなって、当然2000万なんか溜まるはずがない。

そんな事を日々思いながら7時30分~18時まで仕事をしている私。

作業の薄い時は、その事に対しての対策を考えている。

色々考えた私は副業を決意。

でもアルバイトをする訳ではない。

それだと残業と全く変わらず、疲れて終わり。

自分が持っている金に働いてもらおう!投資だ。

…ただ、株をするだけの金額はない為、FX、外国為替をする事にした。

FXとは、Foreign Exchangeの略で外国為替取引という意味。

簡単に言ってしまえば、現在100円の日本円を一度ドルにする。

一年後104円に上がったので、ドルを日本円に戻すと、一年前に持ってた100円が104円になってる!これが外国為替の儲け方。

このFXの魅力は、少額ながら簡単に取引ができ、最近は携帯で取引が可能な為、どこにいても取引ができてしまう事。

少し簡単な事しか言えないが…
その魅力を知った私は、すぐに取引開始。

FXで稼げる人は1割の人だけと聞くが、9割の人が稼げない理由をネットで調べ、確信した。

要は諦めなければ良いだけ!勉強しまくって場数を踏み、少しでも良いから結果を出す。

私はその事をしりその後の人生計画を立てやすくなり、そして夢が膨らんでいった。

今の日本社会に対するストレスを持っている人なら、夢を持たせてくれたFXでそのストレスを解消できるだけでも大きなメリットだろう。

しかしながら、同然リスクもある。

9割も負けるのだから、諦めないにしたって、負けて諦めるのだから、それなりの金額も必要になる。

FXはトレード内容により、ギャンブルになってしまう。

ギャンブル性の高いトレードをしている人達は、下手をしたら借金までしてトレードする所まで発展する可能性、リスクがある。

そこだけは絶対に避けなければならない。

とは言っても、今の低い給料で一生の人生を終わるよりは、行動をして、今の稼ぎ方は、別に社会に出て稼ぐやり方以外にも、色々な選択肢がある。

その事を考えさせてくれたFXには、だいぶ感謝しているし、始めて良かったと思います。

60歳代男性 若い時の方向転換がうまくいったと思っています

横浜市に住む60歳代の男性です。

人生を変えた出来事は新人として入社して2年目に、地方の親会社に出向させられたことです。

苦労して内定をもらったときは、このまま定年まで勤めようと思っていました。

両親は上場2部の会社で業界としては下位に位置していた会社なので、不満はありそうでした。

私は会社の規模に関係なく、大学で専攻していた物理を生かせるところでしたので、気にしませんでした。

配属されたところも研究開発部でしたので、給料が安くても何も不満を感じませんでした。

ところが会社の景気が悪くなり、2年目に長野にある親会社の工場に出向させられてしまいました。

入社したときは世間的には公表されていませんでしたが、親子の会社関係があることを初めて知りました。

配属されたところは半導体を製造する工場で、仕事は設備保守でした。

研究職から製造職になったこともショックでしたが、当時の装置産業では最先端でしたので、勉強になりました。

さらに親会社の同じ年代の人と仕事をしましたが、正直それほど優秀だとは思いませんでした。

一流会社の人と能力的に大きな差があるのではと思っていたことが覆されました。

さらに給料もよいみたいでしたので、誰も会社に対して不満を訴える人はいませんでした。

入社した会社では毎日悪口ばかりでしたので、環境は異なるとこれほど違うことを身をもって知ることができました。

その後、出向した会社から元の会社に呼び戻されましたが、仕事に対しての考え方が変わっていました。

次に転職する先は、業界でもトップクラスで職種は生産部門に絞り、活動を始めました。

今までは規模が小さい会社が大きくなっていくことを重視していましたが、経験上無理だと悟ったからです。

現在は転職した会社で生産技術の仕事に携わり、定年を迎えることができました。

後悔していることは何もありません。

むしろいつまでも昔の考えに固執しないで、変化に対し、柔軟に対応したほうがよいと思います。

34歳女 私は結婚しないと思っていたけれど

30代主婦です。

結婚をして、人生が変わりました。

ずっと、こどもも別にいらないし、自分は自分の好きなことをして生きていたい。

このまま結婚できないかもしれない、さみしいかもしれないけど仕方ないか~と思って生きてきた人生でした。

今まで付き合った人とも長くは続かず、私が嫌になってすぐ別れてしまうか、どんなに続く人でも2~3年。

自分の年齢が上がるにつれ、同年齢の相手からは結婚をほのめかされることも増えましたが、そうするとスッと自分の気持ちが引いてしまう。

追うより追われたいタイプだと思っていましたが、この先の人生をずっと共にしたいと思う人には出会えていなかったようです。

そんなとき、本当にふとしたことで再会した昔の友人と、なぜかトントン拍子に結婚。

自分でも不思議なくらいでした。

今まで付き合った人の中で一番かっこいいわけでも、一番私を甘やかしてくれるわけでも、一番身長が高いわけでもない彼と、なぜか自然に「ずっと一緒にいるのかも」と思えたんです。

そしてそうやって結婚してしまうと、なんと日々のおだやかなことか。

毎日送り出す相手がいて、毎日一緒に食事をする相手がいる。

つまらないことで喧嘩したり笑ったり、休みの日には当然のように一緒にでかけて。

なにより、家族が増えました。

お互いの両親、きょうだい、おじやおば、イトコたちまで。

これは運が良かったのかもしれませんが、私も夫もとても家族仲が良く、そしてお互いの家族が相手をとてもあたたかかく迎え入れてくれたのです。

今では、夫なしでも義母とランチしたり、義姉とでかけたり。

夫も私なしで私の弟と飲みに行ったり、父からDIYグッズを借りたいしています。

昔の自分だったらこんな生活信じられません。

再会してから結婚までが早かったので、周りの人には「運命的な再会だったんだね!」とよく言われます。

けどそんな情熱的なものではなく、本当に気づいたら結婚してた、くらいの感じです。

けど確実に人生が変わりました。

そしてそれが心地よいです。

25歳女 釣りを始めたらハッピーがいっぱいに

通勤以外ではあまり外出したくない超インドア系の働く女子です。

仕事柄、女性が少なく、同年代も少ない
おじさんだらけの職場で働いています。

ジェネレーションギャップや性別の違いであまり話のネタがありませんでした。

ある日youtubeで「釣りよか」の動画をみてとても面白かったので軽い気持ちで釣りを始めることにしました。

お買い物に行くのもめんどくさかったのでamazonで5000円くらいの安い釣り道具セットを購入し、届いた週の週末に近くの釣り場へ行きました。

初めてだったのでどうやるのかもわからず
とりあえず簡単そうなサビキセットをつけて釣りをしました。

すぐに魚がヒットし、色々な小魚たちが釣れました。

釣った魚は写真を撮ってとりあえずその日は3時間ほどで帰りました。

休み明けに撮った写真をおじさん社員たちに見せると
「若い女の子やのに釣りに行くのか!」
「最近は釣りガールが流行っているね!」
など、とても話が盛り上がりました。

それ以来金曜日はオススメの釣り場の話や
天気と潮の情報の話などを聞かせてくれたりと話題が増えました。

釣りを初めて半年くらいたったのですが
車内で私が釣りをするということがだんだん知られるようになってきて先輩方や外注さんからの釣りのお誘いを受けるようにもなりました。

最初は若い女の子は取っ掛かりにくいという雰囲気だったのですが
最近はあまりそのような雰囲気はなく、和気藹々先輩方とお話できる機会が増えています。

新しいチャレンジがちょっとした趣味になって
それがコミュニケーションのきっかけになり
今まであまり雑談をしなかったような方達と話す機会ができ
知らないことを教えてもらえたり
世代間での価値観の違いに気づいたり
私の人生は少しですが変わりはじめているように思います。

今までやってこなかったことにチャレンジすることはすごく億劫ですが、
やってみて自分に合わなければやめればいいんですから
とりあえずチャレンジしてみると良いと思います。

以外にはまって楽しみが増えるだけでなく
もしかしたら私のようにもっとたくさんおまけがついて来るかもしれませんよ。

18歳男性 悔しさを成功につなげることができた

私は現在大学で建築学を専攻しているものです。

まだ人生を少ししか生きてませんが、その中でも私が体験したことは今とこれからの私にとってとても重要なものだと思うので自信をもって共有させていただきます。

高校生一年の頃私は彼女に振られました。

とても好きだったのに相手が覚めていくのに気付いて、俺も好きじゃなくなった、と意地を張ってしまいそのまま別れ話になった、というのが大体の話です。

それから約一年と半年ぐらい引きずったのですが、なかでも一番つらかったのが高校二年生の時です。

私はサッカー部に所属していたのですが、あまり活躍できる選手ではありませんでした。

同じ学年の友達がどんどんとスタメンに入ったり試合で活躍している中、私はベンチで悔しい思いをしながら座っていました。

そんな中私と別れた元カノはダンス部のキャプテンに任命されました。

その時私は素直に祝うことなど決してできず、ただただ劣等感に虐げられていました。

元カノがキャプテンとして活躍し新しい彼氏もでき順風満帆なJKライフをおくっている中、私はずるずると引きずって部活ではどんなに頑張ってもベンチでしまいには友達には「余裕をこいていたから試合に出れていない反面教師」として私のことを後輩に話していました。

何から何まで本当に悔しくってその時はとりあえずがむしゃらに頑張っていました。

試合に出れている友達が適当に練習しているなか、すべて真面目に練習をこなし、朝はみんなが登校する時間より少し早めに学校に行き一人でボールを蹴っていました。

結果最後の試合には同じポジションの後輩がけがで出れなくなり、望んでいた形とは異なりますが何とか試合に出場できることができました。

今思うと本当に幸運であったと思います。

私がこの体験で得たことは「頑張っていれば良いことが起こる」というようなものではありません。

「自分の強みを生かして戦う」ということです。

人間誰しも他の人より得意なステータスは割り振られています。

大事なのはそのステータスをどれほど伸ばすか、ではなく、どうやって武器にするかです。

サッカーでも一緒で活躍できる選手はやはり自分の持ち味を持っていて試合でもそれが武器になっています。

苦手なステータスを伸ばしても上には上がいます。

どんなに頑張っても平均を少し超えるぐらいで替えはいくらでも利きます。

まず自分の得意を見つけ、その得意を今後どのように生かすか、それが活躍の第一歩となると思います。

24歳女性 外国での生活で価値観の変化がおきた

20代日本人女性です。

新しい行動で人生が変わったと思う行動は、18歳のころに1人で海外で生活したことです。

語学留学でアメリカに1年すみましたが、その語学学校で、さまざまな国の人たちと出会い、いろんなことに驚かされました。

国が違えば、文化も法律も考え方や風習も学校のスタイルも流行りも感覚も何もかもが違うので、自分の中になかった新しい価値観が創造されたことが一番大きいです。

その頃私は18歳で、高校を卒業してから行きましたが、中には自分よりも年下の16歳のドイツフランスの男の子がいました。

高校は?と聞くと、もう卒業したよと言っていました。

どういうことかと一瞬思いましたが、海外では飛び級やホームスクーリングの文化があることを思い出して納得しました。

自分よりも若い子が、飛び級ですでに高校を卒業して、こうして外国へ語学留学しているんだなあと感心しました。

そのほかにもイタリアやロシア、中国や台湾などたくさんの英語圏ではない国の人たちがいました。

そこで思ったのはやはり、中国や台湾、韓国あたりは日本人と感性が似ているなと思うことが多く、ヨーロッパの人たちはなんとなく、感性が全然違うように感じました。

見た目の違いもありますし、国が離れている分、親近感のようなものもないからです。

ですが、話してみるとそんなことはなくて、新しいクラスになるとどこか緊張していたり、向こうから話しかけてくれる人もいたりフレンドリーに会話をして来ようとしてくれたりするのを見て、自分の中で壁みたいなものは段々と薄れていきました。

英語があまり得意ではなかった自分も、海外で生活しているうちに、自分は英語が第一言語ではないんだし喋れないのは仕方ない、今から上達するんだという気持ちで、堂々とたとえ間違っていても現地の人と気軽に話すようにもなりました。

それまでは、間違っていたら恥ずかしいなとか怖いという気持ちで喋れませんでしたが、吹っ切れてからは、かなり上達しました。

アメリカの自分勝手さがちょうどいい

都内の外資系企業で働く30代です。

数年前に約1年半、アメリカのサンフランシスコで専門学校に通いながら働いていました。

そこでの生活を経て、特に人付き合いと自分自身へのジャッジについて大きな変化がありました。

先ずは人付き合いについて。

アメリカ人って街中でも知らない人に平気で話しかけるし、相手がどんな状況かも気にせず声掛けてきます。

横断歩道ですれ違う際に、来ている服や持ち物にそれ素敵ねって言ってくるし、私の日焼け肌の色がいいから通っているサロンを教えてほしいって言われたり。

バスや電車で乗り合わせた人と会話が始まって、気があったら別れ際に連絡先交換するのも多々ありました。

お店の店員さんが知り合いを贔屓してサービスするのは当たり前で、私もしょっちゅう明らかに売り物で、レジで私の前の人には売っていたドーナツを常連で仲良しの私には当たり前にタダでもらったりしてました。

そういうの全く隠さないし、周りも別に指摘しないんです。

なぜなら皆んなが同じことをしてるからだと思います。

仕事中でも自分の知り合いに会えば世間話してひいきしてあげる。

そういうもんなんです。

同じようにアメリカで暮らしていた日本人の知り合いにはそういうのが許せないって言っている子も沢山いましたが私はむしろ人間らしくって気に入ってしまいました。

だって何時だって友達に会えたら嬉しいし、好きなんだからサービスしてあげるのは当たり前じゃんって。

だからアメリカのお店ではお客様は神様って言葉が一切当てはまらなかったです。

お客さんでも店員に対して失礼な態度や横柄な人は、それに応じたサービスしか受けられないのが当たり前です。

反対にこちらが感じよく振る舞えば日本ではあり得ないようなサービスをしてもらえたりもします。

だから私は人に期待するよりもいつでも自分が機嫌よく他人に優しくできる余裕を持つことの方に集中するようになりました。

そうしたら人の事を気にしなくて良くなっって楽に生きられるようになりました。

48歳 女 行動して本当に良かったです

 現在、そろばん教室の講師をしている主婦です。

講師歴は約10年になります。

 私の人生が変わった体験は、この講師の仕事です。

それまでの仕事は、経理もしくはデータ入力だけでした。

 この講師の仕事をするきっかけをつくってくれたのが、当時、息子と同じスイミングスクールに通っていた子どものお母さんでした。

彼女は、英文科の短大を卒業してから英会話教室の先生を5年経験し、カナダ留学を経験した優秀な人でした。

出会った当時も子どもを保育園に預けながら、午前中は大人、夕方は子どもを教えていました。

その当時、仕事は?何か得意なことはある?と聞かれました。

私は、いまは子どもがまだ幼稚園なので小学生になったら仕事したいと考えている。

得意なことは約10年習い続けたそろばんくらいかな。

9段だけどと答えました。

彼女は驚いて、私の子どもを教えてほしい。

それに、人は才能を活かさないともったいない。

いま勤務しているカルチャースクールで教えなさいよ。

といわれました。

私はそのとき軽い返事で返しました。

しかし、彼女は会うたびに、カルチャースクールに面接行った?というようになったので、私は彼女の押しに負けて面接に行くことになりました。

すると、驚いたことに、カルチャースクールでは、そろばん教室を開講したくてちょうど講師を探していたというのです。

すぐに採用され、体験会、開講と、とんとん拍子に事が進みました。

息子には自宅で教えていたのですが、人様の子どもを教えるのは初めてでしたの緊張の連続でした。

しかし、予想外に保護者の方からは、先生のおかげで算数が得意になりましたや検定試験に合格してとても喜んでいます等のお褒めの言葉をいただくようになりました。

それ以来、人に喜んでいただけるこの仕事を続けようと決心し、いまに至ります。

 息子には、何事も行動しないといい結果はでないのよ。

と偉そうに言っていますが、当時、自分の才能を活かそうとしなかった自分が恥ずかしく思いますし、いまでは彼女に感謝しています。

挑戦しようか迷っている方、自分に自信のない方はたくさんいると思いますが、一歩前に進んでみてはいかがでしょうか。

28歳男 早起きで人生の歯車がスムーズに 余裕が全てを良い方へ

高校生時代の私はどこにでもいるあまり自分に自信のない一般男子でした。

部活動は体育会でしたが体が小さく、勉強もできなくはないが特別できるわけでもないとりたたてて目立つところはありませんでした。

そんな私に転機が訪れたのは高校1年の夏
私の通う高校は未だにマラソン大会を行っている珍しい高校でその距離は15キロ。

決してきつい距離ではないですが楽な距離でもない。

これは練習しないとまずいなと思い、毎朝5:30に起床し1.5キロ走ってから学校に通うことを日課としました。

軽い気持ちで始めたランニングでしたが、毎回の体育の授業で計測する1.5キロ走のタイムはぐんぐん伸びていき当日のマラソン大会も特に苦労することなく走り終えることができました。

それだけであれば特に珍しいことでもないですが、この後なぜか”早起きする”という習慣だけが私に残りました。

1.5キロ走ることはもうしませんでしたが代わりに早起きして昼食のお弁当とおにぎりを自分で作ることにしました。

当時の私はサッカー部に所属していましたが体が小さくどうしても当たり負けしてしまうことにコンプレックスを抱いていたからです。

食べる量を増やして体を大きくしようとしたんです。

そんな生活を続けて半年が経ち2年生に進級した際には上級生からレギュラーの座を奪うことにも成功していました。

この頃から自分の中で明確に自分への揺るぎない自信を持ち始めました。

ああ自分は早起きしてその時間で他人と”差”をつけられているのだなと実感するようになったのです。

人間一度成功体験をすると何かつらいことがあった時にそれを思い出して活かそうとします、応用しようとします。

1.5キロ走、お弁当作りと続き高校3年生の時には受験勉強へと早起きを応用させました。

毎朝早起きしては英単語を覚えたり英語のリスニングをしたりしていたのです。

受験結果こそはうまくいきませんでしたがこの時の経験が糧となり今私は英語を使った仕事に就いています。

私に後悔があるとすれば高校時代だけしかこの早起きという習慣を続けられなかったこと。

今この私の体験談を読んでくれているあなたが小学生なのか中学生なのか高校生なのか大学生なのか社会人なのかはたまた退職して第二の人生を歩んでいる方なのかはわかりません。

ただ明日からでも朝起きる時間を早くしてその時間を自分に使ってみませんか?
きっと素敵な毎日があなたを待っていると思います。

30代男 教育実習で学んだこと

広告代理店で営業をしている30代男性です。

人生が変わった体験は、大学生時代に経験した教育実習での出来事です。

将来の夢もなく、公務員になったら親も喜ぶだろうくらいの軽い気持ちで教師を目指し教育学部に入学しました。

一般的な大学生と同じように授業とサークル、アルバイトに明け暮れて楽しく過ごし大学3年生時に教育実習へ行きました。

実習先は大学付属の小中学校で1年を通して実習生がいるような環境でしたので、子どもたちも実習生慣れしており緊張しながらも授業計画を立て教壇に立って授業をして忙しい日々でした。

正直そこまで真面目に実習に取り組んでおらず、授業よりも子どもたちと遊ぶことがメインになっていて授業の内容はグダグダでした。

中学での実習時、実習の最後に研究授業といって他の先生や同期の実習生、大学の担当教授等たくさんの人が見学に来る授業があるのですが、その1つ前の授業があまりにグダグダ過ぎて実習先の担当教諭に叱られました。

もっともなことで怒られたのですが落ち込んでしまって研究授業へのやる気を完全になくしていましたが、その様子を察知した担当クラスの子どもたちに「研究授業は自分たちが盛り上げるから、どんな内容でもいいから元気にやればいいよ~」と声をかけられました。

子どもたちは研究授業に偉い人やたくさんの先生が見学に来ることを知っていて、やる気をなくした自分を助けてくれました。

授業開始の挨拶は子どもたちと事前に打ち合わせをして「いつもの授業やっちゃうぞ~」「イエーイ」というコールアンドレスポンスから始まり、授業中こちらの質問にはクラスみんなが挙手してくれたりと内容はともかく楽しく騒々しい授業になりました。

見学に来てくれは方から、いつもこんな感じなの?の聞かれ事情を説明するのに苦労しました。

こんな授業は見たことがない、子どもたちから好かれているからできることだと実習担当教諭や大学の担当教授から言われ、全部子どもがやってくれたことですと嬉しくて泣きながら答えました。

いろいろあって結局教師にはなりませんでしたが、今でも実習でのこの出来事は一緒に実習にいった大学の友達と会えば話題になりますし、ふと思い出したときには涙ぐんでしまいます。

子どもたちの圧倒的なパワーと、全力でぶつかってきてくれた優しさは忘れることができません。

授業の形を整えたり、難しいことを教えることを大切ですが一緒に楽しい時間を共有することの大切さと、そこで生まれる絆の強さを教えてくれた時間になりました。

人それぞれ、合う人合わない人がいると思いますが嫌なところを見つけて嫌だなと思うのではなく、良いところを見つけて楽しいなと思って付き合うことでお互いにハッピーな気持ちになれるんだとわかった思い出です。

38歳男 自分の趣味・嗜好が若者時代とは変わった?

 こんにちわ。

現在38歳男性で、就職希望中の無職者です。

この働いているのが普通と考えられる年齢で、無職ということを口にするのは勇気がいりますが、残念ながらそれが事実なので事実をいうしかありません。

しかし、私は働く意思がないニートではありません。

そこは少し強調したいと思いました。

 
 さてそんな私が最近になって、自分の人生が変わったなと思う節目があります。

それは、20代までの自分と30代になってからの自分の間にあった大きな変化です。

20代までの私は完全なアウトドア派でした。

内にこもって読書やゲームをするといういことよりも、外でスポーツやドライブをするといったことの方を好んでいました。

それが、30代に入ってから徐々に外で活発に動き回るという趣味よりも、内にこもって勉強やネットをすることを好んで選ぶようになりました。

 何故この様な変化が起きたのかを考えた所、自分の置かれている状況が大きく関わったのだと思います。

丁度、20代の終わりごろにも就職が出来ない時期が続いており、一時的に自暴自棄になった私は、それまでにコツコツためていた僅かな財産を散財して、趣味の為に使いだしてしまう状態でした。

その後、ようやく就職は出来ましたが、とても良い待遇だったとはいえず、その時点辺りで私は将来の自分の人生に不安を強く感じるようになったのです。

そこからは、より良い待遇の就職を目指して転職活動も断続的に行い、同時に、資格取得の勉強も開始しました。

それが、30代始めのころの時期です。

 この様な体験を経て、今や30代という年齢も終わりが見えるまで時は進みました。

今の自分と、20代までの自分とを比べると、趣味や嗜好といったものが大きく変わったなと思います。

一例をあげると、僕はプロ野球とかのスポーツ観戦が大好きでした。

毎日スポーツニュースを欠かさず見ていた時期もあります。

それが、今や興味が薄れほとんど見なくなりました。

自分が使う時間が、それまでと異なることで趣味や嗜好が変わってくるということなのかもしれません。

ちなみに、今は経済情勢とかテクノロジーとかインテリっぽいことが気になるようになりました。

あと、何故か酒は断てるが、タバコが断てなくなりました。

 こういった人生の転換点というのは、自分の人生を振り返れば必ず誰にでもあることなのだろう、と思う今日この頃です。

31歳男 悠々自適に生きられるようになって嬉しかった

私は大学を卒業するタイミングで公務員になろうと思って、公務員試験を受けていました。

民間企業への就職に関してはほとんど興味がなく、公務員一本に絞っていたのです。

しかし、結局どこからも内定は貰えず、気が付いたら大学を卒業していたのです。

つまり、大学を卒業してしまい、仕事もしていない状態だったので、無職という身分になりました。

すぐに仕事を始める気もなかったので、ニートに近い状況とも言えたと思うのです。

そして、ある日仕事どうしようかな?と考えたのですが、大学を卒業してしまった以上、民間企業は厳しいし、そもそも興味がないから受ける気がしないので無理だと思いました。

公務員に関しては1度全滅している以上、また受けてもダメなんじゃないか?と思い、こちらも受ける気がしなかったです。

その結果、導き出された答えは個人事業主として仕事をするということです。

公務員を目指していた頃には全く頭にありませんでしたが、個人事業主になるしかないと思い始めたのです。

実際、それ以外に選択肢がなかったので、仕方ないと思って始めました。

正直言って、公務員になれなかった悔しさなどはありましたし、個人事業主として働くことの不安は大きかったです。

しかし、働き始めて、2年くらいが経過したときには月に20万円くらいは稼げるようになり、人並みの生活ができていると実感できました。

他に選択肢がないから個人事業主を選びましたけど、収入もそこそこ得られて、何よりも自分の時間を自由に作りやすいという点に魅力を感じられました。

だから、結果的に個人事業主を選んでよかったと、こういう人生もありだなと思える面はあったのです。

ただ、世間体としては公務員の方が良いと思うので、個人事業主としてとりあえず生活には困らない状況になりましたけど、公務員になりたかったという思いはその後もあり、もっとちゃんと面接対策をすればよかったなとか、後悔していることもあります。

個人事業主は不安定というデメリットはあるかもしれませんが、仕事を選べたり、マイペースで仕事ができたりというメリットもあるので、合うは合うと思うので、将来の選択肢の1つにしておくと良いと思います。

35歳女性 ピアノを習い始めて毎日とても楽しいです

私は昔から、ピアノを習いたくてしょうがなかったのですが、ピアノを習わせもらったり、自分から習うことなく、ピアノに触れることはないままで、時間だけが過ぎて行きました。

ですが、好きだという理由から、ピアノの音源だけは毎日たくさん聞いていたし、マニアと言われるくらい、ピアニストのピアノの弾き方や、どんな音楽があるのかなど、かなり知っている方です。

社会人になり、身の回りのことを全て、自分で管理できるようになってから私は、長年の夢だったピアノを習いに行くことにしました。

習いに行くと同時に、ヤマハのアップライトも購入しました。

自分で働いたお金で、ピアノも習えるし、ピアノも買えるというだけで、なにか、優越感のようなものに浸ることもでき、とても嬉しかったです。

ピアノの先生は、現役ピアニストとして活躍されていらっしゃる先生で、自分と同年代で、とても優しくて素敵な先生でした。

一から始める私にも、とても丁寧に教えてくださり、ピアノの歴史や、どんな音楽があるかなど、音楽全般のことも、一生懸命に教えてくださいました。

まず始めは、片手ずつ、楽譜を読むところから習い始めたのですが、毎日自宅で、かなり練習にも励んだので、とても上達したいって、一年後には、両手で弾けるようになりました。

好きなメロディや、憧れだった曲にも挑戦させてもらえるようにもなったし、少し早いだろうな、自分のレベルよりはかなりかけ離れているだろうな、と思う楽譜を準備して先生に持っていっても、嫌な顔せず、親身になって教えてくださるので、それにも癒されています。

人間味が溢れる先生から、人間の本質のようなところも習っている感じです。

ずっと憧れだったピアノ弾くことができるようになったし、自分で楽譜まで読めるようになったことで、自分にも自信がついたし、周りの人々からも、とても表情も明るくなったと褒めていただいています。

やはり、自分の好きなことをするのが一番だと気づくことができました。

34歳男 キャンプを通して不便を楽しむこと

宮城県に住む34歳独身男性です。

今までにしたことないことにチャレンジしようと日帰りキャンプを体験しました。

実際に行ったのは2019年8月11日です。

二人で山奥の渓流沿いで行いました。

車を停めたところから2分ほど歩くところに開けたところがあったのでそこで行いました。

周りには誰もいませんし、トイレや炊事場もありません。

今回の目的は外でラーメンを作って食べて見ることでしたので必要最低限の水・ラーメン・ネギ・飲みものと簡易的な焚き火キットを持って行きした。

最初は川のせせらぎを聞いてて気持ちが良かったのですが、やはり2人でいると静かに感じ現実逃避しているような気分になりました。

家でラーメンを作ればおおよそ5分~10分くらいあれば作れると思いますが外ではなかなかうまくいきませんでした。

火を起こすまでにも時間がかかりなんとか火が起きても今度は鍋に水を入れて沸騰するまで時間がかかり、沸騰するまで30分から40分ほどかかりました。

そこから麺を入れ、やかんにはスープ用の水を沸騰させていました。

ようやくできたラーメンはとても美味しくいただき完食致しました。

たかが一杯のラーメンを食べるためにこれだけの労力を使うのは、はたから見たら馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、不便を楽しむことで得られることがありました。

それは日々楽をして生きていること、世の中には便利なものが会ってお金という対価をを払えば済む・利用できることが多いことです。

本当の美味しいさや大変さを忘れてしまいがちです。

昔の人はごく普通にやっていたことが今はしていない。

東日本大震災の時も3日過ごすだけでも食料に困りました。

何らかの機会でアウトドアを経験して生き延びる術を身につけたり体験することで非常食を常備しておくこと、災害道具などを準備しておくことが大事だと感じ実行に移すと思いました。

後悔したことはヒルに足を噛まれたことです。

痛かったです。

虫対策だけは万全にするべきだと思いました。

33歳 男 引っ込み思案だったが、積極的に行動できる人間になった

私の人生が変わったと思ったのは、社会人2年目のときだと思います。

私は町工場で梱包や出荷作業、事務などをしていました。

黙々とできる作業が、私にあっていると思っていました。

肉体的にはハードでしたが、こなせる仕事でした。

給料は多くないけど、生活はできる。

少し満足している自分がいました。

そんなときに、会社の先輩が急に退職をしました。

すぐに人員を補充することが難しく、穴埋めをしなくてはいけません。

その人の仕事は営業職で、主に得意先を回る仕事でした。

誰がやるんだろうと思っていたら、私に営業をやってくれと頼まれました。

昔から引っ込み思案だった私は、営業なんて飛んでもないと思っていました。

就活でも人と関わる仕事は避けていたぐらいです。

少し返事を戸惑っていたら、上司から言われた言葉があります。

「お前の電話対応を見ていたら、客先に出ても大丈夫だと思った。

だから頼んでいるんだ」
そう言われた私は、期待されているんだという感じに捉えました。

他に人もいないし、やるしかない。

そう思って、営業に異動することを受け入れることにしました。

最初はやはり慣れない業務だったので、苦労しました。

会社に訪問するときは緊張しますし、商品を把握して知識をつけなくてはいけない。

営業トークなども、上司とロープレして練習しました。

売上が数字で出るので、それがプレッシャーにもなります。

そんな日常生活を送っていたのですが、ある時から不安な気持ちというのが和らいできました。

むしろ、やりがいを見いだせるようにもなってきました。

人と会話をするのが楽しいなと思う瞬間があるのです。

営業なので、人と話せないと仕事にならない。

場数を踏んでいるうちに、いつの間にか成長していたのです。

それはプライベートでも変化が出てきました。

昔から奥手で女性と話すのが苦手だったのですが、今は自然に話すことができるように。

あの時にチャレンジしたことで、私の人生は変わったと思います。

何もしなかったら、何も変わらない。

人生を良い方向へ変えるためには、チャレンジが必要だということが分かりました。

40代主婦 22歳でフラメンコにで会い素敵な青春を送れました

40代の専業主婦です。

新しい経験を始めたのは22歳の時でした。

当時、職場と家の往復だけの毎日に何か刺激が欲しいけどどうしたらいいのか?何がしたいのかわからないと悩んでいた時に、新聞に折り込まれていたフリーペーパーで見つけたのが「期間限定フラメンコ教室」の文字でした。

小学生の時にモダンバレエを習っていた事もあり以前から踊りに興味はありましたがフラメンコという踊りに対する認識はゼロでした。

しかしその広告を見た時に何か感じるものがあり「やってみたい!」という気持ちがわきあがり、すぐに申し込みをしました。

直観は当たっていて、レッスンを始めるとすぐにフラメンコにはまってしまい、お試し期間の3ヶ月が終わるとそのまま本入会の手続きをして、そこから10年以上も続けることとなりました。

その時から私にとってフラメンコは仕事と同等の存在かそれ以上のものとなりました。

時には教室を2つ掛け持ちしたり、新幹線に乗って東京まで習いに行ったり、レッスン日以外にもスタジオを借りて自主練をしたり。

とにかく楽しくてたまらなかったです。

年に一度は発表会もありましたが、それ以外のあらゆる場所(結婚式、自主公演、各会社の忘・新年会など)で踊る経験もさせて頂き、くすんでいた毎日がキラキラ輝きだしました。

また、フラメンコを通じて大切な友人達も沢山できました。

22歳のあの日、ふと見つけた広告記事にインスピレーションを感じて躊躇せずに動いたことが私にとって沢山の大切な時間と経験をもたらしてくれました。

もし経験不足で尻込みしたり人見知りをして足を運んでいなければ多くの大切な体験という宝物を手にすることは無かったと思います。

そんな経験はなかなか無いかもしれませんが皆さんも、もし「これ!」と感じるものに出会ったら尻込みせずにチャレンジしてもらいたいなと感じます。

ちなみに現在は家の事情と自身の病気でフラメンコはしていませんが、友人たちの踊りを見に行ったり、病気と闘う励みになっています。

45歳 女性 地味おばさんから脱却して笑顔が増えた私

子供が生まれてからずっと、どうすれば良いお母さんになれるのかということが、私の頭の中の大部分を占めていた。

子供が小さいうちは、当たり前のことかもしれないが、子供中心の生活をしてきた。

自分のための時間や、自分のために使うお金がごく僅かでもなんとも思わなかったので、おしゃれとは無縁だった。

外遊びをや家事で汚れても大丈夫なように地味な色合いの動きやすい服を着て、子供のために精一杯をやってあげたいと願いながら、ずっと暮らしてきた。

その生活が何年も続いて、子供は高校生に。

そして、私自身は40台半ばになっていた。

自分のことを後回しにばかりして、ろくに鏡もみてこなかったし、私自身のための楽しみやおしゃれなファッションからすっかり遠ざかってしまったいた。

「おばさん」という言葉がしっくりくるようなおばさんになってしまったのである。

「おばさん」になったこと自体は、一生懸命に良いお母さんであろうとしたことからきているのだから後悔はないのだった。

ところがある日、大学時代の友達と10年ぶりに再会したことで、今までの考えがガラリと変わった。

その日の私のファッションは、黒いセーターにグレーのスカート。

黒いバッグに黒い靴。

薄化粧に、ネイルはなし。

今すぐにでも学校の授業参観に行けそうな、地味な装いである。

友達はといえば、その日訪れることになっていた美術展のテーマに合うようにと、栗色に染めた髪色にマッチするブラウンのベレー帽をかぶり、同じブラウン系統のふわふわとした素材のワンピース。

足にはブーティー。

手元のおしゃれもぬかりなく、綺麗なネイルがほどこされていた。

彼女の全身から伝わる「おしゃれって楽しい!」という雰囲気を感じて、私まで楽しい気持ちになってきたのです。

まずは自分が楽しむことで周りも笑顔になれるということを、彼女から教えてもらったのでした。

それから彼女とラインを交換して日々やりとりをするうちに、好きなファッションを堂々と楽しんだり、ヘアスタイルを変えたり、指先にはもちろんネイルもして、、、お母さんとしての自分しかなくなってしまった私から、もっと自分自身を楽しめる自分へと、少しずつ変わっていくことができた。

彼女との再会をきっかけに、自分自身を楽しみ、おしゃれを楽しみ、人生を謳歌すること、そして良いお母さんであることが、私の目標になった。

まずは自分が楽しむと、周りをハッピーにできるのである。

アラフォー主婦 ファスティングで新たなる発見

私はアラフォーの主婦です。

今回は、私が人生で初めて体験した「ファスティング(プチ断食)」についてお話します。

40代に近くにつれ、今までのように多少の食事制限では痩せなくなってきました。

かと言って、家事があるので運動する時間を取るのも難しい・・・。

そんな時に目にしたのがファスティング(プチ断食)という方法です。

知識も無く一人で始めるのは不安だったので、有料で一緒にファスティングをしてくれるサークル「ファスティング部」に加入しました。

条件は、
・トレーナーへ料金の支払い¥3000くらい
・Facebookにて「ファスティング部」のグループ登録
・指定の酵素ドリンクを購入(ファスティング中に飲むため)
でした。

ざっくり合計で10000円程度です。

1万円で痩せらせるなら、エステや怪しい薬より良いかと思い参加しました。

トレーナーの指導の元、準備期間3日→完全断食2日→回復食2日という合計7日間のスケジュールです。

楽勝♪と思っていましたが、甘かったです。

準備期間の初めから、頭痛や吐き気があり不安感MAXでした。

ですが、トレーナーの方はいつでも質問にすぐに答えてくださるし、「今日あたり、頭痛などがある方がいるかも知れません。

」と前もって教えてくれます。

おかげで、安心して挑めました。

空腹や頭痛が辛いのも始めの2日程度で、完全断食の期間になると「空腹標準」な自分がいます。

そんなに空腹に対して辛い気持ちが無く、お菓子もそんなに食べようと思いません。

この辺にくるとだいぶ楽になってきます。

回復食の期間になると、「味ってこんなに感じるんだ!!」と味覚が研ぎ澄まされます。

今までいかに濃い味で生きてきたのか思い知らされました。

ダイエットの成果としては、「-3キロ」でした。

体重としては、そんなに大きな変化はありませんでしたが沢山の気付きがありました。

・お腹が空いてないなら食べなくても良い
・沢山食べることで周りが喜ぶなんて考えなくて良い
・お菓子で腹は満たされない
・濃い味は食欲増進され負のスパイラル
・ご飯食べなくても死なない
・断食しても仕事できる
・少ない量でも満足できる
・食べてもストレスは解消されない

ファスティング=怖いと思っている方も多いと思います。

確かに、よく調べずにやるのは良く無いと思います。

正しくサポートしてくれる人や辛い時励まし会える仲間がいると安心して楽しくファスティングできましたよ。

自分の身体は1つです。

もう一度自分の五感を呼び起こす為にも機会があれば一度ファスティング体験してみてはいかがでしょうか。

30歳女 離婚してようやく自分の人生を歩み始めています

私は30歳のシングルマザーです。

現在4歳の娘が一人います。

人生が変わった、と思う体験は、「モラハラ夫との離婚」です。

産後、元夫から受けていたのは「モラハラ」だったと気付きました。

夫婦二人の時は見えていなかった元夫に対する違和感が少しずつ顔を出し始めました。

育児に必死な私に対する攻撃が増えたのです。

そして、相当悩みましたが、一年間の調停を経て離婚。

元夫と離れたばかりの時は、「自分のせいだ」とか「私がもっと我慢すれば」等、
頭の中で常に自分を責めていました。

何度もやり直せるんじゃないか、と思いました。

一年以上心が揺れて、落ち着きませんでした。

でも、少しずつ、だけど確実に自分を取り戻していきました。

それまでは自分の周りにいる人の目を常に気にしていた私ですが、
今は心の底から笑ったり、自分から積極的に人と関わったり出来るようになりました。

元夫と生活している時は、
元夫の気に入りそうな服装をし、元夫が許した友人とだけ会い、
元夫の好きな店でご飯を食べて・・・と私の意思はどこにもなく、
元夫の世界の中で生きていました。

今思うと本当に馬鹿馬鹿しいです。

確かに私達は夫婦でしたが、別の人格をもった人間なんです。

価値観が違うのは当たり前だし、相手の価値観をけなしたり、
自分の価値観を押しつけるのは間違っているということにも気付きました。

だから今は変に気を遣うことなく、
自分と相手の意見が違っても
「それも確かにそうだね。

私はこう思っているよ。


と自然に伝えることが出来ています。

幸せなはずの結婚が、自分を押し殺して、苦しいものだったら
「別れる」というのも一つの選択肢としてありだと思います。

何が正解かは分からないし、何を選んでも苦労することもあります。

だからこそ、「自分の意思」が一番大切だと思うのです。

こんなことを考えている自分を、昔の自分が知ったらビックリするでしょう。

今の私がいるのは「離婚」という体験をしたからだと思っています。

だからこの離婚に感謝しています。

やっと自分の人生を生きられるようになったのだから。

47歳男 ゲームでダイエット成功 身軽になって運動が楽しくなった

私は47歳の男性です。

現在は身長178cm体重60kgのスマートな体型をしており、足は贅肉なくスラっと伸びてます。

しかし若い頃は肥満体型で凄く太ってました(最大時は体重100kg近く)。

まず運動は苦手でしたし、体を動かすのも嫌いでした。

例えばマラソンをした場合、500mも走れずに歩き出す始末。

これだけの短距離だとマラソンの効果なんて出ませんし、ダイエットへの影響もなし。

疲れて喉が渇くだけなのに、なぜみんなこんなツマラナイ事をするんだろうかと不思議に思ったものです。

こんな私の肥満人生を変えてくれたのがゲームです。

家庭用ゲーム機ではなく、ゲームセンターに設置している大型専用筐体を用いてプレイする「DanceDanceRevolution(通称DDR)」という音ゲーでした。

音ゲー自体はそれまでにしたことがあります。

というか大好きでした。

クラブのDJをイメージした「BeatMania」、これを7鍵盤にして高難易度化した「BeatMania 2DX」、女子ウケを狙った可愛い感じの「Popn Music」等、全部プレイする程隙でした。

しかしこのタイプの音ゲーは手先を動かすタイプなので体は使いません。

だから運動嫌いの私でも出来たんです。

逆にDDRは足でフットパネルを踏んでいくタイプのゲームなので、かなり体を使います。

ですので毛嫌いしてプレイしたことなかったんですが、やってみるとビックリ。

凄く面白いんです。

またそれまでの音ゲーとは違う魅力もありました。

なんというか、上達の仕方が独特といいましょうか。

それまでの音ゲーは、次にどのボタンをどのタイミングで押すかを如何に脳内ですばやく処理し、その通り指先を動かせるかだけでした。

まあ指先を動かすのはそれほど難しくありませんし、脳内でスムーズに処理出来るようになれば上達出来ました。

しかしDDRは違います。

脳内でスムーズに処理出来るという点までは同じですが、それを足に反映させるのが凄く難しいんです。

ただ足に伝えるだけでなく、これからどのようにフットパネルを踏んでいくかも計算しなくてはなりません。

手先ならとにかく早く動かせばいいだけですが、足となるとそんなわけには行きません。

無茶に動かしても足の回転速度って上がりませんし、足がもつれたり、バランスを崩して倒れたりもします。

実際私はプレイ中にバランスを崩して倒れ、筐体から落ちた経験もあります。

こういうゲームですのでプレイ時の運動量は他のゲームとは比較にならない程大きく、ダイエットもすすみました。

また体が細く、軽くなっていくことで荷重移動をスムーズに行えるようになり、高難易度の曲をクリア出来る所まで上達。

さらにそれだけだは飽き足らず、シングルプレイからダブルスへと移行。

ダブルスは2P用のフットパネルも用いるもので、運動量はシングルプレイより数倍上。

おかげでDDRをプレイしてるだけで、100kg近くあった体重は58kgにまで減少しました。

ただ体重が落ちただけでなく、主に足を使って運動していた為持久力は凄く上がりました。

以前なら500mも走れなかったというのに、2kmぐらい走っても息切れする程度。

体は別人のように軽く、運動していて爽快感を得られるようになったんです。

おかげで運動自体が楽しくなり、週数回ジョギングしたり、週末はサイクリング等の運動をするようになるほど人生が変わりました。

私のように運動嫌いの人も、ゲーム等でワンクッションおいたら運動をするのが楽しくなるかもしれないのでこういった運動系ゲームを一度試してみるのをお勧めします。

28歳 男 勢いで会社をやめフリーランスになり、現在不安です

はじめまして。

現在28歳で岡山在住の男性です。

私は最近仕事を辞めてフリーランスになる体験をしました。

私はもともと大企業に勤め、研究職に従事していました。

はじめは特に問題なく勤務できていたのですが、1年目の最後に社内の技術論文を書くことになった時に、上司とそりが合わず、「高い給料払っているんだからちゃんと仕事しろ」とか「ちゃんと考えて仕事しないと」とか「お前は仕事が遅い」などと言われ、上司と相談するのが嫌になり、最後にはうつ病(正式にはうつ病の一歩手前のうつ状態)になってしまいました。

この病気自体は1ヶ月の療養で治ったのですが、その後は上司を含め仕事のことで誰かに相談することがトラウマになり、仕事が上手く進まず、やりがいも見出せない毎日でした。

本当は仕事を辞めたいのに、辞めた後のことが漠然としていることや、他の会社に移っても結局サラリーマンになるのだから同じ事になると思っていました。

そこから2年間勤める間に、自己啓発本を読み漁ったり、ネットで「仕事 やりがい」といったワードで検索したりする、悶々とした日々が続きました。

ある時、「LIFE SHIFT」という本を読み、私の世代の平均年齢が95歳であることを知りました。

今後の人生に絶望すると同時に、だからこそ色々なことに挑戦しないといけないと思うようになりました。

その時に「坂内学」さんのYoutubeの動画を見てフリーランスという生き方に興味がありました。

やってみたらどうなるんだろう?と疑問を抱き、挑戦してみようと思ったので、次の就職先も見つけず、退職してみました。

この時には不安の一方で、もうやるしかない、という決意がありました。

今は辞めたばかりで、この先一生仕事が無い状態で生きていくのかな?という不安を抱いて生きています。

仕事が無くて時間が余っている分、どうしようもないことをずっと考えるような日々を過ごしています。

辞めて1ヶ月くらいしか経過していないのでこの先のことは分かりませんが、今はネガティブな感情が大きい自分がいます。

後悔しているのは、辞めた後の仕事のことを何も考えておらず、社会的なつながりがなくなってしまっていることです。

生活費は問題がないような環境で暮らしているのですが、在宅ワークで、仕事が今のところないため、非常にむなしい日々を過ごしています。

勢いだけで辞めてしまったのでもうどうしようもないのですが、辞める前になにかしらかフリーランスとしての仕事を経験しておくべきでした(前の会社は副業禁止でしたが)。

現在フリーランスという生き方が増えてきていますが、もし同じようにサラリーマン生活に悩んでおり、フリーランスとして生きていくことに興味を持っているのであれば、仕事のとっかかりくらいは準備して辞めることをオススメします。

32歳女 なんとなくで続けてみるのもアリ!半信半疑のレメディ体験

札幌市内でOLをしている32歳です。

社会に出始めた23歳ごろ、気持ちの落ち込みが激しくなりうつ病を発症し、仕事を辞め寝たきりの状態で過ごしていました。

自宅療養をして精神科にも通っていました。

焦りや不安にとらわれる毎日で、余計に気持ちが落ち込み、悪循環に陥っていました。

かかりつけの病院をみつけるまでに3件ほど病院をまわり、やっとであった精神科医の長沼睦雄先生の元で、治療をはじめ、自分がHSPというとても心身共に過敏な体質であると教えていただきました。

長沼先生に、これは病気じゃなくて向き合い方でよい特性となるものですと言われ、そこで初めてホメオパシーという考えに出会いました。

フラワーレメディという植物のエキスを抽出した水をスポイトで口に数滴ふくむただそれだけで自然治癒力が高まるというおまじないのような療法です。

正直、え、こんなことでと思い当時は処方された漢方もほとんど服用せず、フラワーレメディについても何となく不思議な世界でわくわくするなあと思うくらいでほとんど効果については信用していませんでした。

1瓶使いきるまえに飲み忘れてそのままどこかに無くしてしまっていました。

思えばあの時、もう少しその不思議な世界にかかわっていたら、もっと早く生き生きとした自分に出会えていたかもともいます。

あれから10年近くたったいま、自分の心身の健康を気遣うようになって、サプリメントや食事の改善などを試みているところなのですが、そういえばあの時…と、ふとしたタイミングでフラワーレメディについておもいだすようなりました。

自然療法についての大切さにきづき、海外からとりよせ、いま服用しているところです。

以前のようにどん底の体調ではないですが、ホメオパシーの考え方やフラワーレメディに触れて、私の毎日はいまとても充実しています。

もし、この文章をみている人にアドバイスがあるとしたら、もし落ち込むことがあった時、科学的なものではない少し不思議なアプローチの仕方もあるんだとぜひ試してもらいたいです。

実際私も科学的な根拠はプラセボ効果にとどまるというフラワーレメディを信じ切れずに過ごしてきましたが、半信半疑でまた再開したところ、いま大変助けられ充実した毎日を送っています。

26歳女性パニック障害克服

大阪府在住26歳主婦です。

4歳女児・3歳男児と年子の子供がいます。

年子の育児は、双子よりも大変だ・・・と聞いてはいたものの、タイミング的に年子を産むことになりました。

一人目を産んで、キョウダイは欲しいと思っていたので、不本意では無かったですが、こんなに大変とは思ってもいませんでした。

今となっては、二人目を産んで1年間ぐらいの記憶が曖昧ですw子供たちには丁寧な育児が出来ず、申し訳ないと少し思います。

その分逞しく育ってくれればとも思っていますが。

二人目が2歳の頃に新築を建て、大きな戸建てに引越しをしました。

35年の住宅ローンと、子供たちの教育費で、私も少しパートに出ることにしました。

やはり、疲労が祟ったのか、眩暈で倒れたとともに、過呼吸を引き起こし、その後パニック障害となってしまいました。

小さな子供を二人抱えてのパニック障害は地獄でした。

保育園や、職場、両親に頼りながら、一年を何とか越そうとしていたときに、ヨガに出会いました。

始めは呼吸法だけでも習得して、日々の生活が少しでも過ごし易くなれば、と始めたのですが、ゆったりと流れる時間と、瞑想、深い呼吸と、適度な運動(ストレッチ)がとても気持ちよく、お陰でパニック障害の発作も劇的に減りました。

また、体を動かしていると言う自身も着き、どこに言っても恐怖を感じなくなりました。

体力が着いたことで、出来ることも増え、発作が怖くて家に閉じこもっていた自分から、考えられないほど回復しました。

今回の経験により、若い頃とは違う体力の衰え、何でも自分でしようとする責任感、など反省し、周りに協力を求めながら、育児も仕事もほどほどに両立できるよう自分でセーブするよう心がけています。

体が資本と言いますが、母親となった今その言葉が本当に身にしみます。

子供たちにも寂しい思いをたくさんさせてしまいました。

ヨガに出会ったお陰です。

そのヨガもまた、ほどほどに・・・と思いながら頑張っています。

33歳 男 ギターを弾くようになって人生が豊かになりました

 33歳の男です。

私はギターを弾くようになって人生が豊かになりました。

 私は、20歳くらいの頃、漫画家の柳沢きみお先生の描いた作品「大市民」シリーズを読んで、本作の主人公である山形鐘一郎さんがクラシック・ギターを弾くと人生が豊かになるという主張をしているのを読み、私もクラシック・ギターを弾いてみたくなり、私の住んでいたアパートの近くにある楽器屋さんで一番安い5000円くらいのクラシック・ギターと、クラシック・ギターの弾き方の教本を買って、クラシック・ギターの練習を始めました。

まずは、クラシック・ギターの基本の弾き方のアルペジオの練習をしました。

しかし、上手くできないので、数日間で練習を辞めてしまいました。

その後、私は、数年間、ギターを弾かなかったですが、23歳くらいの時、私はヘビーメタルの音楽のファンになり、自分もヘビーメタル音楽を弾いてみたいと思い、通信販売のAmazonで一番安い6000円くらいのエレキギターと、エレキギターの弾き方の教本を買って練習しました。

しかし、やはり上手く弾けず、数日間でギターを弾くことを辞めてしまいました。

その後、また、私は数年間、ギターを弾かなかったのですが、私が25歳くらいの時、私の住む実家の近くにギター講師がいることを知り、ギター講師に教われば、ギターが上手くなると思い、そのギター講師のもとへ、月に2回通うようになりました。

 そのギター講師は、全てのギターに共通するギターの基礎理論を1からしっかりと教えてくれました。

そのおかげで、私は、ギターの仕組みを知り、コード理論やスケール理論などを理解し、コード表を見なくても、自分でそのコードを作れるようになりました。

そのようになってくると、ギターを練習することが楽しくなってきて、毎日、少しづつですが、練習を続けることができるようになりました。

そして、自分で気に入った曲を、YAMAHAの楽譜プリントで買って、弾き語りなどもできるようになり、ギターを弾くこと
で、自分のストレスを発散できるようになり、人生を豊かにできました。

 もっと若い時から、ギター講師のもとで、ギターの勉強をしていれば、時間を無駄にせずにすんだと後悔しています。

 ギターは独学より、ギター講師に学んだ方が効率良く基礎から勉強できて、上手くなるスピードが速いと思うので、ギター講師に学ぶことは良い方法だと思います。

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