保育士が辞める理由は?保育士49人の辛い悩み体験談

目次

保育士がやめる理由はお金だけではない

保育士が辞める理由として、一般的によく上げられるのは、給料の低さです。

それは国のほうでも取り上げられ、まったく足りないですが、じょじょに改善されてきました。

ただ給料以上に問題なのが、保育士間での無視や、いじめ、パワハラ問題、残業、そしてモンスターペアレンツの問題です。

なんと保育所などで使う備品まで、保育士の持ち出しのところも多いようです。

体験談を見ていただくと、よくこれで保育士のみなさんは耐えているなと思うものばかり。

とくに保育所が各地域の名士の方が運営されているケースでは、さからえば何をされるかわかったものじゃないというような感じで、パワハラをうけても、泣き寝入りされているような状況があります。

子供たちの未来のために、優秀な保育士はかならず必要です。

保育士の待遇改善だけでなく、モンスターペアレンツや園長などからの保育士へのパワハラは許さない。

残業はさせない。持ち出しはさせない。これだけはしないと、いずれ保育園がなくなる時代もきかねません。

保育士側の対応策として、できることは限られますが、そんなところはやめて、待遇のいいところに転職するのも一つだと思います。

そうすれば、いい保育園だけが残ることになるでしょう。

好条件の保育所で仕事をする方法!!

保育所の求人は大きく分けて3種類あります。
一つ目はハローワークでの求人
二つ目は一般的な求人サイトでの求人
三つ目は保育士の転職求人専門サイトでの非公開求人
です。

このなかで条件がいいのは、保育士の転職求人専門サイトでの非公開求人です。

なぜなら基本的にハローワークの求人は無料。一般的な求人サイトの掲載料も安めなのが多いですが、三つ目の保育士の転職求人専門サイトは、採用された際の成果報酬がけっこうするので、経済的に苦しい保育所は求人が出せません。

つまり経営状態のいい事業者しか、いないので条件がよくなるということ。

経営状態のいい事業者だからといって、かならずしも高給ということも条件がいいということもないですが、経営状態の悪い事業者は、高給を支払えたり、条件をよくするのは難しいですから、経営状態のいい事業者を選ぶことはとても大切なことです。

経営状態の悪い事業者は、つぶれたり、給料の支払いが滞ったりすることも多いですしね。

さて保育士の転職求人専門サイトはいくつかあり、複数サイトに登録して比較されるほうがいいですが、あえて一つだけいうなら『保育ひろば』は評判もよく登録されておくほうがいいと思います。

保育士で幸せに仕事をするか、擦り切れるかを、大きく左右するのは『保育所選び』です。

『保育所選び』だけにはくれぐれもご注意されてください。

いくら好きな仕事でも、お金がもらえないと生活していくことができないのです

私は専門学校で資格を取り、実習でお世話になった保育園に臨時職員として就職後、地元に帰るために1年で退職し、地元の保育園で同じく臨時職員として6年働きました。

社会人1年目は、障害児担当でしたが、途中で担当の子どもが退園してしまった為、それからはフリーの保育士として主に乳児クラスの補助をしていました。

仕事事態はそこまで辛くなく、保護者とも職員とも良好な関係を気づけていましたが、職員間で派閥があり風当たりを強く受けている職員がいたり、あまり仕事が丁寧でない職員に対しての陰口が結構あり、私自身も裏で何を言われているのかと思うと少し怖かったです。

この園は私立の為、給料は悪くはなかったのですが、行事に力を入れていて、だいたい帰る時間が19時~21時とサービス残業がかなり多くなかなか自分の時間をとることができませんでした。

10年働けば正社員になれるとこのこでしたが、結婚しても続けて働くのはかなり大変そうだったので退職しました。

次の保育園では、6年間ずっと主担任をしていました。

最初の1年は、なぜか園長と副園長に目の敵にされ、何をしても気に入らないようで強く当たられ、小さな園で逃げることもできず精神的に辛くて家に帰ると毎日泣いていました。

1年で辞める予定でしたが、経営元との面談で他の職員や保護者からも園長等の評判がよくないということで、園長等(嘱託職員)が違う部署に異動することを条件に雇用を継続しました。

地元ということもあり、保護者とも良好な関係を築き、仕事事態は順調でしたが、職員数が少ない為有給をとることがほとんどできず、書類や行事の準備等1人の仕事量が多いのでサービス残業や持ち帰っての仕事がかなりありました。

それでもお給料がよければ我慢できたのですが、お給料は日給制で時給換算すると740~800円程度で国家資格を持っているはずなのに、コンビニのアルバイトに毛がはえた程度しかありませんでした。

結婚に向けて実家暮らしを辞めて独り暮らしをしたかったのですが、その給料では独り暮らしのための資金を貯めることはできず、もし独り暮らしを始めても暮らしていけないと思い、思いきって転職しました。

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保育士をしていて辛いと感じたこと

アラフォーのペンネームはミサコです。

女子短大を卒業後、もう少し保育について勉強をしたかったので、大学に編入をして専門的な知識を身に着けました。

通っていた大学は幼稚園から大学院まで揃っているマンモス大学で、地元では評判のよい学園です。

保育士と幼稚園教諭の免許を取得したので、保育士として働くことになりました。

22歳で保育士として働くことになりましたが、すぐに職場の雰囲気があまり良くないということに気づきました。

その理由は、学歴により給与面で差があることでした。

自分のように大卒で採用されている人は3割くらいで、それ以外の人が7割を占めていますが、給与面でかなり格差がありました。

自分は全体と比べると、比較的よい給与をもらっていたこともあり不満はありませんでしたが、そうでない人からは結構辛辣に言われることもありました。

イジメのような感じになったこともあり、辛さを感じることがありました。

ただ半年くらいすると、嫌味を言われても知らないふりをして仕事に集中するようにしました。

次に嫌だと感じたのは、モンスターペアレントが想像以上に多いということです。

保育園では預かる時間に決まりがありますが、それに遅れても平気な顔をして謝罪の1つもしません。

それなのに少し保育園内で怪我をすると、怒鳴り込んでくることもあるので精神的に疲労をしてしまいます。

しかしその問題については、結構年配のスタッフがはっきりと言い返してくれたので良かったですが、若い年齢だと結構親からなめられるのか言いたい放題言われることが多いです。

これらの嫌なことはツライけれど何とか我慢できましたが、やめるきっかけになったのが、保育園のシステムに問題があったことです。

採用された後の説明会では、残業はほとんどないし、あっても手当がつくという話でした。

しかし実際にはサービス残業が定番になっていて、シフトなども決められたものを勝手に変更しようというスタッフが少なくありません。

もっと誰か権限のある人がびしっと正してくれればいいのですが、そういうこともなかったのであきらめて退職をしました。

子供が好きであれば、世話をして大変なときでも乗り越えることはできます。

ただ保育園の福利厚生や人間関係だけは耐えられないことが多いので、働くのであれば、その部分をしっかり確認することをおすすめします。

夢を見すぎた保育士、うつ病一歩手前まで追い込まれる

名前はあっさと言います。

1年と3か月保育園でお仕事をしていました。

私は社会人になってから自力で試験を受けて保育士の資格を取得しました。

27歳の時に念願の保育士として、とある株式の保育園に就職をすることになりました。

入社の前日、緊張もありましたがそれ以上にワクワクとした気持ちでとても楽しみにしていました。

子供たちの笑顔、先生達との助け合い、夢を見ていました。

しかし、入社して、1週間で私は初めて人前で泣きました。

子供の名前がわからない状態で、子供10人のトイレを任せられ、先輩の保育士には「なんで動けないの?ムカつくんだけど」といきなり罵られ、そこそこ社会人として自信があった自分のプライドはズタズタになりました。

しかし、最初は誰だって上手くできないもの、この悔しさをバネに私は働きました。

子供との関係も良好になり、人間関係も我慢できる程度にはなりました、が。

休みの日も仕事に追われる毎日に、精神はすり減りました。

隔週の金曜日にある会議は夜の10時すぎまで。

早番の場合は朝の6時30分には園にいきます。

会議の時は夜遅くまで拘束されます。

朝の6時30分から夜の10時まで缶詰です。

月に必ずある行事の準備ではそのたびに居残りで子供たちの衣装づくりや、工作の作り物。

残業代はほぼ着かず、サービス残業です。

日案や月案、年カリは勤務時間で書くことは不可能です。

休みの日に仕上げるしかありません。

ほとんど、家でも仕事をしている状態です。

それでいて、園長先生は保育士に当たりが強く、怒鳴るなんて当たり前。

何をするにも園長の許可が必要でした。

私がいた1年と少しの間で保育士は10人やめました。

泣きながら手が震えて動けなくなり、そのまま来なくなった人、逃げるようにいなくなった人、診断書をたたきつけてやめた人、栄養士や調理師もみなやめていきました。

1年たってクラスリーダーに任命された私はプレッシャーと、1年目の辛さがまた繰り返される、もっと仕事が増えるという恐怖から、保育園に行くことが怖くなり、子供たちの前でも涙が止まらなくなりました。

家に帰ればみっともなく親の前で号泣し、休みの日は何もする気が起きず、ボーっとするだけ。

親には、「うつ病になる前にやめなさい」そういわれ、私も自分がこれ以上病まないように、保育園を辞める決意をしました。

辞めるのにも大変な思いをしました。

「今やめられたら困る、あなたが辞めるまでに新しい人を準備しろってことね?」と威圧的な態度をとられ、まさに辞めるその日まで地獄でした。

あれほど憧れていた保育園、今は違う形で子供と関わっていますが、二度と保育園という場所には行きたくありません。

保育園の前を通るだけでも、気持ちが辛くなるほどのトラウマとなりました。

職員間での不平不満の言い合いと虐待職員の存在で心が折れました

保育士で非常勤を1年、緊急在宅要員として2年勤務したこびんです。

子どもが好きで、保育士免許を取得し、始めは非常勤として勤務しました。

勤務先はこども園になったばかりの園で、園長先生を始め、全ての職員がこども園の運営の仕方を手探り状態でした。

こども園は、お迎えの時間が2回あったり、保育園の先生と幼稚園の先生、どちらも勤務されており、双方の考え方、やり方の違いなどから、職員間の揉め事がとても多かったです。

そんな中、全くの未経験で非常勤として勤務したのですが、初めから行事を任されたり、音楽会の指揮や指導を任されたりと、かなり精神的にきつかったです。

人手不足だったので仕方なかったのでしょうが、、、
また早朝、居残りの勤務や、土曜出勤などが多く、自分の時間が全く取れない状況になりました。

また、園長先生が全然休んでいないから、それに、人手不足だから、という理由で有給も取らせてもらえませんでした。

そこで、翌年からは在宅緊急要員として登録し直したのですが、人手不足で、1年目は0歳児担当を、2年目は障害を持った子の加配に指名されてしまいました。

1年目の0歳児のお部屋では、ベテランの保育士さんの子どもへの虐待が酷く、何度も他職員や園長先生に訴えました。

園長先生は、自分の目で確認したら必ず注意する、というものの、園長先生の前では、大人しくされていたので、結局改善されることがなく、このままで本当によいのだろうか、止められない私は結局加害者同然なのではないか、ととても辛い日々でした。

2年目の加配でも、毎回の行事に向けて自宅でかなりの時間下準備をしたり、個別配慮をまとめる書類を沢山書かされたりして、結局非常勤と同じ量の仕事をこなしていたと思います。

それでも在宅は、時給で、ボーナスなどもなく、凄く損をしている気分でした。

他の園で勤務した事が無いので比べようはないのですが、この園は辞める職員の数が凄く多く、その事は他の園でも有名だったようです。

子どもたちはとてもかわいいし、やり甲斐のあるお仕事ではありましたが、職員間で常に嫌味や悪口、不平不満を言い合う環境、無駄の多い仕事内容、それに見合わないお給料、虐待職員、そういったものが積み重なり、心が折れました。

保育士の仕事は本当に好きなのですが、環境や待遇が改善されない限り、もう一度保育士をやろうとは思えません。

保育士になると体を壊す!腱鞘炎・ヘルニア・自律神経失調症に悩まされた7年間

まみこ(32歳)と申します。

夫と娘の3人暮らしで現在は事務パートをしています。

短大卒後から27歳まで、地元横浜市の小さな認可保育所で勤めていましたが、腱鞘炎・ヘルニア・自律神経失調症を患ったことをきっかけに保育士を辞めました。

乳児クラス担任の時、赤ちゃん達の毎日の抱き上げ・抱き下ろしが原因となって利き腕の右手首から肘が酷く腫れてしまいました。

サポーターも付けないまま毎日汚れ物を洗ったり離乳食介助を続けたところ、バネ指も発症して保育業務に支障をきたすようになりました。

また、4歳児クラス担任の時は、大縄跳びを回している最中に背後から男児に体当たりされ、ぎっくり腰を経てヘルニアになってしまいました。

就学前児クラス担任の時は保護者とのトラブルが増え、不眠やめまいや突然の失語に見まわれました。

内科で自律神経失調症と診断され、以後漢方薬と安定剤を飲むようになりました。

保護者から持ち込まれる要望は多彩で、どうやって回答したら納得してもらえるだろうかといつも悩んでいました。

特定のアトピーっ子に近づけないでほしい、プールの着替えの際は男の保育士を部屋から出してほしい、園の食事は栄養バランスが心配だからサプリメントを飲ませてほしい等、中には言いがかりに近いような申し出もありました。

自分が働いているストレスを保育士にぶつけるような保護者もおり、連絡帳のやりとりが苦痛で仕方ありませんでした。

その頃から、園児の名前を間違えたり、ロッカーの着替えの名前を確認しないで別の子に使ったりといった凡ミスが目立つようになり、チーフから注意されて落ち込むことが増えました。

26歳で結婚し、そろそろ自分の子供がほしいと思い始めましたが、そのためには薬の服用を止めなければなりません。

腱鞘炎・ヘルニアの痛みが限界に来ていたこともあり、思い切って退職を決意しました。

「退職は無責任だ」「体が資本なのに鍛錬を怠る方が悪い」「担任クラスの卒園まで待つべきだ」等と保護者から罵られましたが、園長の無関心ぶりやスタッフ間の仲の悪さに対する嫌気も募っていたので、6月末で退職しました。

園で育てる作物の備品(腐植土、支柱等)の購入費用が保育士の持ち出しだったことについても、モヤモヤした感情が残っています。

保育士の仕事は体と心を壊します。

私は子育てが終わっても、保育士に復職するつもりはありません。

理想と現実の差が大きい『子どもが好き』だけではやっていけない現実

私立保育園で2年間勤務していた『みるくてぃー』と申します。

子どもが好きで、子どもと関わる仕事がしたくて保育系の短大に進学し、保育士になりました。

短大に在学中、OGの先輩の体験談や、授業中の話などから、『保育士は書類仕事が大変』『子どもと遊ぶだけが仕事ではない』『待遇も良くない』…といった、保育士として就職するマイナスの面も理解していたつもりでした。

それでも、『私は子どもが好きだし、それくらい乗り切れるだろう』と高を括っていた私は、保育士の道を選択したのです。

保育士になって1年目、担任を持たせてもらいました。

短大の同級生たちのほとんどが、“先輩の先生と一緒にクラス担任(副担任・副々担任)”だったのですが、私が就職した保育園は正職(正社員)の数が足りず、私は1年目からクラスの主担任(1人担任)に。

しかも、就職前の研修などが一切なく、担任をするクラスの年齢・情報も何も渡されず、4月1日に入社していきなり、『このクラス、4歳児20人の担任ね。

もう子どもたちは登園してるから~』と言った状態でした。

その時点で、『あれ?』と思えればまた話が違っていたのかもしれませんが、就職した直後のやる気に満ち溢れた、未知な私は『頑張らなきゃ!』という気持ちだけで終わってしまっていました。

主担任ということは、毎日の保育から、保護者対応、書類仕事など、クラスのことは全て自分でしなくてはなりません。

いくら短大で保育士の勉強をしたからといって、すぐにできるわけではありません。

でも、子どもや保護者の前では、ベテランも新任も同じ『先生』です。

その責任の重さが、日に日にすごく大きく感じるようになりました。

子どもが転んで頭をぶつけた。

子ども同士のトラブルで一方が怪我をしてしまった。

眼鏡を他の子が踏んでしまった…毎日いろんな出来事があり、精神的にとてもきつい時期もありました。

保護者に『先生、保育士1年目なの?なのに1人担任?』と聞かれたこともありました。

また、私が勤めていた園は、毎月の誕生日会、年2回の参観・遠足や、年度末には生活発表会…などなど、たくさんの行事がありました。

特に運動会には、4歳児は鉄棒の前回り、5歳児は跳び箱5段ができないといけない、などといった昔からのルールのようなものがあり、それを子どもたちに達成させるのもすごく苦労した記憶があります。

時々、他のクラスと合同で見せ合いをしていたのですが、反省会で『もうちょっと頑張らないと…』と言われることもありました。

日常の保育もそうですが、他のクラスの様子・保育を見たくても、自分のクラスがある分、そういった見学も気軽にできず『どうして1人担任にしたんだろう』と思ったり、15年目のベテランの先生のクラスと比べられ、どうしようもない苛立ちまで覚えたりしたこともありました。

そんな状況でも、個人的に保育士を辞める原因になったのは『勤務時間』と『給料』だったと思います。

勤務時間は、ほとんどが子どもの保育をする時間と保護者対応に当てられていました。

子どもが昼寝をしている間も休憩はなく、20人分のお帳面を書いたり、行事の会議・園内の掃除に追われ、トイレに行く時間が取れればいい方、というくらいでした。

遅出・早出関係なく、平日はほぼ毎日、7時~19時勤務で、持ち帰った仕事を家で1~2時間程度して、それでも足りないため、休日も数時間は仕事をするような状態。

それでも、残業代はゼロでした。

家で仕事をしている分も含めると、月100時間ほどの残業をしていたと思います。

それでも、月の手取りは15~16万円程度。

手取りとはいえ、時給換算をすると最低賃金をはるかに下回る数字になります。

その少ない給料の中から、製作の試作のための材料だったり、絵本だったりといったものも、実費で出すのが当たり前の園でした。

もちろん、製作の材料(折り紙・画用紙・モール等)は保育園に置いてあるのですが、『実際に子どもが使う分ではないのなら持っていかない』という暗黙のルールのようなものがあったのです。

そんな待遇に違和感や疑問を持ち始めたのが保育士になって2年目の頃でした。

そしてその違和感が、完全に『辞める』という決断に変わったきっかけが、先輩の給料明細が見えてしまったこと。

20年目の先輩の給料も、私とほとんど変わりませんでした。

就職する前から、私は『子どもが好き』だからこそ、いずれは結婚をして、自分の子どもを育てたいと思っていました。

でも、平日はほぼ仕事して寝るだけ、休日も半日くらいは仕事をしているという今の生活で、結婚相手を探せるのか?結婚して子どもができても、子育てをする時間はないのでは?逆に、もし結婚しなかった場合でも、この給料のままでは1人で生きていけないのでは?…と、今後の自分の人生を考えた結果、『保育士を辞める』という選択を選びました。

園によっても待遇が違うため、『別の園に保育士として転職する』という選択もあったのですが、2年連続主担任をした私は、その責任の重さからも逃れたいと思うようになっていました。

現在、保育士を辞め、残業のほとんどない事務職に就いています。

給料も保育士の時とほとんど変わらないし、残業がない分、プライベートの時間が多く取れるようになりました。

保育士としてがむしゃらに働いていた期間が少し馬鹿らしくも感じてしまいますが、いい経験にはなったかな、と思っています。

保育士を辞めて2年が経ちましたが、退職してすぐにいい人と巡り合い、結婚することができました。

まだ子どもはいませんが、私は保育士を辞めて良かったと思っています。

永遠にそのままでいればいい

20歳の時に一念発起し、夜間短大に通い幼稚園教諭免許を取得。

卒業後幼稚園に勤務するもパワハラでたった半年で離職。

その後他ジャンルで働くもやはり夢捨てがたく、独学で勉強し国家試験で2年掛かりで保育士資格を取得。

いくつかの非常勤を経て、新規開園の保育園に正規職員として採用され、1から保育園を作っていくが、4年経過後完全に絶望し、きっぱりとこの業界から足を洗った。

私がこの業界で働き始めた頃から保育士の待遇改善の声が上がってきてはいました。

低賃金、3K、モンペ、加えていわゆる「女性社会」特有の派閥、パワハラモラハラ。

この洗礼を私は否応なく受け続けました。

「次の職場は…次こそは…」

そんな思いで転職を繰り返しましたが、状況は好転することはありませんでした。

非常勤で渡り歩き、ようやくたどり着いた正規職員募集、しかも「新規立ち上げ園」。

1から職場環境を作り上げることができる。

理想の保育園を作ることができる。

ここで骨を埋めるつもりで飛び込みました。

その園は、保育のことを何も知らない医師が立ち上げた保育園。

私は都度都度、そのオーナーである医師とぶつかりながらも、保育のことを伝えながら、子どもも職員も過ごしやすい保育園を作りたいと必死に動き回りました。

そんな中、やはりブレーンとなる人間が必要とオーナーは判断し、保育士の経験年数が多い管理職保育士を雇うことになりました。

中途で入ってきたその管理職候補にも、理想の保育感はあり、何度と無くぶつかりました。

まわりのパート職員もその保育士側に付き、四面楚歌でした。

それでも踏ん張って、味方になってくれた他の職員と踏ん張り続けると、その管理職は退職。

今度は味方になってくれた保育士が繰り上がりで上司になりました。

が、その上司は豹変。

ことごとく私のやり方に口を出し、まったく自由がなくなりました。

加えて、前上司側についていたパート職員が今度は現上司に付きました。

八方美人もいいとこです。

また、他の正規職員もその上司に付き・・・

理想を実現すべく、立ち上げから頑張ってきた私。

でも、キャリアというどうしようもない壁を何度も叩きつけられ、ほとんど末期にはほとんどやる気を失っていました。

今まで、この園をいい園にしようと奮闘してきたのは何だったのか。

自分の思いをぶつけても、難癖をつけて否定される。

また、賃金アップ等、待遇改善に向けても事あるごとに話してきました。

が、私が見た現実は
「この待遇でも必死にがんばってる私達は素晴らしい」
というドM精神に塗れた精神。

もっと良い待遇を勝ち取ろう、その価値は保育士にはある!という機運が全く感じられませんでした。

下手にキャリアの長い人間ほど、この悪い意味での「奉仕の」心」と言うなのドM感に侵されていました。

こんな人間たちと一緒に働いたところで、何も良くならない。

こんな人間しかいない世界にいる意味はない。

何が「人間形成の基礎を培う大事な時期に関わる大切な仕事」だ。

今の状況を変えようとせず、長いものに常に巻かれ、安全なところから他人を攻撃し、慣れたクソみたいな環境に居続けようとする。

そんな人間ばかりの世界なんだと気づくのに10年近くかかりました。

その保育園が5年目の春に新園舎を建てるという計画が立ち上がった時に、私はそこに行かない意を表明しました。

すると、オーナーを前にその上司は
「そんなに働きづらいのに、春まで我慢できる?もう辞めたほうが・・・」
と退職を促してきました。

年度内でしたから、年度末まできっちり務めるつもりでしたが、こんなことを言われて愕然としました。

厄介払のちょうどいい理由になったんだな・・・と。

その話し合いから数日後に退職。

身辺整理の期間は子どもたちにも会わせてもらえず、事務所からも出ることを許されず、昼前には帰らされました。

狭い空間で自分が朝作った冷めた弁当をモソモソ食べたあの惨めな気持ちは一生忘れない屈辱です。

あれから数年立ち、ふとこの園のホームページを見る機会がありました。

キレイな園舎、増えた園児、オーナーにとっては理想の成長でしょう。

しかし、職員紹介のページを見ると、私の知っている顔は、その上司以外いませんでした。

あの時上司の側に付き、私を攻撃した連中も、私がいなくなったことで次のターゲットとなったことが容易に想像できました。

クズ。

人間のクズの巣窟。

それが私が最終的に抱いた「保育士」という職業です。

無論、これは私の主観であり、一致団結しよりよい保育を実践し頑張っている素晴らしい保育園がたくさんあると思います。

ただ、そんな場所に私は巡り会えませんでした。

「次こそは…」
という気力ももう残っていません。

そんなわけで、私はもう2度と保育業界に戻らないと誓いました。

保育士としての貴重な経験から見つかった夢!!

結婚して専業主婦でスタートしたのですが、子供好きな二人になかなか子宝に恵まれない日が続きました。

1年ほどして、夫と話をして、保育士の勉強をして資格を取りたいと相談したところ、子供好きなことも十分承知しており、将来のためにもいいことだねと、賛成していただき、勉強が始まりました。

それから1年後、資格を取得し、某保育園に勤務しています。

当時は何もかも初めて尽くしの不安の中にも、やりがいを感じ、
毎日が忙しく、つらい日もありましたが子供たちの笑顔を見ると一挙に喜びがあふれてきました。

本当にやってよかったと感じていました。

夫からも、いたわりの気持ちと励ましの言葉を受けながら、保育士として励んできました。

ところが、ある時、自分の体調に異変を感じたときです。

妊娠していたのですね。

毎日の忙しさに追われて自分のことを忘れていたのです。

その日は、早退してお医者さんへ行きました
おめでたですよと先生から告げられて、何とも言えない喜びを感じました。

夫に早速メールし、よかったね、大事にしてよと励まされました。

その後の経過は、順調でしたが、保育園への通勤の中で、夏の暑い日の園庭での作業が響いたのか、体調が急変したのです。

周りの先生も私の異変に気付き、すぐに病院へ急行したのですが、結果は、流産でした。

その日は、家に帰り夫と二人で涙が止まりませんでした。

それから、しばらくは、呆然とする毎日が続きましたが、
保育園の延長さんはじめ皆さんから励まされて、一度じっくり休んでから、出直しなさいと励ましと慰めのことばをいただきました。

残念ながら、いったんは保育士を休んでから、改めて子宝のこと
に専念して、次に保育士としての任務を考えるように、夫、両親と話し合いました。

今回のことは非常に残念でしたが、この経験を生かして、今度こそ、子宝にめぐまれた時は.新しい子供への愛情に引き継いでいくようにしようと決意しました。

保育士の仕事は、給料面では、決して十分とは、言えません。

申し上げたいことは、もう少し保育士としての仕事に誇りと憧れを持つことができる、社会的な評価をしていただきたいと思います。

まずは給料アップ、貴重な経験をしている保育士の賃上げが、不可欠です。

精神的な喜びと誇りだけでは、いつまでも続きません。

大切な将来を担う子供たちですから、もっともっと国の支援が必要です。

このままでは、日本の将来は本当に不安です。

楽しいや可愛いでは、カバーしきれなかった労働

以前、保育士をしていましたが今はもう退職してしまい、他の仕事についている者です。

私は自分が長女で、兄弟も下の子たちがいた為、昔から小さい子の面倒をみる機会が多くありました。

物心つく頃には、大人になったら保育士になりたいと思っていました。

小さい頃にピアノも習っていましたし、小さい子の面倒をみるのいは慣れていたので保育士になることを楽しみにしていました。

大学にも通い、国家資格を取ったりと道のりは大変でしたが保育士になれた時は嬉しかったです。

ですが、現実は思っていた以上の重労働でした。

朝は親御さんからの連絡などがくる為、6時には出勤していなければなりません。

0才から6才の乳幼児なので、働いている間はいっときも気をぬくことが出来ないですし、当たり前ですが目が離せません。

ぐずりだしてしまう子もいる中で、その子の相手をしてる間にも周りに常に目を向けておく必要があります。

絵本やおもちゃなどで遊んだり、トイレの面倒も。

体調が悪くなってしまった子がいると、当然親御さんにお知らせしなければなりませんが、電話をする前は腹を決めてからでないと無理でした。

人によっては保育園のせいにしてくる方もいらっしゃいます。

乳幼児なので、いつ何が起きるかわかりません。

もともと喘息持ちの子や病弱な体質の子、暑さに弱かったり寒さに弱かったりする子ももちろんいます。

一人一人に最新の注意を払い、安心して預けてもらえるようにできる限りのことは尽くしていましたが

それでも人手不足なのもあり、残業が続いたり、運動会などのイベントがある期間はまさに過酷な労働環境だったと思います。

大きな事件や事故があったとか、嫌がらせがあったわけではありませんが、自分の中の体力と気力が先に尽きてしまい
結果、やめることとなりました。

仕事内容や時間も原因ではありましたが、次第に子供の面倒をみること自体が、負担になっていたかもしれません。

私のメンタルが弱かったのかもしれません。

今となってはあの当時はもう思考が停止していたかのように思います。

以上です。

一歩間違えればブラック企業のハラスメントでは?

子どもの頃から保育士になりたいという夢を持ち、専門学校に通って保育士資格を取得しました。

専門学校卒業後は、新卒で認証保育園に就職することができました。

新規開設の保育園だったので、新卒の私でもとても働きやすい環境だったことを覚えています。

私と同様に新卒の職員や何十年も保育士をやっているベテラン職員など様々いましたが、みんなとても仲が良く毎日楽しく仕事をすることができました。

新卒かつ新規開設の保育園ということで、手作りのオモチャや保育用品を準備したり園児募集のビラをポスティングしたりと様々な経験をさせてもらえた職場です。

また1年目から担任を持つことができたので、自身や責任感、子どもに対する接し方や注意しなければいけないポイントなどを早く習得することができたと思っています。

子ども達や同僚達と日々学びながら楽しく仕事を続けて4年ほど経った時、職場の少し離れた場所に系列園としてもう1つ保育園を新規開設することになりました。

そこで私は新しい保育園で主任として働くようにと辞令が出されたのです。

正直もっと上を目指してキャリアアップしたいと考えていたので、とても嬉しかったです。

すぐに異動することを決めました。

異動が決まってからは、備品の準備や入園に関する説明会、選考など様々な事に関わることができました。

とても良い経験になったと思っています。

しかし主任になってからは、これまでよりも書類のチェックや作成などが倍以上に増え、毎日一人で残って仕事をしたり持ち帰ったりすることも珍しくはありません。

さらに苦情受付担当もしていたので、保護者からの苦情や相談などを毎日聞いていました。

しかしこれも自分自身が成長するためだと思って、積極的に仕事に取り組んでいました。

当時私は結婚したばかりで、早く自分の子どもが欲しいと考えていました。

そんな事を思っている矢先に、妊娠が発覚したのです。

しかし当時は職員に余裕がなく、さらに産休に入ったばかりの職員もいたので、私の妊娠を喜んでくれる人はいませんでした。

「なぜこのタイミングなの?」と言われたこともあります。

正直それがショックで、仕事に対する全てのやる気を失いました。

しばらくすると悪阻が始まり、毎日通勤途中や仕事中にトイレへ駆け込む日々でした。

妊娠中のせいか情緒不安定にもなり、何もかもが嫌になったのです。

毎日一人で職場に残って大量の事務作業をする事、毎日特定の保護者から他の職員に対する苦情を聞かされる事、私の妊娠を迷惑がっている上司がいる事、これを全て打ち明けて退職をしたいという事を伝えました。

上司には、「そんなにメンタルが弱いんじゃ母親になんてなれないよ」と言われ、それもショックで絶対にこの職場を退職すると決めました。

引き止められたこともありましたが、何が何でも辞める事を伝え妊娠8ヶ月の時に退職しました。

当時は拘束時間も10時間以上あったりと、少々ブラック企業に近いような状態でした。

今は保育士や保育園の待遇が問題になっているので、様々な保育園がもっと働きやすくなってくれると良いと思います。

またこれまで職場で学んできたことは財産となり、2人の我が子の子育てに役立っています。

今となっては良い経験、良い思い出です。

地方での保育士はつらい

実家から通勤している「地方の保育士」です。宜しくお願いします。
わたしにとって、保育士は憧れの職業でした。大好きな子ども達と過ごせることが仕事なんて、それ以外の選択肢は考えられませんでした。

専門学校を卒業し、実家から通える保育園に就職しました。1年間を通じて子ども達の成長を感じることができたり、はたまたかわいい仕草に癒されたりと、わたしは「夢がかなった」「保育士になれてよかった」と思っていました。

就職して数年がたち、仕事にも慣れてきたころ、園長から「半年間、4才児クラスの担任をまかせたい」と言われ、緊張もしましたが何とか半年間を過ごすことができました。自信もついてきて、仕事が楽しくてたまらない頃でした。

それから担任をまかされることが多くなり、後輩の保育士も就職してきて、充実した生活をしていたはずだったのですが、同時期に2つのことが起こりました。ひとつは、わたしの気持ちの問題です。

やはり何といっても給料が安いのです。実家に両親と同居しているので、家賃はいりませんし夕食も準備してもらっていたので生活はできていたのですが、ふと疑問を感じました。「今の給料と勤務時間では、アパートに一人暮らしもできないし、この先結婚は考えられない」ということです。

未来の夫が給料が高ければいいのですが、夫婦ともに仕事をするとなると家事もしなくてはいけません。その当時の業務内容からは、自宅に帰ってから料理をして掃除・洗濯をする余裕はありませんでした。しかも何しろ薄給でした。

もう一つは園児の保護者からのクレームです。保育士は子どもだけを相手にしていればいい訳ではありません。大事な子どもを預けている保護者の言動はとても気になります。当時、毎日必ず保育園での子ども達の様子をお手紙に書いていたのですが、ある保護者から「わたしへの手紙だけいつも短い」というクレームがきました。そんなつもりはなかったのですが、園長にまでクレームを言われ、へこたれてしまいました。

しばらく悩みましたが、一旦その保育園は退職しました。

先輩たちの通った道だから

こんにちは。私はFufuです。
私は、中学生のころに経験した職場体験をきっかけに保育士という職業に興味を持ちました。
高校を卒業した後は幼児教育科のある短期大学に入学しました。
2年間という短い期間のうちに、保育に関する知識を学び、教育実習、保育実習、施設実習を行うことはとても大変でしたが、卒業と同時に幼稚園教諭と保育士資格をもらいました。
保育士になれたととても嬉しかったです。
在学中に実習した園から声をかけてもらえたので、私は卒業後私立幼稚園に勤め始めました。

家から自転車で30分程、幸い実家から通えましたので、晴れの日はもちろん、雨の日、雪の日、毎日自転車で通勤しました。私の勤めた園は自転車通勤する先生ばかりだったので、多少距離はありましたが、車通勤、バス通勤は考えませんでした。
新任だったこともあり、毎日早番で、園の門開け、各部屋の鍵開けの仕事を同期と二人で行いました。

新任といえども、担任を任せてもらえましたが、保育や掃除、運動会や発表会前の準備など、毎日が大忙しです。帰りは、先輩が帰ってしまわないと自分たちは帰られないという雰囲気もあり、毎日帰りも遅くなっていました。

帰宅した後も、書類を書いたり、次の日の保育の準備をしたり、季節ごとに飾るものを作ったりと、寝る間を惜しんで仕事に精を出していました。みんな通ってきた道だから、と先輩の先生は言います。とても、弱音を吐いてはいられませんでした。

もともとプレッシャーに弱いところがあり、寝不足や毎日の保育の疲れで度々体調を崩してしまうことも多く、吐き気でよくトイレに駆け込んでいました。

クラスの子どもたちと関わったり、話したりすることは好きだし、楽しいけれど、保育が終わった後、緊張の糸が切れると幼稚園のトイレで吐いたり、具合が悪くなることもよくありました。

毎日疲れていても、自分のクラスがある、自分が休むと他の先生が自分のクラスと私のクラスとまとめて見なければいけないので迷惑がかかると思うと、幼稚園を休めません。

そんな毎日を送っていくことが次第にきつくなり、勤めていくことが難しくなりました。なんとか、踏ん張って3月の年度までは続けましたが、それ以降勤め続ける勇気はありませんでした。

夢だった保育士ですが、こんなに仕事量が多いとは思いませんでした。せっかくご縁があった幼稚園ですが、長く勤められなくてとても残念でした。

人間関係で一度こじれると仕事を続けることが難しくなる保育園

現在は、障害者の福祉施設で勤務しているるるかです。子供が好きで保育士をしていましたが、先輩保育士の嫌がらせや上司の無理な仕事の押し付けに耐え切れず保育士の仕事を辞めました。

私は、自分自身が子供のころから保育士に憧れていました。自分を担当してくれた保育士がとても好きだったことと、家庭環境があまり良くなかったので、親以上に優しくて時には厳しいことを言ってくれる保育士をとても信頼していました。

また、当時の保育士は私の親が虐待のようなことを私にしていた時に私を救ってもくれました。このような背景から、私は自分自身も子供に寄り添う保育士、保護者の支援もできる保育士を目指していました。

ところが、私が勤務していた保育園はとにかく子供を預かって安全に返せばそれでいいという考え方の保育園でした。保育に対する希望や信念を持って働いている保育士は誰もいませんでした。

中には、保育に対して高い専門性を持っている先生や、現在の状況をあまりよく思っていない先生もいたのですが、そのような先生はもっと待遇の良い保育園に転職していってしまいました。

私が働いていた保育園では、給与は派遣社員の事務でもしていた方が良いというくらいの収入しか得られませんでした。ボーナスもほとんどありません。しかし、勤務時間は朝から晩まで拘束時間が長く行事前には非をまたぐような残業も当たり前でした。

上司は、古い考え方の人で、若いうちは「お金をもらって勉強していると思え。」というような考え方を押し付けてくるような人です。残業も当たり前だし、出来ない仕事も泣きながらでもやりなさいと言われていました。

そんな中、私はあmりにもやる気のない保育に嫌気がさしてとうとう先輩に物言いをしてしまいました。それが先輩の機嫌をそこねてそこから完全に無視される毎日が始まりました。

保育士の仕事は、保育士同士が連携を取らなければ仕事になりません。ですが、私のことを職場のみんなが無視するので子供の安全が確保できないこともありました。そのうち、仕事を何も任せてもらえなくなりました。

この保育園では、自分の理想の保育ができないばかりか、本来なら子供に道徳や倫理を教えるはずの場でいじめまで起こっているということに嫌気がさしてしまい退職することを決意しました。

保育の仕事に夢を持っていただけに今は、しばらくは保育の仕事を離れて客観的にもう一度見直してみたいと思っています。今の仕事もやりがいがあります。保育に通じる部分もありますので、ここで精いっぱい働いてまた、元気になったら保育士の仕事に復帰したいと思います。

親御さんにびんたされたのでやめました

私が保育士をやめたのは、いわゆるポンぺからの執拗な嫌がらせに嫌気がさしてやめました。大学を卒業後、一般企業に勤務していましたが、教育関係の仕事に就きたいなと思い、保育士資格を取得できる試験を受けて、合格しました。

保育士のほとんどが、大学で保育学科などで資格を取得して、保育士の仕事に就くというのが一般的だと思うので、私のようなタイプは珍しかったと思います。でも、資格は資格ですから。

想像していた以上に、親御さんからの要求が多かったこと。仕事にしては給与が安いというのは、働く前から分かっていましたし、それにやりがいを感じて、転職したので、給与が安いのは文句はなかったです。仕事も、体を動かすことで、体力的にはきつかったですけど、子供たちと接することで、日々、自分の中でも色々と学ぶことがあったので、仕事自体は楽しかったです。

親御さんの要求と言っても、当たり前のことでしたら、それが仕事ですから問題なかったのです。例えば、普段よりも朝食を食べないので様子を見ておいてくださいなど、これは保育士として当たり前ですから問題ないですが、子供の我儘は全部保育士の責任にしてしまう親御さん。子供同士の喧嘩で納得いかず、暴言を吐かれてしまうこと、週末休みだったのですが、急遽仕事が入ったのでみてくれないかと、携帯に電話が来たりもしました。

それは仕事外だったので、断るとそれでも保育士かと罵倒されました。保育園の父兄のカラーっていうのもあるらしく、私が勤務していた保育園の親御さんは、高学歴の方も多かったようで、保育士を下に見ている感じでした。暴言や罵倒など、最初はこんなものかなと思って傷んですけど、他の保育園の講習などがあり、保育士の方と触れあって話を聞くと、異常だということに気がつきました。

最終的に一番の原因になったのは、あるお母さんに頬をびんたされたことです。子供が汚い言葉を使うようになったということでした。

保育園の時間は気を付けて見ていたのですが、そういう言葉使いはありませんでした。

それを伝えると、家に問題があるのか?と言われて、びんたされたんです。すぐに、副園長先生が来てくれたのですが、三月になったらやめようと決意しました。びんたは、障害ですから、被害届を出そうか迷ったのですが、園長先生から、それだけは避けてほしいと言われて、やめました。

同じ街に住んでいるで、たまに子供もお母さんも見かけますけど、こちらからは声をかけません。すごく保育士をしたかったわけではないので、それから保育園で仕事をしていません。

イメージと違う園の教育方針の疑問

保育士をしていたMOMOです。保育士の資格を取ったのは、大学を卒業して通信教育を受けて、独学で資格をとりました。大学を卒業してから一般企業に勤めていたのですが一生自分を生かせる仕事ととりたいという思いがあったので、保育士の資格をとりました。保育士の資格をとったのは、28歳のことです。

子供と携わる仕事をしたかったというのも、小さいころの夢であったということもあります。わたしは、10年以上マイペースですがピアノを習っていました。そのことも長年続けてきた習い事の一つでもあるので、ピアノをひくことを生かしたいう思いもあったのです。

そして、やっとの思いで保育士の資格をとって胸をはずませながら、私立保育園に勤めることになったのです。

はじめのうちは、他の若い先生にくらべて遅いスタートだったので気が引ける部分もありましたががむしゃらに頑張っていた自分がいます。

気づくと半年がたっていました。初めての保育園ということもあり、何の疑問も持たずに働いていました。

しかし、ふと気づいたとき自分の理想の形ではない子供たちの教育に疑問ともったこと、そして保育園側の経営方針に自分の考えてかなりずれがあったことに気付いたのです。表面的には、休日の日でも休日出勤をしたりして行事ごとの準備をしたり、平日は夜の23時まで残って作業などもありました。

しかし、残業代はつきません。園側からすると、自分の時間の使い方や能力に問題があるような言い方をされました。

私立保育園は、公立の保育園に比べて個性をだす園をだすのです。例えば、小さい子がのぼりぼうに乗っている姿をみていて、けがなどを心配してハラハラドキドキしていたのにたいして、園側はのぼり棒ができて当たり前、できない子はできるようにしてくださいと指示があったのです。

子供はそれぞれ個人差があるにも関わらず、人格を無視したような気がしたのです。他の保育園の特色の違いを出すために英会話をしたり、たいこを覚えさせたりと次々にゆったり過ごすことのない機械のような教育でした。

わたしの中では、子供はのびのびとゆったりした時間を過ごすこと、余裕のない生活を毎日毎日強いられる子供たちは将来どうなるのだろうと心配になりました。私のイメージとは違う園の方針に納得がいかずやめました。

保育士の笑顔の裏の厳しい現実にぶつかりました。

現在27歳の女性のまゆと申します。
幼い頃から、幼稚園の先生に憧れており本格的な夢になったのは、中学生の頃でした。
高校生からピアノ教室に通い、努力をしたのですが、技術が身につかず、断念して保育士となったのが、20歳の時です。

保育の現場に変わり無い、と夢と希望を持って勤め始めたのですが…
とにかく、先輩からのチクチクした嫌がらせや嫌味のオンパレードに、あぁこれが噂に聞いていた女社会の嫌がらせかと、感じました。

挨拶を無視されたり、意図的にぶつかられることは、日常茶飯事で、私のやることなすこと全てが気に入らないようで、なにもかも否定されていました。

そんな毎日にほとほと嫌気がさしましたが、みんな大人だし、すぐに飽きるだろうと耐えられたのは、やはり子どもが可愛かったからです。

しかし、翌年から、毎年1人だけ入ってくる後輩は先輩方の嫌がらせに耐えきれず、すぐに辞めてしまうので、私はずっと下っ端扱いでした。

私が勤めた保育園は、アットホームな雰囲気を売りにしている小さな園でしたので、職員も多くありません。

その為、自分の考えも発言できず、ただ怒られないように、ひたすらご機嫌伺いをして働く毎日でした。

何よりも辛かったのは、毎日休憩無しでサービン残業込みの10時間労働をしたのちの、持ち帰り業務でした。

書き仕事や、制作物の多い職業ですし、仕方の無い事なのですが、園で空き時間を見つけてこれらの業務をすると、私だけ、そんな仕事は家に帰ってからしろ、と先輩方に注意を受けるのです。

今となっては、馬鹿らしいのですが当時の私は誠実にその言いつけを守り、帰宅してから毎日2時間、持ち帰りの仕事をする生活を繰り返していました。

そんな生活が5年続いたある日、とうとう精神的にも肉体的にも参ってしまい、身体を壊し、入院することになったのです。

その時は、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、退院後に体調管理も出来ないようなあなたのせいで、こちらはものすごく迷惑をした、と怒鳴り散らす主任を見て、あぁ、もうダメだと心が折れてしまい、その年で保育士をやめました。

子どもの健やかな成長を手助けするはずの保育士が、優しいとは限らないと学んだ出来事です。

今は結婚して、専業主婦として毎日平穏に暮らしています。

幼い頃からの夢だった保育士。しかし現場は壮絶な女の世界。辞めた今、もう二度と現場には戻りたくないと感じている。

7年保育士として働いたルイと申します。私が保育士を辞めたのは、現場の酷い人間関係が原因でした。

幼い頃からの夢だった保育士。
その夢を叶えるためならと、どんな辛い実習も試験も乗り越えててきました。
そして、やっとその夢が叶い、希望に満ち溢れた状態で保育士になりました。

しかし、実際の現場は壮絶なものでした。

1年目の時に配属されたのはフリーという立場で、各クラスの補助に入るという立場でした。
女だけの世界。
驚くほどの厳しい上下関係で、先輩には重い荷物を持たせてはいけない、常に先輩たちの動きを把握して先回りして雑用をこなす、理不尽なことでも、先輩がダメと言えば意見することも、反論も禁止、お茶出しからコピーなど、OLさんでもあまりやらなくなって来ているような雑用が中心で、保育士という仕事とは程遠いような、ただの雑用係と先輩たちのお世話係でした。

子どもたちと接する時間も少なく、1年目は特に、何のために保育士になったんだろうと葛藤することが多かったです。

2年目以降は担任を持たせてもらえることになり、やっと保育士として仕事ができると思っていました。
やりがいを感じ始めた反面、ペアを組む先輩次第では、常に叱られたり、八つ当たりされたりすることも多く、毎日のように辞めたいと思うようになっていきました。

1番辛かったのは、職場の人間関係。
先輩に気に入られないとそこに居場所はなく、ゴマスリが上手な人ほど出世していく世界だったこと。
良い先輩ほど、寿退社などでどんどん辞めていってしまう現場だったので、残る先輩や主任は売れ残った、癖ありの人たちばかり。
主任という立場にも関わらず、揉め事に巻き込まれたくないからか、救いの手は差し伸べてくれない。
1~2年目の先生なんかは、精神的に限界が来て、病んで辞める人、ある日突然連絡が取れなくなり飛んでしまう人もいました。

そんな現場でも、子どもたちのためと数年続けていましたが、私がもう続けられないと思ったのは、とある先輩の妊娠によるいじめでした。

結婚後も続けていた先輩で、他の先輩とは比べものにならないくらい、後輩思いで、子ども思いで、どんなに上司に辛く当たられても、その先輩がフォローしてくれたから続けてこれたという先生も多かったです。

その先輩に妊娠が発覚した途端、上司は妬みもあってか、いじめと思われるような態度や行動ばかりするようになりました。
そうしたストレスもあって、先輩は切迫流産で入院し、退職することになりました。

その事件があって、もうこの現場にいても、自分にとってのプラスはない、この現場にいたら自分の将来も潰されると思い、退職に至りました。

保育士は激務です。
給料も安く、休みも少ない。
持ち帰り仕事も多いです。
それでも子どもたちの笑顔のため、保護者の感謝の言葉に背中を押されて、みんな日々の保育に取り組んでいます。
しかし、そんな先生たちを追い詰めていくのは、安い給料でも、辛い仕事量でもなく、現場の人間関係です。
今、政府は色々な対策を考えてくれていますが、現場の改革が何よりも1番大切なことなのではないかと私は感じています。

過酷な環境が、やる気のある人を潰してしまう業界です。

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20代で短期大学を卒業してから、30代の中頃まで保育士をしていたMARIと言います。
年齢を重ねる毎に保育士の仕事が体力的にキツくなってきて、並行して資格の勉強をしていたので、その資格を活かした仕事をすべく退職しました。
仕事内容自体は好きではあったのですが、いわゆるブラックな業界で、やはり待遇とお給料が安いのはモチベーションを下げる大きな要因となっていました。
まず、朝から深夜近くまで働いても残業手当はつかず、サービス残業が横行していました。
朝から夕方までは保育の仕事、そしてその後は行事に向けて準備をしたり、事務的な作業に追われていました。
また、保育士の仕事は園長によってブラックであるか、少しマシなグレーであるかが大きく分かれてきます。
最初に居た保育園では園長のえこひいきがあり、気に入っている職員とそうでない職員では、仕事量も給与もだいぶ異なる状態でした。
気に入られている職員は、何かと名目をつけて特別手当があり、役職も与えられていましたが、そうでない人はずっと下っ端のまま。
そしてその役員は園長の親戚筋である事が分かり、ずっと上にいるままなので私のような下っ端がどんなに頑張ったところで環境が改善される事はありません。
また、女性だけの職場ならではの陰湿なイジメのようなものもあり、二年でその園は退職しました。
次はチェーン展開している園に入社しました。
そこは制度は最初の園よりもマシではありましたが、やはり仕事量の多さは変わらず・・・ただでさえ、保育士は体力勝負なところがありますが、削られてゆく睡眠時間と、理不尽な作業の多さ、女性同士の環境の悪さ、そしてずっと人手不足で終わる事の無い仕事量・・・この先一生続けられる仕事ではないと強く感じました。
そんな中、日ごろの無理がたたってか、自律神経失調症になってしまい、精神的、体力的にも無理だと感じました。
子供と接する仕事はとてもやりがいを感じていていたため、凄く心残りではありましたが、資格を取って退職して、キャリアチェンジを行う事にしました。
今では前職よりも短い勤務時間でお給料もアップしています。
あれだけ大変なのに報われなかった保育士時代の事を考えると、すごく悔しいと共に、こういった環境がやる気のある人を潰してしまうという事をつくづく感じます。
どうか環境が改善されるよう強く願います。

念願の保育士。頑張ってきたものの、園長の方針で自分の子供を作れない。残念ながら退職しました。

現在33歳の女です。
22歳から志して数年前まで保育士として働いていましたが、辞めてしまいました。
昔から、もちろん今でも子供や赤ちゃんが大好きで、迷わず保育士資格を取り保育園や保育所、子供に関わる場所で働こうと決めていました。
念願叶って保育園の先生として日々大変ながらも色々な経験を積み、楽しく働いていました。
けれど、6年ほど前に新しく赴任した保育園が、典型的な女性園長先生のワンマン保育園で。
園長先生自身も長く保育士をしていたことを売りにし、厳しいを通り越して恐かったです。
他の先生方も園長に常にびくびくしていました。
園長先生が少し厳しくてコワいくらいでしたら辞めるほどのことではなかったのですが、一度、ひどく揉めて決定的に園に不信感を抱いたことがあったのです。
自分の出産や、育休について、職場に相談した時でした。
詳しくは言えませんが、自分は当時結婚したばかりで、もちろんついに自分の子供ももうけるつもりでいました。
それもあって育休や、復帰した後の勤務形態についても詳細を知りたいと思ったのです。
最初に、先輩保育士に相談したところ、あまり良い顔をしません。
育休についても歯切れの悪い回答しかありません。
なので直接園長に聞いてみることにしたのです。
結論から言うと、要は保育園の人手が足りないから休むのはやめてほしい、つまり妊娠するなとのこと。
子供が大好きで仕事にもしているのに、その仕事のせいで自分の子供を作ることができないなんて皮肉すぎます。
これについては何度か、園長や他の先生方にも話しましたが良い顔をされませんでした。
ここの園の雇用理念は根本的に間違っていると思い、考えた末退職しました。
園の子たちは皆可愛く、お母さん方や同僚にも恵まれ、上記以外に特に不満など無く、まさかこんなことで辞めるとは思ってもみなかったので悲しくて悔しくてたまりません。
自分にとっては保育士の安月給問題よりも、園長の方針で保育士たちが安心して妊娠、出産ができないということの方がはるかに重要でショックな問題でした。

笑顔の裏の女の園、人間関係が保育の質にも影響すると思う。

 はじめまして、ゆるりです。
短大を卒業してすぐ、憧れの保育士になれ最初は夢がかなってウキウキでした。
 
しかし、現実の過酷なこと。

三社の保育園を経験しましたが、どこも同じような感じでした。

仕事の持ち帰りは当たり前。

タイムカードはあってないようなもの
残業当たり前。

女の世界で上下関係も厳しく、上の人が帰るまで帰りにくい、新人は特に上の人の仕事まで請け負う勢いで常に動いていないといけない。

有給をとるのも気を使うので本当に休みたい時に休めないし、旅行なんてもってのほか、保育士の人数もカツカツでやっているので自分が病気で休もうものなら他の人に負担がかかるので、病気で休んでいるのに、休み明けには菓子おりを持って各クラスに「お休みしてすみませんでした」と詫びを入れにまわらないといけないし、有給のあとも「お休みありがとうございました」を全員にいって回る
好きにとれる休みでもないのに、毎回お菓子やお土産買っていかないといけないし、給料も安いのにすごく負担でした。
おやすみくらいゆっくり休ませてって毎回思ってました。

当時はそれ程、労働基準も厳しくなく、有給もほとんどとれずに毎回一年終わっていました。
病欠が有給に回されるだけなのでほんと微々たるものです。

上の人にビクビク、保護者の方に気を使い、家に帰ってからも出来なかった作り物、休みも少なく、労働時間は長いのに給料は安い。
そんな過酷な状況の中で働いて、子どもたちとは笑顔で接する。
そんな人間離れしたこと求められても
神経図太い人や世渡り上手な人は上手くやってました。
でも、子どもが好きでって思いだけでは続けられるものではないです。

特に新人から三年目くらいまでは上の先生と保護者との板挟みに会うこともほとんど、人間関係がよければ、もっと上手くいくのにと思うことが多々ありました。
意見もいえず、失敗したら自分の責任、お手柄は上の人のもの、ただただ上の人の言いなりといった毎日が嫌になって、疲れて、休みもなくというのが辞める理由でした。

ほんと、そんな状況で子どものことも笑顔で見れなくなった自分が嫌になり、自信をなくし、逃げました。

子どもが欲しい…でも続けられる雰囲気ではない!

こんにちは!
32歳、既婚女性です。

私は保育士として働いて12年目です。

今努めている職場はこども園です。

旦那の転勤のために引っ越し、現在の地域に引っ越してきました。

引越し先でも仕事がしたく、この職場を選び、勤めたのが3年前です。

しかし残念ながら昨年退職しました。

人間関係もとても良かったし、お給料もそこそこ良かったです。

他の園に比べるとまあまあ恵まれているお給料だったと思います。

ただ、園長がとても考え方の古い方でした。

私は3歳クラスの担任を持っていたのですが、30歳を超え、子供も欲しいと考えるようになりました。

妊活も始めようと思っていました。

今は少しずつ保育士、幼稚園の先生も育休、産休を取ることが当たり前になってると思います。

しかし、残念ながら、私の園の園長は古い考えの年配の女性です。

子どもを考えているなら担任は持たせられない、正職員としても雇いたくない、パートとして働く、もしくは辞めて家庭に入りない。

というタイプでした。

その考えが職員の中にも浸透していて、私以外の先生が年度途中で妊娠してしまった時に、ものすごくバッシングを受けました。

「時期を考えてほしかった」
「途中で担任が変わるなんて可愛そう」
「他の先生方の負担が考えられないなんて無責任」
などなど。

特に年配の先生方の考えがそうでした。

私もとても悩んでいました。

子どもは欲しいけど、仕事はできるだけ続けたい。

産休、育休を取って、復帰もしたい。

けどそんなことが言える雰囲気ではなく…

子どもがほしいことはある程度の延長や他の先生方にも伝えていました。

なので、先生方からは「早く作るために仕事やめたら?」
「パートとして来年は働くんだよね?」などの言葉がありました。

もちろんそれは悪気がなくて、元気な赤ちゃんを産むならそれが当たり前、
良い意味で言っているんですよね。

それがさらに辛くて…

結局私は退職の道を選んでしまいました。

続けられるものなら続けたかったのですが…

とても心残りです。

保育現場の過酷さと賃金の安さ

幼い頃からずっと憧れていた保育士になる事が出来た私は、どんな仕事になるだろうと楽しみな気持ちばかり期待して就職しました。
働き始めてみると、どこのクラスも人手不足で、どこのクラスも子どもと丁寧に関われているとは言い難い状態でした。
有給はもちろんありましたが、体調不良ならまだしも旅行などのレジャーで休む事は後ろめたい雰囲気がありました。
誰かが休むと、どこかのクラスでギリギリの人数配置で保育をするとわかっていたからです。
正職員の人数に関しても、働き始めるまではもっとたくさん配置されていると思っていたので、パートの方の比率にも驚きました。
パートの先生にも良い保育をされる先生はたくさんいますが、時間が来たら退勤されてしまうので、残った事務仕事や行事の企画などはほとんど正職員で行わなければいけないんです。
パートの先生に任せるのは、保育の他には簡単な作業や掃除などしかありませんでした。
私は臨時職員の期間を経て3年目から正職員になりましたが、たいして手取りのお給料も変わらず、責任だけが増えたので、それならいっそパートになりたいと思ったほどです。
勤務時間に1時間の休憩もありますが、連絡ノートの記入で時間を全て使ってしまうので、実際のところは休憩ではありません。
普段の業務以外にも、平日の夜や土日にも研修会などがあるので、行事とこれらでかなりの休みが潰れます。
私は結婚を機に保育園を辞めました。
保育士をしながら子どもを産んで、育てながら働くのは難しいと感じたからです。
実際に、小さい子どものいる保育士の先生は、正職員として働く事に悩んでいました。
自分の子どもを預けながら、他人の子どもを見ている事にジレンマを感じるからだと思います。
私も想像ですが、その気持ちは十分に理解できました。
そのジレンマを乗り越えることが出来るほどの賃金がもらえません。
命を預かる職業なのに、世の中に軽く考えられている、誰でも出来ると思われていることに苛立ちを感じています。

夢の保育士で働き、退職するまでのできごと。

子供が大好きで子供の成長を近くで見て感じていきたいと思っていた私は高校を卒業した後、保育士の専門学校に進学しました。
そして専門学校を卒業後、念願だった夢の保育士として働き始めました。
働き始めた直後は「夢が叶った」と思いながらやる気に満ちていたし、ワクワクしていました。
周りから見ても「キラキラオーラ」が出ていたと思います。
しかし、それがわずか2年で辞めることになりました。
最初のうちはとにかく楽しく仕事をしていたのですが、働き始めて3ヶ月もしないうちにいわゆる「パワハラ」が始まりました。
先輩たちから「覚えが悪い」という理由でいびられるようになり、「子供と接したい」と思っていた私ですが、子供と距離を取らされ、雑用などをさせられるようになりました。
もちろん「自分のやるべき仕事以外の雑用」であり、ほかの先輩たちの仕事(雑用)までやらされていました。
もちろん、先輩たちは私より全然先に帰宅し、私は1人静まった状況で黙々と残って作業をするということも何度もありました。
そんな仕事環境なのに給料はかなり低く、次第に私のモチベーションも下がっていきました。
「子供とふれあって子供の成長を間近で見ていたい」という強い思いがあったからこそ給料が少なくてもやってこれていましたが、保育士としての仕事が「誰でもできるような雑用」になってしまっている状況で、心がやってられなくなっていってしまいました。
そして家ではいつも1人で泣いているような状況になり、「摂食障害」になってしまいました。
ストレスが身体に出てしまうほどの状況に追いやられていったあげく医者にも「抑鬱状態にある」と言われ、退職をすすめられました。
私の夢でもあった保育士という仕事に自分自身の心が傷つけられた結果になってしまいました。
仕事環境、人間環境に恵まれず、自分自身の心と身体を守るために夢でもあった保育士としての仕事を退職するという決断を最終的にしました。

子どもの頃からなりたいと夢見た保育士。”子どもが好き”という真っ直ぐな思いすら潰されそうなくらいに現実は厳しく、退職した

初めまして。現在2児の母をしておりますしょこらと申します。
過去に2年間、認可保育園での勤務を経験しました。

幼い頃から夢見ていた保育士。
大人になってもその夢は変わらず、保育士免許と幼稚園教諭の免許を短大で取得し、憧れの保育園に就職しました。

4月の就職前に行われる研修期間から、保育園の厳しい現実を目の当たりにしました。

まず子どもの保育以外の事務的な仕事量の多さに驚きました。
私の務めていた保育園には事務員や清掃員、看護師など1人もいなく、その役割の職員がいればやらなくていいはずの仕事までも、クラスをもつ保育士が負担してやっていました。

早番は朝の6時45分までに出勤します。
その後園長に内線で出勤したことを報告します。

シフト通りなら、早番は16時には退勤できますが、そんなことをしている保育士は誰もいませんでした。
早番だろうが中番だろうが遅番だろうが、帰りはほとんど皆一緒です。

また、先輩保育士が帰らないと、若手の保育士は仕事が終わっても帰れないという暗黙のルールもありました。

先輩保育士からのいじめもあり、職員室の雰囲気はいつも最悪でした。
陰口や、わざと本人に聞こえるような悪口、またひどい時はものを投げつけられるなど、見ていられない光景ばかりでした。

若手の保育士の退勤時間は毎日だいたい21時頃です。
また園長に内線をし、最後に誰が鍵を持って退勤するのかを報告します。

当たり前のように残業手当はつきません。
何時間残業してもです。

だからと言って誰も早く帰ろうとはしません。
先輩保育士は若手保育士に仕事を押し付け、自分の仕事が終わっても雑談していてなかなか帰ろうとしませんでした。

早番だった時は帰り道が眠くて眠くて仕方ありません。
車での通勤だったのですが、過労運転で大変でした。

家には夕飯を食べて寝に帰るだけのようなものでした。

園長はなかなか保育の現場には現れません。
行事の時だけです。
それにも関わらず、行事に来た時目に付いた保育士に言いたいことを言って去っていきます。
ほとんどコミュニケーションというものがありません。

保育士に負担がかなりあり、皆余裕がなく毎日ピリピリしています。

1番苦痛だったのが、気持ちにも時間にも余裕があれば怒らなくていい場面で、子どもたちに当たり散らす保育士がたくさんいたということです。

子どもたちもそれに慣れてしまっているので、若手の保育士が少し注意しただけでは全く言うことをきかないのです。

だんだんと先輩保育士たちのような振る舞いに似てくる自分が嫌で仕方なく、退職を決意しました。

職員の手が足りていないので、簡単な理由では誰も辞められません。
先輩保育士の中で、授かり婚を理由に退職を願い出た人がいたのですが、職員会議での園長からの嫌味に耐えられず号泣していた姿は今でも忘れられません。

私の同期も4人いたのですが、そのうちの1人が授かり婚でした。
お腹が大きくなる前に、引っ越しという嘘をついて退職していきました。

私もクラスの子どもたちが可愛くて可愛くて仕方なかったのですが、このような現状を家族や婚約者に話していたところ、3年目を続けるのに反対され、退職しました。

結婚は本当にする予定だったのですが、結婚して保育園から遠い場所に住むという嘘をつき、園長を説得して退職しました。

どんなに魅力的なホームページの保育園でも、どんなに素晴らしい建物の保育園でも、やはり就職してみないと中身はわかりませんね。

お給料は、1年目手取りで15万円、2年目は16万円くらいでした。

ボーナスは夏と冬に2回ありましたが、残業手当は1円もつきませんでした。

ボーナスがあるくらいなら、残業手当をつけてもらった方がよっぽどお金になります。

当たり前のようにタイムカードがありませんでした。

出勤は遅刻するととても怒られるのに、残業はいくらしても怒られることも褒められることもありませんでした。

いまだに担当していたクラスの子どもたちの成長が気になるし、会いたいとも思っています。

本当に子どもたちが大好きでしたが、泣く泣く保育園を退職しました。

大好きな子どもに囲まれる仕事に夢見た、保育士の現実。

現在、営業の仕事をしている、35歳二人の保育園児を持つワーキングママのハルユキです。

短大在学中に、競争率高めの第一希望の障害児者施設に就職が決まりました。

通常の保育園や幼稚園と異なり、「療育」なので、保育に加え障害の知識も必要な訳で…。

兎に角、日常の保育士業務に加え、療育日誌や、新人教育、次の日の保育の準備。

朝の通園バス当番なんて7時出勤。
うっかりバスの中で寝てしまう事もありました。

定時後は、タイムカードを定時に押すのが当たり前の会社で、実際は22時過ぎに退社し、新人教育と言う名の日誌の様な物を帰宅後、毎日書かされ提出。
それに対する赤ペンでの、上司のコメントも、まぁ、きつい。

特に毎年、一番若い子がキツく当たらるれるとか。
私が一番若かったのですが(笑)

女の園は、やはり派閥もありました。

陰口や、当たりがきつかったり、

上司に同じような内容の計画書を提出しても、気にいられてる先生は採用。
嫌われてると、何回も訂正させられてました。

目の前の席なのに、上司同士でその子の悪口言われてた、同僚もいました。
鬱になって、退職しましたけど。

私の他にも、体調を崩して半年で辞めた先生や、鬱病でドクターストップかかった同僚もいました。

給料は、25年前の短大卒の初任給で手取り15万~16万だったかな。
それも、ボーナス込みの給与ですが。

早朝出勤に、時間外の仕事量。
13~14時間働いて、この給与は割に合いませんでしたよ。

最終的に辞めたきっかけは、連日の心身の疲労により、激痩せし笑顔が無くなった事と、生理がまともに来なくなったことです。

あんなに、憧れた保育士でしたが、辞める前には、外出先で子供達の楽しそうな声を聞くだけでも憂鬱になっていました。
とても悲しい事ですが、子供が大好きだったはずなのに、嫌いになってしまったんです。

子供により添える母親のような保育士で、子供達と成長できたらとキラキラした気持ちで入社したはずなのに。

結局、たった1年で辞めてしまいましたが、全く後悔していません。

辞めた後は、全く別の職種の仕事ですが、仕事関係で出会った主人と結婚もし、2人の子宝にも恵まれました。

今、支度金を支援してくれるとか、給与面も改善があるようで、少し保育士への再就職も考えましたが、あの、環境を思い出すと尻込みします。

色々な仕事を、経験しましたが保育士が桁違いで過酷でしたね。

保育士の仕事が体力的に辛すぎて辞めました

ハンドクリームです。

短大を出てすぐ私立保育所に8年間勤めました。

20代だったから働けたと思います。
年齢を重ねてできる仕事ではないと思っていたので転職できるよう動きました。

保育士をあきらめたのは体力面できつかったからです。

平日は9時ぐらいに寝ないと次の日一日持たないし、9時に寝たとしてもフラフラで帰宅します。

もともと体力はない方なので、しっかり食べる、寝るは心掛けていました。

それでも子どもたちの10時の休憩やお昼ご飯、昼寝など座って介助するようなときにふと気が抜けていることがあることに気が付きました。

保育士の仕事は子どもたちを預かり、安全に気を配ることが第一に挙げられます。

子どもたちが生活している間、一切気が抜けるようなことは許されません。

最近では、ちょっとしたケガや擦り傷なども保護者の方から説明を求められるのでどんなことがおきたのか説明できるよう常日頃見守り、注意が必要です。

それが出来ていないと自分で気が付きました。

命を預かる仕事なので、小さなことでも見逃さないを繰り返えしてきたつもりでしたが、小さいことも見逃して命を守っていると胸張って言えないなと怖くなりました。

大学時代での教育実習でさえ、体力のなさに落ち込んだのですが働いてみるとやはり体力がないとやっていけないと思い知りました。

20代だからできる仕事だと割り切って、休みの日にパソコン教室に通いました。

ワード、エクセル、パワーポイントを一通り習いマイクロソフトの検定に合格しました。

現在は事務系のパートをしています。

年配の方でも保育士として働いている方はたくさんおられます。

それでも、私の場合は30代で保育士として働ける自身もなく辞めました。

平日9時に寝るということは、平日は仕事以外何もできないということです。

趣味や友達と会う、結婚なんか考えられない生活です。

こうなってくると、何のために働いているのかもわからなくなってきました。

責任の重い仕事でありながら、給料は安く、体も心も壊しがちな仕事です。

早めに転職出来て良かったなと今は思っています。

当時、お給料が倍あったとしても30代ではやっていけないのは変わらないので辞めていたと思います。

毎日会うので言いやすいのか保護者の方の相談窓口になるのも重荷になります。

子どもさんのためと思って話を聞きますが、相談は他で請け負ってほしいのが本音です。

夢だった保育士。しかし現実は甘くなかった。

子どもの頃からの夢を叶えるべき、資格取得をして保育の世界に入りました。
学生時代に実習を経験していたので、現場の様子は理解していたつもりだったのですが…。
たった数週間の実習では表面的な部分しか見えて居なかったのです。

環境によって異なると思いますが、私が働き始めたのは就職氷河期の頃。
正規職員として就職ができなかったので、非常勤職員として勤め始めました。

入ってすぐ「保育」の仕事ではなく、殆どが「雑務」です。
子どもの排泄の始末や、食べこぼしの掃除ならば、まだ子どもと接することができるので良い方です。
一日中、庭の草取りや畑仕事なんてこともザラでした。

「私は保育士として働いているの?」という疑問を抱きながらも、「新人なのだから下っ端仕事は仕方ない」と思うようにしてました。
だがこの環境がしばらく続きました。
非常勤職員には「保育」を学ぶチャンスすら与えてもらえませんでした。

退職者が増えても新規に職員を採用しないので、必然的に人員不足になります。
すると自ずと非常勤職員数が増えていき、クラスを受け持つようになります。
しかし保育士として先輩から教えられることなくきたので、突然クラスを受け持つのには相当なプレッシャーでした。

なにせ人員不足です。
先輩のフォローも殆どありません。
日々「これでいいのかな?」と思いながら、子どもの保育、書類作成、発表会の衣装づくりなどの業務をこなしました。
しかし業務とは言えども、子どもがいる限り保育を怠る訳にはいきません。

必然的にそれらの業務は持ち帰りの仕事となります。
もちろんサービス残業で。
そこで思ったのです。
「正規の職員は同じ仕事をしていうるのに、給料は私より多く貰っている。
それに引き換え私は…時給800円(当時)、昇給なし、賞与無し、割に合わないな」と。

好きな仕事をしているのだから、収入が低くても仕方ないと思うようにしてましたが、はやり背に腹は代えられない。
安定した生活費が確保できないと、いろいろな不安がつきまといます。

そして決定打だったのが、仕事のストレスから体調を崩してしまいました。
入院を伴う症状だったので仕事もしばらく休まざるを得なくなりました。
当然、非常勤職員なので保障もありません。

収入は途絶え、医療費もかかり、いつ契約が切れるかわからない綱渡りのような生活に嫌気がさすようになりました。
もちろん収入が全ての原因ではありませんが、自分の気持ちが冷めてしまったので仕事を続けることは難しくなりました。

これがきっかけで、一旦は保育の現場から退くこととなりました。
(その後、他の施設で再就職しましたが現在、体調を崩して休職中です。
今後の進路について迷っている最中です)

本当は続けたかった・・・。

私は主担任として3才児クラスの担任を任されていました。
2人担任がおり、もう一人の担任の先生は新人の女性でした。

クラスにには法的に定員MAXの人数がおり、そのなかには3人障害が疑われるが認定されていないもしくは保護者が認めない子どもたちが含まれており、認定されていないので保育士を増員することはできませんでした。

そのなかでも1人の男の子はとても症状が重く、ほとんど1対1で対応しないと、他の子を噛む・ひっかく・殴るといった凶暴性があり一瞬でも目を離すと大怪我につながりました。

私は障害のある子を担当したこともあり、障害についてのセミナーにも何度も参加いたため、その子の落ち着きのなさや手が出てしまうこと、どういった対処をすれば落ち着くかが分かり、その子も私が1対1で対応している際は1人遊びを始めたり少し余裕がでてきました。

しかし、それだとクラスがまわりません。
新人の女性保育士はクラスの運営が分からず(当然です)、障害のある子を見るのも初めての為、動揺してしまい私がクラスをまわして新人に障害のある子をお願いすると他の子が怪我をしてしまい被害を受けた保護者からものすごいお怒りの言葉を受ける・・・。

それでも、その子を見ながらクラスをまわすことにして(新人に教えている余裕はありませんでした)休憩は全くとらず、保育士を続けました。

翌年、あまりの大変さにうんざりして保育園を去りました。

本当はうけもった子どもたちの卒園姿も見たかったですし、子どもと関わるのがすごく楽しかったため続けたかったです。

ただ自分の心と身体を守るためには保育士をやめることしか道はありませんでした。
また新たなクラスをもったり、他の園に移れば気持ちも変わるかもしれないとも考えましたが、その気力がありませんでした。

今はどの園も保育士不足なのでどこも似たようなものだろうという諦めもありました。
ただ一ついえるのは子どもたちと関わっていた時間は嘘偽りなく本当に幸せでした。

あこがれだった保育士!しかし、現実は…

つい1年ほど前、保育士の仕事を退職し、しばらく無職期間をもうけ、心身をリフレッシュさせ、今は一般の事務系の職場に勤めておりますハンドルネーム、ピーチと申します。

とにかく保育士としての在職期間中の環境はひどいとしか言いようがありませんでした。

私はどちらかと言うと田舎の方に住んでいるため、ただでさえ安い給料の相場がさらに安く、総支給額およそ14万程度手取りにして12万円程度の金額で生活しておりました。

毎日生活はカツカツでその上職場での激務、周囲はほとんど全員幼児という環境で子供達から強力な風邪、インフルエンザ、おたふく風邪などの病気をうつされることは、日常茶飯時であり風邪気味でない日がないほどでした。

ただでさえ金銭的に厳しい生活だったのに、これでは病院代もばかになりません。
強力な病気をもらい病院に行くたびに必死に稼いだお金を、こんな有意義ではない使い方をしないといけないだなんてと憂鬱な気持ちになっていました。

それに、奨学金を使い保育士の専門学校に通いやっと就職ができたのに、この一般職より激務で金額が低い職場に勤めるなんて、モチベーションがもう持ちませんでした。

職業の性質上やはり職員はほとんどの人間が女性で、人間関係などはもうお察しの通りでした。
園長先生が職場では一番えらく明らかにおかしなことを言っていたりしても、言うことを聞くしかありません。
いじめもかなりあり、大人しそうで気の弱い新人さんは、いい子だったのに周囲の人間関係に潰されそうそうにやめて行きました。

私も数年間その職場で保育士としてお仕事を頑張っていたのですが、人間関係のさらなる悪化に伴い、なんとなく体調が悪いなという変化を皮切りに、毎日の吐き気眠れ、深夜眠れなくなる、憂鬱な気分になるなどの症状が起き始め、ついに耐えられなくなり、病院を受診、不眠症のような状態になっている、このまま仕事を続けるとさらに体調を崩す、とドクターのアドバイスを受け、勇気がいりましたが、思い切って職場を変更することにしました。

現在は一般職につき、やはりそれなりに大変なこともありますが、穏やかな日々を送っております。

軽い気持ちで保育士になったけど辛かったです。

はじめまして、新卒から保育士を3年経験して辞めたスイッチです。
今は全く関係のない事務の仕事をしています。

私が保育士に就職しようと思い、保育の専門学校に入ったのは子供が好きだったことと、あとは資格があれば就職に困らないと考えたからです。

実際、就職の際には受けた一社にすぐに内定をもらうことができ、簡単に就職が決まって万々歳でした。

しかしながら、就職してからは保育士という職業の大変さを色々な面で感じる日々でした。

やはり社会問題化しているだけはあり、私が働いていた保育園も例外ではなく大変な職場でした。

まずは、時間外労働の長さです。
時間外労働というのは、円での超過勤務だけではなく、家に持ち込んでやらなければならない仕事が多かったです。

具体的には、子供が遊ぶためのおもちゃやを切り抜いたり、あとは日報も家に持ち帰って書いていました。

特に、工作系があまり得意でなかった私は余計に時間がかかってしまい、当時同棲していた恋人にもしばしば手伝ってもらっていました。

次に大変だったのは園での人間関係です。

基本的にどこの園も女性が大半のところが多いと思いますが(最近は男性も増えているのでしょうか?)、私のところも女性がほとんどの職場でした。

女性社会はかなりの縦社会で、気に入らない人がいれば陰口も叩かれてしまいます。
私も1人に目をつけられてしまい、厳しい指摘をみんなの前で受け帰った後泣くこともしばしば。

運動部にも所属したことがなくどちらかいうとほんわかした性格のため、思った以上に体育会系の人間関係に最後までストレスを感じて過ごしました。

また、職場には同期に男性もいたのですが、女の中に男が1人いれば取り合いにまではならないものの、気に入られたいとして媚を売る人も出てきます。

保育士は意外と身なりが自由でその男性の先生は金髪に近い髪色をしたイケメンだったのでなおさらでした。

そんな中同期ということで仲良くしていたことで目をつけられて嫌味を言われたことも辛かったです。

そしてなんと言っても給料が低いのが辞める決め手でした。
家での作業も時給換算にしたら悲しくなるくらいの給料でした。

どこかの自治体では保育士を高待遇で迎えるという条例作っていて、今度は保育士の待遇改善の流れができるかもと思ったのですが、それまで忍耐することはできなかったです。

保育現場の信じがたい実態

保育士を辞めて3年になるヒヨコです。

私は、中学生の頃職場体験で、保育園に行きました。

その時に出会った園長先生に子どもたちの中には虐待で苦しんでいる子が居るということを知り衝撃的でした。

しかし虐待の環境は親が作り出してしまうもので、保護者とも向き合っていかなければならないと教わり、保護者も子どもたちも両方支えられるような保育士になりたいと心理士と保育士の資格を両方取得することを目指し、実際に認定心理士と保育士の資格を取得しました。

そして念願の保育士になり、初めて務めた保育園は園児が300人以上いる大手の保育園でした。

働きはじめた頃は右も左も分からず、とりあえず先輩保育士に言われた通りのことを見様見真似でしました。

それでも疑問に思うことが増えていきました。

沢山あったのですが、例を挙げると、
1つは子どもをまるでペットのように扱っていること。

言うことを聞かない子には容赦なく手を挙げていました。

それも、見えない場所にするという陰湿なものでした。

私はそれはどうしてもしたくなかったので、子どもたちの目線に合わせて、言葉で知らせていたのですが、その私の行動は、先輩保育士の先生方にはよく映らなかったようで、甘すぎるとかだから子どもになめられるとか言われ続けました。

それから、保育園という場所は保護者の手助けをする場だと学校で教わってきたのですが、そこの保育園は、土曜日に保育士が休みを取れるように、保護者の方が子どもを預けたいというと、仕事があるのかどうかとことん突き詰め、美容室にいきたいとか病院に行きたいといった理由では子どもは預けられないとその日の朝に保護者を説得して帰すようなこともしていました。

今思うと、保護者の方もよく苦情を言わずにいたなと思います。

それからやはり辛かったのは人間関係です。

幸いにも同期が3人居たので、助け合ってやっていたのですが、同期3人とも別の先輩保育士からのいじめが酷く、同期のうち1人はうつ病になってしまいました。

それでもいじめていた先輩保育士は、同期が心が弱すぎるのがいけないと豪語していたのが信じられませんでした。

私もやれと言われたことをすれば怒られ、やれと言ったのは先輩保育士だったのに私のせいにされて他の先生に怒られることが続きました。

給与は恐らく保育士の中では良かった方でしたが、休日も先輩保育士の趣味に付き合わされたり、研修があったりとまともに休めることはほぼありませんでした。

そういったこともあり、だいぶ引き止められましたがやめる決意をして辞めました。

保育園によって、内情は違うと思いますが、現実の保育現場は人間関係や劣悪な環境があることが多いです。

上記の保育園に勤めた後、2か所の保育園で勤めましたが、どちらもオーバーワークでした。

労働条件が改善されていくことを切に願っています。

毎日が過酷な職場でした。

私は男性だったのですが、昔から子供が好きだったので男性保育士になりました。
勿論、最初は女性ばかりの職場ですし、不安ばかりがつきまとっていました。
しかし、いざ仕事が始まるとそんなことは気にしていられなくなりました。
仕事は勿論、子供の世話をすることなので、とにかく子供について勉強したり悩むことばかりでした。
今までは自分の近くにいる身近な子供達でしたが、職場の子供達は人様の全く知らない子供達でしたので、毎日戸惑うことばかりでした。
特に1歳から2歳と言ったまだ赤ん坊になると尚更大変だったのを覚えています。
オムツの変え方や泣いている時のあやしかたと色々でした。
また、時々 子供というのはよく動くので目には見えない怪我などもするので注意してみていなくてはいけませんでした。
その為、私の気づかないうちに怪我をしてしまっていて、保護者のかたに注意されたことも度々ありました。
幸い、当事先輩であった女性保育士さんがフォローしてくださったので助かりましたけど。
とにかく、大変な毎日を送っていたことを今でも覚えています。
また、勤務時間も朝から夜遅くまででしたので、疲労と睡眠不足に陥ったこともありました。
特に疲労がひどいときは休まして頂き、そのまま病院に行き点滴を射って貰ったこともありました。
その当事は疲労とまた精神的ストレスにより尿から血がでることもあり、危ない時もありました。
ですが、この仕事になったからには当然のことでしたので、しばらくは頑張って続けていました。
しかし、先輩である女性保育士さんが辞めてしまい、新しい先輩女性保育士さんが私とペアになったのです。
そして、それからはその先輩と共に子供の世話をしていたのですが、反りが合わなくよく注意を受けるようになりました。
その為、私はまた精神的ストレスが溜まり始め、しばしば職場を休むようになりました。
それでなくても手が足りない職場でしたので、余計 面倒をかけてしまい ますます自分の身を縮めてしまったのです。
そして、私はついに辞める決意をし辞職に至った訳です。

子供の面倒を見る以外の仕事もきつい

20代男性、保育園では3年働いた後に退職しました。

ペンネーム「さなだ園長」

 私が保育園を辞めた理由はとにかく疲れるということでした。
それを言うとどの職業だって疲れるのはそうなのだと思いますが、この仕事にはちょっとした宿題のようなものが用意されていました。
それがかなり体力的にきつかったのです。

 子供には視覚的に楽しく何らかの教えを行わないといけません。
子供が楽しんで遊んで学べるようなオリジナルの工作を考えてくるようにと先輩の保育士に言われました。
疲れて家に帰って風呂から上がるとそんな宿題にとりかかるのです。
これには体よりも頭が疲れます。
よってかなりの精神的なストレスでした。
現場にいるだけで疲れるのに、その外でまで仕事に関する活動なんてしたくないと思いました。

 個人的に一番嫌だったのが、子供達の学芸会の最後に、保育士も演劇をしないといけないということです。
よその園のことは知りませんが、私の勤めた園ではそれが園の伝統となっていました。
確かに子供は大人の芝居を見ても喜びます。
しかしこの練習は仕事が終わってから居残って行うものです。
はっきり言って私は参加したくないのです。
しかし全員参加でそうもいきません。
ますこんな小芝居をするのは恥ずかしい。
そして子供が帰った後に疲れた体を起こしてこんな三文芝居の稽古をするのは馬鹿らしいと思いました。
伝統は軽んじるものではありませんが、それにしても続ける意味が分からないと思いました。

 園の職員は変に統率だとかチームワークにこだわりを持ちます。
やることへの意義がどうのこうのではなく、足並みを揃えないことで排斥を受けるのが怖いのでとりあえず従っている感じが多いです。
こんな具合で仕事場を離れた飲み会や新年会などの集まりも強制感が強く、断ると何を言われるか分からない感じでした。
ことによるとパワハラにあてはまるものもあったかもしれません。

 そんなわけで仕事場にいると人間関係においてもモヤモヤしたものを抱えることになりました。

 こういった理由で保育士をやめようとおもいました。
辞めて良かったと思います。

保育園ってこれが普通なんでしょうか

私の住んでいる近所では保育園での常勤保育士を募集しているところが少なく、やっと新規にオープンする保育園での採用が決まり希望いっぱいで入職しました。

もともと多職種からの転職だったので、あれもこれも実践してみたいと夢は膨らむ一方でしたが、保育園の実態を知らなかったことも大きく、働き出して2、3か月で理想と現実とのギャップに戸惑いを感じました。

給与面や休日などの点での不満はさほどありませんでしたが、園長のワンマンさや、理不尽な保護者の対応に耐え切れず結局保育園を、2年半で辞めることになりました。

どこの園でもそれが普通なのかもしれませんが、私にはそれを確かめる方法もわからないままです。

保育園はあくまで保育を必要とする乳幼児を保育する場なので、仕事でないときは預からないというのも理解はできます。

しかし働く両親、特に片親の場合、急な勤務変更ということもありますし柔軟に対応してもよいのではとも思います。
「もう少し働いたほうがいいのではないか、週3で働くなら何曜日にしたほうがいいです」と勤務日数まで指図するのはどうなんだろうと疑問に感じました。
曜日を指定するくらいなので、もちろん急な勤務変更などは聞き入れられず保護者からクレームを受けるのは保育士である私たちです。

RS等の感染症が園で一人出た場合も、たとえ食事中にむせて少しでも咳をしようものならすぐにお迎えの電話を行い、診察して検査を受けて病気でないという診断書をもってきてもらうというのも少しやりすぎなのではと感じていました。

確かに感染症が蔓延する前に防ぐ事は必要なことですが、検査をするのにも一定年齢以上だと保険がつかえず実費になるし、診断書も発行してもらうためには実費がかかります。

言うのは簡単ですが、検査をするかどうかの判断は医師にまかせ、診断がつけば園所定の用紙を提出でもいいのではと思いました。

しかし、そうすることで、「感染症が蔓延し休みを余儀なくされる保護者が増えたら責任とれますが?検査を受けたという証明と病気でないという診断書がなければ登園不可とします」と園長から直々に言われれば、保護者は従わざるを得ず、見ていて何も言えない自分がもどかしく感じました。

もちろん、園での方針に何も言わない保護者が大多数でしたが、中には、明らかな感染症でも登園させる保護者や申請なく早朝から園長時間いっぱいまで預けている保護者もいます。

高熱を出したり、お迎えをお願いしても「忙しいから」と延長保育終了時間まで迎えに来ず、挙句の果てにどうして放置していたのかと怒鳴られることも多々あります。

園児たちは何も悪くないのに、保護者のせいで可愛く思えなくなってきたことが辞めた一番の原因かもしれません。

個人経営の闇を体感しました。

保育園に3年勤めましたMOMOと申します。
私が勤めていた園は園長が職員贔屓をしていました。

個人経営の保育園で、園長、事務は夫婦で行っていました。

保護者からのクレームやご意見等職員が受け止めていました。

私達が改善しようと話しても保護者の方を持つばかり。

働いている私達にはなんの慈悲もなくただ貶されるばかりでした。

その上新卒で雇った職員は知り合いの娘だそうでちやほやしていました。

参観日に発表するうたの伴奏ができない、ただでさえ足らない職員数にも関わらず37度の熱で3日以上休ませ本来休暇を取っていた職員を呼び出し出勤させるなどしていました。

挙げ句の果てには保護者から「新しい先生が…」と何件もクレームが来るようにもなりました。

園長の報告するも軽く受け流され保護者からの信頼を失いました。

責任はその新人にあるにも関わらず園の信頼も失ったのです。

案の定発表会でもトラブルを起こして保護者からのブーイングの嵐。

分かってくれる保護者の方々は
「先生も大変ね」
「私達は先生が頑張ってること知ってるからね」
と声をかけてくださりました。

その一言でどれほど救われたことか。

これまで散々不祥事を起こした新人ですが一切の謝罪がないのが驚きです。

都度園長や事務に伝達しても
「言っておくから」
の一言です。

知り合いがどれほどの人かは存じ上げませんが園の信頼を失ってまで新人を持ち上げるのかと思いました。

こんな園長の元ではもう働いている意味がない、やりがいがあっても感じられるほど余裕がない、と感じ退職しました。

他にも金銭的な問題や、監査の問題など数多くありました。

自然災害があっても園よりも自宅の様子をすぐ見に行くような園長の元で働いている自分が情けなくみじめでした。

すべての園がこのうよな事案ではないと思いますが、個人経営の施設は何かと闇が深く長続きができない職場と感じます。

わたしは、多くの人がこのようにならないよう祈るばかりです。

頑張って資格を取得して働くが、結婚を機に辞めました。

三年前までは、保育士として働いた、Yです。

私は、保育士になるために国家試験を受けて保育士資格を取得しました。

この国家試験は、年に一度しかありません。
筆記試験を合格すると実技試験を受けることができます。

実技試験にも合格をして、やっと資格取得です。

筆記試験は、科目も多く範囲も広くて覚えるのが大変でした。

しかも、すべての科目を合格しないと実技に進めません。
何度もチャレンジし、保育士資格を取得するため何年もかけてやっと資格を取得しました。

資格を取得する前から保育施設でパートとして働いていましたが、資格取得を機に、パートから社員へとなりました。
パート時代は、決まったクラスを担当することもなく、色々な年齢の子供たちを見ていました。

社員になってからは、クラスを任されました。
今までそのような経験がなく初めてのことでしたので、ドキドキもしましたが、それよりも嬉しさや楽しみな気持ちのほうが大きかったです。

そんな気持ちでスタートを切れたのですが、初めてのことでわからないことも多く、時間が経つにつれて困ることも多々出てきました。

自分がリーダーとして、クラスに入ってくれるパートさんに指示を出さないといけないのですが、自分も動きながらどんどんと指示を出していかないといけないのが、大変でした。

初めてのことでわからないながらクラスを動かしパートさんにも指示を出していくも、足りないようでどう動いたらいいのかわからない時があるという指摘を受けることもありました。

それからは、そのようなことがなくなるよう注意していましたが、いつも気を張っていたと思います。

もちろん、大事なお子さんをお預かりしているので、常に気を張りながら保育をしていましたが、パートさんにもという思いもあり、更に気を張っていたと思います。

それでも、人間関係は良かったので、そこは働いていて良かった点でした。

他にも、大変なことがありました。

まずは、書類です。

たくさんの書類の記入があり、とても大変でした。

しかも、保育中にできないので、勤務時間が終わってからの作業でした。
この時間は、いつもサービス残業です。
家に持ち帰ってやることも多々ありました。

とにかく、書類が多くて大変でした。

次に、作り物です。
頻繁に作り物があり、これも家でやることが多かったです。

パート時代には無かった作業がたくさんあり、どれも初めてのことでわからず、自分でいろいろと参考にしながらやっていた記憶があります。

社員として働くようになってから、保育士は、時間外での仕事が多くて大変だと身をもって理解しました。

しかも、給料が安い。
こんなに重労働で事務作業も多いのに、安い給料で働いているなんて、本当に子どもが好きで保育士という職業が好きじゃないとできないなと思いました。

私は、結婚を機に県外へ引っ越しのため通勤が不可能となり辞めてしまいました。

今現在は、保育士として働くのは大変だなと思い、保育士として働いてはいません。
今は、まだ保育の仕事はいいかなという感じです。

保育士としてのやりがいの搾取の中での葛藤

初めまして、むーみんと申します。
私は短期大学で保育士資格を取得後、4年間幼児担任として勤務した後に退職をしました。

私は小学生の頃に縁あって出会った保育所で「この園の先生になりたい」と思い、保育士を目指したぐらいに憧れていた保育園に念願の就職をしました。
憧れていただけあり、就職をしてみると子どもたちの為にと熱心な先生方が多く本当に毎日やりがいの中で保育士をしていました。

しかし、子どもたちの為にと熱心になればなるほど、保育士として頑張れば頑張るほど、睡眠時間と自由時間は削られていきますし、親はこちらの熱意や思いなどどこ吹く風で好き勝手に言ってきます。

同じ保育士をしている友だちにすら「働き過ぎじゃない?」と言われるほどで心身ともに削られる毎日の中、それでも子どもたちの成長という目に見える形でのやりがいだけが心の支えで、深夜や明け方まで続く会議や12時間を越えるサービス残業もなんとも思わずに過ごしていました。

そんな私が「辞めよう」と思ったきっかけは、身体の不調でした。
原因不明の発熱、睡眠障害、胃痛、ストレスがやりがいを上回り体に出てきても栄養ドリンクや点滴で騙しだましで続けてきましたが、ある日本当に「このままでは死んでしまう」と思ったことがきっかけでした。

「子どもたちにとってよい環境=保育士の頑張り」なんです。

最低賃金、保育をしている8時間以外の仕事はすべてサービス残業、家で仕事をしている時間も含めると月50時間を越える残業に、行事の時は27連勤なんてこともありました。
保育士は子どもと遊んでいるだけが仕事ではありません。

その遊びの中でどれだけ成長につながるか、社会とのコミュニケーション力を培っていけるかを真剣に考えています。

その為の月案・週案・日案の作成はサービス残業です。
行事があれば行事の準備、保護者会に向けての資料作り。
すべて仕事なのにお給料は発生しません。

お給料が安く、ストレスを発散できるほど自分の好きなものも買えない、休みがなくて旅行にもいけない。
それでも子どもたちの笑顔と成長のやりがいだけが救いで続けていましたがこんなのは「やりがいの搾取」です。

保育士は慈善事業ではありません。
資格のある立派な仕事です。

それが認められる社会になることを心から祈っています。

保育士による子どもや同僚保育士へのいじめ

保育経験10年のすみと申します。

それまでは別の保育園で保育士をしていました。

ただ、契約期間の関係で退職せざるを得ず、次に務めた保育園は、前園の園長の紹介で入った保育園でした。

紹介と言うこともあり、あまり不安に思わず通い始めたのですが、まだ雇用開始前のアルバイトとしての研修期間中から違和感が始まりました。

入った1歳児クラスの複数担任のうちのベテラン保育士が、子どもに対する圧がすごい。
まだ1歳児なので、できないことも多く、それをフォローするのが保育士の役割だと思うのですが、正直そのベテラン保育士の機嫌だけで、同じことをしている子にもとある子には怒ったり別のとある子には褒めたりするのです。
一貫性がないと子どもたちも混乱してしまいます。
ただ、一緒に組んでいる若手保育士たちはそれに対して何も言わないので、私も何も言うことができず、理不尽に怒られている子をただ見つめることしかできませんでした。

そして、違和感のまま、翌月から2歳児クラスの担任として働き始めました。
幸い、一緒に組んだ先生方はとても良い保育士さんたちだったので、保育の人間関係においては特に問題なく楽しく過ごしていました。

ところがある日、同じ学年の別のクラスの男性保育士が、同僚の女性保育士たちにいじめられているのではないか、そう思うようになりました。
ただ、少しきついものの言い方をされていたり、とか最初はささいな場面を見ただけだったので、確信は持てませんでした。

そしてついに夏、事件は起こりました。

ちょうどプールの時期で、2歳児たちは園庭で水着を着た状態で水遊びをするような形だったのですが2階にあるプールでは3歳児クラス以上の子たちが順番にプール遊びをしている状況でした。
男性保育士のいるクラスが先に園庭で遊んでいて、そろそろ交代の時間だったので私たちが1階に降りているところ、ちょうど窓から見えた景色が、次の景色でした。

2階のプールにいる幼児クラスの女性保育士たちが、下の男性保育士に向かって、かなりの水を浴びせかけていたのです。
男性保育士は、私服ですし、眼鏡もかけていて、眼鏡をはずして顔をぬぐいながら、必死に「やめてください!」と叫んでいるのですがしばらくやまず。
私は一緒に組んでいるベテラン保育士にすぐ伝えて、園長に報告してもらいました。

もちろん、子どもたちもその様子は見ています。

そんな悪環境の中で、どうやって子どもや同僚を守り、良い発達を促せるのか私は分からなくなってしまいました。

その後も、子どもたちに理不尽なことをする保育士の姿や、攻撃が私に対して向かってくることもありました。

園長に訴えたところで、やっている保育士たちは園長のことを、何も分からないし何もできない人、と下に見ているので、恐らく何も変わらない、と悲観しました。

そして、私のメンタルが壊れる前に、離れようと思い、1年間だけ耐えましたが、年度末にその保育園も保育士も辞めました。

社員ともめると、チームで働けない

 私は29歳の男性で「さなだ保育士」といいます。

 大学で保育関係の実習を行い資格を取得していました。
特に目的なく、親の勧めで大学に入り、出る時になっても何か目的があるわけではありませんでした。
なので、唯一持っている資格が役に立つ保育園で働くことになりました。
大学との提携施設だったので、面接や試験もあってないようなもの。
簡単に合格することができました。
私はその保育園で一年半ほど働きました。

 やめたきっかけは数個あります。

 まずは体力的にきついということです。
保育園は意外に朝が早いです。
毎日5時に起きて、7時くらいには出勤となります。
家から園まではそれなりに距離があり、車で走ると渋滞に飲まれ、大変ストレスを感じました。
はっきり言って仕事場につくまでに疲れてしまう状態でした。
出勤時間が無駄と想ったのが辞めた理由の一つです。

 次にですが、園の駐車場がとても狭いということです。
先に来ている人とすれ違えないくらいに狭いです。
大型の車できている職員がいると、ぶつかってしまうのでその人よりも奥に車を入れることができません。
狭くて縦長の駐車スペースでした。

 一番の問題は園長とウマが合わないということでした。
毎年運動会や生活発表会があるのですが、その最後に園児にお菓子袋をあげています。
園児にあげるのはわかります。
しかしそれと同じ物を、職員にも用意していました。
大人には必要ないし、職員数十人分のお菓子を用意すれば費用もかさむので無駄だと思いました。
そして園長に教員にはあのような物はいらないから廃止してお金を浮かせるように申し出ました。

 すると、現場の空気を乱す発言だなどと言われ、それをきっかっけにして、その場とは関係のない単なる私個人への不満、悪口を言い出したのです。
園長はリーダーでありながらまるで猪のようにまっすぐに感情をむき出しにする冷静さの足りない人物でした。
これの下で働くのは情けないと思い、家からもっと近い園に転職することにしました。

休憩時間もまともにもらえない保育士の実態。

私は34歳のパイナップルと申します。

私が保育士を辞めた理由は勤務体制が激務であるということです。

保育士を目指していた短大生だったころ、保育士とは園児の遊び相手や教育をすることだと考えていて子どもが大好きな私にとっては天職だと感じていました。

しかし、実際に働いてみると園児のお世話はもちろんのこと、細々とした事務や雑務に追われて休憩時間すらまともに無い状態でした。
勤務中に終えられない仕事は持ち帰ってしていましたので心身ともに疲れ切ってしまいました。

まず、一般企業ですと昼食時は1時間の休憩がもらえますがら保育士にはありません。
園児と一緒に給食を食べますが園児が給食をこぼしたり、食べるのが遅い子のお世話をしなくてはなりません。
自分の給食は5分くらいでパパッと食べてあとは園児のお世話です。

保育士が唯一、ホットできる一時はお昼寝の時間ですが年中や年長になるとなかなか眠れない子もいます。
隣に寝転んでトントンとしてあげると自分が寝てしまいそうになります。
しかし、寝てはいられません。
昼寝の間に連絡帳にメッセージを書かないといけないのです。

私が勤めていた保育園では毎日、園児が保育園でどのように生活をしていたかを連絡帳に記載して園児の親御さんにお渡しをしないといけません。

それが結構、面倒でしっかりとした内容を書いていないと親御さんからクレームが入ります。
クレームを入れる親御さんの連絡帳にはより丁寧に気をつけて書くようにしていました。

また、クラスごとに「おたより」を作成して配布をしなければならないのですが、勤務中にはできないので自宅で深夜までかかって作成していました。

子どもがは可愛いのですが、実際の勤務内容と給料が見合ってないと心底感じています。

もっと保育士の仕事を簡素化するか、給料を上げてもらわないと長く続ける保育士がいなくなります。

実際に正社員として働くよりもパートで働くほうが気分も楽ですし責任もないので結婚後はパートにされる方が多いです。

もっと保育士の業務内容の改善を行うべきです。

園の方針と自分のこころ

 保育所の保育方針は園によってさまざまだと思います。

 私が経験した保育所の方針は、言うならば(実情として)、
『子どもは未熟で至らない存在であり、躾が必要で、集団行動に沿うことを何よりも大切にする、それに従えない子供は強く叱る、押し入れに入れるなどの罰を与えて言う事を聞かせる、そういう存在にしたてる』 というものでした。

 自分自身の遠い記憶、保育所に預けられていた頃(40年近く前)の記憶と重なるところもあり、これだけ時代は自由に進化しているのに、この場所だけ、40年前のまま時が止まったようで、正直、まだこんなことをしているのかと絶句してしまいました。
 
今の時代、小学生にまでなると不登校の子供たちが増えていますが、子供たちは時代に合わせて変わってきているのです。

それなのに、保育方針、システムが集団の、外面の、体裁に合わせる、個性を閉じ込める、もちろん協調は必要ですが、個よりも集団を重んじるほうに偏りすぎていて、そういう姿勢がこの時代の子供たちには全くふさわしくない、と強く感じてしまいました。
 褒めること、温かく抱きしめること、触れ合うこと、語らうことも禁止、な雰囲気で、子供を褒めようものなら、他の先生からのぴりっとした空気を感じる、そんな場所でした。

 先生方は、保護者観覧の出し物に追われ、それが園の一大イベントでした。
 衣装や小道具など家に持ち帰って作成するのは当たり前、それでは疲れてストレスが溜まるのも当然です。
子供にも愛情が注げないのも、、、
 対面を気にした出し物、観覧会がそんなに必要でしょうか。

 観覧会をするにしても、もっと簡単なものにしてはどうでしょうか。

 子供たちにとって、本当に必要なことはなんなのでしょうか。

 わたしは、こどもに愛情を注げる、褒める、そのうえで、協調性も大切にする。
 こどもの個性を大切にした活動を中心にした園で働きたいと思い、この園を数ヶ月で去りました。

 保育園は女性ばかりで、どうしても安定志向になり、改革改善の視点が不足します。
 もっと男性的な視点を取り入れられたら良いのですけれど、、、 もっと合理的に、効率的に運営して、保育士自身ももっと「楽」になるべきです。
そうでないと、余裕がないと子どもに愛情をそそげない。
 八つ当たりの矛先にしているような先生もいました。

子供には楽しい時間を

朱雀です。
私は保育士にになりたいと思ったのは自分が保育園に通っていて楽しかった
思い出が多かったので自分も保育士になって小さな子供達に楽しくすごしてもらいたい
と思い希望しました。

保育園では、一方的に上司が言ったこと、決めたことをしなければならないような状況でした。
クラス担任である私の意見を言っても、聞いてもらえることはなかったので、私は自分の意見も出せる場所で仕事がしたい、自分の成長につなげたいと考え転職を決意しました。
例えばイベント行事で効率よく準備ができる方法を提案すると今までのやり方にこだわりをもっている先生方はいい顔をしないことが多いです。

効率よくやろうとすると手を抜いてやりたいのかと思うらしいです。
それに対応していかない人はできない人に対して突き放すような、厳しい態度を取る職員が多く、相談やコミュニケーションによって解決していこうという姿勢はありませんでした。

私は保育士になった理由は子供達に楽しくすごしてもらいたい。
しかし園ではきちっと整列させること、足並みそろえて歩くことにすごくこだわりがありました。
確かに集団行動において規律を守って生活することは大事かもしれませんが、私はもっと幼児期には大事なことがあるのではないかと思うことがありました。

給与面は悪く自分が成果をだしても評価されることはなく、給与には反映されませんでした。
様々な行事の責任者や、新人保育士の教育係を行っても、何も評価されずモチベーションを失いかけたこともありました。
成果をきちっと評価してもらいたいです。

自分の時間がとれないほど残業時間が長く、もっとメリハリをつけて働きたいと思うようになりました。
オンオフがしっかりとすることで、就業中にやってしまおうというメリハリのある仕事ができ、貢献もできると思っていました。

先輩保育士よりも先には帰れない職場で、仕事が終わっているのに毎日遅くまで残ることになったり、突然仕事を申し付けられ、結果持ち帰り仕事になったりと、効率的ではない職場でした。
私はもっと能率的に仕事し、高い成果を出しいきたいです。

夢だった保育士。多忙と人間関係でその夢を捨てざるを得なかった。

はじめまして。
ふくと申します。
小さい頃から憧れだった保育士。
やっと夢が叶い、希望に満ちた毎日になるはずだったのに、一年でその夢が破れた話をお話しします。

単刀直入に、辞めた理由は、仕事の多さと、人間関係です。

私が勤めた保育園は、定員120名のわりと大きない所で、行事に力を入れている保育園でした。

子どもの保育時間も長く、担任は1日フルで保育をする状態。
早めに上がって、残った時間で書類作成…なんて、一年で一度もありませんでした。

当然のことながら書類作成は時間外、家に持ち帰ってやらざるを得ない状態でした。
もちろん残業代は出ません。

初めにそのような契約で雇用を結んでしまったからです。
これは私の思慮不足もあると反省したものでした。

書類の量も多く、デジタル化の進んだ現代にそぐわず、書類は手書きで作成が決まりでした。

毎日の仕事に追われ、家に帰ると気づけば疲れて寝てしまっていることもしばしばでした。
日々の保育準備もままならず、休日も次の週の保育のことで頭がいっぱいで休めた心地がしませんでした。

特に行事前は最悪です。
早番だろうが遅番だろうが、保育園を閉める時間まで残る人が多く、自分のクラス分が終わっても、他のクラスの手伝いなどで、新人は先に帰ると先輩に陰口を言われたものでした。

新人だからとフォローしてくれるわけでもなく、というよりフォローできるくらい余裕のある職員がいなかったようにも感じます。

気に入らない新人に対しては、いじめともとれるようなこともありました。

そんな環境の中で、あれだけ夢見ていた保育士という職業に、失望していた自分。
自分の頑張りが足りないのではないか、自分が悪いのではないか、と自分を責め、どんどん精神的に追い詰められていきました。

そんな折、友人から転職の話を聞きました。
友人も子どもに関わる仕事をしていましたが、あまりの多忙さと給料の安さに全く違う職種へ転職を考えているとのことでした。

友人の話は、まさに目から鱗でした。
夢にしがみついていた自分。
それが上手くいかず、死まで考えるほどでしたが、その前に全く違う環境で気持ちを切り替えてみるのも悪くないのではないかという考えが私にも生まれたのです。

結果的に言えば、その後の転職は私にとって正解の道だったと感じています。

今でも私は子どもが好きです。
でもきっと、あのまま保育士を続けていたら子どもが嫌いになっていたことでしょう。

保育士の関わりは乳幼児期の子どもに大きな影響を与えます。
だからこそ、保育士自身が余裕をもって、ゆとりある保育ができるよう、環境を整えていく必要があると思います。

良い環境の中で働くことは、保育の質の向上にも繋がります。
劣悪な環境の中ではその逆です。
そしてそれが悪循環となり、結果として保育士不足が問題となるのでしょう。

保育士はただ子どもと遊んでいるだけではありません。
その職務の重要性を再確認し、それに見合う給料、処遇を検討していってほしいと思います。

保育士は、やりがいのある仕事だが、上司が、しっかりしていない職場はどこもうまくいかない

保育士7年目です。

新人社員として、入社したのが7年前です。
4年間勤めました。

保育士として働く中で一番大変だったことは、サービス残業の多さです。
大量の制作物と、書類に追われて睡眠時間も、削られました。
残業代がつかない現実と給料の低さに、幻滅しました。

辞めるのを決断した時は、4年目だったので仕事の要領は掴めてきた頃でしたが、4年勤めたら辞めるという固い意志があったので二度と正社員はやるものか、と、退職を決意しました。
人間関係は割と良い方でしたが、仕事の量と給料が割りに合わないのが一番の理由でした。

行事の用意とかも大変ですが、子供が好きで子供が頑張る姿を見るととてもやりがいがあるなと実感していましたが、肉体的に辛かったです。

4年間勤めた会社を退職し、就活しました。
しかし、今までの経験上から、事務職の面接には断られ、職のない生活に焦りました。
やはり、保育士不足と言われてる今、保育士の求人ばかり。
パートで、保育士の再就職を決めました。

しかし、今までバリバリに正社員で働いていたこともあり、パートでは、物足りなさを感じました。

一年勤め、退職をし、再び他の保育園で正社員として、働き始めました。
2年目になりますが、自分の中で、時間を決めて、仕事とプライベートを完全に分けるやり方を身につけ、要領よく、仕事がおこなえるようになった今は、ストレスに感じることがなくなりました。

保育士は2.3年勤めたところで語れるものではないと今は感じています。

経験があったこそ、今があると思います。
7年目として、若い子達に仕事の方法を伝えていきたいと思います。

初心を忘れずにいることで、後輩たちが嫌な思いをせず働けるような環境を作るのが先輩保育士の役割だと私は思います。

わたしの経験から上司の中に人の悪いところばかり指摘する人がいました。
人の好き嫌いが激しく、差別していました。
また、仕事ができるできないを評価しできない人にはとことん指摘する。
保育士は当然辞めていく現実。
もう、保育士なんかやらないってなりますよね。
そのような、上司が減れば保育士を辞めることなく、続けられる環境になるのではと考えています。

楽しい仕事だと思って入ったのに、保育士はつらい仕事だった。

私は、昔から子供が大好きだったので保育士という仕事にすごく憧れを持っていた、
なので中学生に入るころにはもう将来の夢は保育士であることが決まっていた。

いざ夢の保育士になってみると現実は自分の理想とは真逆の世界であった。

同僚や上司はとても良い人達であったが、親御さんたちがとても口うるさく、
私の精神その親御さんのせいで無茶苦茶になった、今でも顔を思い出すだけで
吐き気がしてくるほどである。

具体的にどういったことがあったのか上げていくと、
私が勤めていた保育園ではお昼の食事の後にいつもプリンや、ゼリーといった
スーパーで買えるような100円程度のお菓子を園児に配るのだが、

その日、入園してきた園児の親から連絡があり、「うちの息子になんてものを食わすんだと」
わめき散らすような電話がかかってきた、その親御さんが電話の後から、30分もしない
うちに、保育園まで来てクラスの担当の先生とその補佐役をしていた私たち二人を呼び出し
怒鳴り散らした。

どうやら、その園児が家に帰った後、初めて食べたプリンがとてもおいしいと言ってお母さんに
話して、母親がもしかしたら安いプリンをうちの息子に食わしたに違いないと思い
電話してきたそうだ。

その母親は30歳前半で見るからにお金持ちそうな感じであったが、ここまでぶっ飛んだ
発言をするような人とは最初は、思わなかった。

園児を返す時にその保護者と会っていたのだが、その時は「ありがとうございます」といっていて
とても穏やかで、感じの良いイメージであったのでまさかここまで言う人とは、思わなかった。

私たち二人は、保護者の怒りを鎮めるべく必死に謝ったが、相手は
ヒステリックを起こしていて何を言っても怒鳴り散らす一方であった。

その日はなんとか園長先生が場を収めてくれだが、私の気持ちはもう
この保育園にはいきたくない辞めてしまいたいという気持ちで
あふれていた。

そして、私は入って数か月後にそこを辞めた。

バスの運転手兼用務員、時々保育士。

私は空歩といいます。
現在は介護の仕事をしています。

私はもともと保育士として働いていたのですが、転職して現在の介護士となりました。

昔から子どもが好きだったので、保育士になろうと思い、高校卒業後、保育士の資格が取れる短大に進学しました。

当時、保育士になる男子生徒は皆無で私もクラスで一人だけの男子でした。

短大の先生からは、保育園のバスの運転ができるよう大型免許の取得を勧められたので、在学中に大型免許を取得しました。

大型免許のおかげか、卒業後、民間の保育園に就職が決まりました。

初日に園長から
「貴重な男手だから、最初は保育よりも営繕作業や環境整備、バスの運転を主にやってもらって徐々に保育にも参加してもらうから」
との方針を伝えられました。

それからは朝晩のバスの運転と園内の草刈りや庭木の剪定といった環境整備をこなしていきました。

また園には壊れた箇所がたくさんありました。

女性ばかりで修理できず、予算の都合上、外注も難しく放っておかれていたのですが、DIYご趣味だった私は少しずつ、修理していきました。

すると他の先生はとても喜んでくれ、私を誉めてくれました。

新社会人だった私は、必要とされ頼りにされた喜びから、より一層頑張りました。

系列の他の保育園や幼稚園も男手がなく、修繕箇所や環境整備の仕事がかなりあったので、私は何かと呼び出されて、様々な作業を行いました。

しかし保育の方はお手伝い程度しかできませんでした。

一応担当のクラスはありましたが、アシスタント的な立場で、保育士と名乗って良いのかな?と思えるくらいでした。

その状態が6年ほど続きました。

ほとんどバスの運転手兼用務員のような扱いで、あまり保育にも参加できず、系列の園をクルクル回って作業ばかりの毎日でした。

園長に何度も相談したのですが、全く改善が為されません。

そのような作業も子ども達のためだと思うようにしましたが、やはり保育を中心にやっていきたいという思いは強く、覚悟を決めて園長と話し合いました。

しかし、系列の園も含めて、園内でのポジションが決まってしまい、それに合わせた採用を行ったので、難しいとの結論でした。

私は退職を決意しました。

他の保育園を探そうと思いましたが、たぶん同じようなことになると思い
、友人の紹介で介護の仕事を始めました。

保育園の仕事は、サービス残業は当たり前で、労働時間も長く休みも取り難かったのですが、一番辛かったのは保育士らしい仕事ができなかったことです。

今でも保育士だったと言って良いのかわからないくらいです。

他の保育士の人からすれば、随分贅沢な悩みかも知れませんが、夢が破れた辛さは変わらないと思います。

虐待を虐待と思わない保育士たちに愕然。警察に届け出を出して退職。

子どもの頃からの夢だった保育士。
大学を卒業後、就職した園は地元の保育園。
同期はおらず不安でしたが、夢が叶った嬉しさで胸はいっぱいでした。

わたしが入ったのは1~2歳が30人いる未満児クラスで、先生は5人在籍していました。
お局クラスリーダーと、中堅先生と、まだ新人先生。
仕事内容は覚えるまでが大変でしたが、少しずつ慣れ、楽しくなってきた頃でした。

わたしが異変に気付いたのはその頃でした。
お局先生の、子どもの扱いがどうも気になるのです。
雑、流れ作業、と言えばまだ聞こえは良いのですが、わたしが感じたのは「虐待」。

例えば、給食中におもらしをした子を放置する、ふざけて子どもを柵の中に入れて「見て、動物園のサルみたい」、布団で挟み込む。
している先生も、見ている先生も狂っていると思いました。

長く同じ園にいると、「おかしい」ことが「当たり前」になるのですね。
悩みに悩み、警察へ相談に行くことにしました。
その後、警察から連絡が来たようで、職員会議でその話が上がり、先生たちは慌てふためいていました。

しかし、やがて通報の内容から「もしかして内部告発?」と…。
内部告発は新人のわたしが妥当だろうと勘付かれ、残りの半年はとてもいづらいものでした。

直接的に何か言ってくる先生はいませんでしたが、腫れ物に触るようような物言いだったり、今年度で辞めます、と伝えてからはあまり注意を受けることもなくなりました。
教育しても仕方がないと思ったのでしょうね。

1年で退職することになってしまい、あとから振り返ってみてもわたしのしたことは間違いだったんじゃないか…と後悔することも多々ありました。
しかし、子どもを産んで母になり、保育園に預ける立場になった今、もし子どもがあのようなことをされていたら、と考えたら、怒り以外の何物でもありません。

虐待は、した側判断するものではなく、された側が判断するもの。
まだ小さい子どもたちがどう感じたかわたしには分かりませんが、嫌な気持ちになったのは確かでしょう。
そう思えば、体当たりで園に立ち向かって良かったと少しは思えました。

この園にこりずに、また保育士になりたいなという気持ちもあります。
もちろん、お局先生には負けません。
子どもたちの幸せな毎日のために頑張りたいです。

保育園の質が悪化している。

保育所の設置に、株式会社が参入できるようになって、続々と新しい保育園がオープンしています。
私は、離婚をきっかけに、3年前に保育士資格を取得しました。

大学や専門学校の保育科を卒業した先生達とは異なり、国家試験で資格取得した私には現場実習の経験がありません。こんな机上でしか保育を知らない私でも、即決で採用してくれるのは、新規参入した法人が経営する保育園です。

新しい園に、ベテランの先生が在籍しているのは稀なことで、20代前半の若い先生ばかりでした。
保育の知識が乏しい『素人』が経営している上に、経験の少ない保育士たちが手探りで保育をしているのですから、あまり良い園とは言えませんでした。

保護者が家庭で、甘いジュースを与えてしまう為か、園で出される麦茶を飲めません。嫌がっている園児の顔を押さえつけ、口に麦茶を流し込んでる様子は、目を背けたくなりました。ゲホッゲホッと、麦茶で喉を詰まらせてしまい、地上なのに溺れてしまうのではないかと危険を感じた事もありました。

この時、「どうしてこんな事を?」と主任(20歳代)に聞いたところ、「水分を取らないと、熱中症になってしまうから!具合が悪くなっては、保育士が責任を取らされてしまうから。」と言われました。

給食の時間にも似た状況がありました。偏食がちな園児の口いっぱいに食べ物を詰め込み、その子が舌で押し出して、エプロンに落ちた物を、再び口に入れるといった様子です。

1,2歳児にこれをやってしまうのはどうなのか?『食育』と言いながら、この子が食べる事を嫌いになってしまっては、元も子もないのではないか?と疑問に思いました。

これまた主任に聞くと、「園できちんと食べさせないと、栄養失調になってしまうから。」とのことでした。偏食を正す事も、保育士として重要な務めだと思いますが、この虐待の様な行為を、保護者が知ったらどう思うのでしょうか?そこまでして、食育をして欲しいとは望んでいないのではないでしょうか?

私は、施設長と面談があった際に、これらの事を相談しました。
施設長は、保育とは全く業種の異なる経験をされてきた50歳代の男性でした。
「ボクに言われても…。ボクは保育の経験がないから…。主任がそう言っているなら、そうするしか…。何かあれば、ボクが責任を取る事になるんだろうけど。」と。

「何かあってからでは、困るでしょう。私だったら、こんな保育園には子どもを預けたくありません。もう少し、保育の現場を見たらどうなんですか?」と反論しましたが、
保護者はもちろん、行政も、こんな質の悪い保育をしているとは知る由もなく、内部の人間が改善を求めているのに、動こうとしない経営陣。

保育士不足の対策として、処遇改善などと言って、給与は上がっているかもしれませんが、子ども達の未来が暗くなりそうな予感がしてなりません。
こんなモヤモヤを抱えたまま仕事をする気になれず、私は保育業界から離れました。

保育士の未来は子どもたちの未来に繋がっている

私は子供の頃から保育士さんに憧れていました。
幼稚園に通っていた頃の担任の先生が大好きだったことを今でもしっかり覚えています。

私もいつか先生みたいになりたいと!と、よく母に言っていたようです。

それからずっと、私の将来の夢は保育士になることでした。

高校生のときにも気持ちはもちろん変わらず、進路は迷うことなく、保育士になるための専門学校に進学。

その後、卒業した私は無事に保育士になるという夢をを叶えたのです。

そのとき私は、ついにスタートラインに立てたのだと嬉しい気持ちでいっぱいでした。

しかし、仕事は想像していた何倍も忙しく、私は本当に保育をしているのか?子どもたちの成長を伸ばしていくことができているのか?と不安になることもたくさんありました。

そして何よりも、子どもたちにとって、私が憧れたような先生になれていないのではないかというプレッシャーに押しつぶされそうでした。

やはり保育士という職業の大変さ、お給料に関して不安になり、やはり違う道を選んでいく仲間をたくさん見ていくなかで、もしかしたら、私もそんなに長くは続けられないかもしれない。

そんな風に思うようになりました。

それでもなんとか5年ほど保育士として働いていましたが、ある時体調を崩し、病院にかかったところ、かなり疲労していると告げられました。

確かに、仕事のことばかり考えて不安になり、その繰り返しで眠れないこともよくあり、体重もすっかり減ってしまっていたのです。

こんな先生では子どもたちにとって良い環境を提供しているとは言えない。
と決意し、退職を決めました。

今でもまた保育士をしたいな。
と素直に思うこともありますが、現在の状況ではなかなか難しいかなぁと思っております。

保育士は子どもたちにとって、いつでも頼れる存在でなくてはならないと思います。

だからこそ、保育士自身が安心して自信を持って働ける環境ができていくと、この先の未来も明るいのではないでしょうか。

公開日:  最終更新日:2020/02/01

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