【閲覧注意】いじめっ子・パワハラ上司のその後が『悲惨』すぎて笑えない 40人分

目次

娘の友達 超いじめっ子 病気になってもかわいそうだと思えない

娘が小学生の時に近所に住んでいた同い年の女の子は驚くくらい誰からも嫌われるくらい嫌味がひどく自分が気に入らないと思った子には机を水でぬらしたり悪口を言い続けて学校に来るのが嫌になるように仕向けたりととにかく精神的にも身体的にもダメージを与えるいじめっ子がいましたが6年生になったころにはほとんど友達がいない状態になってしまったことで卒業を期にいつの間にか引っ越してくれたので娘や娘の友達、父兄も安心しましたが引っ越しをしても性格は変わることなく引っ越し先の中学でも友達相手に問題を起こしていたようですがその子が中学2年生になったころ、原因不明の高熱が続くようになり後から聞いた話ですが命のかかわるようなことはない物の中学2年生の間はほとんど学校に行くことはできず高熱が下がらない病気であることはかわいそうだと思う反面、今まで散々好き放題に自分が気に入らないと思う友達をいじめたり嫌がらせを続けてきた報いなのではないかと思いました。

その子にいじめられた子で本当に心が病んでしまい学校に行きたくてもいじめが怖い、悪口を言われるのが怖くて学校に行けなくなってしまった子もいたのに頭の回転が速い子なので絶対に証拠は残さず悪口は言っていない、言ったとしてもそんなつもりで言ったのではないと先生に言い訳をして証拠がないため先生もそこまで強く怒ることもできず親に注意しても悪気はない、そんなことは言っていないと言っていると自分の子供は悪くないというスタイルは崩さずその子と同じクラスになるとがっかりする子もたくさんいるような子でした。

原因不明の高熱で入院したりたくさんの病院で検査を受けて一年弱で高熱は治まり学校にも通うことができるようになったようですが部活も休部扱いになったり難病ではないため出席に数が足らず受けたかった高校への推薦も取れなかったりと本人も親も学校が推薦をくれないことや難病指定してくれないことにかなり怒っていましたが今までやってきたことを考えると重なるいじめや悪口を言った報いではないのかと思い今では付き合いは全くないですがちょっとかわいそうだと思う反面あれだけのことをやってきて元気になったんだからよかったじゃん、と心の底から病気になってしまったことが気の毒と思うことはできず今までの行いの報いよって病気になったのではと思っています。

意地悪な彼女は引きこもりで因果応報です

私が中学生だった頃転校してきてなじめなかった小学校のクラスに意地悪な女子生徒にいじめを受けハブられて利していて、そのまま進学しても部活動関係でも(クラスは違ったのですが)嫌がらせなどをうけていました。

ただ、私が部活をやめてからその女子生徒は違う同級生や同じ部活内の娘をいじめのターゲットにして、相変わらず女王様気取りで気に食わない相手をみつけてはいじめを繰り返していました。

だんだん、皆にその性格の悪さが知れ渡ってきて随分と露骨ないじめは下火になっていたのですが、陰でコソコソと繰り返していたようです。

たいてい、大人しくて目立たないグループにいる感じの娘を虐めていたようですが、中学を卒業してそのいじめっ子は都心の方の高校に進学したので大多数の同級生たちは田舎の地元の高校に進学していたので皆胸をなでおろしていました。

後から知ったのですが、言うことを聞かないでいじめに加わらないと今度は自分がターゲットになるという怖さから言いなりになっていたので彼女が同じ学校にいない事で皆でかなり仲良く打ち解けて楽しく学校生活を過ごしていました。

いじめっ子の彼女のことなどもう、誰も話題にしなくなっていてそれくらい過去の過ぎたこととしていい思い出の三年間でした。

ところが、高校を卒業して中学時代の同級生に進学した短大で再会して聞いたところによると、いじめっ子の彼女は都心の高校で何故かなじめなかったようで、シカトやハブられたりして、挙句な果てに不登校になっていたとのことです。

それも、心を病んでしまったようで部屋から出ることもできなくなり”この世の人全員が敵に見える。

”と、何時もおびえていていまだに外にも出れないということでした。

ひどいとは思いましたが虐め被害にあったり加害者に加えられた同級生たちは私も含めみんな”ざまあみろ!!!!”と、言いあって同情もしませんでした。

いや、できませんでした。

みんな口々に”因果応報ってあるんだね”と、事あるごとに言っていました。

中学の同窓会が時々行われますが、未だに彼女はきたことがないです。

まだ引きこもりらしいです。

でも、私は可哀想だとは思いません。

嫌がらせをしてくる先生の、屈辱的な最後

私は27歳のフリーターです。

私の小学校時代の話を書きます。

小学5年生のころ、厳しいというか、意地悪な担任の先生がいました。

こちらは子供ですから様々な失敗をするわけですが、先生はそれをネチネチと責め立てるのです。

特に困ったのが、授業中にトイレに行きたいと申し出ても、「どうして休み時間に行かなかったの」と怒られ、行かせてもらえなかったことです。

私たち生徒はほとほと困っていました。

ところが転機が訪れました。

ある日の授業中、15分くらいがすぎたころでしょうか、先生が落ち着かない様子でイライラと体を揺らしていることに気づいたのです。

私はピンと来ました。

先生はもしかしてトイレを我慢しているのではないか。

ですが、生徒に「休み時間にトイレに行くな」という先生ですから、まさかトイレに抜けることもできないだろうし、どうするのだろうと思っていました。

どうやらその日先生は会議やほかの業務に追われていたようなのですが、今思えば休み時間どころか昼休みにもトイレに行く時間がなかったのでしょう。

それは5時間目だったので、もしかすると朝の始業から一度も行けていなかったのかもしれません。

授業が始まって半分くらいがすぎたころ、先生はもう全く授業に集中できない様子でした。

算数の授業でしたが、計算も間違えるし、教壇の上でじっとしていられない様子でした。

残り10分となったころ、先生は「ごめんなさい。

もうお手洗いが我慢できないの。

ごめんなさい」と言って教室を飛び出して行きました。

誰かが背中に「どうして休み時間に行かなかったのー」と叫びました。

いつも私たちが言われていることです。

先生はとても屈辱的な顔をしていました。

私たち生徒はざまあ見ろと思いました。

今思えば、少しかわいそうだったかもしれません。

いずれにせよ、その日から先生の嫌がらせはだいぶ減ったことは言うまでもありません。

その後、ぼくたちは六年生になり、その後先生のことは知りません。

職権乱用パワハラ上司

私は、ある業界で働いている30代のサラリーマンです。

30代とは言え、その業界の平均年齢は高く、まだまだ若手です。

そんな私とパワハラ上司の関係は、海外現地法人の社長と社員の関係だった。

海外現地法人の日本人スタッフはその上司を含め4人しかおらず、一番の若手社員が私であった。

その上司は、私のような技術上がりでない人間をあまり信用しないタイプの人間であったためか、その関係は上司と部下というよりは、主人と使用人に近かった。

当時、全員車通勤が基本であったのにも関わらず、本人は運転を拒否し、私に自宅までの送り迎えをさせた。

完全にタクシー代わりで、休日以外は残業があっても毎日やらされたため、上司を家まで送った後、事務所に戻り再度作業を続けるということもあった。

本人は、自分が社長であるという思いが強かった為、社長感というものを味わいたかったのだと思う。

一度社長待遇を味わったその上司はどんどんエスカレートした。

休日は本人が望む限り強制的にゴルフに付き合わされ、そのプレイ代を出してもらえるのかと期待していたがあえなく撃沈した。

強制的に参加させられているのに、自腹でゴルフするのだからまったく楽しくない。

公私混同が著しく進んでも、社長だから誰も注意できない。

社員全員その職権乱用に辟易していた。

そんな状況で2年たち、ある時社内監査があった。

その時に、日本側へ粉飾報告していたのがばれてしまった。

急遽日本へ帰国命令が出され、社長待遇だった日常が突如終わりを迎え、降格処分になった本人はそれを恥に思ったのか、辞表を提出し会社を去った。

誰もその上司を憐れむ人は出てこず、私もスッキリした気持ちでいた。

しかし、急遽帰国したせいで、社内は混乱し、最後まで我々に迷惑をかけたのである。

こうして私の休日は日常を取り戻し、自分の行きたい時に行きたいとこへ行ける喜びを噛みしめ、日常に戻った。

本当にあんな上司とは二度と仕事したくないと思うばかりである。

40代女子びいき教師、女子トイレに侵入し逮捕、まあ、そうなるわな

北海道に住む33歳の男です。

この話は僕が小学3~4年生の頃の男の担任の先生、S先生のお話です。

僕が3年生の時に担任になったS先生。

40代の男の先生なんですけど、やたらと男子生徒には厳しいんです。

女子生徒にはすごく優しくて、掃除を休みたい女子生徒がいると「無理しなくていいよ!休みなさい」というんです。

男子生徒が同じこと言うと「10分くらいで終わるだろ!甘えんな」とか言うくせに。

なんでこんなに男子生徒に厳しいんだろう?僕はそんなS先生が苦手でした。

小学4年になっても、男子生徒と女子生徒との接し方の態度の違いは変わらずにいました。

そんなとき、同級生の男の子が言いました。

「S先生が〇〇ちゃん(女子生徒)を抱っこしていたよ」と。

明らかに変だと思いました。

女子生徒にそこまで優しくするの?しかも肌の密着率が高くないか?とその日から僕は思いました。

もしかしたらS先生はものすごい女好きなんではないか?とそして僕はS先生を監視してみました。

そしたらやはり、女子生徒との肌の密着率が高い。

女子生徒の頭をなでたり、肩車したり、でも性犯罪というところまでは行かない感じでした。

小学5年になり、担任がS先生から違う先生になり、S先生の女子びいきからも解放され、僕は楽しい毎日を送っていました。

そして、僕が小学6年生になったある日、事件が起こりました。

S先生が近所のショッピングモールの女子トイレに侵入して逮捕されたのです。

そのときS先生の手にはビデオカメラがあったそうです。

全校朝会などではS先生の逮捕の話はされなかったのですが、保護者会で、S先生の逮捕が伝えられ、僕はその話を母から聞きました。

その後風の噂で聞いたのですが、逮捕後、教員職を首になり、奥さんとも離婚したそうです。

正直S先生には散々厳しくされてきたので、正直やった!とか思いましたけど、よく考えてみると、犯罪なので、「やった」という気持ちは違うかな?と思い反省はしました。

その後、S先生はどこで何をしているか?分かりません。

いじめっ子、自分のしたことが帰ってきて…反省したかな

30代主婦です。

小学生の頃の話なのですが、クラスのリーダー格の女の子Aがものすごい「いじめっ子」でした。

リーダー格の子だから誰も文句が言えない、というのではなく、いじめっ子で誰も文句を言えないからリーダー状態になり、偉そうに振る舞う、という状況です。

Aは今でいう、所謂「家庭環境に問題がある子」で、その憂さ晴らしをしたかったのでしょうか、気まぐれにターゲットを決めては、その子の物を隠す、陰口を言う、ありもしないことをでっちあげて他の子に言いふらす、無視をする…といった感じでした。

私自身がターゲットになったこともありますし、他の子をターゲットにしている際に「あんたもあの子のこと無視するのよ」と巻き込まれたこともあります。

今思えば、どうして自分がターゲットにされた時に、もっと毅然とした態度で言い返したり、こんなことはやめて、と言えなかったのか。

どうして他の子を一緒に無視することを受け入れてしまったのか。

(これはAに歯向かって自分がターゲットにされたくなかったからです。

他の子達もみんなそうでした)後悔は色々ありますが、とにかく当時は彼女の独壇場でした。

ですが、中学校に入学し、風向きは変わりました。

私たちの入学した公立中学は、私たちの通っていたA小学校、近くのB小学校、C小学校、という3校からの集まりでした。

人数も多く、派手な子が多かったB小出身の子たちは存在感が強く、自然と発言力を強めていきました。

そんなある日、B小出身の中でも特に人気があり、気が強く、また曲がった事が嫌いなBちゃんが、友人から小学校時代のAの振る舞いを聞き激怒。

「だからAは勉強や運動ができるわけでもないし可愛くもないのにあんなに偉そうにしてるのか。

A小出身の子たちがAにやたらお世辞を言ったりビクビクしたりしてるの変だと思ってたんだよね」と言い、仲の良い子たちとAを無視することを決定。

私はBちゃんと割と仲が良い方だったので、そんなことをしたらAと同じになってしまうのではないか、私たちA小出身で嫌な思いをした子達のことを思って怒ってくれるのは嬉しいけど、BちゃんにAと同じところに落ちて欲しくない、と訴えました。

けどBちゃんは「そうではない」と言い、物を隠すことも、陰口を言うことも、ありもしない噂を流すこともしない。

ただ、無視する。

授業等で必要なやりとり以外は、絶対に話さない。

と宣言したんです。

Aは学年の中心グループだったBちゃんたちに無視され、だんだんそれが他の子たちにも波及していきました。

みるみる元気がなくなっていき、隠れるように過ごすようになるAを見るのは、少し胸が痛むような気がしましたが、正直「ざまあみろ」という感じでした。

自分がしたことの愚かさと、それを受けた方の痛みに気づいて反省し、そのあとの人生で人に優しくなってくれたならいいんですが。

小学校次代のいじめっこ イジメ返される事態に 罰が当たったと思った

現在、夫と2人の子供と一緒に暮らしている専業主婦です。

クラスの中でも特に大人しかった私は、小学校での数年間クラスメートのある1人の女の子(A子)からいじめを受けていました。

結構陰湿ないじめで嫌なことを耳元でぼそっと言われたり、トイレでパンツを脱がされ絵の具で下着を汚されたりと小学生にとって精神的なダメージを受けるものばかりで、不登校寸前までいったこともあります。

A子は私以外の前では明るく何の問題もないように振る舞うのが上手で、先生を始めA子の親も私の親もいじめには全く気づいていませんでした。

ある日、いじめに耐えかねた私はクラスメート数人に帰り道でそれまでのことを打ち明けました。

打ち明けられたクラスメートたちは一様に驚いた様子でしたが、前からA子に違和感を感じていたようで「びっくりしたけど、何となく分かる」と理解してくれました。

翌日から私が話した内容が広まり、クラス全体でA子を避けるような雰囲気が出来上がっていました。

特に男子は汚い物を見るような感じであからさまな態度でした。

その雰囲気は卒業まで続き、A子は何となく寂しそうだったことを憶えています。

中学校に上がっても「A子が小学校でいじめをしていた」という噂が徐々に広まってきて、同じく敬遠される空気がありました。

それがもとで中学校で友達が出来なかったA子。

女子数名にトイレに呼びだされて、持ち物を壊されることも日常だったようです。

そのような事が積み重なってか円形脱毛症になったらしいと聞きました。

その時の私は正直スカッとした気持ちだったし、いじめを行っていた罰が当たったんだと思っていました。

でも、小学校でA子が私に行った行為は許せませんが、当時のA子にもなにかストレスがあっていじめに走ってしまったのかな?と、子供が産まれた今、複雑な気持ちです。

現在A子は普通に仕事をして暮らしていると思いますが、どんな大人になったんだろうとふと考えてしまいます。

パワハラ上司、ついに訴えられ、左遷!

私は、愛知県在住の46歳会社員の男です。

パワハラ上司の哀れな末路について書かせていただきます。

最初にそのパワハラ上司に会ったのは、会社に入社直後でした。

当時は、その上司とは別部署で働いておりましたが、同期社員がその上司と同じ部署であった為、頻繁に愚痴を聞かされていました。

愚痴の内容は、まずすぐに怒ること、しかも理不尽な怒り方をするというような内容でした。

話を聞いていて思ったことは、確かに同期社員にも落ち度はあり、それはその同期社員も認めていましたが、それに対しての怒り方が度を超しているなと感じました。

ちょっとしたミスでも怒鳴り散らす、しつこく何度も怒り続けるなどでした。

その後私は部署を変わることになり、そのパワハラ上司の下に着くことになりました。

同期から聞いていた通り、理不尽なパワハラの毎日に、会社を辞めようと思ったことは数え切れませんでした。

ところがそのパワハラ上司のうまいところは、飴と鞭の使い分けが非常に上手でした。

散々理不尽に怒鳴り散らし、自分はほとんど仕事をせず部下にばかりやらせているにも関わらず、時に掌を返したように、突然優しくなったり、食事を奢ってくれたりし、頻繁に言ってたことは、「俺が怒るのはお前の為だ」、「最近成長したな!」など、時にモチベーションを上げるような言葉を投げかけられ、当時は、それを信用し何とか辞めずに続けていました。

2年ほど同じ部署で仕事をしていた間、毎日のように怒られ怒鳴られ、時に褒められの繰り返しでしたが、確かに精神的にはタフになったと思います。

その後また私が別の部署に移ってしばらくはその上司とは顔を合わせる程度でしたが、10年以上経って、また同じ部署で働くことになりました。

最初はそれほど怒られることはなかったのですが、しばらくすると同じように怒鳴り散らされることが頻繁になりました。

しかもこの時は、上司は結構上のポジションに出世しており、私もそこそこのポジションにいた為、中々会社を辞めるという選択肢を取りにくい状況でした。

ところがある日、同じ部署にいた同僚社員が、その上司のパワハラに耐えかねて、会社の人事に訴えるという出来事がありました。

それまでは、上司は他の社員にもパワハラ的な言動を繰り返していましたが、上手に飴と鞭を使い分け、会社の上層部にはいい顔をしていたのですが、ついに訴える人間が現れました。

そこで堰を切ったように他の社員も同様に訴える状況になった為、会社としても見過ごすことができず、そのパワハラ上司は、左遷に近いような降格人事を言い渡されました。

プライドの高い上司であった為、その人事を受け入れることができず、結局会社を辞めることになったのですが、本人的には一部の訴えなかった部下社員には送別会などをやってもらえると思っていたようで、何人かにそれとなく声をかけたのですが、結局送別会などは一切なく、辞める間際にようやく自分の人望のなさに気づいたようでした。

私は、少し可哀そうにも思いましたが、送別会などはやろうという気にはなりませんでした。

以上が私が見た、パワハラ上司の哀れな末路です。

50代うわさ好きな嫌味上司 逆にウワサをたてられて退職 だろうね

嫌味っぽい上に、うわさ好きな上司。

社内での噂話をいろんな人から聞きつけては、その場で嫌味を言い放ち、内緒にしてねと言われると、その場では内緒にすると話を合わせ、後からそれを他の人に裏でバラすという作業をつねに繰り返していました。

仲のよい方もいたようですが、結構色んな人から反感を買っていた様子でした。

そのうちに、反感を持っている人が、その上司と会社内の女性がショッピングモールで買い物デートしているところを目撃したようで、そのうわさが出たと思ったら、私も見たよ!などの目撃情報が多々されるようになり、ホテルへ行っている姿も目撃されるなど、不倫している事実が発覚。

本人は、奥さんや家族にバレると困ると言っては、仲の良い人を中心に火消しにつとめていたようですが社内中に広まるのはあっという間でした。

そのうち、その女性が会社内で色んな人と付き合っていたことから、さらに火に油状態で大騒ぎに。

ただの不倫騒動だけでは収まらず、会社内での噂話を裏で流していたことなども周囲にバレはじめ、あいつは信用ならないとレッテルを貼られる始末、その上司の身内のよくない噂までされるようになりました。

田舎ですので、バックグラウンドを知ってる人もいらっしゃったのでしょうね。

そんな状態になって数ヶ月、さすがに仕事に出て来づらくなったのか休みがちになりました。

そして、長期療養でお休みされることになったのです。

数ヵ月後に長期の休みを終え、出社してきたころには少し痩せていたようでした。

ですが、よほど敵を作っていたようで、よく出社できるなと言った声が多かったです。

数ヵ月後、居たたまれなくなったのか、また長期療養というかたちでお休みしていたようですが、結局そのまま退社されたようでした。

人の噂話も結構ですが、嫌味を付け加えたりしてネタにし、内緒にしてねと言われようが結局、面白おかしく他の人にバラしている。

その行為が信用を無くしているかもという考えはなかったんでしょうか。

結局、自分自身の不倫といった噂話に火がつき追い詰められていった上司、噂話ばかりして人を笑っていると、いつか自分自身に返ってくるんだなと思った出来事でした。

40歳男性 中学時代のいじめっ子だった先輩が不登校になり後悔

私は40歳の会社員です。

私が中学生の時の先輩に、いじめっ子がいました。

とはいえ、ケンカが強いというわけではなく、先輩に対して歯向かえない後輩に威張り散らすタイプでした。

当然、先輩には一切歯向かわず、ご機嫌を伺ってばかりでした。

後輩に対して無理難題を言い、断ったりすると、ケンカの強い同級生の名前を出して、脅すのが十八番でした。

私の仲の良い友達が、標的にされていましたので、ついでに私も被害に遭っていました。

そもそも友達が標的になった理由が、先輩の好きな人が私の友達を好きだったという、本当にくだらない理由でした。

いっその事、ケンカになった方が、話は早かったのですが、やることが陰険で、大人などに分からないよう、証拠を残さないようにやるなど、どうしようもない人間でした。

私は自転車を川に捨てられましたし、友人はお気に入りのスニーカーを盗まれました。

それだけなら分からないのですが、いちいち自転車やスニーカーのことで、からかってきましたので、間違いなく先輩の犯行でした。

しかし、証拠がないので、どうすることもできませんでした。

そんな嫌がらせは、先輩が中学を卒業するまで続きました。

高校は別になったので、会うことはありませんでした。

そんな先輩は、高校でイジメに遭い、不登校になったそうです。

2年生の時に、後輩を懲りずにイジメていたら、後輩が団結し、逆に先輩をフルボッコにしたそうです。

その後も後輩たちは先輩をイジメ続け、とうとう不登校になったそうです。

その話を聞いた時、私は心の底から「羨ましい」と思いました。

私たちの中学は、上下関係が厳しかったので、どんなに最低な先輩でも、後輩が手を上げることは許されませんでした。

その時は全力で、他の先輩が私たちに鉄槌を下すことになったと思います。

それでも立ち上がって反撃すれば、他の先輩にフルボッコにされても、スッキリしたのではないかと後悔しています。

一度だけ、街で先輩に会ったことがあります。

私と分かると、すぐに目を逸らし、逃げるようにいなくなりました。

追いかけて自転車代を請求しようかとも思いましたが、あまりに哀れ過ぎたので、止めました。

やはり憎さ満点の中学時代に反撃しておくべきでした。

小学校時代のいじめっ子 大学受験で失敗 残念な末路にスカッとした

30歳独身女性です。

幼少期から身体が弱く、度々入退院を繰り返していました。

小学校に上がっても体育の授業で大怪我をしたり、持病による入院を余儀なくされるなど子供としては過酷な生活を送っていました。

そんなわたしは小学1年生の頃から「病弱な子」としてクラスメイトから壮絶ないじめを毎日受けていました。

特にリーダー格のいじめっ子はわたしを殴る蹴るといった暴力から嫌がらせまであらゆるいじめをしてきました。

わたしを省くことはもちろん、顔を殴り続けて罵倒したり階段から突き落とす・雑巾を顔に投げつけてくるなど、いじめの内容は数え切れない程です。

そのいじめっ子は女子で、彼女の姉がわたしの姉の同級生だったこともあり互いの両親は非常に仲良しでした。

その為子供ながら親同士の仲が険悪になることを懸念して、わたしはいじめっ子に歯向かうこともせず母親に相談することもしませんでした。

唯一の救いと言えば、わたしが並の小学生よりも学業がずば抜けていた事です。

テストの成績はいつも満点ですし、美術や体育といった実技も完璧にこなしていたので逆恨みを持つ生徒も多くいましたが、当時のわたしは学力の向上だけが自尊心を維持する最低限の術だったのだと思います。

ちなみにいじめっ子はかなり学力が低く、いつもわたしの美術のイラストを模写して発表するなど卑怯な手を使っていました。

そんな小学校生活を何とか終え、中学に上がると幸いなことにいじめっ子とは別のクラスになりました。

しかも中学校の3年間は一度も彼女と同じクラスになることがなく、部活も一緒にならなかったので彼女と顔を合わせる機会が殆ど無くなりました。

しかし母親同士は地域のテニスサークルに所属しており、わたしが中学に上がって以降も関係を続けていました。

そしてわたしが大学生になった時、わたしは母親からいじめっ子の末路を初めて聞きました。

いじめっ子は高校に上がるもやはり学力が伸びず志望大学に次々と落ちていったのだそうです。

その時に彼女は絶望感をとくと味わったと言います。

しかし俄かには信じがたい話ですが、そんないじめっ子を見ていたクラス担任が推薦入試で本来ならば生徒に伝えてはいけない「空きの推薦口」を彼女に教えて何とか大学に合格させたと言うのです。

推薦入試では希望大学を生徒同士でも教えてはいけないルールがあり、誰も希望しておらず推薦入学予定の生徒が居ない大学が何処の大学なのかも生徒は知ることが出来ません。

この「誰も入ってこない、空きが出た大学」を担任はいじめっ子に教えるルール違反をしたのです。

無論いじめっ子もルール違反だと知った上で、まるで最初から空きの推薦口を希望したかのように推薦希望先を変更し、合格したとのことでした。

彼女の末路を聞いた時、彼女が過去にわたしへ向けた嫌がらせが返り返って、大学入試で苦しい思いをすることになったのかなと思いました。

同時に、小学校の頃から秀でた人間の真似事ばかりするような子でしたので本当の学力は身に付いていなかったのだなとも思い、グレーに近い不正行為でしか大学に入れない彼女を哀れな人間だと感じました。

恐らく彼女は自身が過去に行なったいじめ行為を真に反省し、人と向き合うことができるまでに成長しない限りは真っ当な人にはなれないと思います。

尤も、真っ当な人間であれば担任がルール違反をして彼女だけを特別扱いする不正を行なった時点でそんな話に乗ることはないでしょう。

正々堂々と推薦入試を受け、落ちたのならば自身に落ち度があったという事実を知ることも時には必要ですし、彼女のように人間性に落ち度がある人は特に自分を客観視する良い機会になったかもしれません。

現在のいじめっ子の末路は不明ですが、いじめの加害者は被害者が望まずとも自然と道を踏み外して身を滅ぼすのだなと実感しています。

20代半ばのイジメッ子は精神を病んで引きこもりになり、すっきり

昔私をイジメてきた、いじめっ子の末路についてお話しますね。

当時私は両親がおらず、祖父母に引き取られて生活してました。

祖父母は地元で商売をしてた事もあり、事なかれ主義といいましょうか周囲には下手に出てました。

腹の中が煮えくり返ってても、とりあえず謝っとけば相手は納得するんだから謝っておけっとよく言われたものです。

こういう家庭的な事情もあり、私はよくいじめられたものです。

普通なら何かトラブルがあると親が出てきて揉めるものですが、私の場合はそれがなかったですから。

中でもよく私をイジメたのは、小学校時代同級生だったいじめっ子。

中学生になってからも会うと難癖つけてイジメてきましたが、中学校は1学年13クラスもあり同じクラスになることはなく接点自体が少なくなったのであまりイジメられなかったんですよね。

さて小学校時代にいじめられた内容ですが、私が歩いてると足を引っ掛けてきて意図的に転ばそうとしたり。

親無し親無しと日常的にののしってきたり。

事ある毎に殴りかかってきたり。

筆箱を撒き散らされたり、上履きを隠されたり等、古典的なイジメはほとんどやられました。

同学年とはいえ、私とイジメッ子では体格さがあったり、私の気弱な性格が災いして反抗はせずやられっぱなしでした。

あと、私が3月生まれ(早生まれ)というのも問題だったと思います。

いじめっ子は5月生まれだったのですが、要するにいじめっ子の方が私より10ヶ月先に生まれてるわけです。

10ヶ月とはいえ、子供の頃だとその差は大きかったですね。

肉体的なアドバンテージはいじめっ子、家庭的に不利な点もありいじめられっ放しでした。

小学生時代は辛い日々でしたが、中学生になってからはかなり開放されます。

高校生になってからは別の学校に進学する事になりましたし、町内で会う事もなく同窓会でイジメッ子の事を聞くまでは忘れてましたね。

そのイジメッ子ですが、私がイジメッ子の末路を知ったのは、20代後半の時に開かれた中学の同窓会でです。

同じ小学校出身の同級生もいましたし、イジメッ子がどうなったのか教えてもらいました。

イジメッ子は高校進学し、普通に高校生活を送っていたそうです。

そんなイジメッ子がおかしくなったのは高校二年生の夏休みを過ぎてから。

二学期になっても学校には来なくなったそうです。

夏休み中に友人達と肝試しで心霊スポットに行ってから、人が変わったようになったんだとか。

心霊スポットへ同行した友人達も心配はしてたものの、数ヶ月経過すれば気にされなくなり。

そのまま学校に来ず、高校卒業すら出来なかったそうです。

現在は就職もせず自宅で引きこもりのまま。

精神を病んでいで病院へ通院してるそうですが、改善していないそうです。

私が直接・間接的に手を下したわけではないですが、イジメてた奴が自宅で引きこもりに。

今は両親が健在だから生活出来てるとはいえ、両親定年退職後はどうなるんだろう?例え回復して就職出来るようになったとしても、高校中退で職歴もないイジメッ子がまともな職場に就職出来るはずありません。

現在、そしてこれから奴が迎える無残な未来を想像するだけでスッキリし、ご飯を美味しく食べられます。

40代パワハラ上司 直属の上司に相談してパワハラ上司を左遷できた

私は、前に所属していた上司で、突如として、九州から赴任してきた猛烈なパワハラ上司と出会う形になりました。

その九州から赴任してきた上司と対峙するキッカケとなりましたのは、パワハラ上司と宿直が一緒になった日でありました。

前に所属しておりました組織では、その勤務の特殊性から、上司二人と一緒に施設で寝泊まりすることが義務付けられております。

その特殊性としましては、凶悪な方を収容している施設であるからこそ、その特殊性に応じて、すぐに夜間でも対応できる人間を準備しておかなくてはならないと言う方式でありました。

そして運悪く組み合わせで九州管内の際に何人も部下職員を辞めさせた方と宿直が一緒になってしまいました。

突如として私は、その方に呼び出される形で、部署が違うのに、「なぜおまえはこんなミスを多発するんだ?私が今この施設で一番危ないと思っているのはお前だよ!」とキツク叱責される形となり、その後も、「なんでお前はこんなに仕事ができないの?ミスが多すぎるよね?」みたいな感じで追及され挙句の果てには「お前さぁ?この業界向いてないんじゃないの?いくらでも職業ってあるからさ?別にここに拘る必要なんてないんじゃない?」と言う言葉が放たれた時に私は、非常に危機感を覚えました。

「このままではこの人に辞めさされる」と思い込んでしまう形となり、早速直属の上司に相談させて頂く形となりました。

私の上司は私に対していつも厳しく叱責される方でしたが、私の話を聞くやいなや「お前なんでもっと早くいわんのや!」と言う形で私をVIP室に連れて行き、事情聴取される形になりました。

それからほどなくして、私の上司が私が違う所属先の上司にパワハラを受けたと言う形で報告書を回してくださる形になり、ほどなくして九州から赴任してきたパワハラ上司が左遷される形となりホッとしました。

パワハラ上司の哀れな末路で考えさせられました

今は専業主婦ですが、以前は小学校教師をしていた私。

正式な教師を退職した後も、産休や病休の先生の代替として数校で勤務しました。

その中で最悪だったのが、私が30代前半の頃、とある小学校に勤務した時の校長。

野心家で「少しでも大きな学校の校長になりたい」という出世願望を持っているようでした。

どれだけ自分のことを偉いと思っているのか知りませんが、何かというと先生方には威張りちらす。

ですからこちらが他の沢山の仕事を抱えている時でも、校長が指示した仕事が最優先。

少し提出が遅れただけで「まだできないのか」「何でそんなに時間がかかるんだ」などなど、聞こえるように嫌味を言う。

また性格が細かく、ちょっと自分の気に入らないことがあるとしつこくグチグチとねちっこい。

お金にも細かく、飲み会でも部下である先生たちにおごることは一度もなし。

さらに見ていてイヤな気分になったのは、外部の上の立場の人と会う時には、別人のように腰が低くて、へらへらと薄ら笑いを浮かべていること。

また児童の親と会う時にも同様で、コントを見ているかのように人が変わる校長でした。

おそらく一番大変だったのは、直の部下となる教頭。

先生方の校長に対する不満を聞きつつ、また上司である校長とも上手く付き合っていかなければならず、板挟みなっていました。

私は1年ほどでその学校を退職しましたが、後から噂がちらほらと耳に入ると・・。

教頭が校長のパワハラによって精神的にも体調的にも疲れて休職し、その校長も出世の道を閉ざされたとか。

それから半年ほど経った頃、今度は校長自身が病気になり、完治しないまま定年前に退職したそうです。

私を含めて当時の校長の態度や振る舞いを知っている先生たちは、「気の毒」というよりも「やっぱり悪いことはできないな」と感じた人が多かったよう。

中には「いい気味だ」と言っている人もいました。

私も反面教師として、自分の態度にも気を付けていこうとも考えさせられました。

胸糞わるくなるやつら、孤独、スカっとした

年齢、41歳男性小学校のときは、いじめっ子はいませんでした、しかし、中学生になるといじめっこはでてきました、いじめっ子の人は、だれにでも威圧的なたいどでした、どうして、いじめっ子が、いじめるのかを、話しているのをきいたことがあります。

虐められる子、つくることで、自分がいじめられなくなるといっていたのを、他のいじめっ子と話していたのを聞いたことがありますが、私は、胸糞悪くなりました、なんだそれ?いじめられている子の中には、自殺するぐらい悩んでいる子もいるのに、本当に、自分勝手なやつだとおもっていましたが、面とむかっては私も、なにもいえませんでした、私も、すこしは、いじめっ子らに、難癖つけられることがあったからです。

それほど、ひどい暴力ではなかったですが、すごい虐められているこどものなかには、いましたし、やばい暴力をうけていました、私も何か言って、そんな風になるのを恐れていたからです。

これ以上前にはいけませんでした、ですので、私はがやった、いじめっ子への対応は、先生がたや、校長先生などに、手紙をかくことでした、これなら、私とは、わからないですし、軽い、イジメを受けてた私へ攻撃もやむかもしれないですし、他のいめられれっこへの助けになるとおもったからです。

単純にイジメがある、と手紙を何回かだしました、この時、今でやらなくてよかったとおもっているのですが、親しい友達にも手紙をだしていることを、言ってはなりません、人の噂に戸はたてられないものです。

投書のような感じでしたが、効果はありました、先生たちが、その生徒を呼び出して、事情をきいているようでした、当然私だとは、わかりませんでした、正直胸がスカっとしました、いつも暴力なんてふっていて、そんな彼らも先生がたの目が、いつもあっては、動き回れず、しだいにイジメはなくあんっていきましたし、他の生徒からもきらわれていたので、一人でいることが多くなった気がします。

虐めなんて、最終的には自分が孤立するものだと思います。

パワハラ女性上司 左遷で退社 安心と恐怖

私は36歳のフリーランスの女性です。

一般企業での就労経験があります。

私は今から10年ほど前にインテリア関連の会社に所属していましたが、そこにいた40代の女性上司がパワハラ上司でした。

私は当時20代でデザイン部所属でしたが、彼女は営業部で、部署は違いましたが仕事を一緒にする機会が何度かあったので、直属ではなかったのですが上司の立場にいました。

就職したての頃初めて会った時は、営業部はほとんど男性が中心となっている中で、いかにもキャリウーマン風で営業成績も良く、笑顔も素敵で気さくな感じだし、すごい人なんだなと感心していました。

なぜか同期の営業男子たちに彼女の話を出すと皆微妙な苦しげな顔をするので不思議に感じていました。

けれどその理由も一緒に仕事をしてみて本当に理解する事が出来ました。

新規のインテリアの仕事を行って欲しいと初めて頼まれ、一緒に打ち合わせをする事になりましたが予定の時間より少し早く彼女のところへ行くと、睨みつけられて「早すぎなんだけど!」と怒鳴られました、これまで見ていた笑顔が能面のように豹変したのでかなりびっくりしました。

他にも私以外のデザイン部に貸した資料が戻ってきてないとか、仕事が遅いだとか、多くの小言や文句を言われ、そのパワハラぶりに圧倒され、苦しさを感じました。

それ以降何度か彼女からの仕事をしましたが毎度同じような圧力をかけてこられるので、彼女と会うのが怖くてしかたありませんでした。

彼女からしてみたら、部下を教育したかったのかどうか分かりませんが、他の営業部の後輩や部下達にも同じような態度を取っていたようで、皆から彼女のパワハラ噂は部長の耳に入り、最終的には会社で扱っている商品の倉庫管理係への部署移動をさせられてしまい左遷となりました、その後すぐに彼女は自分から退職しましたが、結果的に辞めさせられたような形になりました。

彼女が退社した事で安心感はありましたが、恐怖感は残っており、部下や後輩に対しての接し方でその人なりの熱くなりすぎた教育方法は、一歩間違えるとパワハラになってしまうんだなというかなり苦い思い出になっています。

20代同じ歳の男子、逆にいじめられて不登校に ざまあみろと思った

私の知るいじめっ子と出会ったのは、私が小学生の頃でした。

私は大人しくて何も言い返すことのできない、口数の少ない子供でした。

それゆえにいじめっ子から毎日嫌なことを言われていました。

教室での席が前と後ろだったので、休憩時間になるたびに、彼が振り返って嫌味を言ってくるのです。

私は絵が好きだったのですが、それを見て「気持ち悪い」と言って絵をびりびりに破いてきたり、塾に通っていることを自慢して、私のテストの点数を見ると馬鹿にしてきたり、あとはカンニングしてきたと身に覚えない言いがかりをつけられて、ひどく困っていました。

先生に相談してみたいけれど、あからさまにいじめっ子を叱りつけたとしたら、さらに私へのいじめがひどくなります。

勝手にノートに落書きされたり、意味もなく叩いてきたり。

それだけならまだ良いんですが、もしバケツの水をぶっかけられるとかなれば我慢出来ません。

なのでひたすら誰にも言わずに耐えていました。

いじめっ子の男の子は塾に通っていると述べたように、頭が良くて成績はいつも上位でした。

将来有望で、国公立にでも行くのかな、とぼんやり考えていました。

しかし彼は中学に上がる時点で、姿を見なくなってしまいました。

気づくと名前はなく、教室にいませんでした。

友達に話を聞いて見ると、彼は不登校になってしまったらしいのです。

私が知らない間に彼はいじめられていたそうです。

いじめっ子からいじめられっ子になってしまった彼は、部屋からも出なくなり、塾もやめて不登校になってしまったらしいです。

学校でいじめられているところは見なかったので、どうやら塾生の人にいじめられていたと聞きました。

自慢したがりで、嘘を平気でついて騙そうとするひねくれた性格が、どうやら反感を買ったみたいです。

正直な話、ざまあみろと思いました。

いじめっ子を許すような大きな心はなかったので、ほとんど無関心だったように思えます。

結局、いじめっ子というのは最終的に痛い目を見るんだと思いました。

40代体罰野球部顧問 体罰がバレてクビになってホッとした

私は40歳の会社員です。

小さな頃から野球が好きで、5歳から大学卒業まで、野球漬けの生活をしていました。

どんなに辛い練習も、野球が好きな気持ちが強く、上手くなるためならと頑張ってきた私ですが、高校の時の顧問の先生には我慢ができませんでした。

何度も辞めようと思いました。

野球のことなら、我慢できるのですが、人間性を否定したり、顧問が野球とは関係ない所で、部員をいじめて楽しんでいることには、我慢できませんでした。

20年以上前のことですから、暴力や暴言は当たり前でしたので、かなり酷いことをやられていました。

ただ、野球の指導は上手く、結果も出ていたため、校長先生の評価が高く、私たちは3年間我慢するしかありませんでした。

しかし、私が3年生の時に事態は一変しました。

1年生に入部してきた生徒がいましたが、不器用で、どうしてこんな強い学校に入学してきたのだろうと不思議でした。

当然、顧問の標的になりました。

怒鳴られ、殴られ、いじめらました。

私たちは庇うことができませんでしたので、顧問が居ないところで、心配して声をかけてやりました。

「悪いことは言わないから、辞めた方が良い」と説得しましたが、後輩は頑張りますとしか言いませんでした。

その後も、顧問は後輩をいたぶり続け、野球も全くさせてもらえないと状況が続きました。

そんなある日、学校に行くと、野球部は全員体育館に集まるように放送が流れました。

一時間目が始まる直前だったので、異常な雰囲気でした。

体育館に集まると顧問の姿はなく、別の部の先生が、顧問による暴力やいじめについて個別に聞き取りをするので、呼ばれたら教室に来るように言われました。

聞き取りが終わると、校長先生から顧問による暴力やいじめの報告があり、結論が出るまでは部活停止にするとの宣告があり、解散となりました。

しばらくして顧問は自主退職し、別の先生が顧問になり、野球部は練習を再開しました。

心配していた夏の大会にも無事に参加することができました。

後に分かったのですが、いじめられていた後輩の父親が県の教育委員会に勤務していたそうです。

傷だらけで帰ってくる息子を不審に思い、事情を問い詰めると、顧問による悪行が発覚したそうです。

すぐさま教育委員会が動き、処分に至り、校長先生も庇いきれないと思い、あっさり顧問を切ったようです。

その後私の周りに顧問を見た人はいません。

噂によると、家族で県外に引っ越し、建設現場で働いているそうです。

当時35歳の体育教師 女子部員への猥褻行為で懲戒解雇 いい気味

私は現在31歳の男性です。

私は、中学校時代嫌いな先生がいました。

当時35歳だったその先生は私が所属していたバレー部の顧問でした。

その先生はとにかく酷い先生で、体育の授業では女子生徒男子生徒関係なく全力で取り組めと怒鳴っていました。

そのくせ、他の先生にはいい顔をしていました。

特に部活での指導は酷いものでした。

その先生は、部活のノックについていけない生徒の顔面にボールを打ち込み、ミスをした生徒をしょっちゅうビンタしていました。

更に、部活中水を飲むことを禁止し、隠れて水を飲んだ生徒には容赦なくビンタが飛んできました。

私達部員は、そんな顧問に対し不満を抱いていましたが、185㎝も身長のある先生への恐怖の想いが勝っていました。

その為、私達はそんな暴力教師に対して抗議する勇気がありませんでした。

それだけでなく、当時は今ほど体罰に厳しくなかった為、保護者の中でも声をあげる人はいませんでした。

私達は、影でその先生を「体育バカ」と呼んでバカにしていました。

 そんな中学校生活もなんとか終わり、私はその体育教師とも会わなくなりました。

私は、高校も卒業し大学生になりました。

そして私が大学三年生の時に、中学校の同窓会の誘いが来ました。

私は、10年近く会っていなかった友人たちと再会し、担任の先生にも会いました。

そこで私は友人から、あのバレー部の顧問のその後の話を聞いたのです。

その顧問の先生は、3年後に他校へ転勤になったそうでした。

そして、その先生は、次の学校でも体育教師となり、女子バレー部の顧問になったのだそうです。

そして、私が大学に入った年に部員への猥褻行為で警察に捕まり、懲戒解雇となったのだそうでした。

 その同窓会から10年以上経ちましたが、噂では現在その先生は糖尿病を患い、自宅に引きこもっているそうです。

その先生に対し気の毒な気もしますが、中学時代に受けた理不尽な暴力の事を考えれば当然の報いだと思っています。

教師の資格がない小学校担任

私が小学4年生の頃、父の転勤で小学校を転校しました。

転校先の担任は細身でメガネをかけた浅黒の40代男性で、子供ながらに異様な雰囲気を感じました。

その先生は女の子に異常に優しく、こちらの意思とは無関係に会話をしたがりました。

その異様さが決定的だったのは、転校して半年ほどの給食の時間でした。

教室で担任の先生と生徒たちが一緒に食事をするのですが、その日もいつも通り給食当番の生徒たちが牛乳や食事の入ったお皿、パンなどを運んでいました。

そして給食当番の一人の男の子が先割れスプーンをみんなに配り始めました。

生徒の机は6人の班ごとに向かい合う形で設置されており、彼は班ごとにスプーンを配り、最後に先生の机に向かいました。

すると、それに気づいた先生が血相を変え「先生が一番だろッ!!!」とその子に激しく怒鳴りつけました。

突然のことに生徒全員が静まり返り、教室全体に緊張が走りました。

男の子は怯え、言葉が出ない様子でその場に立ち尽くしていると、再び先生の怒鳴り声とともに彼は蹴り飛ばされ教室の端に倒れこみました。

彼はすぐに起き上がり、泣きながら先生のスプーンを最初に配らなかったことを謝っていました。

しかし、私には先生の怒る理由が全く理解できませんでした。

あまりにも理不尽な理由で蹴られた彼が可哀想で慰めてあげたかったのですが、小学生の私にはあまりにも衝撃的な場面だったため恐怖で何もできませんでした。

その事件をきっかけに先生への不信感が強まりました。

その後クラスでは、少し障害のある女の子がいじめられていることが発覚し、何度も学級会で話し合いました。

結局いじめは改善されることはなく、遂にその教師は学校をクビになりました。

大人の事情か、先生が辞めた理由については公にされることはありませんでした。

その時の私の心情は、先生がいなくなりこれで安心して学校で過ごせるでした。

それ以降、私は担任の先生に恵まれ楽しく過ごすことができました。

40代同窓会で知る、いじめっ子と嫌な先生の行方!やっぱりと納得

私が知っているいじめっ子と嫌な先生の末路について掘り下げたいと思います。

まず、私は小中学生の時に意地悪をされた事もありますし、クラスに猛烈ないじめっ子がおりました。

その子は女の子でしたが、とても気分屋で、人を罵倒したと思うと、ころっと機嫌が良くなり、機嫌がいいと物を人にあげたり、妙に優しくなったり、とにかく難しい人でした。

そんな彼女の機嫌を子どもながらに必死に取っていた記憶がありますが、クラスの大半の人がそんな風に、彼女を扱っていました。

また、嫌いな先生は中学の時の先生でしたが、そんな彼女に物凄い贔屓するのです。

彼女が人に対して意地悪をしても、注意をしませんし、また、彼女が掃除をサボっても、水泳の時間に泳ぎたくないと言っても、それを認めて、他の子が同じことをしたら、ヒステリーになって怒る先生でした。

ある時、先生の変な噂が流れました。

いじめっ子のお家はおじいちゃんが某会社の会長さんで、お父さんも企業をされている方が、地元では有名な家でした。

車もベンツを3台も所有していて、近所でも有名なお宅でした。

そして、嫌な先生は度々、家に出入りしていて、帰りは持ちきれいほどの土産を持って出てきたところを見た人はいました。

子どもながらにその噂は納得でした。

中学生の間も彼女の機嫌をとり、嫌な先生ともお別れができるので嬉しく思いましたが、その後は全く疎遠になっておりました。

しかし、40歳の時の同窓会で知った事実は、まずいじめっ子は男運に恵まれず、40歳にしてバツ2になっていました。

また以前はきれいでしたが、その面影もなく、静かなキャラになっていました。

聞けばお父さんの仕事をあまり上手くいっていないとのことで、豪邸も売りに出したそうです。

嫌な先生は同窓会には参加しませんでしたが、教師は辞めたとのことでした。

あの後、一部の父兄から贔屓をすると言うクレームが出て、いろいろとあり教師を辞めたようで、誰もその後は知りませんでした。

人に嫌なことをすると、自然とその人に試練が訪れるものだと思いました。

陰湿で暴力的な女子、今では生死もわからず、悪行は必ず自分に返る

50代後半の既婚女性です。

夫と娘が二人います。

小学校5年生になったばかりの春、私の席の隣は鮮魚商であった父親の知り合いであった寿司屋の娘さんでした。

幼いころから、私たち家族はよくその寿司屋に食事に行っていました。

しかし、この娘さんとは時折店内で顔を合わすものの会話をしたことがありませんでした。

クラスも初めて一緒になり、なんとなく話をするようになりました。

はじめの頃は、それなりに打ち解けていくような展開がありましたが、次第に彼女は敵対心をみせるようになりました。

原因は、様々な科目のテストです。

無邪気にお互いに点数を見せ合ったりしていたのですが、いつも彼女の点数は私より若干低いのです。

聞けば、市内でも有名な塾に通っているとのことです。

私は家庭学習だけだったので、彼女の母親にその寿司屋に食事に行くたびに勉強法を尋ねられたものです。

しだいに彼女は周囲の女子たちにはたらきかけ、公然と私を無視させるように強制してきました。

私は給食の時間も誰とも一緒に食べることもできず、一人きりです。

給食後のゴミ係も一方的に任されることになりました。

嫌なあだ名をつけられ、名前では呼ばれることはなくなりました。

夏休みの最後の日の夜、私は泣いて親に訴えました。

父親はそれを聞き「二度とあの寿司屋にいくな!!」「市場であっても、もう口もきかないことにする!!」とものすごく立腹していました。

学校に両親も相談におもむきました。

すぐに席替えがされ、彼女の親にも担任から連絡がいったようです。

が、彼女は今度は別の子にターゲットを変え、いじめを続行していきました。

それ以来、もう同じクラスになることはありませんでしたが、中学を経て高校生となり、たまに駅でみかける彼女の様相はそのころ流行った、スケバンそのものでした。

アフロヘアで、引きずるような長いスカートで大勢の舎弟のような女子学生を連れ歩き、周囲を威嚇しながら歩いています。

同じ駅を利用していましたが、私は、彼女に見つからないようにいつも登校していたものです。

それから、数十年経ち、彼女の実家の寿司屋はつぶれ、父親も亡くなったと聞きました。

その寿司屋で修行していた職人の一人は有名な誘拐殺人事件も犯しました。

彼女のお兄さんも良くない組織に入っており、やはり犯罪をおかしてニュースとなっていました。

寿司屋の跡地は別の人間が購入し、駐車場になっていました。

今の彼女のことを知る人は誰もいません。

ずっと独身であったということだけは噂では聞いていました。

生きているのかどうかもさだかではありません。

無神経なセクハラ教師の衝撃末路

高校時代の教師の話です。

その男性教師は年齢50歳過ぎ、私のクラスの担任で、所属していたサッカー部の顧問でもありました。

性格は一言で表すと「気分屋」無理やり良く捉えれば「明るい」「フレンドリー」とも言えますが、トータルでは非常に嫌な教師として印象に残っています。

深く考えることをしない、人の気持ちを想像しないタイプでした。

生徒の体型をイジるような発言や、気に入った生徒とそうでない生徒の対応の差。

叱責というよりは感情に任せて怒鳴っているような短絡的な思考。

テストの点数を皆の前でばらすこともありました。

さらに、今だったら問題になるようなセクハラめいた発言を女子に対してぶつけており「社会に出たらこんなのがたくさんいるのかなあ」などと当時は思っていました。

そんな教師の性格に強い拒否反応があったので、私はなるべく関わらないようにしていました。

こちらから話しかけることはなく、話しかけられても最低限の返事のみ。

そのため私は決して教師のお気に入り生徒ではなかったでしょう。

このような無神経で気分屋な教師でも外面は良いようで、サッカー部の大会で他校の関係者と上手くコミュニケーションを取っているのをよく見かけました。

深く関わりがない人からすれば明るくてフレンドリーな先生、担任や顧問として接すると嫌な面をどんどん思い知る。

結局高校3年間で2年も彼が担任という不運に見舞われましたが、何とか高校を卒業しました。

卒業して約5年後「高校時代に嫌な教師がいたなあ」と完全に笑い話にできるようになっていたころ。

何気なく母校の校名をTwitterで検索したところ、その教師に関するニュースが目に入りました。

エレベーター内で女性を襲い逮捕されていたのです。

顔写真がなかったので一瞬別人かと思いましたが、学校名、担当科目、名前も全て同じです。

嫌な思い出も多いので、驚きと同時に「やっぱりやりやがったか」という気持ちも多少はありました。

実は正確な年齢はその記事で初めて知ったのですが、あと2、3年で定年を迎える年齢でした。

その後どのような処分がされたのかは分かりませんが、もしも懲戒免職なら退職金は貰えないようですね。

自業自得ですが、もしそうなったら哀れすぎです。

正に、ドラマやテレビに出てくる絵に描いたような嫌な上司

まだ、私が、会社に勤務していた頃にいた、嫌な上司のお話です。

当時、私は、東証の2部に上場している会社の総務部に在職していました。

ドラマや映画に出てくるような絵に描いたような本当に嫌な上司でした。

定年で退職した前任の上司が温厚で物静かな人だっただけに余計に際立って、見えました。

その上司は社内でも屈指の評判の悪い嫌な人間で、人事異動が発令され総務にその上司が部長としてくるとわかると皆、総務の部員は暗澹とした思いに駆られました。

兎も角も、その上司はやたらと怒鳴るそして、自分の非は絶対に認めようとしません。

オーナー会社だったのですが、社長やその『おとり巻』の役員にはコメツキバッタのようにペコペコする。

そのくせ、部下には、大口をたたいて理不尽なことをしたり無茶振りをしてくる、出来ないと、又、部屋中に響き渡るくらいの大きな声で怒鳴る。

入社したばかりで社会経験のない女の子などは、泣き出してしまうこともありました。

見ていても不愉快な上司でした。

普通、会社などでは、営業部と購買・調達部では、人事の交流があり、何年か購買部を経験すると人事異動があり、今度は営業部を経験するあるいは、その逆ということがよく行われます。

その上司というのは、総務の部長職になるまで、入社以来、購買・調達部しか経験したことがなく、買う側の心情は知っていても、売る側の心情というのは、全く、わかっていない。

つまり「頼まれ仕事」ばかりだったので人に頭を下げることがしたことがない、出来ない人でした。

その一つの仕事しか知らない人間が、総務という全くの畑違いに異動されてきたわけです。

今でこそ、「パワハラ」や「セクハラ」あるいは、「マタハラ」などが社会問題となり、こういうことをしようものなら、厳しく糾弾され、最悪の場合、退職に追い込まれることも見られるようになりましたが、その上司が入社した時代は、いわゆる、高度経済成長の時代で仕事は怒鳴られて、そして嫌がらせを受けて覚えるものであり、実際に自分もそうして仕事を覚えてきたという自負があるのでしょう。

だから、昨今の若い人もそうやれば、成長する、いや、そうしないといけなく、それに付いていけないものは、落伍者だというような信仰にも近い、固定観念を持っていたようです。

また、怒鳴ることが上司の権威を示すものだと思っているところがあったのか、今までとは違う職種に異動なったせいか、仕事のことがわからなくなる、ちょっと込み入ってくると直ぐに怒鳴る、激し易い性格だったようです。

勿論、私も例外でなく理不尽な理由でよく怒鳴られた一人です。

上司でなければ、一発、ぶん殴って「辞表」を口の中に押し込んでやりたいと思うことなどは、一度や二度ではありません。

この辺りは、先日行われたパワハラやセクハラを禁止するILOの条約の採択に際して、国と労働者は、賛成したのに、使用者つまり会社側である経団連は棄権したというところからも、昔の人たちの時代遅れの古い考え方を伺い知ることができると思います。

経団連の見解は「適切な指導とハラスメントの区別が難しい」というものですが、この上司の場合、明らかに指導ではなく「ハラスメント」つまり嫌がらせです。

また、育ちもあまりよくないのか親の躾が良くないのか、出入りの業者さんと話をしている時でも会社によくあるパイプ椅子の上に胡坐をかいて手を頭の後ろに組んで話を聞いているなど、とてもいい大人でしかも部長職まで預かっている人間のとる態度ではないです。

出入りの業者さんは、こちらは客なので何も言ってませんでしたが、「随分と人を馬鹿にした失礼な会社だ。

こんな人しかいないのか、この会社は?」と思っていたに違いありません。

部下としても、恥ずかしい限りでした。

一番、印象深く残っている出来事は、その部長の指示の伝達ミスで当時の私の直属の上司であった課長が怒鳴られていたことです。

だれが見ても、非は明らかに部長にあり、当該の課長には一切、責めはありません。

同じ総務部にいた同僚は、皆、わかっていましたが、下手に口をだそうものなら社長やその『おとり巻』へ取り入って覚えが目出度い部長ですからどんな不快な報復をうけるか、わかったものではありません。

課長が気の毒だとは思っていましたが、私も含めて皆、見て見ぬ振りをしてやり過ごしてしまいました。

そんなようなことが、頻繁にあり、総務部員一同、皆、その部長のことを嫌がっていました。

しかし、どんな嫌な上司であっても会社の決めたこと、会社に文句を言って更迭して貰うことなどは出来ません。

渋々、そして戦々恐々として皆、過ごしていたというのが偽らざるところです。

当然のことながら、総務部の中は何か何時も殺伐とした雰囲気でした。

表現がちょっと大袈裟かもしれませんが、「恐怖政治」のような状態でした。

そんな日が続いているうちに、幸か不幸か私も体調を崩して退職することになり、その上司の面を見ることがなくなりました。

勤め先がなくなった不安が半分、その上司と顔を合わせる必要がなくなった安心が半分というような複雑な心境だったのを記憶しています。

それから、どのくらいの年月が過ぎた頃でしょうか。

たまたま、当時、同じ部署にいた同僚と街中で行き会い、色々と当時の話をしているうちに例の嫌な部長のことに話が及びました。

「あの部長、どうしてる?」と私が尋ねると「実はね・・・」とその同僚は目を輝かせながら「君が退職してから程なく、奴の体に大腸癌が見つかってね、入院したのだけど、既に手遅れのステージ4でいくらも経たないうちに死んだよ」と笑って話していました。

人の死を笑って話すなど不謹慎、極まりないように思われるかもしれませんが、これを見てもどれだけ、嫌われ者で人望がない人間だったかわかると思います。

そして、更に悲惨なのは、その後の話です。

普通、現職の上司が亡くなったら通夜や葬儀などには、義理であっても出席するものですが、その上司の通夜にも葬儀にも部署の連中は誰一人として、参列しなかったようです。

本人が死んでしまえば、誰が行こうが、行くまいが、わからないですからね。

その上司と同期で数少ない友人の方の話だと、正に「閑古鳥が鳴く」というような表現がピッタリの唖然とするほどに寂しい通夜と葬式だったらしいです。

「しかも、散々、媚びへつらった社長や『おとり巻』の役員連中も殆ど参列しなかった」とその同僚は祝杯でもあげたいような昂揚感で話していました。

昔の同僚の話を聞いて、私も溜飲が下がりました。

勿論、成仏など祈りません。

「地獄に落ちろ!」と心の中で思い、せせら笑っていました。

以前に本か雑誌で「人の人望の度合いというのは、その人の葬式を見ればわかる」というのを読んだことがあります。

この上司の通夜と葬儀を見ればその人望のなさが如実にわかるというものだったらしいです。

葬式というのは、ある意味その人の総決算のような面があります。

どこの職場にいっても嫌な同僚、嫌な上司はいるものです。

これは、神の集団ではない以上、仕方ありませんが、ここまで絵に描いたような上司というのも珍しいのではないかと今でも悪い意味で忘れがたい上司です。

無神経教師、40歳で離婚され引きこもり 知った私は大笑い

中学校生活が楽しめなかったアラサー女子の体験談です。

中学生の頃の私は顔中にニキビがあり、少し太めの体型でした。

思春期の真っ只中、私自身とても自分の容姿を気にしていましたし、容姿や体型に大きなコンプレックスを感じていました。

さらに私を悩ませたのは毎日毎日「ブス」「ニキビづら」「デブ」「くさい」などの罵詈雑言で接してくる同級生男子Kの存在。

さらに最悪だったのは担任だった若い女教師、N先生です。

Kは毎日毎日飽きもせず私を傷つけます。

本人としてはからかっている程度の気持ちだったのかもしれません。

ですが、私にとってその言葉の数々はナイフよりも鋭利でカナヅチよりも重たい凶器でした。

ヘラヘラ笑って耐える日々、思春期の不安定で自意識の高まる時期に受けた酷い経験です。

毎日毎日投げられてくる言葉にも、その様子をみて同調する同級生達にも恐怖と腹立たしさ以外の感情はありません。

仲の良い友人や同級生の女子が庇ってくれる時ももちろんありました。

ですが、Kは私が庇われれば庇われるほど余計に酷い言葉を投げつけます。

悪循環以外のなにものでもありません。

そして私はある時、Kの家庭状況が複雑であり、最近はあまり良くない環境になっているという事を人づてに聞いて知りました。

そのストレスを私を使って発散しているのだという事にも気付きました。

ですがそんな事は知った事じゃありません。

いよいよKからの酷いイジメに耐えかねた私は、意を決してN先生にイジメられている事を打ち明けました。

2人きりの教室で話しをします。

ひとしきり話を聞き終えたN先生は、「先生はKと貴女が本当は仲良く出来る2人なんだって知ってるんだけど、どうしたらKと仲直りできそうかな?」そう言いました。

今でもあの時の情景や先生の表情が目に浮かびます。

この人は何を言っているんだろう?そんな事を思いながら開いた口を塞げないでいると、「こんな事言ったらダメかもしれないけど、ニキビってきちんと清潔にしていたら良くなるものなんだよ?先生にもニキビいっぱいあったけど、ちゃんと綺麗にしてたらすぐ治ったの!きちんと顔洗ってるかな?」そんな事さえ言われる始末。

今の自分なら全力でその言葉を否定し、馬鹿にするなと怒れると思います。

どれだけニキビに気を使っているのか、どれほど悩んでいるのか、この先生はそんな事への配慮も出来ない人でした。

さらには「Kのお家にはいろいろと事情があって、今いろいろと大変みたいなの。

だから学校ではもちろんフォローしてあげたいし、クラスのみんなにはとくにしっかりと支えてあげて欲しいと思っています。

優しいみんなが力を合わせたら、きっと大丈夫だとも思っています。

だから貴女もちゃんと仲直りできるように努力しよう!」そう言って、私の決心の相談は締めくくられました。

最悪でしたね。

こんな頭のおかしい人間がいるのかとさえ思いました。

その後、根がポジティブな私は「あんな頭のおかしな人間でも教師になれるんだ」と妙に前向きに捉えていました。

その後すぐに期末へ入り、長期休みを前にN先生は結婚して退職するとの事を知らされて、私は静かに喜びました。

顔を見るだけで不愉快になる!そう思っていた先生が居なくなるのは願ったりかなったりです。

また、Kの方は次第に素行が荒れていき、学校へ来る事が激減。

中学校2年生が終わる頃には、図らずも平穏な中学校生活が送れるようになっていました。

そしてわりと最近聞いた話では、大嫌いなN先生は地元では名前の知れた土地持ちの名家へ嫁いでいたそうですが、子供に恵まれないまま最近まで過ごされたそうです。

浪費が激しい嫁だと名家の奥様がよく愚痴を零していたとも聞きました。

それらが理由かどうかはわかりませんが、先生が40歳になった頃には追い出されるように離婚。

旦那さんだった方はすぐに別の女性と再婚なさったそうです。

女性には2人の小さなお子さんがおられたそうで、子連れ再婚だったと聞きます。

そのお子さん2人は「何故か」旦那さんにそっくりな容姿との事。

おじいちゃんとおばあちゃんに大層可愛がられているそうです。

そしてN先生は実家へ戻ったものの、恥ずかしいからと引きこもりがちな生活をされていると聞きました。

そんな素敵な話を聞いて、私は声を出して大笑いしています。

バカな上司と普通の人

初めまして。

パワハラ上司並びに上位社員による嫌がらせを受けて休職中の者です。

とりあえず、私の部署は正直、掃き溜め場です。

他の部門で使えなかった奴らが流れてきます。

一方では実は専門性もあるため、バカにして来たとしてもすぐに仕事ができるわけではありません。

さて、そんな人が来てすぐにすることは、弱い者イジメです。

だって仕事がなくて暇だから。

午前中に来て、午後は遊びに違う階へ行って、適当に帰り、風俗行って帰る太鼓持ちばかり。

とある日、隣の部署の人がその上位社員に対して、何もわかってないし、馬鹿みたいに大声上げて何やってんだか、、、という話を聞いて、イマイチなやつだったということが客観的に見ても頭が悪いことが分かりました。

他の社員からも、あいつ仕事したことあるのかなぁ、と思われていたようでいらない社員は全く迷惑だな、と思いました。

いっぽはパワハラ上司も、不正にお金を使っており、自分だけがお金を使って、部下たちには全く予算を与えません。

自分の出張費、飲食代は自分で使っていたため、社内で訴えられました。

奢れるものは久しがらず。

全く上手く行かない組織は、さらにだめになっていくでしょう。

部署の優秀な社員はどんどんいなくなり、もはや部門存続も時間の問題。

早くそうなってほしいな、でないと今までいた人たちが報われない、、、また、逆に自分が強くなった気がする。

弱い者イジメをするやつは、別のヤツにイジメられる、もしくは相手にされない。

正義が実証されたわけだ。

じぶんはそんな人間にはならないし、なりたくもない。

この状況で一体何をすべきなのか、それはただ、人を尊重し、向き合い行動することでそれを人は見ているのでそれを忘れてはいけない。

逆にいい事をすればそれは見ている人にも伝わるのだ。

自信を、失わず前に進む。

それで自ずと答えは見えてくるのだ。

バカとハサミは使いようと言ったものだが、おバカを俯瞰しながら業務を行うことにした。

20代ヒステリック上司 会社をやめる 辛かった

私が、1番初めに勤めた会社は、チームを組んで仕事をしていたのですが、私の直近にあたる上司は、専門学校卒業で、私は四年制大学卒業後、すぐに勤める予定でしたが、大学の教授のサポートをする仕事の試験に採用されたので、勤めようとしていた会社に辞退を申し出たところ、待ってくださると、有り難いお言葉をいただき、大学を卒業して、1年は大学の教授のもとで手伝いをさせて頂き、その後、入社しました。

会社始まって以来の事だと、経理の方に言われ、他の部署の方にも、君が1年待った子か?と聞かれ、結構プレッシャーを感じましたが、それくらいのプレッシャーを与えられるくらいの事はしてしまったかな、と前向きにとらえ、頑張ろうと意欲的に行動しました。

仕事が本格的に始まり、直近の上司にあたる彼女に、色々と聞かないと分からない事も多々あったので、コミュニケーションを取ろうとしましたが、始めは、舌打ちくらいだったので、聞こえていないふりをしていましたが、彼女と並んでいたデスクの間の受話器をガチャーンとされるようになり、ゴミ箱まで蹴られるようになりました。

叱られる事も多々ありましたが、それは、仕事を知らない私が悪いとのみこみましたが、ゴミ箱まで蹴られて、正直辛かったですが、ここで怯んではいけないと、毅然とした態度でいました。

まず、話しかけても無視だったので、世間話をする事もなく、彼女の事は、全く知らないままでした。

周りの方が、間に入ってくれたりしたものの、全く私への態度は、変わる事はありませんでした。

明らかに無視をされ続け、私のミスは、大声で怒鳴りつけ、ゴミ箱は蹴り散らかされましたが、その理由を探るべく、コミュニケーションを取ろうとも、業務内容でも、話してくれない事が普通になりつつあったので、私は、段々慣れてきました。

返ってくることのない問いかけを淡々とし続けて、彼女から教えてもらう事ができなかった事は、他の上司に聞いてなんとか仕事を覚えました。

半年が過ぎた頃、彼女は、会社に来なくなりました。

次に会った時は、彼女は荷物を片付けていて、他の上司から、辞めると聞きました。

追いかけて、彼女に私が嫌いか?私のせいで会社を辞めたのか?をたずねると、そうだ、と言われました。

上司と言えど歳も近く、学歴はあなたの方が上で、役員の期待度の高いあなたが大嫌いだった、と言われました。

でも、やっと答えてくれた、という気持ちもありました。

とても、いじめられてパワハラまがいの事もされた半年でしたが、知らず知らずの内に、私も彼女に辛い思いをさせてしまったんだと、思いました。

パワハラ上司が寂しく会社を去った事を聞き、さもありなんと感じました

私が実際に体験したパワハラ上司の末路を紹介したいと思います。

私はある大手のメーカーの技術部門に勤務していました。

その会社では事業部制を導入しており、私の所属していた事業部で起こった話です。

所属していた事業部の技術部門にはいくつかの課があり、私はその一つの課で課長を務めていました。

そしてパワハラ上司となる人は、別の課の課長で、私と部長の座を争っていました。

結局私は部長に昇進できず、後にパワハラ上司となる人が部長に就任しました。

私がその人の部下となったのです。

その新たに部長となった人は、人の好き嫌いが激しく、しかもそれが目に見える形で、嫌いな部下には嫌味たらたらで、世間で言うパワハラ上司でした。

パワハラを受ける事の無い部下は、その上司にたてつく事なく、イエスマンだけでした。

そんな人物が私の上司となり、競い合い、意見具申を行う私が煙たく、1年ほど経った頃に別の事業部に追い出されました。

口で攻めたてるパワハラではありませんが、これほどの報復的パワハラはないともいます。

その頃、ちょうど会社全体の経営状態が少し下降気味でした。

私は新しい事業部の技術部門の責任者に認められ、異なる事業部の考え方の利点をマンネリ化しがちな事業部に注入するために、サポート役として徴用してくれました。

一方で、私を切り捨てた部長は、どうした事か事業部長に昇進したのです。

元の事業部の部下達は、その人事を見て、これで自分達の事業部はおしまいだと感じたようです。

そんな中で会社の状況はさらに悪化し、元居た事業部は急速に経営悪化して行きました。

パワハラ上司がトップに就き、自分の地位を脅かす危険がある部下や同僚を切り捨ててきた結果、残ったイエスマンの部課長では、事業部の経営を立て直す事はできませんでした。

こうしてパワハラ上司は事業部長の座を2年足らずで明け渡し、閑職に異動し、そのタイミングで実施された早期退職で会社を去りました。

その人物が会社を去る時、長く所属し、事業部長まで務めた事業部における送別会は寂しいものだったと伝え聞きました。

部下達がその人物をどう見ていたかが、そんなところで明らかになるものです。

早期退職した人物は、事業部長時代に付き合のあった中国企業とタイアップして新たな事業を起こしたのですが、結局退職金を注ぎ込んだその事業は失敗に終わったと聞き及びました。

そして、それ以降その人の話題を聞く事は全くありません。

暴言教師、やりたい放題で現場から追放

今は30代になり社会人をしている私ですが、ふとした瞬間に思い出す、高校時代のことがあります。

高校1年生になり、高校生活に胸を膨らませていたときのこと。

担任の男性教諭は背が高く、端正な顔立ちをした30代半ばの先生でした。

落ち着いた雰囲気の人だったので、初めは先生の当たりが良かったと思いました。

しかし、それは数時間で裏切られることになりました。

入学式後、生徒手帳用の写真撮影の際に私は担任に腕をかなり強い力で引っ張って呼び止められ、「お前は頭のセットに何時間かけてるんだ」と凄まれました。

私は元々くせっ毛なのですが緩くパーマをかけたようなフワフワとした毛をしていました。

それに加え髪の色素が薄く、他の子よりも茶色かったのです。

ですが、そのことは入学前に提出した家庭調査票に身体的な特徴として記載して提出していました。

私は生まれつきであることと、調査票に記載したことを伝えましたが「随分、綺麗な髪色やなぁ。

まぁ、今日は許してやる」と嫌味を言われて解放されました。

その後も当然、担任の暴言は続き、授業であてた生徒が質問に答えられないと「馬鹿が!家に帰れ!」「お前、何部や?顧問に言って、部活辞めさせてやる」「アホか、お前!今すぐ退部届書け!」と生徒を罵倒しました。

それは、担任であるクラスの生徒だけでなく他所のクラスの生徒に対してもでした。

酷いときは無言で生徒に近づき、勝手に机の中のものを鞄に詰め込んで生徒に投げ渡し、背中を無理矢理押して教室から追い出すことすらしていました。

当然、悪評は直ぐに保護者の耳に届くことになり、再三に渡る注意を受けていました。

しかし、一向に担任の態度は変わることなく、そのまま一年が過ぎました。

翌年の離任式の日、壇上には担任の姿がありました。

どこへ異動になるのかと思えば、教育支援センターへ行くことになっていました。

あとから聞いた話によると、再三の注意を無視し、保護者からのクレームが絶えなかった結果、指導者として再教育が必要とみなされ、教育の現場から外されたそうです。

その後、数年経ってから聞いた話では、センターから復帰したものの態度に改善が見られず、懲戒免職になったそうです。

その話を聞いたときは、やっぱりな。

精々した。

と思いました。

真面目にやっている先生とあの担任が同列に扱われるのはどう考えてもおかしいと思っていたので、正当な裁きが下ったのだと思います。

あの担任と同じくらいの年齢になった今、仕事でストレスを感じたとしても、子供や誰かを虐めることでストレス解消したいなんて毛頭思いません。

やはり、あの人は人として未熟だったんだろうなと思いました。

いじめっこ 退学になる 数年分のモヤモヤがスッキリ

40代女、旦那と子供4二人がおります。

平凡にそこそこ幸せな日々を送っていますが、今でも忘れられない嫌な出来事があります。

それは私が小学生の時でした。

そのころは上学年になると全員が部活動に入らなければならず、運動の苦手だった私は管弦楽部に入部しました。

私の学校はマンモス校で同じ学年でも接点のない人達が多いくらいの規模でした。

クラスも決して楽しいとは言えず、仕方なく行っていたし先生は凄くえこひいきをする人で、活発な子供ばかり可愛がりました。

学校が大嫌いだったのにさらに放課後部活で拘束されるのはかなりの苦痛でした。

そんな嫌いな部活を更に嫌いにする人が現れました。

同じ楽器の同じパートになったA子は目つきの悪いとても意地悪な子でした。

先輩がいる時は猫をかぶり可愛がられるようにし、先輩がいない時は女王様のように態度が変わるのでした。

おとなしい子をターゲットにしては意地悪な言葉を浴びせたり、物を隠していました。

そんなある日、私がトイレに入っていると、上からA子と3人の女子が私をのぞきからかったのです。

学校のトイレは和式トイレで恥ずかしいし悔しいし逃げ出したい気持ちで一杯でした。

私には近所に住んでいるN子という友達がいました。

今までは家で仲良く遊んでいたのに、A子の子分みたいになって彼女もいっしょにのぞいて、私をからかいました。

私は人間不信になり、部活を辞めたいし学校にも行きたくなくなりました。

当時は今のように、いじめが問題にされておらず親に話しても「負けずに行け」と逆に怒られ、小学生の私は自殺を考えたほどでした。

何とか、そんな生活を耐え抜き、部活も小学校も卒業し、同じ中学校に行ったけれども、運よくクラスも別々になり私はやっと穏やかに過ごすことが出来るようになりました。

その後高校受験となりますが、そこでA子は私と同じ学校を受験しましたが、不合格になりました。

その後別の学校に行きました。

2年生の時でした。

A子が退学になったと聞きました。

何でも、電車のキセルと、空き教室の財布からお金を盗んだとの事。

やっぱりなと思いました。

人に意地悪にする人は自分にも帰ってくるんだと少しスッキリしました。

パワハラ上司を成敗したハケン社員

機械メーカー勤務の29歳OLです。

私が2年前に今の会社に転職するまで働いていたベンチャー系の会社で上司だった男性課長(当時35歳くらい)がとんでもないパワハラ野郎でした。

営業セクションだったので、全体的なムードとして体育会系というか、イケドン系な感じではあったのですが、課長のマネジメントは古き悪しき軍隊的なやり方で、部下の男性営業マンたちに対する暴言がすさまじいのが日常でした(ボケ、カスは当たり前、死ねとかぶっ殺すとか、さらに人格を否定するような内容も)。

傍で聞いていて、本当に気分が悪いものでしたが、暴言を受ける営業マンたちは、もう諦めているというか、とりあえず謝ってその場をやり過ごすという感じで、我慢をしていました。

それとは別にタチが悪かったのは、派遣社員の人たちへの態度です。

常時2~3名の派遣社員の方々がアシスタントして就業してくれていましたが、課長がネチネチとパワハラ的な扱いをするので離職率が非常に高く、常に人が入れ替わっていました。

具体的なパワハラとしては、社員である私たちとあからさまな差別をし、古くて汚い事務用品しか与えない、名前をわざと憶えない、ちょっとしたミスをすると大きな声で「即戦力のハケンさんがこんなことでは困りますなぁ!」「どこに目をつけて仕事してるんだよ!無能はハケンは要らないんだけどなぁ」などと嫌味を言うなど、枚挙にいとまはありません。

派遣社員の人たちも相当悔しかったと思いますが、立場が弱いので表立って抗議することもできず、だまって退職していくという繰り返しでした。

私たち女性社員もなんとか助けてあげたいと思っていましたが、やはり自分の立場のことも考えてしまい、自分がパワハラのターゲットになることが怖くて何もできませんでした。

しかし、そこに救世主があらわれたのです。

ある日、新しく着任してきた派遣社員さんが、いつものように課長に取るに足りないミスについて「ちゃんと仕事しないとお金払わないよ」とか「またザンネンなハケンさんがきちゃったなー」などとハラスメント発言を受けたところ、その派遣社員さん「お言葉ですが、仕事の指示をほとんどしていただけないにも関わらず毎日いわれのない責めを受け、人格を否定するような発言も多いので、これから人事部にお話に行ってまいります。

ちなみに課長の問題発言は、私に対するものも他の方々へのものもすべて記録もつけていますので」と毅然とおっしゃり、そのまま人事部へ。

その後事態を重く見た人事部は我々社員にも聞き取りを行い、重篤なハラスメント事案と判断し、翌月には課長は地方の営業所へ。

送別会もない悲しい旅立ちでした。

ちなみにジャンヌダルクのようなその派遣社員さん、みんなから救世主だと感謝されていましたが「当たり前のことを当たり前に行っただけです」と涼しい顔をして仕事を続けてくれていました。

私もそんな風になりたいなぁと憧れつつ、転職した今の会社では正しいことを正しく行うことをモットーにがんばっています。

中学のいじめっ子が20歳で逮捕されたけど遅すぎる

東北地方在住の25歳女性です。

東北地方のとある都市で生まれて小学校卒業までその都市で暮らしたいたのですが、父親の転勤で東北地方の田舎町に引っ越すことになりました。

田舎町といっても同じ東北地方ですし、両親の実家のある町ということで毎年祖父母の家に行っていて、その田舎町のいいところをたくさん知っていたので引っ越しは楽しみでした。

最初の1ヶ月ほどはクラスに友達ができて、休日にピクニックをするなどの楽しい学校生活を送っていましたが、引っ越してから2ヶ月ほど経過すると、よそ者の私は徹底的にいじめられました。

その地区の方言を話せないことや、持ち物などが「生意気」とクラスのボスの女子たちに因縁をつけられてしまったことが原因です。

クラスの子達はボスやその取り巻きの女子たちに逆らうことはできなくて、気づいたらクラス全員からターゲットになっていました。

とても辛い思いをして中学校を卒業して、高校、専門学校と進み、社会人になってすぐのことです。

仕事にも慣れてきて夜勤を任されるようになって、休憩時間に休憩室でテレビを見ていたら見覚えのある名前が写っていました。

とても驚きましたが、中学生の頃に私をいじめていたボスとその取り巻きが犯罪を起こして逮捕されました。

私は高校卒業と同時に町から離れて一人暮らしをしていたので、詳しい状況は知りませんが、普段は犯罪などは起こらない平和な町なので田舎町ではその犯罪のことで話題は持ちきりになっていたようで、噂が広まって町に住みにくくなった彼女たちの家族は東京に引っ越したようです。

出所してから仕事を探そうにも方言がきつすぎて雇ってくれる場所もないようなので、町で会社をやっていた頃とは全く違う暮らしをしているようです。

彼女たちが犯罪で逮捕されたのは5年以上前なのですが、いまだにその話題が出てくるので小さな町のコミュニティは恐ろしいと思ったのと同時に、逆らえない上下関係の中にもずっと不満を持っていた人が私以外にもたくさんいたということを知ったのと、未成年の時から色々と問題を起こしていたにも関わらず成人するまで逮捕されないことには非常に違和感があります。

パワハラ上司にささやかな仕返し!

はじめまして。

今41歳男ですが、数年前営業の仕事をしていたのですが、その時に具合が悪くなっても仕事が忙しく、病院に行かないでいたら身体障害者になってしまったのですが、その時にもっと早く病院に行けばよかったと思いますが、なかなかいける雰囲気でなかったっていうのもありますが…今更そんな事はどうでもいいと思っていた。

最近になってその時一緒に働いていた人から電話がかかってきました。

最初は、面倒だからでなかったんですが何回も掛かってくるので出てみたところその人が、今上司を訴えているという話でした。

余計に面倒だなと思って話を聞いていたんですが、どうやら弁護士を雇っているようで、その弁護士に自分の話をしたら、それは裁判に有利になる情報というふうに言われて詳しく話を聞かせてという感じの話でした。

その後何回か電話で話をしましたが、やっぱりその上司の話をしていると、その時の記憶が蘇り少し嫌な気分になってしまいます。

その同僚といた時も社員に対して理不尽なことをよく言っていましたし、事務所にはいつも木刀が置いてあっていつもホワイトボードや壁、机をバシバシ叩いていたことを思い出しその話を嫌でしたよねと話してみたら、その人はその事を忘れていたようで、そう言えばそうでしたよねと、それは使えるかもしれないですねと、今度弁護士に聞いてみますと喜んでいました。

思い返してみると、その時は特に何も感じていなかったが一般の会社ではあり得ないことがたくさんあったなと思います。

体調不良になってもそれを口に出すことすら許さないといったどこの国の文化か知らないけど、現在の日本ではあり得ないような風習がその事務所の中では、多数ありました。

この裁判で、その嫌な上司が負けて少し痛い目にあってもらいたいなという気持ちは少しありますが、裁判の証拠資料として自分の証言が大きな役割になっているようなので、とばっちりが来ないか少し心配ですが、協力したからにはその同僚には勝ってもらいたいなと思います。

高校の同級生のいじめっこ 就職試験で全滅 あきれた

私は40代の主婦です。

高校時代に卑劣ないじめっ子に出会いました。

それは入学して最初の週でした。

同じ中学から入学した人がひとりもいなかった私は、新しい友人を作ろうと後ろの席の子に「お昼を一緒に食べよう」と誘いました。

すると「中学時代の友人2人と約束をしているから、一緒でよければ紹介する」と言われました。

そこへやってきた2人のうちひとりが、私をいじめたAさんです。

Aさんは私がまざったことが面白くないようで、あからさまに私を睨みつけてきました。

翌日、Aさんは私の後ろの席の子に「良い場所をみつけたから外でたべよう」と言って席を立たせ、私には「あんたは用事あるって言ってたよねっ!」と怒鳴るように言って去っていきました。

Aさんが中学時代の友人だけで一緒にいたいのだと理解した私は、後ろの席の子と距離をおくようにしました。

ところがAさんは、この時点ですでに私の存在そのものが腹立たしくなっていたのです。

私が他の友達を作ろうとしてもAさんは「あの子と関わらない方がいい」「あの子はすぐ人の持ち物を真似する」などと周囲に執拗に忠告してまわりました。

翌年クラス替えで教室が離れても、Aさんは私のクラスにわざわざやってきて友達ができないように悪口を伝え歩きました。

その内容は嘘ばかりでしたが、まれに信じてしまった人から指をさされたり、睨まれたり、耳打ちされたりしました。

そのうちAさんの行動はエスカレートして、私を蹴ろうとしたり私の物を隠したりするようになりました。

私はその後、地元から離れた大学に進学して就職。

その数年後に同窓会でAさんの末路をききました。

Aさんは地元の専門学校に進学してある資格をとったそうです。

その学校で資格をとった人のほとんどは、地元で人気チェーン店を展開していた○○という企業に就職して活躍していました。

Aさんもそこで働くことに憧れていたそうなのですが、Aさんは不採用だったそうです。

噂ではこの企業の幹部のお子さんが私たちの高校の同級生だったからではないかとのことでした。

Aさんの卑劣な行為が伝わっていて落ちたのだろうと言われていました。

慌てて他の会社を受けたものの、Aさんは全て不採用。

Aさんはショックと恥ずかしさから地元にいられず、逃げるように地方都市へ出て夜の仕事をしているということでした。

たいした理由もなく私をいじめたAさんが、結局そのせいで人生を大きく変えてしまったことにかわいそうとも思えませんでしたし、ざまあみろとも思えませんでした。

ただただ、心底あきれました。

17歳 暴力同級生 永遠の別れ 因果応報

私が高校生の時の話です。

私の高校は公立だったので地元の子も何人かいて華やかな高校生活を送っていました。

1~2週間ぐらいで私にも地元以外の友達とも仲良くできて楽しかったのですがクラスにひとりだけどうしようもない問題児がいました。

悲しいことにそいつは私の席と隣で最初は仲良くしようと歩み寄ったのですがこれが運が悪く目に付けられてしまいます。

とにかく暴力的な性格でなにかあれば私のイスを蹴る、むかつくことがあるとすぐに吠えるなど人間とは思えない猿みたいなやつでした。

教科書とかノートとかも奪われたりほんとに嫌な思い出しかなかったです。

こんな頭のおかしいやつ早く退学してくんねえかなーと1年時から思っていたのですが担任の先生が金八先生みたいな熱血教師でそいつの面倒を1から10まで見てるのです。

そのおかげで単位はギリギリですがそいつは進級できてしまいました。

私からすればいい迷惑です。

2年生の時、そいつは携帯忘れたから授業中貸せと脅してきました。

アプリをやるだけだからと本人は言っていたので私は仕方なくそいつに携帯を貸すことにしました。

授業中そいつは携帯しかいじっておらず、私は壊されるのではないかと講師の話が全然頭に入らず携帯が無事に手元に帰ってくることだけをひたすら願っていました。

願いがかなったのか何事もなく携帯を返してくれました。

外傷もなくただほんとに遊んでいただけかとほっとしました。

ですがその日を境に私の携帯に不審なメールが届くようになりました。

「今日暇だからあそばない?詳細はこちら」なんだこのURLはと思いながら私は削除しました。

これが一軒ならいざ知らず毎日大量に。

後から知ったのですがそいつはアプリをいじると言いながらほんとは出会い系サイトに私のメアドを登録してたみたいです。

ほんとに最悪なやつだと思いました。

ですが2年の夏、それは突然でした。

そいつが事故死したそうです。

原因は先輩との2ケツでカーブを曲がり切れず頭を強くうったそうです。

因果応報とはまさにこのことだと思いました。

娘をいじめた女子、ネットで写真が拡散されて自業自得の孤立状態に

我が子をいじめていた子の話です。

うちの娘は天真爛漫というか、小学校のころは誰にでも自分から声をかけていく悪意のない優しい子でした。

ある日クラスに転校してきた女の子がいたのですが、娘が仲良くなろうと声をかけても、ジロリとにらんできただけ。

その子は小柄で目がきゅっとつっていて、どちらかというと男子に好かれる容姿の持ち主でした。

そしてその子はなぜか、うちの娘を目の敵にするようになり、いじめはじめたのです。

おそらく男の子とも仲の良かった娘に嫉妬し、注目を独り占めしたかったのでしょう。

女の子たちに声をかけ、自分がリーダーとなって娘を仲間はずれにしました。

そのやり方は陰湿で、先生の前ではニコニコとして娘の腕に手をからめ、いい子のふりをし、影で他の女子に指示を出して娘をひとりぼっちにする、というやり方でした。

学校に行くのが辛いと泣く娘をなぐさめたり、先生に相談をしてみたりいろいろ手をつくしましたが、先生や親の前ではいい子のふりをするのです。

親としては悔しくて悔しくて、私は心底、その子が不幸になることを祈っていました。

中学生になり、学校も別の学校になりほっとしていた頃、生徒経由である噂が聞こえてきました。

なんと、そのいじめっ子は、中学生になってクラスメートの女子の挑発にのり、SNSに自分の半裸写真をアップしたらしいのです。

負けず嫌いのきつい子でしたから、やりそうではありますが・・・。

その写真はあっという間に拡散し、その子は一時学校にも行けなくなり、親は学校に呼び出されたり警察も介入して大変なことになったそうです。

その後、その子はいつもマスクをして上着のフードをかぶって、顔をかくして登校していました。

SNSの写真は削除されましたが、おそらく世界中に広がっていまでもどこかに残っているでしょうし、学校に行く以外はずっと家に閉じこもっているそうです。

学校でも誰も話しかけるものはなく、孤立しているらしいです。

悪いことをすると、自分にかえってくるというのは本当なのですね。

私は、申し訳ないですが、とてもすっきりしました。

しかし、その話を聞いた娘が喜んだり蔑んだりするのではなく、かわいそうだと同情しているのを見て、自分のもった黒い感情が恥ずかしい気持ちにもなりました。

人をいじめるというのは、最低の行為です。

私は、子供だからと言うのではなく、大人と同じように名誉毀損や障害で警察沙汰にするべきだと思っています。

相手が傷つくことを考えられない同僚・上司、離婚、当然の結果

40歳女性、看護師一筋20年。

結婚や出産、主人の転勤などで引っ越しを繰り返していたため、職場も転々とすることが多く、総合病院やクリニック、保育園、検診機関など、様々な医療機関で働いてきました。

看護師なので、一緒に働く同僚は女性が多く、くせのある人も多かったのですが、結構シングルマザーの方がいました。

シングルになる理由はいろいろなので、みんながそうだとは言いませんが、だから離婚するんだよと思わせる節々がやはりあります。

まず、共通して感じたことは、他人に対して思いやりがない。

平気で相手が傷つくことを言う。

ある同年代の看護師は、5歳の1人娘を持つシングルマザー。

自分より後から入職した看護師に対し、横柄な態度をとる。

例えば、看護師として点滴をする際の針を刺すメインな仕事は自分がやって、針を抜いて片付ける仕事はこちらに押し付ける。

あんたは、血圧でも測ってりゃいいんだよ。

言われたとおりにやってりゃいいんだよ。

こんな感じで、言ってくるから、不快なこと極まりない。

また、仕事のこと以外で、例えば社員旅行があって、部屋割りを決める時。

3人とか奇数でどうするかとなった場合、「あんた1人部屋だね。

かわいそうに」なんて平気で言う。

とにかく、相手が傷つくとか悲しむことを考えず、発言してしまうところがある。

同じく、シングルになった上司。

こちらは旦那さんに浮気され、離婚になったのですが、この人は、平社員と一緒になってスタッフの悪口を言うし、スタッフをまとめていかなければいけない立場なのに、平社員に「みんなもあなたの文句言ってるよ」なんて平気で言っちゃう。

思ったことを、口に出す前にちょっと考えることが出来ないから、暴言を吐く。

そのことで、相手が傷ついていることを考えられない。

だから、家族にも見放されるんだよって言いたい。

いくら仕事が出来たとしても、家族を失い、年老いて一人になる寂しさ。

長年住んだ自宅を売って、安いアパートで独り暮らしになる孤独さ。

私は、こんな末路を迎えたくないから、暴言を吐くシングルたちを教訓に、家族を大事にしたいと思う。

また、職場でこのような人は、陰で悪口を言われ、幸が薄いと言われていることを知らない。

こんな人生にならないよう、他人を傷つける発言は慎もうと思う。

パワハラ部長、社員に訴えられて倉庫番!嬉しさ半分、哀れみも!

僕は四十代の会社員です。

会社では営業の仕事をしています。

去年まで僕がいた部の部長が絵に描いたようなパワハラ上司だったんです。

そのパワハラ上司の下で僕は五年も仕事をしていました。

我ながらよくまあ、五年も耐えたよなと思ってしまいますね。

その上司、とにかく気分屋。

機嫌が悪い時は近寄らない方が正解なんです。

顔が険しい時は下手に話しかけると、いろんな言いがかりをつけられてすぐに怒鳴られます。

月末も本当に最悪でした。

営業成績が達成出来ないと、職場全体に聞こえるほど大きな声で怒鳴られます。

自腹を切って売り上げ稼げとか、借金して自腹を切れなんて事さえ言われます。

ある時は、部長の目の前で親戚全員に電話をして我が社の製品を今すぐ勝ってもらえなんて言われる事も。

その部長、同じ職場で結婚をした夫婦に対し、いかに旦那が仕事が出来ないか奥さんの方に嫌がらせのメールを入れたんです。

そのメールの内容が実にひどい物でした。

旦那の人格を否定したり、夫婦を完全に馬鹿にする内容でした。

やっぱりそのメールは夫婦のこの上ない怒りを買ってしまったんですね。

夫婦はそのメールを手にすぐに弁護士に相談に行きました。

すると弁護士は記者会見を開き、パワハラ上司のそれまでの悪行三昧を世間に公表したんです。

僕の勤めている会社はそれなりに知名度があります。

そんなパワハラの見本市みたいな話は瞬く間にマスコミに取り上げられました。

なんでも会社の広報には世間から抗議の電話が殺到したらしいです。

それにその年の新卒採用は応募者が大激減です。

さすがに会社もこれには困ったようですね。

パワハラ上司は会社からとことん突き上げられたようです。

僕たち他の社員も会社からパワハラ上司の被害に遭ってないか、ヒアリングを受けました。

もちろん、僕も自分が今まで受けたパワハラの事を全部話しましたけどね。

それからパワハラ上司はすぐに異動になったんです。

異動になった先は、会社のグループ会社で、在庫を管理する倉庫会社に出向でした。

しかも出向先では部下はいなく、広い倉庫の中に机を1つ置かれて一日中そこに座っているというもの。

ある時、所用があってその倉庫に行った同僚がその元上司を見かけたそうです。

そこには以前のような強気な上司の姿は微塵もなかったようですよ。

広い倉庫にポツンと一人で座って下を向いていたようです。

少しは反省してるんでしょうかね。

その話を聞いた時、僕の心の中では嬉しさももちろんありましたが、一方で哀れみやちょっと気の毒な気持ちもありましたね。

まあ、人間、間違った事はしちゃいけないという事です。

僕もその元上司を反面教師にして正しく生きて行こうと強く思いました。

パワハラ上司の評判は悪い立場があったとしても人に好かれなきゃ終わり

はじめまして。

数年前にアパレルの販売のお仕事をしていた時にいたパワハラ上司のお話をしようと思います。

その時私は19歳で、そのパワハラ上司は40半ばくらいの方でした。

上司というかそのお店の店長の方でした。

面接もその人としました。

アパレル経験がない人は取らないといっていましたが、アパレル経験がない私が合格しました。

その時の私はアパレル業に就いたのが初めてで、わからないことが多々ありました。

専門用語や、接客のルールなど。

そのお店では、最初に声をかけた店員が、そのお客さんがお店を出るまでアテンドをするのがきまりでした。

徐々に仕事を覚えてきたある冬の日、コートを買いにきたお客さんがいました。

私はそのお客さんのアテンドに付き、接客をしていました。

すると、そのお客さんがコートの裾を調節したいと言いました。

ですが、寸歩を測るなどお客に対してしたことがなかった為、私はベテランに頼もうといったん裏にはけたわけです。

なぜかその時に、寸歩の測り靄ったことがないのかとバカにしたような口調で店長は言いました。

わからないことがある度、チクチクと嫌味をいってくるような人でした。

その為、新人が入ってきても三日も経たずにやめてしまうことが多く、「正社員はまた店長か」と言っていたほどです。

また別の日に、他の系列店からヘルプで一ヶ月だけこちらの店舗に入るという方が来ました。

その方と私は年が近かったので、よく話をするようになりました。

そして、聞いた話が、「元いたお店の社員みんなに言われたんだけど、あそこの店舗はやばいのがいるよ。

頑張ってね」と言われたそうです。

店長のことは、人として好きではありませんでしたが、他の社員たちは気さくでいい人たちでした。

年が近い外国人のスタッフも入ってきたりして、その人は英語と日本語と中国語が話せる秀才でした。

私が小言を言われていると、やんわりと話題を変えたり庇ってくれたりするスマートな人でした。

その仕事をやめて数年経った今、その時のお店は潰れてしまったらしいです。

同級生のいじめっこ いじめられっこになり転校 もやもやが残った

私は現在20代の社会人で、転職を経て運よく人間関係が良好な会社に勤めることができ、そこで人と関わりながら働いて生活しています。

しかし、中学生の時はいわゆるいじめられっこでした。

というのも、私の出身校では大部分の生徒が「いじめる側」と「いじめられる側」に分かれていたのです。

おとなしかった私は順当にいじめられっこ側に落ち着き、同じくいじめられる側だった友人たちと寄り添いながら、中学生活が終わるまでひたすら耐える日々を過ごしていました。

しかし、いじめっこだったら楽だったかというと、そうではありません。

いじめっこたちの中には、誰が見ても明らかなランク付けがあり、不動の立場であるリーダーを除いては常に危ういバランスを保っていたのです。

そして、何かの拍子にランクが下がると、一気にいじめっこグループからつまはじきにされ、最悪の場合はいじめられっこの位置にまで落ちてしまいます。

C子もそのひとりでした。

C子は私のクラスのトップにいたいじめっこグループの一員で、グループの中では下から1~3番目あたりをうろうろしているように見えました。

グループのリーダーの機嫌を取ろうと、積極的にクラスメイトをいじめるというシーンも何度も見ました。

それが功を奏すこともあれば、かえって立場が危うくなることもしばしばあったように見えました。

そしてある日、C子がついにリーダーの機嫌を大きく損ねたのでしょう。

きっかけは私たちの目には見えませんでしたが、ある日を境に、C子がひとりで行動するようになりました。

そうなったら、他のいじめっこグループにも入れないばかりか、当然いじめられっこのグループにも入れません。

いつも無理やりでも笑っていたC子が、無表情で俯きながら歩くさまは今でも脳裏に焼き付いています。

痛々しい姿でした。

少し経つとC子は学校に来なくなり、その後ひっそりと転校していきました。

いじめっこがひとり減ったというのに、私の胸にはもやもやした気持ちだけが残りました。

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